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俺は彼女を監禁する / 白銀の剣閃  作者: 清水
始動 〜 Silver Slashing ripping the Darkness.
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LVNH//O//2038/04/14/02/42//TE-01/2021/05/22//FCE

 照明魔術の炎に照らされた残骸からは鮮血が池を作り始めているのが見え、明らかに斬られてから時間が経過してないと否応なしに理解させられる。

 ほんの少し前。そう、正にそんな所だ。

 断面がくっきり見える。ここまで綺麗にスッパリと切断されている肉体の断面を見ると、これはもはやただの刃物で斬り付けたとは考えにくい。斬撃を与える魔術か、余程のワザモノの刀と考えるのが妥当だ。当然、玲華もその余程のワザモノの刀、というものを扱うことが出来る。


 血に塗れた長剣(ロングソード)を携える彼女の幻影が映る。


 ……いや、忘れろ! そんなの、考えるな!

 フィリップさんは屈み、その残骸から腕章を取り出して書かれてある文字を読み上げる。腕章は持ち主の血液をたっぷり吸い込み、もはや雑巾のようである。


「……こりゃあ、たまげた。公安じゃない、県警だ。昨日から公安が正式にマークをしているはずなのだが、まさか、県警まで動いているとはなあ」

「け、県警に公安だって?!」


 ば、バカな……。ありえない。公安や県警を統率する日本政府とこの村は反目しあっている。県警や公安、日本政府が積極的に動くわけがない。それとも、今回の事件は警察組織が動かざるを得ないほどの異例の事態だと言うのか? 

 しかも、公安を動かすとなればこれは相当の事態だ。一体、この村で何が起こっているのだろうか。もう、これはただの斬殺事件の域を超えている気がする。もっと、陰謀めいた何かを感じるのだ。

 ……ん? 待て、フィリップさんは何故そんな秘密に覆われた公安のことを知っているのだろうか。我が家に来る玲華の転校を討議する黒服の男たちから聞いたのか? それとも『統一協会』(ユナイト)のデータベースとやらから情報を入手したとか?

 あ、でも、今、フィリップさんは失踪中で港元市からのオーダーで『統一協会』(ユナイト)へアクセス出来ないのか。だとすると、一体どうやって?

 フィリップさんはその真っ赤になった青い腕章を残骸に戻し、腕を組んだ。


「違うよ。『統一協会』(ユナイト)本部のデータベースから調べたんだ」


 あれ、アクセス出来るのか?

 フィリップさんは得意そうににやりと笑った。何か……悪いことを考えているな。そんな顔だ。


「おい、アンタは失踪中で、それを『統一協会』(ユナイト)本体や世間にバレてはいけないというオーダーを受けたんじゃなかったのか? それとも、今回の派遣業務を知っている腹心とか、部下でもいるのか?」

「まさか、オーダーは守っているよ。誰でも全面衝突は避けたいからね。情報は僕が衛世さんに頼んで『統一協会』(ユナイト)本部のデータベースにハッキングをかけて調べてもらったんだ。アイツ、凄いだろ」

「あんのネット廃人は何で世界規模の魔術機関のデータベースに土足で踏み込んでいるんだッ!」


 ま、まさか! 信じられない。さっきから信じられないことの連続だ。

 ただのネクラツイッタラーの衛世だと思っていたが、そんな世界規模の機関のデータベースに侵入する力があったとは。彼が最近やたらとパソコンにかじり付いていると思ったら、そんなことをしていたのか。片田舎のパソコンから世界の中枢のデータベースにハッキングとは……見直したぞ、衛世。ネットは偉人だ。いや、意味分かんないけど。じゃなくて! そうじゃなくて! そんなことしちゃって良かったのかよ!

 『統一協会』(ユナイト)のデータベースとはもはやその機関の活動の中枢に位置する部位だ。世界のあらゆる魔術開発の情報や世界情勢を蓄積してあるはずだ。そんな中枢に侵入するなんて、重罪に決まっている。たとえ罪刑法定主義を取る日本国が規定の罰を下そうとも、それ以上の罰が『統一協会』(ユナイト)から下されそうだ。機関の地下室とかで死ぬまで幽閉……くらいはされるんじゃないかな。お前は多くを知り過ぎた、みたいな。

 まあ、そのデータベースを管理する大総統自身がハッキングを促したのだから、お咎めナシだと良いのだが。衛世に罰が下されるなら、そこの大総統ごと罰してくれ。そうじゃなきゃオカシイ。余りにも不条理だ。

 一方で、中枢たるデータベースを攻撃されるとは、『統一協会』(ユナイト)側も相当のダメージを被ったと思われる。大総統の失踪からのデータベースへのハッキング、向こうは向こうでてんてこ舞いだろう。


「で、この制服を着たのが県警なら、データベースから盗み見たとかいう公安の人はどこに……」

「おいおい、衛紀くん。公安は日本国の国家魔術師の上位の連中の集う組織だ。そう簡単に潰されたりはしないさ」


 国家魔術師というのは魔術師としての国家資格を持つ魔術師で、その腕前は確かに凄まじいものらしい。国を代表とする魔術師なのだから、それは当然とも言えるが。

 その国家魔術師の大半によって構成されているのが公安だ。フィリップさんが自信を持って公安の人の無事を後押しするのもそのはず、世界各国の魔術組織を束ねるのは他でもない『統一協会』(ユナイト)そのものだからだ。自身の統率する組織を誇るのは良いが、ぶった斬られた県警だって『統一協会』(ユナイト)の門下にあるとも言えるんだぞ……。

 公安の人の死体が無い以上は、どこかで生きているはずだが、それでもこの三人を圧倒した殺人鬼だ、油断は出来ないだろう。

 因みに、学生である玲華もこの資格の第二級を持っている。最上級の第一級から一個下の位だ。当時は日本最年少だったんじゃないかなあ。


「こっちのカメラを持った遺体は戦蓮社の地方新聞の記者だよ。相当腕のある魔術師でもあった。今朝会ったばかりだったんだ……」


 残骸の内、木っ端微塵になったカメラを抱えているのは地方新聞の記者だという。恐らく、昨日の朝刊やお昼の緊急号などの調査を敢行したのは彼なのだろう。こんな人殺しが多発している村にたった一人で張り付いて、調査を続けた彼は余程の新聞記者と見受けられる。彼の活躍が無ければ昨日の朝刊も緊急号も発刊されず、斬殺事件の情報は一ミリたりとも入ってこなかっただろう。この事件に関してはどんなに憶測の塊たるメディアであっても、彼の功績は讃えられるべきだ。

 だが、殺人鬼を記録したであろうカメラも持ち主と同じように木っ端微塵になっている。誰よりも斬殺事件の真相に近づいていた写真は闇に葬られてしまったのだ。その記録を復元するのはもはや不可能と思えた。

 そして、彼の死は、今後、公に斬殺事件が果処無村の外に知らされることが無いことを明確に示していた。そう、一ミリたりとも。


「さて、犯人のテレポートなどの移動魔術の痕跡はゼロ。ここには遺体以外のヒントは無いみたいだ。先に行こうか、衛紀くん」


 フィリップさんは素早く合掌をして立ち上がる。彼はそのまま残骸の横を通って辺りの森林に青白い魔法陣を放つ。恐らく、サーチ関連の術式だ。犯人そのものが潜んでいる可能性やテレポートや飛翔などの大規模な逃亡を行った痕跡を検査しているのだ。

 彼のその、妙に機械じみた動きというか、作業が非常に冷淡だった。まるで、普段からこんな現場にいるかのような。気持ち悪いまで慣れた動きだ……。


「お、おい……。この人たちは……」

「君には、これが人に見えるかい?」

「……くっ、そ、それは」


 そのセリフは彼の真っ白なトレンチコートから連想される雪原のようなものだった。獰猛で冷徹な態度。これが、彼の『統一協会』(ユナイト)の大総統としての立ち振る舞いだ。

 俺は……何となく、彼を哀れんだ。異例の若さで世界チャンピオンに輝き、大総統の地位を獲得した彼を。そのために彼が歩んだ道と嘆きや怨嗟に塗れたであろう道を。

 しかし、今は彼の立ち振る舞いを憧れのような眼差しで見ることも出来た。現状、俺に最も欠けているのは魔術の腕なんかより、フィリップさんの持つ冷静な態度そのものだ。玲華のためにも、何とか切り抜けなくては……。

 俺は胸で暴れる感情を押し留め、フィリップさんの背中に続いてもはや人の形を失った塊を通り過ぎ、奥に潜む闇へ足を向けた。その闇にいるであろう玲華へ向けて。村の中心地、滝沢邸まで後少しだ。

 ところで遺体と死体の違いって何だろうか。じゃなくて、そうじゃなくて、それ以外で腑に落ちない点が一つある。


「なあ、村人以外が殺されたぞ……。やはり、果処無の村がターゲットなのか?」

「さあ、ね。確かに、今までには無かった動き、イレギュラーだ。特に新聞記者が殺されたのはマズかった。彼がいないとこの村の惨劇の情報が一切出なくなる。潜んでいると思われる公安がなんとかしてくれれば良いのだが」


 フィリップさんは腕を組みながら唸る。以前まで、犯人は果処無村内の村人を殺し回っていたが、今回遂に村人以外の人間が殺害されたのだ。俺たちは果処無の村人が殺害のターゲットだと考えていたのだ。つまり、斬殺事件のパターンが今回の斬殺であっさりと吹き飛んでしまったのだ。

 別に、玲華は「果処無の村人が殺されている」というダイレクトなヒントを与えたのではない。イデア論を通して「目に見えるものが全てではない」、彼女はそう言ったのだ。先程も述べたように俺やフィリップさんが辿り着いた考えも仮説の一つでしかない。だが、ターゲットが村人でないとすると、ますます玲華が家を抜け出す理由が説明出来なくなる。


「もの凄く単純な話だとは思うが……犯人は県警とか新聞記者に見つかったんじゃないか? 僕はこれが一番妥当な線だと見るが」

「見られたからには殺す、ってことか……」

「若しくは、全く別の人間、模倣犯に殺された、とか。このどっちか二つだろうね。個人的には前者であることを祈るよ」

「そうだな……。これ以上追うべき人間がいるのは困る」


 そう言って、フィリップさんは唇を噛む。

 ……まあ、それについては俺にも分かっていたことだ。

 フィリップさんは言い方を選んで、ぽつぽつと言葉を吐き出す。


「前者の場合、あの鳥居をくぐって村に入って来たものが犯人だってことだ」


 そう、なるな。たまたま彼らに見つかって、殺したというのであれば、場所というのは重要なポイントだ。あの場所は村の入り口であり、そこへ至るには村からの道か、俺たちの使った獣道しかない。

 そして、村から出る際に彼らを殺害したと考えるのは頭の良い考え方じゃない。何故なら、村から出る以上はあの獣道以外の道は存在しない。つまり、県警や新聞記者の死亡時刻を考えれば、犯人と俺たちはあの獣道ですれ違ってなければいけない。

 まさか彼らを殺した後に村に引き返したとも考えられない。普通、この獣道から人がやってくるなんて実際にすれ違うまで想定不可能なくらい行き来が少ないし、何より、俺たちより先に歩いて行ったであろう玲華とまずはすれ違うはずだ。見られたからには殺す理論をここで当てはめるなら、玲華の死体が発見されないとおかしいことになる。まあ、玲華ならそれを彼女自身の武力で跳ね除けたという線もあるかもしれないが、感覚的にそれは無いと分かる。獣道には戦闘で荒らされた跡が無かったからな。


「で、テレポートや飛翔も無し、と。そういうことか?」

「さっき調べた限りは、そうだね。ここから誰も大規模移動をしていない。それは、確実だ」


 先程、フィリップさんが検査していたテレポートや飛翔などの移動魔術の痕跡が発見されないということは、犯人は徒歩であの場を離れたということだ。走り込んだ靴の跡や車輪の跡も見つからないしな。そうであれば、必然的に犯人は村へ入る際に彼らと遭遇、殺害したと見るのが自然だ。

 犯人の魔術使用か? それなら安心して良い。魔術権威のフィリップさんがその辺は手抜かりなく検査したはずだ。何より、一般的に人殺しの場面で魔術が使用されるのは殺害時と脱出時だけだ。

 確かに魔術が巧く活用されれば犯人はそう簡単には捕まらない。移動術式の痕跡を完全に消すことも出来るし、死体そのものを消したり、死体そっくりの人形や死体を生きているように動かしたりすることだって簡単に出来る。いっその事、自身が手を下さずに他人に対象を殺させたり、対象を自殺させたり……と、やろうと思えば大体のことは出来る(魔術で可能という話であって、誰もがそのような魔術を扱えるという訳ではない)。

 だが、アニメや漫画などで有名な名探偵が活躍するような事件はそうそう起こらないものだ。つまり、難解なトリックが幾重にも張り巡らされた事件というのも現実では起こりにくい。

 それはぶっちゃけて言えば、魔術の技量云々の前に、犯人にはそんな警察を騙すような魔術を利用する心理的余裕が無いからだ。というのは、やはり冷静さというものだ。衝動的に、或いは突発的に人を殺す場合、彼らにそんな高度な魔術を使うような余裕はない。如何に冷静であろうと努めても、身から溢れる私怨や恐怖、本の少しの後悔というのが魔術活用に支障をきたす。たったそれだけで警察のサーチ術式やらによって一発で即逮捕だ。だから、その辺を理解している者は決して魔術を利用して犯行を起こさない。

 でも、綿密な計画の下に行われる犯行は、まあ、マジでヤバいだろうな。魔術のオンパレードだ。人を操り、惑わし、狂わし、消し、そんなのの連続のはずだ。綿密な計画下では犯人は冷静でいられる場合が多いから、魔術が巧く活用されてしまう。そういうヤバいのも極稀に起こる。一世紀に一回くらい。十九世紀末のイギリスで発生した切り裂きジャックなんかが良い例だ。

 現在はそれこそ公安や『統一協会』(ユナイト)が全勢力を挙げて捜査に走る。まあ、かえってそうするとすぐに犯人は捕まってしまうような気もするけれども、とりあえず、『統一協会』(ユナイト)成立以降はそのような凶悪で狂悪な事件は起きてない。今、起きているのかもしれないが。


「おいおい、衛紀くん。そんな絶望的に物事を捉えようとするなよ。この世界最大の魔術権威の僕がわざわざ実地に赴いているんだぞ。何とかなるさ」

「自分で世界最大とか、魔術権威とか言っちゃうんだ……。いや、間違ってはいないと思いますけどさ」


 自画自賛の大総統フィリップさんは照明魔術をやや暗くして、周囲を警戒しながら歩む。この辺は果処無の中心地、滝沢神社の夏祭りなんかでよく来る場所であり、結構慣れた場所だ。というか、広大な滝沢邸周辺だ。

 照明魔術で照らされる暗闇には今にも崩れ落ちそうな民家がちらほらと見受けられる。本当に狼の一息で吹き飛んでしまいそうだ。どの民家もこの時間だから戸をぴしゃりと閉じて、灯りはフィリップさんの照明魔術と点滅している電灯、それから雲に隠れ始めた月以外には無い。それに、この村は斬殺事件の舞台だからな、戸締りは厳重にするべきだ。

 ああそうだな、点滅してはいるものの、一応、こんな寂れた村でも電気は来ているらしい。等間隔に立ち並ぶ電信柱に今夜初めて気付いた。いや、気が付いたのは何も電柱だけではない。もっと別のものだ。

 ボロボロに錆びて今にも倒れそうな電信柱には、全て不気味な札が適当に貼付けられている。墨で書かれた不気味な文字や図形が記されており、一枚一枚書かれてあるものが違う。本当に、不気味だ。気味が悪い。

 フィリップさんはその札が気になったようだが、それを剥がすのを止めた。そりゃあそうだろう、剥がした瞬間にそこの茂みから毒針が飛んでくるかもしれねえからな。


「そろそろ、村の中心地かな……。どうなの、衛紀くん?」

「ああ、そうだ。ここの先が、村の中心地の滝沢邸だ」

「あれ、そう言えば村の中心地は果処無神社と聞いたが、それはどこにあるんだ? 別に地理的に村の中心にあるわけではないと思うが……」


 フィリップさんはきょろきょろと辺りを見回して照明魔術をあちこちに向ける。彼の獰猛で冷徹な灰色の目に、何か焦りが浮かんでいるのが見える。

 何か、思い当たる節があるのだろうか。だが……件の果処無神社は。


「もう、無いよ」

「無い、だって? どういうことだ?」

「四年前に火事で全焼しちまったよ」

「それは滝沢本家の家族のほとんどが死んだあの事件と関係があるのか?」

「……そうですよ、そういうことですよ」


 果処無神社。

 その神社は果処無村の中心地であった。とっても大きな由緒ある神社で、恒例の夏祭りは以前、そこの境内で盛大に行われていた。俺も行ったことがある。更に、その神社の裏には長い長い階段があり、それを登りきると大きな湖があるのだ。それを含めて、全部が果処無神社だ。

 さっきも言ったが、そこは滝沢家が管理をしていた神社で、代々神主と巫女の役割を継承してきた。そうそう、玲華もそこの巫女でもあったのだ。神社は歴史的にも滝沢本家とも深い関係にあり、その建立も遥か昔の出来事らしい。

 だが、四年前に極左組織のリンチ事件で例の大火災が神社で発生し、そこにたまたま居合わせた滝沢家を襲ったのだ。その業火は神社を焼き付くし、玲華の両親や祖父母、親戚もろとも灰にした。第一回魔術リサーチ大会の第七位にして、彼女の兄である滝沢脩もこの火災で亡くなったとされる。彼に至っては死体すら見つかってないのだ。彼に関しては果処無村やその隣町の戦蓮社村だけでなく、世界的に知れ渡った。世界に名を馳せた幼き魔術師がこの世を去ったというニュースは一ヶ月、一年を通して報道され続けた程の大事件であった。

 というわけで、果処無神社は跡形も無く焼失し、残された滝沢家の一人である滝沢玲華は我が家で暮らすようになったというわけなのだ。昔話は以上だ。


「なるほどね。それ以降、村の夏祭りは滝沢邸内の滝沢神社で行われるようになったんだね。衛世さんがそんなことを言っていたな」

「だから、あの火災が起こった後は滝沢邸内の滝沢神社が村の中心地だ」

「で……現在、その滝沢邸は廃墟同然と」


 そして話は焼失した果処無神社から廃墟同然の滝沢邸に戻る。

 フィリップさんと俺は立ち止まる。廃墟同然の滝沢邸の前で。

 目の前には村の中心地である滝沢神社を含む滝沢邸がある。玲華が火事によって一人になって以来、彼女は我が藤原家で生活している。故に滝沢邸は誰も住んでいない。管理が行き届いていない。修理によって維持されているのは、滝沢神社という滝沢邸、具体的には滝沢邸の東門に所属する小さな神社だけだ。

 つまり、滝沢邸の九割は廃墟同然の有り様だ。

 

 その、はずなんだ。

 そうじゃなきゃ、おかしいんだ。


「それじゃあ、何で灯りが点いているんだ?」


 フィリップさんが青ざめているのが分かる。彼は等間隔に並ぶ錆だらけ電柱に掛けた手をグーに握りしめて舌打ちをする。別に、それは彼の動揺や混乱が見せる幻影ではなく、確かに廃墟同然の滝沢邸には灯りが灯っていた。


 蝋燭の灯火のような揺らめく炎。

 それに合わせて揺れ動く黒い影。


 一瞬、その影が口を割いて笑った気がしたが……それこそ俺の幻影だったようだ。頭が混乱してしまって正しい現実を観察するのが困難になってきている。

 よし、まずは正しい空間把握を行おう。ここは滝沢邸のいくつかある門の内の最南端に位置する南門。基本的に滝沢邸は滝沢神社の位置する東門しか現在は開放されていないはずなのだ。しかし、その固く閉ざされていたはずの錆だらけの鉄門扉は、バラバラになって地に落ちている。頑丈な金鎖と、南京錠もろとも、だ。


「……この鉄門扉の断面、斬撃を受けた跡だな」


 フィリップさんはそのバラバラに切断された鉄門扉の残骸を冷静に分析し、俺に放り投げる。俺がそれをキャッチして、その丸い断面を覗いてみた。その断面は、どこかで見た斬殺死体と同じように気持ち悪いほど綺麗な断面を見せた。断面は……錆びてない。照明魔術を跳ね返す銀色が顔を覗かせている。斬られてから少なくとも一ヶ月は経ってないだろう。もしかしたら、一週間も経過してないかもしれない。場合によっては……ほんの少し前という可能性だってある。赤茶けた錆が手に張り付き、気持ちの悪い汗と混じる。


「ええと、僕が見るに、ここは滝沢神社ではないと思うのだが、違うかね」

「そうです、滝沢神社があるのは東門。だけど、ここは南門だ。現在使われていない区域のはずだ」


 ここ南門から見えるのは滝沢神社の大きな祭具殿。つまり、毎年修復の行われている滝沢神社本殿ではない。そんな場所に、灯りが必要なわけが……無い。

 

 祭具殿内の灯りが揺らめく。

 そして、全く嫌な話だと思うが……聞こえるのだ。

 何かノイズのような、人の声が。


 フィリップさんは引き攣り笑いをして親指で祭具殿の方を指す。どうやら侵入するらしい。マジかよ。


「さて、俺が臨戦体勢に入るからある程度安心して、リラックスして歩いてくれよ。下手に気ィ張ると動けなくなるからな」

「そりゃあ心強いボディガードですこと……」

「これでも、世界最大の魔術権威ですからね」


 自画自賛もいい加減にしたらどうだ。そもそも第一回魔術リサーチ大会には世界最先端の魔術技術を有する港元市は参加してない。過去に俺はあの市でとんでもない魔術師と遭遇している。天候を操ったり、影を支配したり、中性子をばら撒いたりだとか。

 それでも、やはり魔術権威と自称するこの男の力は俺より何十、何百倍もあることもまた自明の理だ。ありがたくボディガードとして頑張ってもらおうか。

 フィリップさんは手を半開きにしていつでも魔術を扱えるように体勢を整え、俺たちは頷き合う。ゆっくり、ゆっくりと滝沢邸内の砂利道を進み、無理矢理に開放された南門を通って滝沢神社祭具殿に向かう。

 じゃり、じゃり、と俺たちの足音の他に気味の悪いノイズが耳に入る。絶対、人の声だ。しかも、男女……複数だ。祭具殿に近づくにつれ、聞こえるはずのない声が確実に耳に入り込む。大人と子供の声か。いや、子供の声ではなく、子供の泣き声がノイズのように響いている。

 そこで耳に何か違和感が生じ、フィリップさんが口を開かずに言葉を発する。いわゆる、テレパスというやつだ。個人的な話だが、テレパスを始めとした念力系の魔術は全体的に苦手なのだ。だから、聞き役に徹する。


『聞こえるかな、衛紀くん。聞こえるならその場で変顔をしてくれ』


 俺がフィリップさんの鳩尾に肘鉄を一発入れるとややにやけたフィリップさんはテレパスを用いて話を続ける。


『いやあ、もしかしたら、斬殺事件対策として村人があの大きな祭具殿に集まって避難しているだけじゃないかなあ……とも思って』


 ……なるほど。確かにその考え方はありかもしれない。寧ろ合理的だ。村人の全員を一つの場所に集めることで犯人からの攻撃を避け、村人同士で監視し合うことも出来る。内部は疑いの視線で満ちていたりして居づらいかもしれないが、まずその場で犯行が起こることはないだろう。仮にも起きてしまえば……それはもう村人の全滅を意味するが。

 だけど、やっぱり先の県警と新聞記者の殺害や南門の鉄門扉の残骸からはどうもそんな安直な意見は思い浮かばない。何か……闇が蠢くような、胸に嫌な予感が犇めく。気持ちの悪い脂汗が妙に寒い春の夜風に冷やされて、背筋がぞくぞくしてくる。

 そこで、次にまばたきをすると、視界は真横になっていた。

 祭具殿や鬱蒼とした林、雲に隠れた月が真横に存在している。祭具殿自体が垂直にブッ倒れることはないだろう、俺自身が横に倒れたのだ。

 気が付くとフィリップさんが砂利道の横の鬱蒼とする林の内側に引き込んだのだ。顔に木の枝がバシバシと当たる。

 これ、めっちゃ痛いから! っつーか、何をするんだ……!


『誰か……来るぞ』


 ごとり、と音を立て。

 フィリップさんのテレパスの内容を全て聞く前に祭具殿の扉が開く。

 やはり、村人の避難だなんていう生易しい考えは、妄想であった。

 そこから出て来たのは……!


「な、何なんだあれは……!」

『馬鹿、声を出すなッ!』


 隠れているという事実を忘れて俺は声をあげる。フィリップさんの注意もただ耳を滑った。彼の存在なんてもはや感じる余裕は無かった。視線だけじゃない、全神経が祭具殿から出て来た人間たちに向けられる。

 あれは……異常だ。明らかにオカシイ。別に死体や骸骨が飛び出して来たわけじゃない。みんな生きている人間だ。生きているからこそ、異常で、狂っている。

 祭具殿から出て来たのは大人の男と、子供。子供は男も入れば女もいる。全員、真っ白い服を着ているのが辛うじて分かる。男児はランニング、女児はワンピース。動きやすそうな服装だ。大人たちは玲華の父さんが昔着ていたような白い袴だ。辛うじてと言ったが、別に、暗くて彼らの服が分からないというわけではないのだ。というのは、白い服が別の色で染め上げられているからだ。


 それは、赤。

 つまり、血。


 大人も子供も、全員血塗れだ。血の沼で泥んこ遊びでもしたんじゃないかってくらいだ。全身血塗れでも、彼らにも各々の特徴がある。男児はその口元からだらだらと赤黒い血を流し、顎が外れてしまったかのように口を無気力にぱくぱくさせている。また、女児は足下から鮮血をぽたぽたと滴らせ、その目には何の光もなく死んだように大人たちに付いて行く。

 彼らに比べて血の付着していない(それでも異常だが)大人たちは血走った目を小学生くらいの子供たちに向けて何か怒鳴りつけている。はこ、はこ……箱、と言っているのだろうか。とりあえず、大人たちは子供たちにそんな言葉を浴びせているように聞こえる。何の事かはサッパリだが。

 子供たちは大人たちに無理矢理先導され、それに続いて林の奥に進んで行く。ノイズのような音は、何も子供の泣き声だけではなく大人の怒鳴り声も含んでいたようだ。

 ごとり、と再び堅い音がした。

 目をそちらに移すと、祭具殿の重い扉を熊のような大男が閉めたのだ。


「…………ッ?!」


 血。

 血の海だ。

 一瞬、見えた。

 熊みたいな大男が辺りを警戒しながら閉めた祭具殿の中を。

 祭具殿の中で揺らめく蝋燭の灯りが吹き消されるその瞬間を。

 床は勿論のこと、赤黒い壁にまで鮮血がべたりと塗り付けられていた。赤黒い壁自体はもう何年も人の血を吸い続けていた事実を俺に突き付ける。一瞬の出来事だが、もうその一瞬の光景が頭にカビのようにこべり付いて離れない。瞬間の映像が永遠に脳内でリプレイされるような感覚だ。

 俺はあまりの惨めさによって生じた吐き気を押さえ込み、フィリップさんに視線を向ける。彼はその光景を見ても動揺せず、静かにその指を血塗れの人間たちに向ける。正確には、その血塗れの人間たちの内の大人の、手だ。大人たちの無骨な両手には物騒な銀色と赤色の輝きを放つモノが握られている。

 右手に鋸、左手に鉈。両方の刃物は、明らかに人間を切り付けた痕跡が赤黒く張り付いている。つまり、数人の大人が刃物で子供たちを切り付け、無理矢理歩くように脅しているのだ……!


「た……助けないと」

『今は危険過ぎる。子供まで巻き込まれかねない。特に幼女たちは絶対に動けないぞ』

「だ、だからと言って今にも死にそうなガキを放っておけるものか。虐待だぞ! 犯罪だぞ!」

『おい、衛紀くん。一つ面白く無いことを教えてやる。幼女たちは足から血を流しているんじゃない』


 俺がフィリップさんのテレパスを聞きながら女児を先程より注意深く観察する。血の気が失せた幼い顔立ちに真っ赤なワンピースに身を包む少女たち。その双眸に一切の光はなく、ただ虚空を秘めている。何と言うか、今にも死にそうな身体を無理矢理生かさせているような感覚だ。まるで、玲華が……彼女の小さな体躯で無理矢理激しい動きをさせているような……。

 控えめ、というよりは未だに成長してない胸は彼女たちの幼さを強調しており、幼女特有のお腹のふくらみのようなものも目に付く。そして……そのまま視線を下に向け……!

 あの祭具殿で何が起きたか、その断片を知る。


「……ッ…………ぐっ」

『吐け。我慢するな』


 俺は血の海を見ても我慢出来た吐き気を感じ、感じた時は既に胃の中身をぶち撒けていた。フィリップさんは俺の背を擦りながら、様子を確認している。

 俺の身体が少女たちを見るのに拒絶反応を示したのだ。正確には、少女たちの股から脚にかけての辺りだ。そこが、フィリップさんの言う幼女が血を流している所だった。


『破瓜による出血だよ。気分の悪い話だろう? 何もジャパニーズエロゲーのヒロインみたいに必ずしも破瓜による出血は起こるものではない。特に、あの量は。だから、これは……余程乱暴にしでかしたのだろうな』

「おい、ロリコン野郎。アイツらもお前の仲間か?」

『まさか、何を言うか。イエスロリータ、ノータッチの原則を守らない奴は、極刑だ』


 異常な人間の群れがそのまま滝沢邸内の西へ向かう。今にも死にそうな子供たちは糸に吊るされた人形のように無理矢理歩かされていった。もう、俺たちの声が彼らに届くことは無いだろう。俺は水中から顔を出した時のようにありったけの酸素を吸い込み、吐き出す。身体中に溜まった負の空気を吐き出す。


「何なんだアレは!? もはや斬殺事件の域を超えているぞ!」


 目の前に広がっていた光景が真実かどうかがおぼつかない。タイムスリップしてしまったとか、別の国に瞬間移動してしまったと言われた方が納得出来る。たとえ、ここがどんなに山の奥で、電車が通っていなくても、ちゃんとした道が無くとも、ここは日本の中だ。二十一世紀の日本だ。それなのに、あんな、人権を無視したような事が……行われていただと。もはや、当初の目的である斬殺事件や玲華のことなど頭からすっぽ抜けていた。

 フィリップさんは苦々しく頷き、途切れ途切れにその口から言葉を漏らす。


「田舎特有の風習というヤツか。衛紀くん、あれは虐待じゃなくて儀式だよ。忌まわしいかもしれないが、彼らにとってはきっと真剣に行うべきことなんだ。僕は別に彼らを擁護するつもりはないが」

「風習? 儀式? 未だにそんなものがこの時代に残っているっていうのか? いや、それは残ってはいるかもしれないが、あんなのはないだろう! あんなのは!」

「ああいうのも残っているものだよ。俺も色んな国の地方で様々な風習を見て来たよ。……まあ、ここまで惨たらしいのは初めて見たが」


 馬鹿な。ありえない。ここは二十一世紀の先進国日本だ。そんなカビ臭い風習なんてあるものか。だが、この目で見てしまったからには仕方ない。それはもう、ある、としか認識するしかない。

 フィリップさんは申し訳無さそうに顔を俯けて問う。


「僕は彼らを追うが、君はどうする? とは言え、斬殺事件の犯人が不明な以上、君を一人にはしておけないのだが……」

「追うよ。まだ、俺は玲華を見つけていない。俺の都合でアンタには迷惑かけないさ」


 ……まだだ。まだ、行ける。当初の目的を、忘れるな。

 確かに恐ろしく目も背けたくなる儀式に直面したが、今一番の問題は斬殺事件と玲華の関係性だ。そのために俺はこんな斬殺事件の舞台にワケの分からん男と共にやって来たのだ。

 それに、この忌まわしい儀式も斬殺事件に関係しているかもしれない。俺はフィリップさんや玲華のように魔術で誰かを守ることは愚か、身を守ることすら適わない。だから、せめて、この目で全てを見てくるんだ……!


「よし。それでこそ衛世さんの息子だ。大事なのは魔術の腕前なんかじゃなくて勇気だ。さて、先を急ごうか。そうしないと、取り返しの付かないことが起きそうだ」


 俺たちは身を屈めて、西の林に進んで行った血塗れの人間たちを追う。照明魔術を弱め、血塗れの人間たちに気付かれないようにする一方で、この村のどこかにいるであろう斬殺犯にも気を配る。なかなかハードな事態だが、世界最強の魔術師はそれを難なくこなす。

 しばらくすると、俺たちは血塗れの集団に追いつき、警戒しながらも接近していく。だが、集団を率いる大人たちは皆、目を血走らせ、焦躁しているようだ。こちらに気を配っているような様子は無さそうで、刃物を振り翳し、子供を歩かせている。沢山の刃物は雲に隠れてしまった朧月の柔らかい光を無理矢理に邪悪な光にして跳ね返す。

 林はより鬱蒼とし、進む度に水の音、川のせせらぎの音が近づいてくる。だが、この辺まで来るとせせらぎだなんて言う風流めいたものではなく、ただの轟音だ。この距離でも大自然の迫力に脚が震えてくる。

 轟音が近づくにつれ、フィリップさんが顔を顰めていく。滝沢邸の大きな西門を超える辺りで彼は尋ねた。


「衛紀くん。この敷地を抜けて、西門を出ると何があるんだ? まさかとは思うが……川じゃないだろうね」

「……ああ。ご明察、大きめの川があるよ」


 滝沢邸の西というのはこの小さな村の最西端に位置し、そこにはやや大きめな川が流れている。それは九頭龍川(くずりゅうがわ)という川で、その川の始まりというのがこの村の最北端にある大きな湖、九頭龍湖(くずりゅうこ)だ。その九頭龍湖というのは、先に述べた焼け落ちた果処無神社の先にある大きな湖のことだ。変わった名前だが、どうやら由来となる伝説や伝承があるらしいが、俺は余り知らない。昔、玲華が昔話みたいな感じで教えてくれた気がする。

 湖から流れる件の川の流れも場所により強く、底も深く、湖の底で冷やされた水が流れているが故に、非常に冷たい。溺れたら間違いなく冷たい身体となって引き上げられることだろう。この辺では有名な自殺の名所というやつだ。

 そして、このまま西に歩き続けてぶち当たる九頭龍川は、狙ったかのように流れの最も早い危険区域だ。昔はよく玲華とこの辺に探検に向かおうとしては真面目な彼女に止められたものだ。

 フィリップさんは顔を青ざめて歩みを早くする。どうやら、何か良くない事態を予見したようだ。俺たちはバレないように川沿いの林の中に潜む。まあ、焦躁し切った奴らにバレることはないだろう。

 果たして視界は林から再び砂利道に戻り、目の前には大きな音を立てる川が一筋流れている。例の九頭龍川だ。日のある内に見ると大迫力な自然を感じさせる美しい川なのだが、夜の川は恐ろしく不気味で、真っ黒な流れだ。まるで、墨汁を上流から流しているかのような印象を与える。そこに留まることの無いひたすらの轟音が響き、俺に負の印象を投げつける。

 追いかけていた血塗れの集団は立ち止まり、大人たちが何か呟いているが、川の轟音で聞き取れない。


「呪詛……詠唱を行っているんだよ。何かしらの神の名の下に施行されている運勢魔術だよ。何かの機運を上げているようだが、要はお祈りみたいなもんだ」

「お祈りは分かったが、何の神だよ」

「知るわけないだろう? 川の音で聞き取れないし、ここは八百万の神の集う日本だろう? 特定出来るわけないじゃないか……」


 フィリップさんは悔しそうに舌打ちをして眺めていた。彼がいかに世界最強の魔術師といえども、その力は世界レベルというマクロ的な見方の元に立脚している。だから、村独特のカビ臭い魔術や呪詛などというミクロ的な見方が出来ない。彼はそういう世界では生きていないのだ。

 川の畔では、例の運勢魔術の詠唱、もといお祈りを終えた大人たちが子供たちの後ろに回り、刃物を向ける。意味や目的などはサッパリ分からないが、大人たちのしたいことは分かった。正確には、子供たちにさせたいことだが。


 儀式、という語が脳を掠める。

 風習、という語が脳に現れる。


 いや……これはそんなものじゃない。

 これはただの、川を泳げ、という自殺強要みたいなものだ。

 早く、早くしないとマジでガキどもが真っ黒な川に突き落とされてしまうぞ。

 フィリップさんはその場で魔術を起動しようとするが……その作業を止めた。


「な、何で止めた!」

「あれは……」


 フィリップさんはその指を宙に向ける。

 俺はその指の先にあるものを見て息を呑む。

 視界の端ではギラギラと赤黒い輝きを跳ね返す刃物が、今にも死にそうな子供たちに向けられ……。


 一人の巫女が舞い降りる。


 その巫女服を纏う少女は闇のように黒いセミロングを揺らす。

 そして、意を決したような堅く強いサファイアの瞳を開く。

 川べりの石を巻き上げ、現れたあの少女は……!


「れ……玲華!」


 闇に現れた一点の紅が周囲の意識を引きつける。俺やフィリップさんだけでなく、死にそうな子供たち、刃物も携える大人もその劇的な映像に唖然とする。

 彼女が現れたのは川べりと今にも死にそうな子供たちの丁度ど真ん中。彼女の堅いサファイアの瞳は血に染められた袴を身につける大人たちに向けられる。これは、明確な対立構造だ。

 しかし、フィリップさんが言ったように子供たちは彼らだけでは逃げられないはずだ。一体、玲華はどうやって彼らを助けるつもりなんだ。


 だが、その答えは知るべきではなかった。

 玲華が二、三語、大人たちと会話すると、玲華が悲しそうな顔をした。


 そして、一閃。

 それに続いて、また、一閃。


 大人たちは一刀両断されていった。一閃が絶え間なく瞬き、大人たちは崩れ落ちていく。次々、次々と切断されていった。無慈悲に、無感情に。

 助けを求める叫び声や、怒りに身を震わす罵声、様々な音が怒濤の渦となり、一閃と川の轟音によってかき消されていく。彼らの懇願の声を聞いても、斬撃は留まらない。その斬撃はただの道具のように冷徹な裁きを下す。


 真っ黒な川と真っ赤な血。

 黒と赤。


 それだけがこの世界で存在する色だった。


 子供を取り囲む大人たちはまばたきをする間に一人、二人と減り、三十秒もしないで全滅した。大人たちは綺麗過ぎる断面を残して血潮を吹き上げ、時にはただそれを垂れ流す。気が付けば、そこらに転がっている塊は、どこかで見た斬殺死体と全く同じだった。


 どうして、こうなってしまったのだろう。

 玲華に抵抗する者は誰一人としていなかった。

 いや、そうではない。抵抗など、出来なかったのだ。


 それだけの力が、彼女にはある。玲華が刀剣を振るうどころか、その位置から動くこともなく、刀さえも持っていない。何のモーションも無く、顔を変えること無く、彼女はただ、見えない刃を振るったのだ。

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