解説
「どういうこと?」
何から聞いていいのかわからない。とにかく図書室別棟の角を曲がり、王太后の目の届かない所へ来ると、その言葉をセアラにぶつけた。
セアラは大きなため息をついている。
「私も今朝、侍女長に知らされて、ものすごく驚いたわ。」
「私は心臓が止まるかと思ったわ。」
「大太后さまは、シンシアには自分から説明してあげましょうって言ったのだけど、酷い説明だったわね。」
「セアラ!」
思わす彼女の腕を引いた。なんて恐ろしい事を口にするんだろう。誰かに聞かれたら不敬罪に問われる。
セアラが足を止め、シンシアと向かい合った。
「シンシア。あれは、謝罪だったのだと思う。内宮の方たちは、直接的な謝罪の言葉を口にしないから。」
シンシアはただ、セアラを見る。
「王家が後始末をきちんとしていれば、ケルター子爵領が窮状に陥ることはなかった。シンシアが怪我をすることもなかった。」
「この怪我は…」
慌てて否定しようとしたが、セアラが首を振った。
「いいえ、カティスにきちんと責任を負わせていれば、ケルター家とカティス家は疎遠になっていたと思うわよ。」
そうだろうか。確かに今日、自分たちの思う通りに事が運べば、両家の間は気まずいものになるだろう。
怪我から、エレーナを連想した。
「躾のできていない娘って、まさか。」
「エレーナよ。」
セアラが少し肩をすくめた。
「彼女、びっくりするほど大らかね。普通はお茶の淹れ方くらい覚えてから出仕するものだけど、あまりの出来なさに伝説になりつつあるわよ。でも本人は気にすることなく、武術の訓練にばかり明け暮れているわ。護衛役侍女は、騎士ではないから、侍女としての仕事も覚えなくてはいけないのだけどね。」
セアラは呆れているようだが、兄の惚れ込みようを見ている妹としては、聞き捨てならない。
「それって、大丈夫なの? いじめられたりしていない?」
「ないわよ。」
セアラは笑ってる。
「裏表がなくて可愛いもの。お友達もいて、楽しそうにしているわ。その友人たちが、期間満了までに、こぼさないようカップにお茶を注ぐくらいのことは教えると思う。」
シンシアはそれを聞いて、別の方向から心配になる。
「王城で行儀見習いをしたご令嬢方って、完璧な礼儀作法を身につけて帰るはずでしょう。それでいいの?」
「それはただの噂よ、シンシア。不器用さんは、どこにでもいるわ。」
「じゃあ、エレーナは不器用な人とされているの?」
「少し違う。内宮では最初から正式採用をするつもりはないから、行儀見習いは無用とお達しされているの。」
王太后の言葉を思い出せば、エレーナに良い印象がないのは確かだろう。シンシアは思い切って聞いてみた。
「それは、カティス家の娘だから?」
どうかしらと、セアラが首を傾げた。
「さっきのお言葉からすると、そう思えるけど、エレーナが優秀だったなら、お召し抱えになったと思うわよ。護衛役侍女は常に人手不足だから。でも本人にやる気がないから、仕方がないわね。」
「やる気はあると思うのだけど。」
エレーナがいかに努力して護衛役侍女を目指しているか、ディーンから散々聞かされている。
「方向を間違ったわね。大丈夫よ。護衛役見習いが、必ずお召し抱えになるわけではないから。エレーナの経歴に傷はつかないわ。」
ため息が出た。エレーナのことを心配する余裕は、今はないのに。
「実は言ってなかったけれど。」
セアラは、辺りを見回して人がいないのを確認する。まだ建物の中には入っていないし、今さらのような気がするが、シンシアを緊張させるには充分な仕草だ。
「私の標的は、カティス家なの。」
またどう整理していいかわからない情報が入って来た。
「標的?」
とにかくひとつずつ聞く。
「そう、内宮の方々からの依頼で、レンカート殿下の配下として調べていたの。殿下は監査部の責任者でいらっしゃるから、殿下の補佐をしていると言えば、理由を言わなくても、どこにでも入れるわ。」
それって物語に出てくる『隠密』というものではないだろうか。たいてい彼らは危機に陥るものだ。
「そんな怖い事をさせられていたの?」
叫びそうになるのを、必死で押さえる。
セアラが苦笑した。
「大丈夫よ。正面から、殿下のお使いですって入るんですもの。たいていは、女に何がわかるって思っている人たちが相手だから、控え目な態度さえ崩さなければ、欲しい情報は手に入るわ。」
「大丈夫じゃないわ。怖すぎて私には出来ないわ。」
「出来なくていいわよ。」
笑われた。本気で心配しているのに。
「話を戻すわ。王太后さまの話では全然わからなかったと思うけど、カティス家は銅山の採掘権を受けるはずではなかったの。」
「え、どういうこと?」
「失われた軍団の長はカティス子爵だけど、実際、人が亡くなって今後領地経営が大変になるのは、ケルター家でしょう。カティス子爵が辞退して、それならケルター家にという段取りだったらしいわよ。」
「何……、それ。」
聞いたことのない話だ。けれど、カティスに与えられるものなら、ケルターにもと願わなかったといえば嘘になる。
「当時の宰相が、それが筋だと言い張ったそうよ。国王陛下も、まだこの宰相を抑えきれなかったから、責任をもってそう行うようにとされたの。」
「そう、ならなかったわ。」
「そうね、宰相は責任を取って辞任した。表向きは高齢を理由にした引退となってるわ。」
採掘権がケルター家にくるはずだったなんて、考えたこともなかった。
けれどもし、その通り進んでいたら、ケルターがここまで貧しくなることはなかった。充分に食べていないだろう自領の小さな子どもたちを思う。
「いろんな人が、いろんなことを考えるのよ。」
前にもセアラから聞いた言葉だ。
「宰相が職を辞しても、カティスに採掘権を渡すことを、なかったことには出来ない。内宮の方々が苦々しく思っても、直接手は出せない。いろんな人がいろいろと邪魔をするから。」
「邪魔って?」
「私も子どもだったから、よく知らない。政治的な思惑というものが入り乱れたのではない? カティスが銅の流通の一端を握っているわけだから。」
怖くて面倒な話だ。知らなくてもいいと思う。セアラもそれ以上詳しくは言わなかった。
「そしてエレーナよ。『英雄』の娘だからと推薦されたのも腹立たしかったと思うわよ。」
そういうことがあったなら、確かにそうかもしれない。
セアラが表情を曇らせる。
「王太后の愚痴に、私、ケルター子爵領を調べてみればどうかと言ったのよ。カティスがケルターを踏み台にして富を得ているという話を作るのはどうかと思って。」
シンシアは思わず身を引いてしまった。王太后が愚痴を聞くのもすごい。けれど。
「セアラ、そういうのを『陰謀』って言わない?」
「言わない。言わない。」
セアラは軽やかに笑っている。
「限りなく信憑性の高い噂ってあるじゃない。誰と誰がお付き合いをしているとか、婚約届がもうすぐ出されそうだとか。」
違うと思うが、反論しても無駄だろう。
「それで、ケルター家を調べる役目が私とレンカート殿下に来たの。言いだした責任を取らされたわけね。」
セアラが一瞬遠い目をした。こんな役目を負わされると思わなかったのだろう。
すぐに現実に戻ってきたセアラが、説明を続けてくれる。
「ケルター子爵領は、どう考えても窮状を呈しているはずなのに、どこからも援助を求めていないようだったから、何かおかしいと思ったわ。最初は、カティスからケルターへ裏金がまわっているのかと思っていたの。」
「まさか!」
強く否定する。
「ごめんなさい、でもそれならシンシアも知らなくて当然だと思ったのよ。」
「私が知らなかったのは、私自身が知ろうとしなかったせいよ。」
もう一度、セアラが謝った。
「調べると、ケルターはどこからも援助を受けていないとわかった。よく十六年、持ったものだわ。毎年増えて行く損失に、正直に言って、自分の見間違いかと何度も思ったわ。」
恥ずかしい話だ。
「それでも、法を遵守していることは僥倖だった。ケルターの領民にとっても、内宮の方々にとっても。」
アディード王国の法が、今回の計画の根底にある。
「噂でなく、ケルターを踏み台にしたとわかるもの。」
ふとセアラが空を見上げ、建物の影を見て、少し顔をしかめた。
「王太后さまのおかげで時間がなくなったわ。」
確かに、元々こんなに長い話をする予定ではなかったはずだ。
「行きましょう。」
続きは周囲に気をつけ、歩きながらとなった。
「今回の計画は、内宮の方の思し召しなの。そうと知っているのは、あの方々と、私とシンシアだけ。今日話したことは他言無用でお願いね。」
もちろん誰にも話せない内容だ。けれど、気になったことを確認した。
「ケルティ卿は?」
「もちろん部外者よ。秘密を知っている者は少ない方がいい。これは監査部のお手柄だからね。水を差さない方がいいでしょう。」
「私も知りたくなかった。」
「何をどう謝っていいのか。私も知らせるつもりはなかったのよ。けど王太后さまに、勝手に仕切られたら止められないわ。あれで謝罪のつもりだから。」
「私に謝られても……。」
目指す建物までまだ少しある。速足で花の小道を抜けるが、花々を愛でる余裕は、全くない。
「あんな状態になるまで領地を放っておいたケルター子爵にも、少々ご立腹なのよ。」
足が止まった。それはケルター家にとって、大変なことなのではないか。
セアラが振り返って、笑いかけてくれる。
「大丈夫。今日、ケルター子爵は痛い思いをするでしょう。それで良いとお考えよ。十六年も放っておいたのは、あの方々だって同じなんだから。心配することないわ。」
急かされて、また歩き出す。
「シアーズのオレンジも買い手がついたし、万事うまくいくわよ。」
その話もあったのだと思いだす。
「それ、本当の話?」
「後でね。」
艶やかな笑みでかわされた。
本当に大丈夫なのだろうか。どれもこれも全部。
「まずは、監査部のお手並みを拝見しましょう。」
目的の場所がある建物に着いた。
話し合いはもう始まっているかもしれない。
セアラがドアに手をかけた。