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 夢を見ているのだとわかった。

 時々見る夢だ。毎回少しずつ違う。

 今回は曇り空だ。

 実際に起こった日は晴れていた。

 これは夢だから、早く目を覚まさなければと思いながら、夢の中のシンシアはカティス子爵邸の庭に立ち尽くしている。

 誰もいない。早く逃げなきゃ。そう思うのに、足が全く動かない。

 焦っているとふいにエレーナが現れた。

 金髪に青い目、母が大好きな可愛らしさをすべて持った少女。

 彼女が手に持った剣を振り上げる。稽古に使う木で作られた模擬剣だ。それがシンシアの肩に振り下ろされた。

 どこかで兄のディーンの声がした。

「悪いのは母上だ! 悪いのは母上だ! 悪いのは母上だ!」

 繰り返される言葉に、やめてと叫びたいのに、声が出ない。

 苦しさを押し払い、必死で上げた喉に詰まったような自分の声で、目が覚めた。

 視界に映るものを確認し、頭の中で言葉にする。

 大丈夫。ここは自分の寝室。

 寝違えたのかもしれない。右腕が痛い。

 昔の事を夢に見たのはそのせいだろう。

 

 夢の中の出来事が、実際に起こったのはシンシアが六才の時だった。

 母、アメリ・ケルター子爵夫人には、大の親友がいる。リアンナ・カティス子爵夫人だ。

 ふたりは若い頃から、同じ『可愛いもの好き』で固い友情を結んでいた。

 後でシンシアに大人の分別がついてくると、二人の性格が似ていることも友情が育めた理由だと分かって来た。ふたりとも、物事を深刻に受け止める事がない。

 その母の親友には三人の子供がいる。男の子がふたり、三人目に女の子。

 カティス家の子どもたちと、シンシアの兄ディーンはすでに面識があった。

 ディーンは初めての出会いで、娘のエレーナに一目惚れしている。

 金色のゆるやかなウェーブを描く髪、大きな青い瞳、お人形のような可愛らしさ。男の子なら、たいてい好きになる。

 シンシアも、その可愛い女の子のことを聞かされて、友達になるのを楽しみにしていた。

 そうして王都のカティス邸へ訪問した日。事が起きた。

 エレーナは本当に可愛かった。けれど普通のご令嬢ではなかった。

 カティス家は武門の家である。子供たちは皆、武術を学んでいる。

 シンシアはすぐに庭中を駆け回る遊びについていけなくなり、母のところへ戻って来た。

 けれど母たちは構ってくれず、遊んできなさいと言うばかりだ。

 仕方なく、兄たちの遊んでいる様子を少し眺めては母のいる部屋のそばまで戻る、行ったり来たりをしばらく続けていた。

 そんなシンシアの様子に気付いたのは、エレーナだ。

「どうして遊びに入らないの?」

「何が気に入らないの?」

「騎士ごっこより面白いことなんてないじゃない。」

 お花を見ながらゆっくりお散歩したいと言えればよかった。

 けれどその時のシンシアは、ひとつ年上の女の子に責め立てられているような気分になっていた。模擬刀を持っている姿が怖くて返事が出来なかったのだ。

 黙り込まれれば、エレーナも楽しくはないだろう。だんだん不機嫌になっていく。

 シンシアは、ディーンに助けを求めようとしたが、面白がって見ていたカティス兄弟に両腕を抑えられ、引き止められていた。後から思えば、ディーンが側にいたとしてもシンシアの味方になってくれたかどうかはわからない。男の子は好きな女の子の騎士になりたいものだ。

 エレーナがとうとう模擬剣を振り上げた。

「剣が使えないと困ることになるのよ、こんなふうにね!」

 最初は驚きで、次は右肩の痛みで声が出なかった。

 成り行きを見守っていた両家の侍女が、慌ててやってきて大騒動になった。

 事の真相を知ろうとする二人の子爵夫人に、カティス家の者はエレーナの名を出さず、ケルター家の者は見たままを話した。もしこのままだと両家の言い分は平行線をたどったまま終わっただろう。

 エレーナを加害者として確定したのはディーンだった。

「エレーナが悪いんじゃないよ。母上がシンシアに、エレーナと遊べって言ったからこうなったんだ。母上のせいだよ。」

 ディーンはエレーナをかばったつもりだった。

 けれど、たとえそれが九才の子供の言ったことでも、貴族の証言は重きを置かれる。結局、カティス家の子供たちもすべてを白状した。

 後日、謝罪にやって来たエレーナは、目にいっぱい涙をためていた。その痛々しい姿さえ可愛らしく、シンシアの母はあっさりとエレーナを許した。

 許されたエレーナの涙もあっさり消えた。

 痛みに耐えるシンシアを置いて、楽しげに話しながら部屋を出て行くエレーナとカティス夫人、そして自分の母。

 あの中に自分は入れないのだと悲しくなった。けれどすぐに、こんなに痛い思いをするならそれでいいと考え直した。

 父の無関心さはこの時も変わらなかった。けれど、腕が不自由になると嫁入り先がなくなると、シンシアの前で言わないだけの気遣いはあったようだ。

 シンシアが、父がそう言っていた事を知ったのは、子どもだったディーンの口が軽かったせいだ。

 なんの不安も感じなかった未来が、真っ暗になった。


 そして十年。

 右肩は思うようには動かない。

 けれど肘はちゃんと曲がるし、手首も指も動く。右腕の重さを支えられないが、そこは飾り布が補ってくれる。

 未来が真っ暗だなんてもう思ってはいない。

 シンシア・ケルターは、もう小さな女の子ではない。

 今日は両親が王都に戻る日だ。

 いつもの朝より少し早いが、侍女を呼ぶことにした。肩の痛みがひどくなっている。

 キリカは嫌な顔を全く見せず、むしろ心配から慌てて来てくれた。

「我慢なさらないでください。」

 シンシアの体が冷えていることに気付いて、キリカの方が痛そうな顔をしていた。

「お父さまたちは?」

 着替えを手伝ってもらいながら聞く。

「旦那様はお目覚めです。今日はご出立日ですから、そろそろ奥様にもお声掛けがされていると思います。」

 普段はなかなか目覚めない母も、王都に戻る日は早起きができる。

「さぁ、こちらをどうぞ。」

 キリカが差し出してきた右腕の飾り布は新しいものだった。

「きれいね。」

 シンシアは身につける前に、刺繍に見入った。羽ばたこうとしている青い鳥が刺されている。

「凄くきれいな手ね。誰が刺したの?」

「デイラさんです。」

 デイラは家政婦長だ。キリカが少し声を落とした。

「今日のために準備されたそうです。お嬢様が行動を起こされる日ですから。」

 キリカの目に期待がある。

 ケルター子爵領には多くの問題があるのをみんな知っているのだ。

 シンシアはその期待に応えると言えない。何度も言ってきたことをまた言った。

「何も出来ないかも知れないと言ってあるでしょう。」

「わかっています。シンシア様が、私たちのことを考えて下さっているというだけで十分なのです。」

 キリカも、いつもと同じ答えを返してきた。

 飛び立つ鳥。その美しさをもう一度見てから、シンシアは身に付けた。


 母はドレスの事でひとしきり文句を言い、父は予定通りに王都に来るようもう一度言い残し、朝の早い時間に屋敷を出て行った。

 そしてダイニングで一人きりの昼食後、お茶のカップをテーブルに戻し、シンシアはつぶやいた。

「帰ってこないわね。」

 窓の外は、春らしい陽気で満ちている。

 両親が何らかの理由で帰ってくるかもしれないと用心していた。

 昨日ドレスの話をしたのは、母が少しでも早く王都に帰りたがるだろうと思ったからだ。ここに帰って来る確率が下がる。

 今の時間まで戻らないということは、何か緊急の事態が起きても、領地より王都にたどり着く方が早い。

 シンシアは目を閉じ一つ深呼吸をする。

 それからキリカを呼び、食事中外していた飾り布をつけてもらった。

 立ち上がると、シンシアは静かに告げた。

「始めるわ。」

「お言葉のままに。」

 執事のメイケルがそう答え、ダイニングのドアを開けた。彼はシンシアが生まれる前から、父に執事として仕えている。けれど今はシンシアの協力者だ。

 執事を従え、父の書斎に向かう。

 そしてふたりの従僕がつき従い、さらにその後を大きなテーブルと椅子を持った使用人たちがついてくる。

 一番後ろには、ひと束の書類を持ったキリカがいる。

 書斎の前に来ると、執事が鍵を開け、シンシアのために大きく扉を開いた。

 室内にあったソファーがすぐに外へ出され、運ばれてきたテーブルと椅子が置かれる。書類仕事をしやすい高さのものだ。

 誰も口を開かない。打ち合わせ通りの作業だ。

 主であるケルター子爵がいた三日間、屋敷中の者が秘密を共有してくれた。

「ありがとう。」

 シンシアが、部屋を整えてくれた使用人たちにいうと、彼らは深く頭を下げて出て行った。

 一番最初にテーブルに乗せられたのは、キリカが持って入った書類だ。シンシアが前もって準備した資料である。

「キリカ、お茶の準備をよろしくね。」

「はい」

 いつもと変わりなく、二人は良くするやり取りをした。キリカが部屋をでると、シンシアは部屋の中に向き直る。

 これから、父が、ケルター子爵領のために『行わなかったこと』を調べる。

 ふたりの従僕に指示を出した。

「まずは二年分を見るわ。ギャッドは王都へ提出した納税記録と領地間関税の記録を探して出して。レイズは領内の商会が届け出た関税と納税記録を。」

「かしこまりました。」

 ふたりが動き出したのを見てから、執事にささやく。

「メイケル、すぐに動かせる資産の明細を作って頂戴。」

「はい。」

 執事も小さく答え、動きだす。

 税に関する記録はすぐに見つかった。

「二十年遡るわ。見つけ出して。」

 シンシアは、父の机には座らなかった。

 何故父が、王都での行政官としての仕事にこだわり、領地運営に目を向けないのか。理由を知っても理解できる気がしない。

 シンシアは、今は事実を把握することに集中しようと努力した。

 テーブルに二年分の書類が置かれた。

 呆気ないくらい簡単に一つ目の問題点が見つかる。

 アディート王国では、税のひとつに人頭税がある。それは領地から上がる収益が低ければ当然下げられる。三段階設定されていて、今のケルター領の荒れ具合では、一番下のランクのはずだ。それが一番高い税を払っている。

 シンシアは二年ともそうなっているのを知ると、ギャッドがテーブルに並べてくれた納税記録の同じ場所を次々とみて行く。

 どういうこと?

 思わず声に出そうになるのを抑えた。

 ずっと高い税金を払い続けている。

「ギャッド、貴族院への申請書類はどの辺りに保管してるか分かる?」

 シンシアはじっとしていられず、彼らの傍に行く。

「貴族院ですか?」

 この辺りですと指示された場所には、たくさんの薄い箱があった。手前の部分に何年かが書いてある。

「きちんと整理されているのね。」

「メイケルさんは、そういうことに厳しいですから。」

 ギャッドが笑顔でそう言い、レイズもそうそうと、相槌を打つ。

「助かるわ。」

 シンシアはそう言ったものの、片手では重なった箱から目的のものを取りだすことができない。

「去年と六八二年の箱を出してくれる?」

 ギャッドの動きがふと止まった。

 六八二年は戦争の翌年だ。今でも誰もが思うところのひとつやふたつはある戦争だった。

 この冬にシンシアは生まれている。

 すぐにギャッドはいつもの朗らかさを取り戻した。

「お運びします。」

 テーブルに置かれた箱の中は数枚の書類しかなかった。

 人頭税の減税申請書はない。

 この年からケルターでは放置された農耕地が増えている。戦争で若い働き手を失ったせいだ。

 同じ年の納税申請書を書類の束から探そうとして、レイズに声を掛けられた。

「シンシア様、何が必要か仰ってください。お取りします。」

 優しい口調で言われて、シンシアは肩に力が入っていたのに気がついた。

 ひとつため息をついて、彼を見上げた。

「ありがとう。」

 ギャッドも笑顔を見せてくれる。

「シンシア様にペンより重いものを持たせるわけにはいきませんからね。」

「頼りがいのある人達がいてくれて嬉しいわ。」

 シンシアは、力を抜いて椅子の背に体を預けた。

 急いてしまう心を、静かに深呼吸をする事でおさえる。時間はまだある。大丈夫。

 メイケルがきちんと整理をしてくれたおかげで見たい物もすぐに揃う。

 執事は、館の中を管理するのが仕事だ。領内管理は本来なら彼には関係ないはずなのだが、今それを正す立場にシンシアはいない。

 椅子に座りなおして、レイズに指示を出した。

「六七九年と六八二年の納税申請書を出して。」

 六七九年は豊作の年だったはずだ。シンシアは自分で準備していた資料を開いて確認する。

 間違いない。六七九年は豊作。六八二年は戦後一年目で作付面積が減っている。

 それなのに、どうして収益の数字がほとんど変わらないのか。

 凶作の年を確かめた。二年続きで隣接するオーガス領から援助を受けた年だ。

 この時は、疎遠になっていたにも拘らず、オーガス侯爵から援助を申し出て下さった。関係改善のよい機会だったのに、父は礼儀正しくはあったものの、その場限りの応対しかしなかった。そのため今でもオーガス侯爵と父は疎遠なままだ。

 余計な事まで思い出して怒りが募る。

 そして、この年も似たような数字が収益に上がっていた。

 おかしい。財務省の税務担当官もどうして気付いてくれなかったのか。

 国の役人にも腹が立つ。

 そして、嫌な予感がした。

 この収益差を、十六年間いったいどうやって埋めて来たのか。

 シンシアはもう一度静かに深呼吸をした。落ち着きをなくして、使用人を不安にさせてはいけない。

「ギャッド、これから言う通りの書類を作ってほしいの。」

 シンシアは、納税申請書の中からいくつかの項目を示した。

「二十年分ですか?」

 ギャッドの目が否定してほしいと言っているのがわかる。シンシアはにっこり笑った。

「頼むわね。」

「…はい。」

 ちらりとレイズを見ると、少し引きつった表情を向けられた。

 キリカにお菓子を準備して貰わなければいけない。

 シンシアは真面目にそう思った。

 これから、ふたりには頑張ってもらわなければいけない。

 甘いお菓子が必要だ。

 自分自身のためにも。


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