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世界の中心が揺らぐとき


 父に婚約を言い渡された日から家族と一緒に食事をしていなかった。父と兄に気を使う必要がないためか、不安を解消したかったのか、母は饒舌だった。けれど、久しぶりにした母とふたりでの食事は思いのほか気楽で、話題は王都のファッションに終始した。

 疲れた一日だった。

 食事が終わり、自分の部屋に戻ってきたシンシアは、その前で兄が待っているのを見て、重い気分になる。

 前にもこんなことがあった。あの時も不機嫌そうだったが、今も確実にそうだろう。

「話がある。」

 短く切りだされて、シンシアは追い返すこともできず、部屋へ招き入れた。

 お茶を出してもらってから、人払いをする。キリカが少し物言いたげにしてから出て行った。最近キリカに出て行くよう言うことが多くなった。

「エレーナの事、何か聞いていないか? カティス家が王太后さまに疎まれているなら、酷い目にあっているのではないか?」

 心配はわかる。

「私もそれをセアラに聞いたわ。けれど、お友達も出来て楽しそうにしているって。エレーナは何か辛いことがあると言っていた?」

 ディーンはエレーナと王宮で何度か会っているはずだ。

「聞いていない。」

 ソファの背にもたれてディーンは深く息をついた。安堵したのだろうか。

 多少声が和らいでいるところへ言いたくはないが、未来のケルター子爵夫人にと考えているならば、言っておきたいことはある。嫌な役目だ。

「周りの人たちが、しなくていいと言われていることはあるらしいわ。」

 怪訝な目を向けられる。

「何だって?」

 シンシアはお茶が入ったカップを手に取る事で、視線を逸らす。

「『行儀見習いは無用』って言われているのですって。」

「どういう意味だ? 無視されているってことか?」

 背もたれから身を起こし、声を荒げてシンシアに詰め寄って来る。

「違うわ。セアラは、エレーナは楽しくしてると言っていた。お兄さまも楽しそうに見えたのでしょう。エレーナは嫌な事をされて我慢したり、それを隠したりする人かしら?」

「…いや、すぐわかるな。」

 いつでも真っ直ぐに進んでいくのがエレーナだ。

 シンシアは仕方なくディーンと目を合わせる。

「お行儀の問題みたいよ。立ち居振る舞いやお茶の入れ方とか。そういうことを指導しなくていいということみたい。セアラは、お友達からお茶の淹れ方ぐらいは教えてもらえるだろうって言ってたから、やる気があるなら教えてもらえるのではないかしら。これはお兄さまからエレーナに言うしかないわよ。」

「どうしてそんな扱いを受けるんだ。エレーナは誰にも迷惑をかけたりしていないだろう。」

 ディーンが声に怒りを含ませているが、大怪我をさせられたシンシアは冷めた気持ちで聞く。

「内宮で行儀見習いをした者は、皆、完璧な礼儀作法を身につけられるじゃなかったのか?」

 同じことを皆思うらしいと、セアラに同じことを聞いたシンシアは小さくため息をついた。

「私もそう思ってたわ。今日、セアラに聞いたら、それは噂だって。『どこにでも不器用な人はいるから』って言っていたけど。」

 一度言葉を切って、シンシアは出来るだけさり気なく視線を外す。

「よく考えたら、内宮に出仕するのだから、どこのご令嬢も出来る限り礼儀作法を身につけてから来るわよね。」

 エレーナは礼儀作法に難があるが、どこへ行っても、持って生まれた明るさと社交的な性格で乗り切っていた。

「カティス家だって、それは考えていた、はずだ…」

 ディーンの言葉が途切れる。思い当たることがあるのかもしれない。

 内宮で、『出来ない人』として伝説を作り始めているという話は、シンシアにはとても言えない。本当にそうかわからないしと、自分に言い訳をする。

「アルティアから、誕生祝い晩餐会の招待状が来たか?」

 ディーンが急に話題を変えた。

 アルティアは、ディーンにとっても幼馴染みのひとりだ。

 嫌な予感がした。

 カース家は、爵位は高くないが古い家柄で、礼儀作法を重んじている。

「来たわよ。一昨日だったかしら。」

「俺には来ていない。」

 心当たりがありすぎて、シンシアはディーンを見る事が出来ない。

「いつも一緒に届くよな。」

 不機嫌を隠さないディーンに、シンシアも不機嫌で返すことにした。

 よく考えなくても、これはシンシアのせいではない。

「一緒に届くかどうかは、イニッツに聞かないとわからないわよ。」

 私信も、まずは執事が受け取る。

「同じ屋敷にいるのに、別の日に出したりしないだろう。」

 わかっているなら、聞かないで欲しい。

「シンシアしか招待しないというわけか。まさかエレーナのせいか。」

「お兄さまに招待状が来ていないことを、私は今知ったのよ。理由なんて分からないわ。」

「何も聞いてないのか?」

 ため息が出る。

「お兄さまがエレーナを一緒に招待して欲しいとお願いしたから、アルティアはお父上のカース子爵にお願いして招いてくれたのでしょう。三年前だったわよね。アルティアのお家は礼儀作法に真面目に取り組んでおられるから、ずっと変わらないエレーナの不器用ぶりに、思うところがあったのではないかしら。先に言っておくけど、カース家は堅苦しい家よ。アルティアの誕生日祝いの晩餐会でも、彼女が成人するまでは招待客を決めるのはカース子爵よ。」

 マナーに少し難ありなことを、セアラが言った『不器用』という言葉に置き換えた。

 実際、エレーナは手先が不器用なのかもしれない。家族や友達、恋人のために刺繍をするのはよくあることだ。けれど、シンシアはエレーナの刺繍を見たことがない。

 あれだけ想いあっている相手なのだ。シンシアなら、あらゆる紳士向け飾り物に刺繍をして贈るだろう。

「エレーナが理由で招かれなかったと言うのか。」

「思えば」シンシアは部屋の天井へと視線を向けた。「二年前から、お兄さまと私、別々に招待状が届くようになったわね。私は大人扱いをしてもらえた事を単純に喜んでいたけど、こういう日が来るかもしれない事を考えていたのかも」

「まさか。」

「エレーナの上達を待ってくれていたのかもしれないわ。私だって、お茶会はともかく、カース家の晩餐会はお行儀の試験に挑むつもりで行ったもの。」

 ディーンが沈黙してしまった。

 何を考えているのか、シンシアは少し怖い。アルティアが自分からエレーナを外したのではないと思う。それなら先にシンシアに相談してくれるはずだ。もしかしたら、アルティアも知らないのかもしれない。

 なんとかディーンだけでも招待してくれるよう頼みたい。

カースは礼法の家として高位貴族からも一目置かれている。その招待から外れるというのは、不作法だと軽くみられることになりかねない。

 ディーンの様子を窺うと、腕を組み、床を睨みつけている。同じことを考えているのかもしれない。

 しばらくして、ディーンが低く問うてきた。

「他にもあると思うか。」

「何が?」

「エレーナが理由で、俺との付き合いを断とうと思っている誰かがだ。」

「思いつかないわ。」

 ディーンが不機嫌な目のままシンシアを見てくる。

「本当よ。カース家の、アルティアの晩餐会のことだって、本当は違う理由かもしれないじゃない。」

「十六年前の戦とか、か?」

 本気で言っているのかと疑った。戦争の事をいわれると心が大きくざわめく。

「カース家との間に問題が発生したなんて話は聞いたことがないけど。思い当たることがあるの?」

「ない。」

 あっさりと返事が来て、シンシアも本気で面倒になって来た。

「適当なことを言わないで。あの戦争のせいで、元の暮らしに戻れなくなった人が大勢いるのよ。お兄さまはこれから、そういう人たちとも向きあって行かなければいけないの。」

 シンシアは立ち上がると、書棚にあった書類の束を取り、ディーンに突きつけた。

「これはケルター領の各村から上がって来ている嘆願書の内容の一覧よ。これを読んで、まずケルター領内を見て来て。それから、お兄さまのお友達の誰でもいい。他の領内の庶民に暮らしぶりを見て比べて。困窮しているのはケルター子爵家じゃない。ケルター領全体なのよ。」

 ディーンが少し戸惑ったように書類の束とシンシアを見ている。

 受け取る気配がないので、シンシアはディーンの膝の上に乗せてしまう。

「すべてを戦争のせいにしないで。カース家が、お兄さまとエレーナを招待しないなら、それはおふたりの振る舞いに問題があったからでしょう。はっきり言って、私、エレーナに一度も彼女の友達を紹介してもらったことがないわ。私が年下だから、社交の場でいつも私から彼女を探して挨拶するのは仕方がない。けど、他の友人たちが気遣ってくれるように、彼女から腕のことを労わられたことは一度もないわ。お兄さまは、私にエレーナを恨んでいるのかと聞いたけど、エレーナの方はどうなの? お兄さまは彼女と、私の怪我について話したことはあるの? 私はずっと思っていたわ。エレーナは私に怪我をさせたことを、忘れたのではないかしらって。少し喧嘩をしたくらいの可愛らしい思い出になっているのではなくて?」

 言いすぎてしまった。そう思ったけれど、出てしまった言葉はもう戻らない。シンシアは、ディーンに背を向け、キリカを呼ぶベルを鳴らした。

「おやすみなさい、お兄さま。今日はいろいろあって、お疲れになったでしょう。私もそうです。もう休みたい。お話の続きはまたにしましょう。」

 話しているうちに、キリカが部屋に戻ってきた。

 シンシアは、後を任せて奥の寝室に籠る。ドアを閉じるとひどく体が重い事に気がついた。頭痛もするし、右肩も痛い。

 本当はまだ言い足りない。

 ケルター領の女性たちや、子どもたちへの援助を、エレーナが引き継いでくれたらいいと思っていた。領地の執事や家政婦長が手を貸してくれたら何とかなるはずだと。彼女の生来の明るさが、領民の心をとらえるのではないかとも思った。

 けれど、これからケルター家は、カティス家に損害賠償責任を求める。これは世間に隠しようがない。

 ロークの処罰も軽いものではないだろう。

 カティス家が『英雄』でいることで成り立っていたことが崩れてくる。

カース家からの招待がなくなった理由が何であれ、これが誰かの耳に入れば、同じような事が他でも起らないとも限らない。

 ディーンが、エレーナと一緒にいることで距離をおかれてしまう。

 天真爛漫で誰にでも好かれる女の子、エレーナ。けれど大人になった。それだけではもう足りないのだ。

「シンシア様、ディーン様はご自分のお部屋に戻られましたよ。」

 キリカがカップを持って入って来る。

「痛み止めです。」

「ありがとう。頼もうと思っていたところよ。」

 苦い薬を飲み干す。

 ケルター領に住む人々の事を思った。彼らが、明日食べる物の心配をしなくて済むようにしたい。

 シンシアはそれだけを胸に思って、目を閉じた。


次回で完結します。

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