LVNH//O//2038/04/14/04/53//TE-01/2021/05/22//FCE
「おっ…………うん?」
……え。
……え。
いや、それは、は、え。か、カンキンですって。
カンキンって、何のことかなあ。桿菌でも官金でも換金でもなくて、あの監禁なのかな。いや、ある意味、換金も相当アレなんだけど。
監禁ってアレだろ。本人の意志を無視して一定期間、一定の場所に閉じ込めるという、アレか。アレのことなのか。監禁だなんて、そ、そんなことをしたらええと……刑法第何条かによって罰せられてしまうじゃないか。ああ、刑法第二百二十条なのね、教えてくれてありがとう。
って誰がこんなことを教えてくれたんだよ! の、脳に、勝手に知識が組み入れられたんだ。ほら、自動学習装置ってヤツだ。別に俺が監禁罪にかけられるようなことをしているから、最低限監禁罪くらいは知っておこうとか思って調べたことじゃないんだ。本当なんだ、信じてくれ!
そんな俺の必死な懇願を無視して逮捕と監禁の違いやら、三ヶ月以上七年以内の懲役やら知りたくもない知識が脳に直接注がれていく。もう、止めてくれ。
というかこれ、先の刀の男による強襲より焦っているのが分かる。アレは非日常的脅威であり、コレは確実に目の前に迫る日常的脅威だ。いや、いやいやこれも非日常的脅威だな。日常で監禁なんかしてたまるか。
今、俺は目の前の少女に監禁の疑いをかけられている、らしい。
いや、これは逮捕されるぞ。ま、待て待て、待ってくれ。一旦、冷静になって彼女が知り合いかどうか確認しろ。もしかしたら知り合いからのクリミナルジョークかもしれない。っていうか、こんな女の子知らないし、クリミナルジョークって何だよ。心臓に悪過ぎだろう。
最初に目に入るのは二つのエメラルドのような碧眼と、月光を反射し、流れるような美しい金髪のロングヘア。身体は西洋人特有のすらっとした背丈と白くて透き通るような人肌に、豊饒な胸の膨らみ、女の子特有のまん丸い臀部。
そして、健康そうな太腿と、その付け根の……。
んーと……どうやら、彼女、全裸のようである。
エメラルドの瞳をこちらに向けて優しく微笑む少女は、素っ裸だった。まだまだ寒い春の風が吹いている夜なのに、素っ裸だった。ご主人様、だなんて俺のことを呼ぶんだからメイド服なり、猫耳、犬耳で登場するのかと思ったが、そんなことは全く起こらなかった。
完全なる裸。完全な裸。完全裸。全裸。そう、全裸だ。彼女にはその滑らかで美しい身体を隠す素振りさえない。超丸見え。見え過ぎ。ポロリどころじゃない。お、おっぱい大きいぉ……!
とは言っても、堂々と見せつけている素振りでも無い。彼女も自分が全裸で男の人の前にいるとは思っていないのだろうか。一方で、胸の可愛らしい二つの突起物はやや上を向いて…………いや、描写はここまでにしようか。
とりあえず、その事実に気付いたら負けだと思うので(負けました)俺はそっぽを向いて、少女が一糸纏わぬ姿であることを記憶から抹消させた上で考察する。はあ、俺の目の前で一体全体、おっぱい全裸、何が起こっているのだろうか。本当に、生おっぱいだよ、生おっぱい。うん、抹消させられないね。無理無理。思春期男子、青年期男子を舐めるでないぞ。
でもな? だがな? いくら俺が思春期真っ盛りで、女の子のおっぱい、太腿、お尻が大好きでも、流石に監禁は無いだろう。視姦はしてもだな、いくら何でも法律に逆らってまで女の子を閉じ込めるだなんて勇気は俺にはない。チキンなんでな。
だが……先程視姦して、ではなく観察して分かったのだが、確かに月明かりに佇む件の少女はそれはそれは最高に可愛らしく、美しい。よく悪友の燎弥は二次元美少女に於いて、「『可愛いというカテゴリー』と、『美しいというカテゴリー』は明確に区別して然り」、だなんて叫んでいた。だが、俺に監禁の疑いをかける少女はその可愛らしく、且つ美しいという両方のカテゴリーを兼ね合わせた逸材だった。しかも、ご主人様呼びのメイド属性までお持ちでいらっしゃる。これは……監禁する男性がいても仕方ない。まあ、繰り返し言わせてもらうが俺はチキンだからそんなことしてない。
「こんばんはです、ご主人様」
全裸でにこやかに挨拶とは、凄まじいな。初めて見たよ。当然か。
しかし、仮の話だ。仮だぞ? 仮だからな? 仮の話(仮)だぞ。もし、もしも、俺が目の前の可愛く美しい女の子、しかもメイド属性を、意識的であれ無意識的にしても部屋に閉じ込められるだろうか?
否、だ。当然その問いには否という返答をしなくてはならない。不可能だ。絶対的にありえない。物理的に不可能だ。何故なら俺の家には藤原衛世だけでなく、滝沢玲華までいるのだ。玲華は女の子だ。別の女の子までいるんですよ。そんな状況下で女の子を監禁する、ということか。ははは、そんなのは余りに現実味を欠いている。空想だ。絵空事だ。馬鹿馬鹿しい。
……じゃあ、何で俺は絵空事なんかにこんなにも動揺しなくてはならないんだろうね。意味不明過ぎる。誰かここに来て俺に説明してくれ。この意味不明な状況と、この全裸の女の子の事を。
「こ、こんばんはァ、か、か、かわい子ちゃん……」
しかもコイツ、にこやかに微笑みながら、俺に監禁の罪を着せようだなんて相当な鬼畜なんじゃないかなあ。最初からずぶ濡れで、しかも夜風に吹かれているのもあるが、確実にこの女のせいで鳥肌が立っている。
だが、気になった点がある。ああ、いや、おっぱいの突起じゃなくてだな、少女は確実に知り合いでもないし、見たことさえない。それは確かなのだ。絶対に。でも、現実世界以外では会ったことがあるかもしれないのだ。
つまり、目の前の少女は例の夢の中に出てきた囚人の『彼女』と似ているような気がした。いや、似ているではなく、どこか『彼女』と同一人物なんじゃないかと思わせられる。
一方で、夢に出てくる『彼女』はもっとロリっ娘だ。じゃなくて、もっと幼児体型だから、まず背丈から違う。言うまでもなく、胸のサイズもだ。しかし、それでも、この目の前の少女は俺に『彼女』としての印象を強く押し付けてくる。見た目云々ではなく、その本質というか、その正体が全く同じなのではないかと思わせる。とにかく、俺はこの少女を『彼女』と呼ばせてもらうことにする。名前知らないし。
「あ、あのさ。お前、その……何というか、あー」
あー……こう宣言しておいてアレだが、やはりもやもやするので『彼女』の名前を問おうとした。初対面の人間とのコンタクトと言えば、やっぱり名前を聞くことだと思うからね。だが、それは俺がコミュニケーション障害を患っているという悲しい現実云々の前に、起こらない。起こらなかった。
何故なら、突然、ぱしっ、っと乾いた音がなったからだ。別に『彼女』が俺の頬をブッ叩いたのでも、『彼女』が拳銃をブッ放ったというわけでもない。
全裸の『彼女』がその裸体を視界に入れまいとそっぽを向いている俺の手を、無理矢理取ったのだ。やべ、現行犯逮捕成立だ。
そして、現行犯逮捕成立よりも俺はこの状況がマズいと思い至る。何たって、接触されたのだ。魔術師はその身体の表面に何かしらの魔術の膜のようなものを施し、接触によって敵の魔力を吸収したり、敵に魔術を放ったりするものだ。俺は腕の粉砕や、放電なんかを覚悟するが、そんな魔術的な動作は愚か、攻撃的動作は欠片も無かった。
だが、それだけでまだ油断してはならない。この状況にはまだ別の脅威というのがあった。それはこの距離感だ。接触によって自動的に俺と『彼女』の距離は狭まり、女の子特有のふわふわした香りで頭がクラクラしてくる。顔を少しでも逸らせば、『彼女』の白い膨らみが目に入ってしまう。
「え、えっと。何をなさっているのですか……」
「ご主人様の御手を、握らせていただいております」
見れば分かる。
その握られた手は、透き通るように冷たい。ひんやりして気持ち良い。これが女の子の手なのか。『彼女』の手からは無機質なロボット、というよりはピアノのような繊細さが俺の手に染み渡る。その手首からでっぱって見える骨(豆状骨と言う。君も今日から手首フェチだ)や、その手の甲の白くて薄い皮膚に微かに浮き出ている青い血管(背側中手静脈と言う。これは少々厄介な漢字の羅列かもしれない。はいそくちゅうしゅじょうみゃく、と読む。君も今日から血管フェチだ)が芸術品のようだ。先程と矛盾するようなことを言って悪いが、何より、そのピアノのように冷たくも繊細で小さな手の奥からは『彼女』の意外な温もりが感じられるのだ。女の子の手は、『彼女』の手は、なんて素敵なんだろう。
ある人は世界で一番精巧に作られた芸術品は人間の脳だと言うが、俺から言わせれば少女の手こそが人間をある種の催眠に引き落とすような魅力的な最高の芸術品と言えよう。とは言えこの手首、血管フェチは全て燎弥の影響なのだ。さっきの知識も燎弥から聞いた内容だし、全ての元凶はアイツなのだ。
……と、催眠にハマったフリをして(少女の手が至高の芸術品であるという心情は嘘偽りではない)逃げ出す作戦だ。その序でに『彼女』の手の温もりを感じ、横目でチラチラと白くて大きな膨らみにある突起を覗き見するつもりだ。というか俺、完全に犯罪者だ。
だが、誠に嬉しいことに俺の手は『彼女』にがっちりと掴まれ、まあ、その、なんだ、逃げようが無かった。一生こうしていたいね。実に幸せだ。こんなに可愛くて美しい女の子の手を一生握っていられる。何て幸せなんだろうか。
「な、何で、そんなことをするんだ……!」
「しばらく、こうさせて下さい、ご主人様」
「ま、まあ、そうだな。悪い気分はしない」
……はっ! し、しくじった。催眠にハマったフリというか完全にハマっていた。ち、違う、そうではないのだ。決して彼女の腕をそのまま切り取って保存したいとかじゃないんだ。本当なんだ。
ああ、ダメだ。いかん、話が進まなくなってきた。グズグズし過ぎだ。だが、許してくれ、皆の衆よ。これは仕方ないことなんだ。君たちだって、いきなり、監禁の罪を見知らぬ少女にかけられ、そして手を握られたりなんてしたら混乱するだろう?
それに、こうして俺がグダグダと、グズグズと無駄な話をすることで俺はこの子のおっぱいを思うままに、恣にじろじろと眺めていられるのだから。ぐふふふ。大きなおっぱい、良いですなあ。
もう、いよいよ弁解の余地が無くなってきてしまった。俺の脳内では先の仮の話の内の「無意識的にこの子を監禁してしまった」という可能性に決定を下そうとしていた。待て、待つのだ、俺の脳内元老院よ。早まるな。早まってはならない。あんまり早まると、彼女のおっぱいが見れなくなって……。
って…………あ……あ、あれ。
「落ち着いたでしょうか、ご主人様?」
な、なんてことを俺はしているんだ。俺はほんの少し前までは父の喪失に心を打たれていたのに、今は少女の手とおっぱいに釘付けになっていただと。不謹慎過ぎる。信じられない。俺はこんな奴だったのか。もう、なんというか、不謹慎という枠を飛び越えて、我が自我と超自我が揃いも揃ってエスに完敗してしまったらしい。俺は、最低だ。
俺が愕然として頭を押さえていると、『彼女』は掴んでいた手を離して、俺の優しく頭を撫でる。ふわり、と。優しい手付きで。
「ご主人様、どうかお悩み無きように。私がそう仕組んだことですから」
「は……はい? 一体、どういうことなんだ」
「ですから、私めがご主人様のお気持ちが安らぐように致しました。ご満足いただけなかったでしょうか。で、でしたら……こ、こんな格好で」
「もう止めて下さい」
『彼女』が遂に顔を赤くしてお尻をこっちに向けて突き出そうとするので、俺は今度こそ後ろを向いて『彼女』を静止する。俺、お尻大好きだから、見ているだけじゃ済まなくなっちまう。幸いなことに『彼女』も「畏まりました」と言い、何とか体勢を戻してくれた。状況的に俺が危機であることはあんまり変わってないけど。
だが……どうやら、『彼女』は衛世の死で動転していた俺を正気に治してくれたようだ。少なくとも、俺が落ち着くように努力をしてくれたのだ。その結果、更に変に昂ってしまってまでいるが。
ってことは、監禁がどうってのはやっぱりクリミナルジョークか。だからクリミナルジョークって何なんだよ。まあ、要は冗談ってことか。良かったよ。
「ありがとう、感謝しているよ。だがな、そのクリミナルジョークは無いだろう。心臓に悪いよ。あと、服も着よう。まだ冷える時期だ」
俺が後ろを向きながらせめてもの紳士らしく言う。すると、背後で何か魔術が作動したのを感じ、何事かと思って振り返ってみれば『彼女』はお着替えならぬ変身を行っていたのだ。赤と金色の輝きが彼女の艶かしい肢体をするすると包み込み、輝きが収まるとそれは服となっていた。
しかし、いや、当然ながらその服は普通ではない。魔術製だからという意味でもなく、服の面積が圧倒的に少ないエロエロなメイド服になったわけでもない。
お、驚くなかれ。彼女が身に纏った服は、日本の伝統、和服だ。和服で、西洋人で、メイド属性。こ、これは……一体どういうジャンルなんだ?
「……お気に召さないでしょうか、ご主人様」
「い、いや、似合うよ? 凄い似合う。最高だ。だが、ご主人様に一度で良いからどうして和服に変身したかを教えてくれ」
『彼女』は目に涙を溜ながら聞いてくるもんだから適当なフォローを入れてやる。ああッ、そんな顔で尋ねてくるとか反則なんじゃないかなあ!
だけど、メイドが自分の服を自分で作るのは正しいらしい。昔読んだ本でもそんなことが書いてあった気がする。だが、それはあくまでもメイド服というものであり、当然ながら和服ではない。
俺がフォローと同時に入れた謎に対する質問だが、逆に『彼女』は小首を傾げて尋ね返す。
「これが日本の伝統とお聞きしております。郷に入れば郷に従え、です。まあ、私が従うのは郷ではなくご主人様ですが。何か他の服装に致しましょうか?」
「あ、ああ……そのままで良いよ。今はあれこれ指示を出さない、そんなのは後回しだ。全裸じゃなきゃ何でも良い」
「そ、そうですか。私、ご主人様のご意向に添えて何よりの幸せでございます」
和服の着用は確かに謎だ。だが、俺は嘘を言ってはいない。つまり、彼女の和服姿にはギャップや違和感を飛び越える程の可憐さを含んでいた。紅基調の和服で、袖口の辺りには金色の糸で桜の木や花びらが刺繍されたものだ。更に、春の涼しい夜風に靡く流麗な金髪には可愛らしい桜の髪飾りが付けられていた。そこら辺のコスプレやらの域を超えた『彼女』の和服姿に息を呑む。これは……素晴らしい。ちょっと派手だから、もう少し薄めの赤でも良いかもしれんが。
だ、だが……一番の謎は監禁についてだ。それが明らかになるまで彼女は信用してはいけない。危なく彼女の和服姿に見蕩れてやられてしまうところだった。何をされるかは知らないが。
俺の目付きの変化に目敏く気付いた彼女は可憐な顔やや困ったようにして頭を深く下げる。
「先程は申し訳ございませんでした、ご主人様。急に私めのような女に御手を握られては殿方が驚いてしまうのは当然のことでした。私はかえってご主人様のお気を動転させてしまってはないでしょうか……」
「ああ、手は大丈夫だよ。俺のためにありがとう。でも俺が言っているのは手よりも、監禁がどうとかいう……」
と、俺が『彼女』のセリフの気になった点を弱腰で追及する。やっぱり俺はチキンです。チキン南蛮です。
実際のところ、『彼女』の手は素晴らしかった。もっと握って欲しいものだ。寧ろ握れ、とかいう本音は言わんがな。それに、『彼女』の狙い通りに俺は精神的に平静を取り戻してはいたのだから、しっかりとお礼を言わなくてはならない。気が動転したのは事実だけど。
でも、『彼女』が全裸であったことに対する謝罪は無いようだ。無かったことにしろ、そういうことですね、分かります。というか、これこそ俺がお礼を言うべきですね。……はいはい、失礼しました。ありがとうございました。
ところが、どういうわけだか『彼女』はそのエメラルドのような碧眼をまん丸にして再び首を傾けた。嫌な、予感がするよ。
「ご主人様は私を監禁なさっていましたよ? 実に何年もの間」
えーと、ですねえ……目をまん丸にして首を傾げたいのはこちらなんですが。これも彼女なりの俺を落ち着かせるためのクリミナルジョークじゃなかった、つまり、真実であるとでも言うのか。
絶望の淵に再び突き飛ばされた俺は夜風の寒さなのか、恐怖なのか分からんけど、とにかくガタガタ震える。マズいぞ、これはマズい。
「ご主人様は実に紀元前くらいから私めを監禁なさっていました」
「俺はそんなに生きてない」
さてさて、話は振り出しに戻されたわけだが……。
というか、コイツは一体何で俺の父親が死んだことを知っているんだ?
そして、俺のことも。
「ご主人様、いえ、藤原衛紀様。私は何でも知っているのですよ。特にご主人様のことなら、何でも」
『彼女』は俺の事を何でも知っているということのアピールのために、ご主人様ではなく俺の名前を呼んだ。どうせ、俺の事や衛世の事は『彼女』が精神系魔術で記憶を読んだりしたんだろう。
さっきも言ったがテレパスやらその辺の精神系魔術は苦手なんだよ。『彼女』が監禁やらの罪を着せてくる以外にも、『彼女』が精神系魔術に精通のある人間であれば尚更厄介だ。何故なら、こういった思考さえも読まれている可能性がどうしても存在し続けているのだから……。
何としてでも逃げなくてはならない。まずは……ありきたりな話題で逃げる機会を窺おう。と、言いますか、根本的な質問をしよう。さっきから聞きたかったことだ。
「そ、そう言えば君は、誰なんだ?」
「も、申し遅れました! わ、私はご主人様のお父様である藤原衛世様より今後の衛紀様の面倒を見ろという言伝の元、馳せ参じましたご主人様専属のメイドです。自らの立場をご主人様にお伝え遅れた非礼、お赦し下さい」
ん……そういうことか。衛世が絡めばこの急展開にもそれなりの認識を下せる。斬殺事件やら謎の儀式、衛世の死の直後に文脈も外れた様な登場だったから何事かと思ったが、何やら衛世絡みのイベントらしい。
でも、これ、若干、『彼女』が俺に監禁されていたという事実に反しないだろうか。いや、事実じゃないけど。だが、これは良い事を聞いた。警察のお世話になった時に大事な反論の論拠として使わせもらおう。
ていうか、衛世の奴はあの超一流魔術師のフィリップさんや、こんな美しくて可愛らしいメイド娘と知り合いだとか、一体どんな人脈を持っているか謎過ぎる。もしかしてTwitterを通じたネットの友達だったりするのか?
だが、騙されてはいけない。もしかしたら、こんなのはただのブラフかもしれない。親や親戚、知り合いの名前を出すなんて詐欺師の常套句みたいなもんだ。何にせよ俺に有りもしない監禁の罪を着せようとしてくる奴なのだ。信用出来るものか。加えて『彼女』はまだいくつかの質問に答えていない。特に、名前は絶対に聞かせてもらうぞ。
「申し訳ございません……。私、実は今、名前というものが無いのです……。ご主人様のご質問に満足な解答が出来なくて申し訳ございません」
『彼女』は俺が自身に興味を持ってくれたのが嬉しかったようだが、名前の話題はどうやら外れだったらしい。せっかく『彼女』という呼び方から、『彼女』の名前を知るチャンスだったのに。もう、さっきからずっと聞きたかったのに。
はあ、俺や衛世を知っておいて自分の名前も知らないのだろうか、とも思ったが、これももしかしたら俺を欺くための罠かもしれない。油断は禁物。焦らず、弛まずこの状況を切り抜けなくては……。
それに、このメイドの闖入によって頭からスッポリ抜け落ちていたが、玲華の安否が未だに不明なままなのだ。早く帰って彼女の無事を確認しないといけない。しかし、『彼女』の言う通り、『彼女』と衛世が本当に知り合いであれば無下に扱うことは出来ない。これは……慎重に動かなくてはならない。
「じゃあ、出身はどこなんだい?」
「私は生まれてからずっとご主人様に監禁されていたので、出身地をどうしてもお答えするのであれば、ご主人様と同じく港元帝国と答えなくてはなりません」
「あのなあ……」
満足出来る解答が得られなかったという表情を強くしてしまったのだろう、彼女は涙を溜めた困った顔で俯く。
そりゃあ……ねえ。一体俺は君をいつから監禁したって言うんだい。乳幼児の時かい? それとも受精卵の時かい?
「……大変申し訳ございません。私はご主人様のメイドの分際でご主人様の心行く解答が出来ませんでした。その代わりにはなり得ませんが、どうか気の済むまで罰をお与え下さいませ」
はらりと金髪が垂れたかと思えば、彼女はなんとその場で四つん這いになったのだ。そしてまた、こちらにお尻を向けて突き出す。彼女のお尻は和服越しにでも割れ目が……ッ!
「わ、わわわわわ、おい、おいおいおい、止めろ、俺は別の罪まで背負ってしまう! だいたい何で俺がお前のご主人様なんだよ! 良いから止めろ!」
俺が手をそれこそ荒ぶる鷹のポーズのようにぶんぶん振り回して『彼女』の暴挙を止めようとすると、振り返った『彼女』と目が合う。エメラルドの眼差しが俺の視線とぴったり重なると、『彼女』は頬を染めながら小さな声で言う。
「そのままご主人様の御手でお殴りしても構わないのですよ。いえ、どうか、お殴り下さいませ」
勘違いしてやがる。俺は別にお前を殴ろうとしたわけではない。だが、これは好都合だ。『彼女』は今、四つん這いになっており、俺は『彼女』のむっちりとしたお尻を眺め放題なのだ。
じゃなくて、『彼女』は今、四つん這いになっており、俺は『彼女』から逃げるべきチャンスを獲得したのだ。やったぜ。
「ふっ、そんなに罰が欲しいならくれてやる……。それは、放置プレイだ! 俺が戻ってくるまでその四つん這いの姿勢のままでいろ!」
「ご、ご主人様……それだけは、それだけはぁ…………」
何だか妙にエロティックである。というかエロい。
しかし、この機は逃すまい。今の内に逃げてやる。全く今更な話だが、これ以上いると監禁以外の罪も背負う気がするしな。いや、監禁はしてないけど。
とにかく、急がないと。どんなに四つん這いの姿勢の彼女でも加速魔術なんかを使えばあっという間に追いつかれてしまう。急げ、急げ。
だが、『彼女』は追ってこなかった。
どんなに振り返っても、そこには四つん這いのままのメイドがいた。一人ぼっちの、女の子が。
***
現在時刻は未だに不明だが、頭上には月が光を照らしている。広大な九頭龍湖には澄み渡る空気と白い霧の間でその月光をゆらゆらと反射させる。
服に張り付く水分も乾燥こそしないが、段々とその寒さにも慣れてきた。唇は真っ青だけどな。
俺は九頭龍湖の出口へ向かって早足で駆ける。メイドに追い付かれることは無さそうだが、玲華が心配なのだ。フィなんとかなんて知らない。とにもかくにも、俺は玲華を守る使命を仰せ付かったままなのだ。名前も知らない公安の男と、我が父藤原衛世から。だが、『彼女』も同じく我が父衛世の言伝によってやって来ている可能性があるのだ。果たして、このままで良かったのだろうか……。
さて、九頭龍湖の出口とは言ったが、俺が具体的に目指すのは九頭龍湖の畔にある焼け落ちた果処無神社跡地だ。嘗ての果処無神社は村の最西北にあり、神社の敷地は神社本殿から、この九頭龍湖全域に渡る。跡地、と言ったように、神社本殿は全焼してしまったが、その神社に帰属する敷地自体や石塔、石の鳥居なんかは残っていたりする。そりゃあ、頑丈な石は大火事でも焼け落ちる事はないからな。
そして、その生き残りの鳥居の内の一基が、この九頭龍湖の水面から生えている石で出来た一基の鳥居だ。種類としては外宮鳥居(げくうとりい、と読むのだ)というものらしく、余り装飾が見られないシンプルで古風なものだ。
……外宮鳥居だとか、鳥居の数え方なんて何で俺は知っているんだろうな。脳に直接差し込まれた知識のようだ。まあ、良いや。
で、その鳥居が火災で生き残ったのは石で出来ているという理由よりも、そもそもの話としてこの九頭龍湖自体が果処無神社や果処無村から二百メートル程高い土地にあるからだ。ここは果処無神社の敷地内でありながら、火事の被害には遭っていないエリアなのだ。ほら、その標高の高さを現したのが正に九頭龍滝なのだ。
そういうわけで、帰りは旧果処無神社に帰属するこの九頭龍湖に繋がる長い長い二百メートル以上もある階段を下ろう。それ以外の道は無いしな。ああ、面倒くさいから九頭龍滝からダイブしてやっても良い。だけど、痛いもんは痛いし、また気を失いでもしたら大変だ。何にせよ俺は玲華の安否を確かめなくてはならないのだ、気絶している暇など無い。
だけれども……一体、どうして俺は九頭龍滝の滝壺の辺りで気を失ったはずなのに、二百メートルも標高の高い九頭龍湖の畔で目覚めたのだろうか。あのメイドが持ち上げて来たのだろうか。それはないな、タイミングもおかしいし、別に助けるなら湖に連れて行く必要もない。では、あの影のワープか。とはいえ、結局、あの影のワープ魔術を行った術者は未だに誰か分からない。アレは少なくとも俺の父親ではない。声がもっと若々しい青年風で、どこかカリスマ的な何かが漂っていた。どちらかと言うとフィリップさんの方に近い。あ、しまった、空間加速砲どこにしたっけ。不法投棄かあ、困ったなあ。
……だとか、どうでも良いことを考えながら父の死や謎のメイドから考えを逸らした。でも、逸らした、と考えている時点でそれはもう逸らせていない気がする。やっぱり、気になってしまうのだ。未だに四つん這いのままの『彼女』が。
もう随分遠くまで離れてしまったが、振り返えれば豆粒のように小さな彼女の姿が見える。圧倒的な大きさを誇る九頭龍湖の畔、その片隅に捨てられた一人の少女。『彼女』は檻の外を覗く囚人のように湖を彩る月を仰ぐ。
その景色が……重複する。
白い月光の中に取り残された『彼女』。
黒い檻の中の檻に閉ざされた『彼女』。
そして、最期まで素直になれないまま憧れの父を失った俺と。
ずっと、そこから動けない『彼女』。
孤独という雪に埋もれつつ有る『彼女』。
ああ、もう……仕方ないなあ。俺は、いつの間にか、立ち止まり、進行方向を変えて歩き出し、気付いた時には彼女の正面に立っていた。そして、『彼女』の可憐な顔が見えるように立ち膝の姿勢で座り込む。座り込んだ俺に気付いた『彼女』は目を見開き、俺をエメラルドの瞳で見つめる。その瞳は、涙で濡れている。
「よしよし、ご主人様のお帰りだ。よく待ってくれたな」
言葉を発する途中で恥ずかしくなってきたが、もうここまで来たら毒を食らわば何とやらだ。『彼女』は驚きの表情から、世界で一番幸せそうな顔で俺を見つめる。俺まで幸せになりそうな、懐かしくて暖かい微笑み。
「お帰りなさいませ、ご主人様。私、ちゃんと待っていられましたよ……!」
そして、誇らしげな表情を作る。本当に、健気な女の子だな。
エメラルドの瞳からは大粒の涙がポロポロと溢れ落ち、その紅の和服に濃淡の滲みを作る。
「大袈裟だなあ……。でも、大丈夫だよ。もう、こんなことはしないから」
「ありがとうございます、ご主人様。一人に、しないで下さい……。私はご主人様の言うことは、何でも聞きます、従います。しかし、もう……一人は、一人だけは嫌なのです……」
彼女は嗚咽混じりに必死な懇願を俺に伝える。
一人にしないで。一人だけは嫌なのです。
その言葉が胸に突き刺さり、締め付ける。監禁については不明だが、『彼女』は、きっと、今までずっと一人でいたのだろう。ずっと、一人で。一人きりで。
そして、どういうわけだろうか。俺は四つん這いのままの彼女の頭を撫でた。
「ああ、俺も……一人は嫌だな。俺も父さんが死んじまってさ、今さっき。だから、さ……その、俺と一緒にいないか? 利害の一致というヤツだ」
口は頭よりも早いんですね。もう口に脳みそがくっ付いているんじゃないかなあ。どうかしてしまった俺はそんなことを、涙を流す少女の耳元で呟いていた。どこぞのホストのように。
それが、ダム決壊の合図だった。『彼女』はなりふり構わず泣き出した。『彼女』は待ち侘びていた言葉を得たのだ。ずっと、ずっと求めて止まなかったその言葉を。
一体、どうして俺は今さっき出会ったばかりの女の子にこんな犯罪まがいな事を言っちまっているんだろうか。彼女の名前だって知らないし、監禁がどうとか言い出す謎な女だ。俺は『彼女』のことを何一つとして知らない。露ほども知らない。玲華の安否確認は勿論、衛世も死んでしまい、斬殺事件だって収拾がついてない。それなのに、俺は何だってこんな馬鹿みたいに場違いな事をしているんだ。普通、オカシイだろ。頭どうかしている。さっきまで全然ベツモノの事件が起きていたじゃないか。何で、どうして、こんな状況で見知らぬ女の子なんかに声を掛けているんだ。
……だが、それで良い。このまま、『彼女』を泣かせたまま、四つん這いのまま見捨てるくらいなら。俺は『彼女』を守ろう。一人ぼっちが嫌なら俺が一緒にいてやる。日常を守るためだ。衛世が最期に言ったみたいにな。
父を喪った俺の最初に為すべき試練。今、俺の迎えているこの状況は衛世からのテストのような気がする。一人になった俺が何をするか、何が出来るのか。だから、今は衛世からのテストだと思ってこの状況を乗り越えよう。俺の中の何かが「そうしろ、それが正しい行いだ」と強く俺の背中を押す。
「はい…………嬉しいで、す」
もう泣きじゃくっている『彼女』が何て言っているのかは分からないが、首を縦に振っているのは分かる。畏まりました、そういう解釈として受け取っても良いだろう。
俺は『彼女』の繊細な手を取って立ち上がらせる。いつまでもその姿勢は辛いだろう。四つん這いで嬉し泣きしているとか、若干シュールさが見え隠れしているしな。
「もう、泣くな。何言っているか分からないだろう……。お前、可愛いんだから、泣いた跡が残るともったいないぞ」
気障過ぎるセリフが口をついて出る。言い訳させてくれ、俺の脳内にこう言えって謎の知識が湧いて出てくるんだ。まるで、この状況を最も正しく切り抜けるための最善の答えが与えられるように。運命でも操作しているかのように。
すると『彼女』ははっと息を呑んで涙を拭い、再び四つん這いの姿勢に戻ろうとする。俺は咄嗟に彼女を制する。またお尻で興奮しちまう。
「申し訳御座いません、ご主人様。このようなありがたいお言葉を受けた直後に、ご主人様にご迷惑をおかけして誠に申し訳ございません。また好きなように罰をお与え下さいませ……」
また、罰か。どんだけお仕置きされたいんだ、この和服メイドは。
俺が「そんなことするかっ」と口を開くその刹那、視界に光が入り込む。思わず目を閉じてしまうが、その光は瞼をも貫いて差し込む。この強い光は月なんかじゃない。東の低位置からのオレンジ色で眩しい輝き。
それは、太陽。
つまり、夜明けだ。
世界は漆黒の天蓋から、その天蓋を突き破るようにして現れた太陽の光を受けて絶妙な色彩を写す。オレンジ色のようで、漆黒のようで、青色のその中間点。曖昧だからこそ、言葉一つで言い表せない幻想的な世界のようなものがあった。
空は刻一刻と変化し、瞬きをする度に空は次の空へ、次の空へと目に写し込まれる。まるで一枚一枚がキャンバスのようで、それらがパラパラ漫画のように次のキャンバスを捲っていくようだ。そして、次々と移り変わる天空にもう一つの球が視界に入る。
それは、月。
今にも強烈な太陽光によって、薄れて消えてしまいそうな弱々しい月。
しかし、それでも、最後の一瞬まで輝きを放ち続ける、儚くも健気な輝き。
「有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし」
今にも消えそうな月を眺める『彼女』の儚げな横顔と幽き旋律。
目紛しく姿を変化させる世界の中で、紅の和服に身を包む『彼女』は愁いを含んだ音色で和歌を口ずさむ。その様は、見る者全てに幻想的で、夢幻的な名前もカタチも無い何かを与えるものだった。やはりそれは、暖かく……どこか、懐かしい。
『彼女』の口から紡がれた和歌は『古今和歌集』に載っている壬生忠岑の悲恋の歌だ。有明の月がそっけなく見え、その有り様はまるで冷たく去った貴女のようだ。暁程悲しく感じられる時間はない。そういう意味だ。和歌には大きな揺れ動きも無く、それでいて心に来る感情の大波。しみじみとし、儚げな歌だ。
「暁月、ですよ。夜明けの瞬間に月が人々に見せる、その晩最後の儚くも、幽き輝き。それを人々は暁月、有明の月と呼んだ。まあ、両者には違いがあるそうですが」
「何だ、わざわざ男性の歌を詠んでまでさっきの放置プレイの嫌みか?」
『彼女』は上品にクスリと笑って、改めて俺に向き直る。
俺も、それと同時に向き直り、名も無き『彼女』と向き直る。
心臓がドクン、と脈打ち、『彼女』の視線と俺の視線が絡み合う。
「でも、私は貴方に逢うことが出来た。貴方は私に逢い、私を選び、私と共にいてくれると誓った。それが結果であり、一つの始まりであり、一つの終わりであり、一つの真実であり、一つの運命。これから、貴方の運命は大きく揺れ動き、如何なる戦火に身を投じることとなるでしょう。それでも、その戦火から私をお守り下さいますか……?」
『彼女』の朱に染まった顔が近づく。俺も『彼女』の答えを告げ、互いに距離を狭めていく。彼女の発言一つ一つは意味不明の羅列だったが、ここでいちいち突っ込みをするようなロマンティストの欠片も無い奴はこの子の主人公にはなれない。だからロマンティストな俺は、この子の主人公となろう。なってやろう。
日常を守るために戦え。
俺の日常を守った父の言葉が脳内で再生される。
「随分、突拍子も無いことを言うんだな。だがな、俺は一方的に日常を守れって約束させられたんだ。だから、お前を守ってやる。ずっと、一緒にいる」
「ありがとうございます、ご主人様。しからば、私は貴方の最期までお隣でお仕え申し上げます。……どうか、私に永遠の名付けを」
永遠の名付け。
暁月が今まさに最後の輝きを放つ中、俺は『彼女』に一つの名を与える。
「お前は、ルナ、だ。暁月の少女、ルナ。そう名付ける」
「ルナ……ですか。はい、私はルナです。どうか宜しくお願いします。ご主人様!」
涙混じりの笑顔を浮かべたルナと、それにつられて微笑む俺。どうやら、俺も、例の強襲後、初めての笑顔を浮かべたらしい。
父さん、今は、これで良かったのかな。どこかで、衛世が俺に桜の花びら型の良く出来ましたの判子を押してくれた気がした。妄想でしかないが、俺はそれが無性に嬉しくて、父の言葉を噛み締める。
それに、こうしておけば『彼女』もしばらくは監禁の事も忘れるだろう。いや、『彼女』ではなく、ルナは。
運命の歯車はゆるやかに動き始め、俺たちを一つの結末に導く。
暁月の最後の明かりを跳ね返す銀色の指輪。
この文脈を無視したような、余りに突拍子も無い出会い。
全てはこの出会いが運命の始まりだったんだ。
ここが、暁月の輝く夜明けが、俺たちの運命の始まりなのだ。
だから、まずはこの始まりに乗り遅れ、やり残し、余った分の日常の欠片を集め直そう。つまり、俺たちの日常を守るために戦わなきゃならない最初の相手は斬殺事件からだ。
どうやら、俺たちの物語はいきなり、やり損ねた余分な日常、つまり、エキストラステージらしいな。
***
それと余談なのだが、この後すぐにルナは監禁のことを訴えてきた。