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求める人 求める事


 結婚するよう言い渡された夜から、シンシアは家族と食事を別にしていた。

 小さな抗議である。

 母が時々不安をぶちまけにシンシアの部屋に訪れる。その時に聞いたところによると、父は変わらない日々を送り、兄はずっと不機嫌なままらしい。

 シンシアは、忙しく過ごすことで余計な事を考える時間を減らしていた。

 料理用の柑橘類カースの売れ行きが想像以上によかった。値が手頃だったせいだろう。アミタの長兄から、追加の注文が来た。女性用雑貨の売買より大きな金額が動いて、初めは少し緊張した。

 他にも、色目の違う木片を使って幾何学模様を描いた木工細工が、殿方の耳目を集め始めていた。セアラが騎士をしている弟に持って行かれたと嘆いていたが、偶然程良い大きさの箱で、武具の細々とした道具を入れるのに便利だったようだ。飾り過ぎず、それでいて美しい。騎士の方々から、サイズを指定しての注文が入り始めた。

 オーガス侯爵夫人からは、カレイド・ジャムのレシピを教えてほしいと頼まれた。お茶会に添えたいとのことだった。名前を定着させる機会ととらえ、カレイド村にレシピを教えてもらえるよう交渉を開始した。

 カレイド・ジャムを贈った友人から、購入の申し込みの手紙も来た。

 ケルター邸の料理人が、カレイド・ジャムはケーキの種に混ぜてもおいしいと、発見した。このレシピは、オーガス侯爵夫人に追加のカレイド・ジャムと共に送った。

 目に見える成果のおかげで、シンシアは落ち込むばかりではない日を過ごすことが出来ていた。

 そうして夏一月に入ってすぐ、それは起った。

 自室で夕食をとっていると、メイドがひとり慌てたようにやって来た。

「ディーン様が、エレーナ様に結婚を申し込まれて、ご承諾いただいたそうです。」

 スプーンを持った手が、宙で止まった。とうとうこの日がやって来てしまった。

 監査部から厳しい現実を突きつけられ、正式に領地監督者に決まった後なら、兄とエレーナの覚悟も本気だと思えただろう。大丈夫なのだろうか。

 シンシアはスプーンをテーブルに戻した。

「今、お食事中よね。ダイニングで言ったの?」

「はい、そうです。」

 前のめり気味に報告してくれる。

 立ちあがった。両親の反応が見たかった。

 キリカが何か言いたげに近づいてきた時、またノックがあった。

「シンシア様、ディーン様が急ぎお呼びです。」

 勢いが萎む。これは面倒だわと、思ってしまう。

 ストンと椅子に座る。

「食事が終わってからではだめかしら。」

 メイドが悲しそうな顔をする。

「大丈夫よ。私が勝手に行かなかったということにするから。」

 ほっとしたような顔を見せた彼女のすぐ後ろで、またノックがあった。三人目は、従僕だった。

「シンシア様、旦那様より、ダイニングにお見えになる必要はないとのことです。」

「そうなの?」

 無関係でいられると思ったら、話の行方が気になる。

「見に行くわ。」

 再び立ち上がった。

「シンシア様。」

 キリカに咎められるが、もう聞こえないことにする。

 部屋を出ると、結局その場にいた全員がついてきた。

 ダイニングのドアから灯りが漏れている。最後に来た従僕に目をやる。

「イニッツさんに言われたので。」

 小声に、頷きで答え、シンシアはそっとドアに身を寄せた。ドアが少しでも開いていれば、中の声は聞きやすい。

「どうして母上まで反対なさるのです。エレーナのことを気に入っていたではありませんか。」

 兄の苛立たしげな声があがっている。

「エレーナのことは好きよ。可愛いと思っているわ。でもね」

 答える母の声は動揺して、困り切っている。

「エレーナには、ケルター領での生活はつらいかもしれないと思うのよ。」

「ケルター領が貧しいことは、エレーナには話しました。贅沢はできないとわかってくれています。そう言ったでしょう。」

「他にもいろいろあるでしょう。」

「何度もいいますが、シンシアもエレーナを恨んでいないはずです。」

「ロークのような人がいるでしょう。」

 珍しく母が負けずに言い張っている。父はそれを助けもせず、何をしているのだろう。

「あれは、ロークの誤解だとわかっているではないですか。」

「そうね。ロークの方が間違っていると、ほとんどの人が思ってくれているわ。領地の民もね。」

「では問題など…。」

「わからないの?!」

 母の声が大きくなった。

「シンシアが、エレーナに怪我をさせられたことをみんな覚えているわ。」

「十年も前のことでしょう。」

 兄は開き直っている。シンシアにとってはあまり気分のいいものではない。

「忘れるわけがないわ。」

 母の声が低くなった。こんな声は聞いたことがない。シンシアはドアのこちら側で、右腕を左手で抱え込んだ。

「十六年前の戦争で、ケルター領民がどれだけ亡くなったか知っているでしょう。カティス子爵の配下でなければ死なずにすんだ人たちよ。その上、自分たちの領主の娘であるシンシアも、カティス子爵の娘に大怪我をさせられた。十年経ってまたカティスの息子が、自分勝手な考えでシンシアに怪我をさせた。忘れる暇などないでしょう。」

 母にとっては、心が激しく揺れる辛い話だ。

 がたんと椅子が動く音がした。

 シンシアはキリカの腕を引いて、開くであろうドアから下がった。一緒にいた使用人たちが慌てて散って行く。

 足音荒く母が出てきたが、ドアの陰にいたシンシアには気付かずに行ってしまった。

 父が口を開いたのは、その後だった。

「理由はわかったな。カティス子爵が許すわけがないんだ。」

「では……、どうしてエレーナと交際を許してくれていたのですか」

 父の答えは淡々としたものだった。

「お前が私に、エレーナと交際していると報告したことがあったか? 言われていれば、当然許さなかった。」

 シンシアは顔をしかめてしまった。ディーンも同じ顔になっているかもしれない。

 また、椅子の立てる大きな音がした。

 兄が走り去って行く後ろ姿を見送った。

 ダイニングのドアが、向こう側からゆっくりと閉められる。

 父のやり方は酷い。兄でなくても怒る。

 言った言わないの話ではないはずだ。

 母が、認識の甘い理屈で、カティス子爵夫人と友人関係を続けていたことの方が、余程ましだと思う。

 自分に何ができるだろうと考えつつ、シンシアは部屋に戻る。

 ケルター子爵領の立て直しのために『忘れられた法』を使う案は、ディーンにはさらに厳しい向かい風となるかもしれない。

 兄の幸せより、子爵領の安定を考える自分は随分と冷酷な気がする。

 辛い選択をした。

 自分でもそう思い、セアラもそう言っていた。

 兄の傷つく姿を見ても、やっぱり自分はこの道を選んでしまう。

「お食事をなさってくださいね。」

 部屋へ戻ると、キリカが労わるように座るべき椅子へと導いてくれる。

 もちろん食べなければいけない。シンシアはひとりきりの食事を再開した。

 自分の家族が今それぞれひとりで何を考えているのだろう。

 そう思った時だった。

「入るわね、シンシア。」

 憔悴した様子の母がやって来て、勧めるより先にシンシアの前に座った。

「ディーンがエレーナと結婚の約束をしてしまったの。」

 立ち聞きしていたとはいえず、シンシアは沈黙を守った。

「領民たちがどう思うか心配だわ。それを乗り越える決意があるならいいのだけど。」

 母は肩を落として俯いた。

「私が期待をもたせてしまったのよね。」

 それは否めない。

 シンシアは食事を進めることが出来ず、カトラリーを置いた。

「お母さまは、エレーナを次のケルター子爵夫人にしてもいいとお思いですか?」

 迷いに満ちた目が向けられた。

「お母さまが心配されていることを、お兄さまと話し合われてはいかがですか?」

 できるだけ優しくと自分に言い聞かせる。

「今私に仰ったことを、そのままお兄さまにもお話になれば、お兄さまのお考えも聞けるのではありませんか? もしかしたら本当に、どんな困難も乗り越えられるだけの愛があるかもしれません。」

 前はこれで浮上してくれたのに、まだ俯いたままだ。

「今すぐにとは申しません。そうしたらどうかしらと思っただけです。お兄さまの純愛に立ち向かうには、勇気が必要そうですし。」

 最後を明るい調子にして、シンシアは残った食事を下げるようにキリカに合図した。

「そうね。」

 なんとか口の端を上げて笑みを見せた母が立ち上がりかけ、何かに気付いたように座りなおした。

「シンシアは、ディーンとエレーナのことどう思っているの?」

「どうでしょう。」

 首を少し傾げてみる。母は、じっとこちらを見たままだ。何か答えをださなければ動きそうにない。

「エレーナが剣を持っているところは、怖いので見たくありません。」

 これは、はっきりとしている気持ちだ。カティス家の兄妹は全員怖い。

「そうね。」

 納得して、母が腰を上げてくれた。

 後ろ姿を見送りながら、父はわざと母にカティス家との因縁を言わせたのではないかと思ってしまった。

 自分で言えば、その失敗の責任の所在に話題が変わるかもしれない。それが嫌だったのではないか。

 小さく息をつき、穿ち過ぎだと考え直した。

「本当にもう召し上がらないのですか?」

 ワゴンを持って来ながらも、片づけをしないで、キリカが聞いてくる。

「ほとんど食べてしまったでしょう。熱いお茶を淹れて。」

 ほんの一時でも温まりたかった。


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