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夜の涙


 朝から暗い雲が広がり、一日中晴れ間が見えなかった。その天気のせいか、肩が重く痛い日だった。

 母の告白があった三日後だ。

 夕食のためにダイニングに入ると、そこは外の天気と同じような重い雰囲気に支配されていた。

 母は俯いたまま苦痛に耐えるような顔をし、兄は険しい表情で壁に掛けられている絵を見ていた。

 ケルター子爵家の窮状を、やっと母と兄には知らされたらしい。

 シンシアだけが教えてもらっていない。

いつも通り、シンシアは兄の隣の席に座った。

 控えている使用人たちも、当然様子がおかしいのに気付いているのだろう。緊張感が感じられた。

「何か温かい飲み物を貰える? お母さまとお兄さまには、食前酒を。」

 やることが出来た侍従たちは動き始めたものの、まだ肩に力が入っているように見える。

 それぞれに飲み物が運ばれたが、手を付けたのはシンシアだけだった。

 ふたりの様子がおかしいのを心配しないのは不自然だろう。

「何かあったの? おふたりとも何だか変よ。」

 母は肩を揺らしたが、兄は睨んだ壁の絵から目を離さない。

 考えてみると、話しやすい共通の話題と言うものがない。母の好きな可愛いものの話ができる空気ではないし、エレーナの話もうかつに出せない。

 ただカップの中身を減らすことしかできなかった。

 母と兄につられるようにシンシアも俯きがちになる。場を読んだ対応になったが、早く解放されたい。

 シンシアのハーブティーが後一口で終わりそうになった頃、父がやって来た。

 いつも通り。変わりない顔をしている。

 考えてみれば、父は十日以上も前から知っていることだ。いまさら動揺する素振りなど見せないだろう。

 食事が終わった後で執事のイニッツに様子を聞こう。

 無言のままの食卓に、自分の部屋へ食事を運んでもらえば良かったとシンシアが思っていた時だった。

「シンシア。」

 急に父が声を上げた。

「はい。」

 反射的に返事をし、父の方をみた。

「嫁ぎ先を決めた。エンダル子爵家だ。」

 誰の事を言っているのかと思った。もちろん自分に嫁げと言われているのはわかる。エンダル子爵は父の友人だ。けれど彼の息子たちは皆結婚をしている。

「後添えだが、お前は不服を言える立場ではないだろう。陛下の夜会で騒動を起こすような娘なのだから。」

 父より三つ年上のエンダル子爵は二年前に妻を亡くしている。そこへ嫁げと言われたのだとわかった。

 その瞬間、立ちあがっていた。

 母も兄も顔を上げない。先に知らされていたのだろう。

 怒りがからだを突き抜ける。声がでてこない。

 一体、何度こんな思いをさせられるのか。

 何故今、こんな話がでてくるのか。

 シンシアは、何とか声を絞り出す。

「どうして、エンダル子爵なのですか。」

 自分のものとは思えないくらい低い声だった。射抜かんばかりの目を向けたが、父はシンシアを見ていなかった。

「親が決めたことに従いなさい。」

 それだけだ。

 その父をしばらく見続ける。

 大声で言い返してやりたい気持ちが湧きあがる。それを何とか抑え込む。シンシアとセアラの計画は終わっていない。余計なことは言えない。

 ダイニングのドアに向かったが、誰も止めなかった。

 シンシアは、ドア近くにいた執事に指で小さく合図して呼び出す。

 腕を吊る布を持って廊下で待っていたキリカが、こわばった顔を向けて来た。話を聞いていたのだろう。

 いつもはここで腕を吊るが、今夜はそのまま廊下を進み、大広間の前までいく。

 後ろからついて来ていた執事がドアを開けてくれる。

「キリカ、誰か来たら声をかけて。」

 開いたドアの側にキリカを残して、シンシアはイニッツと広間の中央で向き直った。

「いつからこんな話があったの?」

 イニッツは、執事らしく背筋を伸ばしていたが、何事もないかのような顔は出来ていない。僅かに眉をひそめていた。

「私も先ほど旦那さまから伺ったばかりです。」

「侍従のレックは? お父さまの予定を把握しているはずでしょう。」

 つい責めるような口調になり、シンシアは一度俯いた。彼らに怒ってはいけない。

「申し訳ありません。」

 イニッツに謝らせてしまった。

「レックはお嬢さまの秘密を守っています。けれどお仕えしている旦那様を大事に思っております。旦那様に誰にも言うなと言われれば、レイクは口を噤むでしょう。」

 シンシアはしばらく何も言えないでいた。何を言っても咎める言葉になりそうだ。

 彼らにとって主人は父なのだから、責めることは出来ない。

 突然の結婚話で自分は動揺している。その自覚があった。イライラとした気持ちが収まらない。

「部屋に帰るわ。」

「シンシア様。」

 呼び止められたが、振り返るにも労力を要した。

「大丈夫ですか?」

 大丈夫なわけがない。

「少し考えるわ。」

 後はもう足早に大広間を出た。

 黙って後をついて来ようとしたキリカに軽食の準備を頼み、ひとりで部屋に戻る。

 書き物机を前に座り、目を閉じた。

 どうして今、結婚の話など出してきたのだろう。

 娘を嫁に出すのは、後添えかどうかなど関係なく相当な費用が掛る。今のケルター子爵家にはどんな支出も痛いはずだ。

 では、エンダル子爵家が結婚にかかる全ての費用を持つとでも言ったのだろうか。

 それでシンシアがケルター家からいなくなれば、一人分の費用は減る。けれどその程度で賄える額の不足なら、監査部に目を付けられることなどなかっただろう。

 エンダル家から援助でもしてもらうつもりなのだろうか。

 それは無理だろうとシンシアは考える。

 ケルターに比べれば、エンダル子爵領は豊かだ。放棄された農耕地などないだろう。誰も官職にはつかず、実直に領地を治めている。林業を主幹産業にしていたはずだ。裕福に暮らしているようだが、他家に援助ができるほどの財力があるとは思えない。

 いつ返せるかわからないのだ。

 相手が上位貴族ならわかりやすい。彼らの資産は桁違いだ。

 それでも、とシンシアはため息をついた。

 担保なしで貸したりしないだろう。

 どうしてこんな縁談が持ち上がったのか、やっぱりわからない。

 ノックがされた。

「失礼いたします。」

 キリカが頼んだ軽食を持ってきてくれた。パンケーキ、サラダに、スープ。カレイド・ジャムが添えられている。

「本当にこれだけでよろしいのですか?」

 心配そうにキリカがシンシアの様子を窺っているのがわかる。

「いいの。食欲がなくなったわ。」

 肩を落として、キリカはティーテーブルにそれらを並べた。

「すばらしい求婚者がいらっしゃるのに。子爵様は何をお考えなのでしょう。」

 カイル・キルティ。涙が湧きあがって来た。慌てて強く目を閉じる。

 この縁談がお金絡みの事ではないのなら、ケルター子爵家の納税問題が片付いたとしても、破談になる可能性は低い。

 食事を前にしたものの、ただそれを眺めていた時だった。

「シンシア様、子爵夫人がお見えです。」

 キリカにそっと声をかけられて、顔を上げた。お迎えしてと答えた自分の声が弱々しくて情けなくなる。

「シンシア。」

 思いつめたような母の顔を見ていると、イライラした気持ちがまた戻って来そうになる。

 視線をそらしたまま、向かい合って座った。

「素敵な方に求婚されていたのに、残念だと思っているわ。」

 母の声が震えていた。シンシアは、ここで泣き出さないで欲しいとだけ思っていた。

「けれどケルター子爵領のために、どうしても必要な事なの。」

 疑問が湧いた。どんな必要があると言うつもりなのだろう。

「どうか落ち着いて聞いてね。」

 母は前置きをすると、大きく深呼吸をしてから続けた。

「ケルター子爵家は、大きな借金を抱えることになったの。でも、あと一年でなんとかすれば、何の傷も残らないわ。そのために、お父さまはエンダル子爵に援助をお願いしたの。シンシアが嫁いでくれたら、ケルター家は救われるのよ。」

 シンシアは母の顔を見つめてしまった。本気で言っているのだろうか。

そ れとも、自分がさっきまで思っていたより、エンダル子爵は裕福なのだろうか。

「お願い、シンシア。エンダル子爵に嫁いで頂戴。」

 涙を流してのお願いだった。

 シンシアは再び目をそらした。

「いくら援助してくださるのですか。」

 会計士としての自分が、具体的な数字の情報を得たいと欲していた。

「ケルター子爵家が助かるだけの額よ。」

 随分と抽象的だ。

「はっきりとした金額はご存じないのですか?」

「そういうことは、お父さまに任せておけば大丈夫よ。」

 大丈夫じゃないからこうなったのでしょうと言いたい。けれどここで八つ当たりをしたら、さらに泣かれてしまい、何も聞き出せなくなるかもしれない。

 シンシアは必死で自制して、質問を選んだ。

「お母さまのご実家からもお借りになるのでしょう?」

「え?」

 言葉が詰まったようだった。

「まずは妻の実家に頼るとおもうのですが、そういう話はされなかったのですか?」

「……していないわ。」

「お母さまのご実家より、エンダル子爵家の方が大きな財力があるとは思えないのですが。」

 考え込むように母は俯いてしまった。

 身につけるドレスや宝石。こういうものからその家の格や現在の勢いというものがわかる。宝石なら、古い家ほど数が多く、それぞれにまつわる物語も多い。どんなドレスを着て、どれだけ社交場に顔を出したかは、現在の財力を推し量れる。

 ケルター家のように対面は保って、中身が限りなくゼロになっていることもあるが。

「私の実家にも申し入れているのかしら。」

 母がやっと疑問にたどり着いたようだった。

「お兄さまも、一緒に聞かれたのですか?」

「いいえ。私ひとりだったわ。」

「では、お兄さまにお尋ねになったらいかがでしょう。もっと詳しくご存じかも知れません。」

「そうね。」

 母は勢いよく立ちあがった。それから手がつけられていない皿をみる。

「シンシア、きちんと食べなくては駄目よ。」

 母親らしい注意をして、退出していった。

 見送りをしたキリカが戻ってくる。

「今日はもう休むわ。」

「お夕食はいかがされます?」

 ティーテーブルに視線が流れる。

「パンケーキだけ残しておいて。」

「はい。」

「それを下げたら、今日は休んでいいわよ。」

「え?」

 キリカが心配を隠さず顔に出している。

「大丈夫よ。おやすみ。」

 いくら口で大丈夫と言っても、キリカはきっと心配する。心が痛むけれど、早く一人になりたかった。

 燭台を一台持って、寝室に入りドアを閉めた。

 ドレスを脱ぎすて、ベッドの中で泣こう。

 夢のような出来事の後には、辛い現実が待っている。どこにでもある話だ。

 カイルのことは、本当に素敵な夢だった。

 明日になったら、一番にセアラに手紙を書く。

 それから滞在させてくれる人を探す。アルティアか、行儀見習いをした伯爵家なら、何日間かは居させてくれるかもしれない。

 家から出よう。

 そう思うことで、シンシアは破裂しそうは気持ちを堪えた。

 右肩がひどく痛んだ。


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