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旅人

 前日、カレイド村から帰ると、ギャッドとレイズが頼んだ通りに資料を整えてくれていた。

 シンシアは二人に心からの礼を言って、見ておきたい資料に目を通し、必要な事を書きとめると、書斎を元通りに戻した。

 扉はひとまず閉める。

 今日はシアーズからオレンジが届く日だ。

 それをシンシアは、自室の書き物机に向かいながら待っていた。机の上には資料の束がある。

 オレンジの出来は今年も良いと聞いている。きっとセアラが喜ぶだろう。

 セアラに送りつけられた苗木は、彼女の望み通りシアーズに植えられた。けれど数が多すぎた。

 半数以上が、ケルター子爵領の他の場所に植えられることになった。もちろんセアラの指示通りにである。

 ケルター子爵家所有の果樹園にも植えられている。

 実がつくようになると、セアラの話が証明された。シアーズのオレンジは格別においしい。

 もう一つのセアラの約束も守られた。本当に、シンシアとオーガス侯爵夫妻との間と取り持ってくれたのだ。

 オーガス領でもオレンジが良く育つ。セアラは、自分の母親より年上のオーガス侯爵夫人ともオレンジの話から親しくなったようだった。セアラが送って来たのはオーガス領の最上級のオレンジの苗だったのだ。

 そして知った。

 戦争でケルター子爵領民が、カティス子爵に預けられた理由を。

 オーガス侯爵も武人だ。ケルター領民はいつも、オーガス侯爵に預けられていた。

 けれど、前オーガス侯爵は、自領内のシアースを欲しがり、当時のケルター子爵、シンシアの祖父と険悪な仲になっていた。

 戦争が始まる前に二人とも亡くなり、新しいオーガスの当主は方針を変え、シアースの事を持ち出してこなくなっていたが、ケルターとオーガスは疎遠になったままだった。

 だから母がカティス子爵の事を持ち出した。父が何を思ってその案に乗ったのかはわからない。オーガス侯爵に預けていれば若者たちは一人も失われず、ケルター子爵領に帰っていただろう。

「失礼いたします。お嬢さま。」

 予定の到着時間より少し早く、レイズが少し緊張した様子をみせながら、シンシアの部屋にやって来た。

「どうかしましたか?」

 聞いたのはキリカだ。

「シアースから、ケインとウォルがオレンジを持って到着したのですが、例の不審な二人組が城下で店に入って行ったのを見たと言うのです。」

 シンシアは、思わず立ち上った。椅子が床を鳴らす音が響く。

「城下と言うことは、つい今しがたと見たということ?」

「そうです。気がついて、急いで馬車を走らせてきたそうです。」

「城下に行くわ!」

 キリカに言い、レイズに向き直る

「馬車の支度をして!」

「いけません。お嬢さま。」

 レイズがとめたが、自分の目で確かめたかった。

 最初に不審者の情報をもたらしたのは、今日来ているシアースのケインだ。

 今年の冬の終わりの事である。

 ケインは最初から怪しんでその話を持ち出したわけではない。田舎には話題が少ない。故に出てきた話だったのだ。

――身なりのいい、見知らぬ二人組の男を見た。恐れ知らずの子どもたちが聞くと、『旅人』だと答えた。

 こんな何もないところにわざわざ来る旅行に来る人がいるだろうか。

 オーガス領の人間かと、オーガス侯爵夫人に問い合わせたが、違った。

 その後村々で気をつけて聞いてみると、同じと思われる二人組が少なくとも六つの村で目撃されていた。

「おやめください!」

 キリカも強い口調になっている。

 シンシアはそれ以上に厳しい声を出した。

「確かめたいの、自分の目で。どうしても気になるのよ。」

 けれど、レイズがそっと口をはさんで来た。

「お嬢さま、間に合わないと思います。」

 どうしてという疑問を表情に表して、レイズを見る。

 レイズは困ったような顔をしている。

「お嬢さまが、お出かけの準備し、到着する頃には、向こうはもうその場を離れているでしょう。城下を闇雲に探し回ることは、お控え頂きたく。」

 シンシアは、ストンと椅子に座った。

 確かにそうだ。同じ店に長い間いるとは思えない。たとえ食堂でゆっくりと食事をしていたとしても、これから向かうのであれば誰が行っても間に合わないだろう。

 俯き、左手で額を抑えたシンシアは、二度ゆっくり深呼吸をしてから、顔を上げた。

「レイズ、誰かを、シアーズの二人と一緒にその店に行かせて。どんな様子だったか。背格好や顔、服装、喋り方、他になんでもいいから聞き出して来て。」

「かしこまりました。」

 レイズが出て行くのを見届けてから、キリカを見た。

「……子供っぽい振る舞いをしてしまったわね。」

「凛々しかったです。」大真面目にキリカはそう言ってから、微笑んだ。「けれど、行かないでくださって安心しました。」

 小さく頷いてから、資料の束に目を移す。

 傍にキリカがやって来て、書類の上に両手を置いた。

「お嬢さま、少しお休みください。城下へ見に行った者たちが帰ってきたら、また忙しく色々お考えになるのでしょう。」

 シンシアは、キリカを上目使いに見る。

「そうね、書類は見ない。帰って来るまで、色々と考えるだけにするわ。」

 キリカの口が一度キュッと閉じられてから、開いた。

「オレンジは届いているのですから、召し上がって頂けるよう、すぐに持ってまいります。」

 そして書類の束の上に、小さな小鳥の飾りが乗ったペーパーウエイトを置く。

「このペーパーウエイトがわずかでも動いていたら、オレンジは私が全部食べてしまいますからね。」

「三百個は届いているはずよ。」

 シンシアは少し楽しくなって言うと、キリカは迷うことなく言いながら、部屋を出て行った。

「食べてみせます!」

 部屋に誰もいなくなって、シンシアは遠慮することなく大きなため息をついた。

 正直なところ、考えると言っても、何をどう考えていいのかわからない。

 小さな事しかできないから、小さな事をいろいろしてきた。

 最初はセアラのオレンジの世話だ。

 そして子爵家の果樹園を充実させた。

 法的に成人になると出来る事はすこし増えた。

 オレンジを、他領で売った。

 利益は、まず戦争で負傷し仕事の無い人に、木工細工の技術を身につけてもらうための資金にした。その人たちに勉強させて教師を増やす案をだしてくれたのはセアラだ。

 増益できた分は、戦後ケルター領に帰ってこなかった人たちの消息を確認するために使った。

 飾り布で素晴らしい腕を見せた女性たちに、女性向けの小物をつくる仕事を作った。

 向上していた染色技術で、上流階級の女性向けの刺繍糸を作った。

 新たな利益で、識字率を上げるために学習支援を始めた。有望な子どもたちを高等教育が受けられる学校へ行かせた。

 美しい木工細工の品が作れるようになった。

 父の領地運営の不備の証拠をつかんだ。

 そして今、貧しくても比較的治安が良かった領内に、不審人物がいる。

 小さな欠片は、シンシアが将来の絵図を描かない限り、欠片のままだ。けれどその絵図を描く資格がシンシアには無い。ケルターは兄のディーンが継ぐ。

 芽は出せても太陽の光が足りず、大きく育つことができない。

 たとえ大人になっても、子爵の娘でしかないシンシアにはここまでが限界だ。

 父の力不足を知っても、相談できる相手がいない。こればかりはセアラにも言えない。

「オレンジをお持ちしました。」

 デイラ家政婦長の声で我に返った。

「こちらへどうぞ。」

 笑顔のデイラの後ろには、キリカの他に執事のメイケルがいた。

 促されるままティーテーブルのソファに座る。

 綺麗に切りわけられたオレンジが、いい香りを放っている。

「おいしい。」

 一口食べて、思わず言ってしまった。

 毎年おいしくなっている。早くセアラに食べさせてあげたい。

「お嬢さま。おくつろぎのところを誠に申し上げございませんが、ご報告をさせてください。」

 メイケルが、落ち着いた声で話し出す。

 シンシアは頷き、了承をしました。

「まずオレンジですが、事前連絡の通り三百個余りが届きました。ディパント伯爵令嬢へお届けする分と、商会へお持ち込みになる分をわけてご準備します。」

「お願い。」

 シアーズのオレンジが余り始めている。セアラが売ることを快く承知してくれたのだ。

「それから、二人組の『旅人』の件です。ギャッドをシアーズからきた目撃者たちにつけ、城下へ行かせました。『旅人』たちが立ち寄った店は食堂のようです。」

 シンシアは少し眉根を寄せて小首を傾げた。

「昼食には遅いし、夕食には早いわね。」

「はい。長居はしなかったかも知れませんが、何か情報は得られるでしょう。」

「帰って来るのを待つわ。」

「それから、こちらを。」

 メイケルが丸めて紐をかけた書類を差し出した。

「ご依頼の件です。」

 すぐに動かせる資産の明細。つまり今すぐ売り払える私財のリストだ。

「ありがとう。」

 受け取ると、膝の上に置いた。

「みんな、しばらく一人にして頂戴。」

 メイケルとデイラは礼を失せず部屋を出て行ったが、一番最後にいたキリカが何か言いたそうに振り返る。

 シンシアは微笑んで書き物用机を指差した。

「あのペーパーウエイトは動かさないわ。」

 キリカはもう一度頭を下げ、シンシアの部屋の扉を閉じた。

 それと同時にシンシアは、膝に置いた書類の紐を解く。片手でも簡単に解けるようになっていて、几帳面に並んだ小さな文字と数字がシンシアの前に現れた。数字は取得時の金額だろう。

 全部で五枚。けれど、メイケルの視点とシンシアのそれは違う。すべてを簡単に手放せないのはすぐにわかった。取得時と同じ額で売れるわけでもない。

 現金やそれに準ずる物が、思っていた以上に少なかった。

 宝石はいつでも売れるが、絵画などの美術品には流行があってどれにでも良い値がつくとは限らない。

 最後まで見て、シンシアは動けなくなった。

 胸が詰まり、頭が考える事を拒否しようとしている。

 けれど最初に手が動き出した。それから目が、どこかに見落としがないか探し始める。

 たった五枚の紙を、何度も繰った。

 ない。

 書き物用机の上の書類は、小鳥のついたペーパーウエイトを動かさなくても頭に入っている。

 けれど確認せずにはいられない。

 キリカにした約束など、どこかに飛んでいた。

 ソファから立ち上がり書き物机に走り寄ると、ペーパーウエイトを横に置いて、資料を見る。

 シンシアはその場に崩れ落ちるように座り込んだ。

 税の一部は大麦や小麦など農作物の物納だ。それは凶作や不測の事態に備えて、それぞれの領で常備し管理しなければいけない。それ以外の実りは金銀に換えて、次の夏までに国に納める。

 この夏、ケルター子爵領には納められる金銀がなかった。


 書き物机の資料の上にペーパーウエイトは戻さなかった。

 メイケルが作ってくれた書類は引き出しに入れて、しっかりと鍵をかけた。

 ティーテーブルの上のオレンジは、やっとの思いですべて食べた。

 冷めてしまったお茶を飲み干し、使用人たちにいつもと同じ顔ができるよう何度も深呼吸をした。

 夕刻、暗くなる前にドアがノックされた。

「どうぞ。」

 思っていた以上に、普通に声が出せて安心する。

「そろそろ明かりをお持ちいたしましょうか。」

 キリカだった。

「お願い。」

 そう言ってから、少し肩をすくめた。

「小鳥を動かしてしまったわ。」

 キリカは書き物用机を見てから、笑顔を見せた。

「小鳥はじっとしていられないものです。」

 そう言って、蝋燭に火をつけてくれる。

 シンシアは、自分も小鳥のようなものかと思わされる。

「ギャッドたち、まだ戻らないの? 遅くない?」

「レイズさんも、そう言ってました。店の場所が城下町のはずれだったのでしょうか。」

 それにしても遅い。

「歩いて行ったんじゃないわよね。」

 キリカはまさかという表情をした。

「馬を使ってます。大丈夫ですよ。ギャッドさんがついてるんですから。」

 そういえば、キリカとギャッドは仲がいい。歳も近い。

 シンシアは、これも頭に入れておかなければいけないことだと思う。ふたりが結婚するなら、もしシンシアが嫁ぐ時にはキリカを連れていけない。ギャッドは、ケルター領主館に必要な人だ。

「熱いお茶を入れますね。」

 キリカが、シンシアの気持ちを引き立てようと明るくしてくれているのがわかる。

 いつも通り微笑んで答えなければならない。

「お願い。」

 キリカは違和感を持たなかったようだ。シンシアの様子が少し違っても、今は不審な『旅人』のことを考えていると思ったのかもしれない。

 お茶を飲み干した時、ギャッドが帰って来たとデイラ家政婦長が知らせてきた。

「使用人応接室へ足をお運びいただけますか。あの者たちをお嬢さまのお部屋へ入れるわけにはまいりません。」

 その言い分は理解できる。

 シンシアは、夕食を後回しにして話を聞くことにした。


「ご苦労でした。」

 シンシアがまず労うと、シアーズから来たケインとウォルは恐縮して小さくなった。

 使用人用の応接室といっても、質素なものだがソファやテーブルは置いてある。ひと際立派なソファが一つあるのは、館の子爵家の者が直接使用人と面接することが念頭に置かれているからだ。

 最もこの椅子が使われることは滅多にない。

 その子爵家用の椅子にシンシアが座り、他の者にも椅子を勧めたが、結局誰も座らなかった。

 メイケル、ギャッド、レイズ、シアースから来たふたりが前にいて、キリカとデイラがシンシアの後ろに控える。

 部屋が広くはないので、正直に言うと立っていられると圧迫感があるが、彼らの領分を侵すつもりはない。

「ご報告します。」

 ギャッドがそう言って、二枚の紙を差し出した。人の顔が描いてある。

「似顔絵ですか?」

 驚いてシンシアは聞いた。一枚に、顔と立ち姿の二種類が描いてある。

 若い男と中年にさしかかった男。

 若い男の方に、シンシアは注意を引かれた。

 どこかで見たような気がする。

「これ、本当に似ているの?」

 顔を上げてギャッドを見ると、彼は目撃者の方ではなく、執事のメイケルに助けを求めるような視線を向けた。

 メイケルがいつも通りの落ち着きで話し始めた。

「実は以前、お嬢さまの絵姿が城下で出回ったことがございます。」

 シンシアは一瞬目を見張った。けれどそういうことがあってもおかしくはないかと思い直す。

 シンシアの顔を知る者は少なくない。自分の領主の娘なら、好奇心が絵を描かせることもあるだろう。

「ですが、お嬢さまの身の安全を考え、私の一存で今は禁止しております。お知らせをせず、申し訳ありません。」

「ありがとう、メイケル。私の心配事を減らしてくれたのね。」

「恐れ入ります。その姿絵を描いた者たちの中に、筆の達者な者がございまして、その者には特によく言い聞かせました。」

 どんなふうに言い聞かせたのは聞かない方がいいだろうと、沈黙を守った。

「本日、『旅人』と称した者たちが行った店の、店主の息子です。」

「それでは、これは?」

「その者が描きました。ケインもそっくりだと言っています。」

 ケインを見ると、一所懸命に何度も頷いていた。

「ケイン、ウォル、良く働いてくれました。ありがとう。オレンジを頂きました。また美味しくなっていましたね。驚きました。」

 ケインとウォルは嬉しそうな顔になった。

「木が土地にしっかり根付ましたからね。これからはもっとたくさんの実をつけます。」

 ウォルが誇らしげに言うのに、頷いた。

「頼みましたよ。今夜はゆっくりお休みなさい。」

 デイラに目を向けると、彼女がふたりを連れ出してくれた。

 それを見送ってから、シンシアはもう一度似顔絵を見た。

「この姿だと裕福な者のようね。」

 シンシアが確かめるように聞くと、ギャッドが報告を始める。

「はい。女将が仕立てのいい服だったと言っていました。食事の時間には外れていて、店には他に客はなく、店主も夜の仕込みのために離れていたので、その場にいたのは息子と女将だけだったそうです。女将は色々話をしたようです。その男たちが本当のことを話したとはとは限りませんが。」

 前置きをして、話は続けられる。

「若い方は二十代前半、もう一人は三十半ばに見えたが、もっと上かもしれないと女将は言っていました。いい暮らしをしている者は、この辺りの者より若く見えるからと。言葉にはケルターの訛りがなく、きれいな話し方や動きをしたそうです。」

「きれいな?」

「お屋敷務めの者たちは、よくそう言われます。ですが女将にはそれ以上の違いはわからないでしょう。貴族の使用人か、裕福な民か、気まぐれな貴族か、区別はつきません。」

「そう。」

「あの時間に食事を取ったのは、次の目的地へ行くためだと言っていたそうです。今日中にケルター領を出ると。」

 シンシアはメイケルとギャットを順に見た。

「今日中? ではどの領に行くにしても次の宿場町に着くのは夜になる。食事をしたのはそのため?」

「言葉どおりに受け取るとそうなります。」

 少し間をおいてから、ギャッドが話しだす。

「女将によると、二人とも軽妙で感じ良く、明るく楽しく過ごして行ったみたいです。息子もそう言っていました。どこから来たのかと問うと、王都からと答えたそうですが。」

 ギャッドは小さく首をかしげた。本当のことはわからない。

 けれど、シンシアは胸がざわめくのを感じた。

 若い方の『旅人』。見たことがあるとしたら、王都しかない。シンシアの行ける場所は少ない。けれど王都では、たくさんの人を見る。

「年嵩の男は、若い頃にアディード王国中を見ようと決めて旅をし続けているとか、若い方は今回だけ面白がってついてきたということでした。」

「どんな話をしたの?」

「北方の雪の話と南方の港町の話だったそうです。」

 ケルター領には海がない。

「どちらも珍しい話だったでしょうね。」

 話の内容から、何者かを知ることはできそうにない。

「そういえば、店の者には何と言って聞き出したの?」

「どこかの盗賊団の下見かもしれないと、少しおびえさせたかもしれせんが、用心するに越したことはないでしょう。」

 ギャットがにっこりと笑って言う。

「まぁ、そうね。実際私も、彼らの正体としては、本当にただの旅人か、盗賊団の下見ぐらいしか思いつかないわ。どう思う?」

「恐れながら」とメイケルが言った。「盗賊団ならケルター領に盗れる物はないとわかったでしょう。」

 全員が、苦笑した。

 シンシアは、気分を切り替えるように明るい声を出した。

「とりあえずこの似顔絵は頂いておくわ。けれど、彼らは出て行ったと信じて、これ以上この件は心配しないでおきましょう。」

「承知いたしました。」

 シンシアは席を立った。

 部屋に戻ってから、キリカがじっくりと似顔絵を見て言った。

「若い方は端整ですね。女性にもてそうです。」

 ふと、シンシアに記憶がよみがえって来た。

 何人もの女性に囲まれている殿方。

 去年、どこかで行われたパーティーだ。セアラは王族付きの見習い侍女になってしまっていたから、あまり一緒にいられなかった。

 あの時一緒だったのは、アルティアとオーガス侯爵夫人だ。侯爵夫人が教えてくれたのだ。

――カイル・キルティ卿よ。キルティ侯爵のご長男。第一王子の側近、監査部にお勤めなのよ。

 オーガス侯爵夫人の声が蘇る。

 キリカが似顔絵に見入ってくれていて良かった。

 シンシアは、そっとキリカに背を向ける。 普段通りの微笑みを取り戻すのに少し時間が必要だった。

 監査部のカイル・キルティ。

 では、このケルター子爵領の状況は監査部に知られているということなのか。

 納税できない貴族は名を落とす。一度落ちたら這い上がるのは並大抵ではない。

 盗賊団の方がまだマシだった。


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