LVNH//O//2038/04/14/21/19//TE-01/2021/05/22/FCE
「も、申し訳ございません、ご主人様! やはりこんな事ではご主人様のお怒りは収められません! どうか、どうか、お仕置きを、蹴って下さい! 踏んで下さい!」
「あー聞こえない聞こえない。あー。あー。あー。聞こえませーん」
彼女、言うまでもなく我がキレ者メイドのルナによる手に汗握る怒涛の土下座ラッシュだ。彼女の余りの躍動感と洗練さに米国のブロードウェイミュージカルさえも霞む気がする。いや、ニューヨーク市マンハッタン区どころかアメリカ自体に行ったことなんてない。
あ、でも、その昔に仕事でアメリカには行ったことがあるかもしれない。まあ、どちらにせよミュージカルなんて映画でさえも観たことがない事に変わりはない。全く知らない。
対して呆れた俺は、先生の話を聞かない出来の悪い小学生のように耳を塞いだり開いたりした。これ、便利だし不思議な音がするから面白いよな。
俺は授業が本当に眠すぎて教師のありがたいお話を聞いていられない時は意図的にこのテクニックを用いて眠気を払ったりしている。手の平の開閉リズムを調節したり、閉じ方自体を変えてみたり、外界の音との関係性を聴き比べたり、実に興味深い。まあ、結局起きてはいても耳に入るのはこの不思議な音だけで、教師の話は入って来ないんだけどな。
土下座玄人はご主人様の救出が遅れたこと、我が肢体の寛解が行えないことについてひたすらの謝罪を繰り返しているのだ。確かに、彼女の用いた第Ⅱ種魔術群の『毒蛇粉砕』の効力は麻痺に対しては序盤は良かったものの、最終的にはイマイチな効きだった。未だに身体の節々や首の辺りにヒリヒリとした痛みを感じる。まあ、首の痛みは麻痺ではなくて、あのチキンに混じった黄金の破片のせいかもしれない。お昼は首の外側を、夜は首の内側を裂かれてしまったからな。
しかし、麻痺が完全に治らないのも仕方がないのだろう。そもそも『毒蛇粉砕』は毒消しの魔術であって麻痺の解除を主眼とした魔術ではない。体内の毒が如何に麻痺を引き起こしていても、その麻痺自体は上手に消せないようだ。加えて宗教を軸に据えた第Ⅱ種魔術群の魔術はその宗教への理解が深い程魔術の効果の命運を決める要素が強く、ルナが言うには彼女は別段クリスチャンでもないらしい。世界に対して閉鎖し切った愚鈍の俺からすれば、信仰の程度は違えど金髪の西洋人は誰しもがクリスチャンだと思っていたから意外でしかない。彼女曰く、「神様はご主人様」だそうだ。
「ご主人様がせっかく有りっ丈の魔力を用いてこの私めにホグタイの手解きをこの身体に直接ご教授なされたというのに……。私はそんなご主人様のありがたいご恩を解いてしまったのです。申し訳ございません」
「ホグタイなんてお望みとあらば光速でもう一回してやるから、玲華が風呂入るまで黙っていろ。本日何度目の注意かは忘れたが、俺が独り言をのたまわっていると勘違いされるだろうが」
滝沢玲華、な。
俺は便所での死闘の後、血肉と吐瀉物塗れの口を濯いで、玲華の鎮座するキッチンとダイニングが合体した部屋には一切顔を出さずに自室に戻ることにした。それ故に、俺は彼女がどういう意図を持ってこんな暴挙に出たかまるで理解出来ていない。
果たして俺がアイツに何か気に障る事をしたかは知らんが、結局、あの後も大して玲華がトドメを刺しに来ることも無かったし、いつものスキンシップの延長線上だと考えるのが妥当じゃないか。お昼には首を数センチ切られたくらいだ。
しかし、お昼のようなスキンシップみたいな何かがあったとしても、コレはやり過ぎだと思わざるを得ない。俺の被った損失は喉、食道、及び胃(もしかしたら腸も)の物理的損傷(全部治ったけどね!)と四肢、若しくは身体に走る神経の麻痺だ。それからルナに施したホグタイが解かれたということか。
俺は玲華からこんな度が過ぎたスキンシップは一度も受けたことがない。今日のは異常だ。何たって、俺の不死性を帯びた身体の自由を呆気なく奪う方法を彼女はやってのけたのだ。
俺の身体はいかなる手段を持って損壊させても、それが一般人にとって致命傷であったとしても、この不死性の前には無に等しい。しかし、麻痺や催眠といった損壊を伴わず、かつ死へ導かない遠回しな攻撃の類は別なのだ。って、この話は少し前にもしたっけな。先ほどの混乱を未だに引きずっているらしい。
この俺、強い不死性を持つ藤原衛紀は確かに死にそうな経験(死なないが)は恐らく世界で一番経験している自信があるが、人生で一番追い詰められたのは、思い出せば白く寂しい個室でのあの瞬間だったのではないか?
それに何かの間違いだと信じたいが、一片のこらず便槽にぶち撒けたあの金属片はどう考えても玲華の『神をも断ち斬る苛虐の鎌刀』の破片以外には考えられない。あの金色の輝き、間違いない。
何より、そんな物的証拠以上にアイツの闇が口を開いたようなサファイアの瞳が全てを物語っているように感じる。
やはり、あの女は……。
「玲華様は剣だけでなく、刀もお造りになられたのですね。私、てっきり玲華様は剣以外の刃物は生成出来ないと思っていました。ご主人様は玲華様の我的魔術について何かご存知でしたか?」
「話を逸らすんじゃないぞ、ルナ……。というか、剣と刀なんてそんな区別する必要は無いだろう。叩くことがメインだとか、斬ることがメインだとか、刃の位置とか、そういう厨二病の知識だとか以前に、所詮、刃物は刃物だろ。そんなのどうでも良いわ。それに知っているか、ルナ。あの女は刀剣の魔女という異名を持っているんだ」
「そうなのですか……? 私としてはそれなりに注意を払う点だと思いますが……ご主人様がそう仰るのであれば構いません。大変失礼致しました」
俺は玲華への黒き疑念をルナの可愛らしい雪のように透き通る肌を見て忘れようと試みた。雪のような透明感のある肌には健康そのものの朱色が微かに浮かんでいる。雪のような白と微かな朱色、ウサギかな?
麗しき西洋肌を眺めていると水中に沈めた風船のようにぷかぷかと浮かんできたルナのぴっちぴちのバニー姿(主にそのお尻)の妄想に俺は数分激しく程没頭し、悩んでいた事に対して唾棄することが出来るようになった。そうだ、幼馴染の俺に毒物食わすとか最低な女だよな。あんな女は早く港元市に引っ越してしまえば良いんだよ。何を悩んでいるんだ。
そんな悪女は現在入浴直前。アイツは長風呂だからな、一時間近くは上がってこないだろう。即ち、この後は俺とルナだけの最高の時間が待っているのだ。だから、今アイツの事を考えるなんて馬鹿馬鹿しい。時間の無駄だ。省略。端折れ端折れ。あんな女よりも今優先すべきことがあるはずだ。
「さて、ルナ、良い加減俺に教えてくれ。港元市の魔術師から掻っ攫ってきたあのUSBについて、だ」
部屋に置いてある引き出しの右から数えて三つ目、部屋で一番大きいその引き出しの上から数えて七段目、その引き出しの段を区切るお菓子のプラスチックのケースの右から数えて九区画目、輪ゴムで束にした形状や容量のそれぞれバラバラのUSBメモリの上から数えて一個目のUSBメモリを摘んで取り出す。
青いストライプの入ったメタリックな銀色の薄っぺらい板は、港元市の魔術師が取引材料として提示した我が父親藤原衛世に中身を調べさせようとしたデータが入っている、と思われるUSBメモリだ。
何度でも声を大にして言いたいが、これはあくまでも港元市の魔術師側の提案した取引材料だ。その取引を臆病さ故に破綻させた俺が本来は持っていてはいけないものだ。臆病、とは正確な言い方ではなかったな。いや、間違ってはいないが、正確にはルナが取引を中止するように指示したのだった。
俺は麻痺の残る脚を摩りながら無骨な黒いデスクチェアにどしりと腰掛け、本来ここにあってはならない代物をひらひらと振ってメイドに説明を求める。
「ご主人様、僭越ながら物申させていただきます。やはり彼女たちと取引をなさるとなりますと、我々は彼女たちに対してそれなりのハンデを背負うことになります。加えて、あちらにとってこのUSBの中身はあくまでも彼女らの『例外』のたかだか一つに過ぎません。ですから、このように非道徳的な手段を用いない限り、取引はとても釣り合いません。取引は平等である時のみ行うべきです」
「し、然り……。確かに、相手が取引で失うべきものと、こちらが取引で失うべきものには大きな差がある。だから、むやみやたらに手の内を晒すわけにはいかない。うん、一理ある」
控えめに言わないなら、百里あると言いたい。
確かに取引とは平等であるべきだ。港元市の魔女たちにはただでさえ恐ろしい程の戦闘力という大きなアドバンテージがある。加えてこちらの持つ限りなく少ない情報を与えたら港元市の魔女たちへの抵抗が一層困難になる。あの馬鹿みたいに巨大でコンクリートさえもぶち抜く氷塊や、驚異的な魔眼によるアンチマテリアル弾の攻撃……あんな化け物にまともに立ち向かえるはずがない。
ルナの戦闘力自体は未知数だが、流石の彼女でも港元市の魔術師には勝てまい。とりわけ市内第四位の魔女には。
しかし、それでもやっぱりルナの状況判断力や行動力には頭が上がらない。この優れたメイドの上に立つべくご主人様としての面目や威厳が無さ過ぎて恥ずかしい。俺のプライドがビリビリと音を立ててあっさりと引き裂かれる。悔しい、悔し過ぎる。
「それならそうと、あの場で教えてくれれば良かったものを。お前がその辺をしっかり教えてくれりゃあ、俺は何の情報も得ずに逃げてきたとぐだぐだと反省しなくて済んだのに……。なあ、さっきまでの自己嫌悪的反省会の意味を教えてくれよ」
「それは大変良かったです。ご主人様のお悩みを取り払うことこそご主人様専属メイド、ルナの務めでございます。今後ともどうぞ心行くまでお使い下さい」
「はいはい、反省するの止めます。良く分かりました」
反省心を抹消して白紙に帰った有りのままの藤原衛紀。ルナの助力によって、彼は邪魔なだけの鉄球の取り付けられた足枷を解き放ったのだった。
はは、それにあの女は俺に「どいてくれ」と言ったんだから、あの女をあの場に置いていったことに何の反省心も、何の罪悪感も抱く必要などない。あるもんか!
***
「というわけで、早速、コイツを調べさせてもらうかな。そのためにわざわざ衛世の相棒を用意したんだから……っと」
「これでようやく、衛世様がご主人様に託されたTwitterアカウントやUSBの中身が分かるのですね」
俺はベッドの下に忍ばせていた衛世の相棒を机の上に乗っける。階下からのキィーッと老朽化した風呂のドアの開閉音から察するに、滝沢玲華が風呂に入った音だろう。もうコイツを開いても大丈夫な頃合いだ。
衛世の相棒、それは衛世の竹馬の友であるフィリップさん……ではなく(彼の本名って何なんだっけか、ロクに覚えてない。哲学者のような名前だった気がする)、彼の所有する戦蓮社村にも一台しかないと思われるパーソナルコンピュータだ。
夕食の前、『暁月の環』による「絶対に存在しない」というありがたい運命宣告を食らった衛世の置き手紙を玲華に探させている間に、こっそりと我が部屋に持ち込んだ父の遺品の一つだ。絶対に存在しないものを探してくれていてありがとう玲華、良い時間稼ぎとなったぞ。
横幅三十センチ、高さ十五センチちょいくらいのサイズで、全体は銀色という世界から見れば割りかし普通のノートパソコン。だが、父のパソコンの問題はありきたりな外見ではなく、異常な程ハイスペックな中身の方だ。
異常な程ハイスペックというのはそれもそのはず、彼はどこかでパソコン本体を買ってきたのではなく、わざわざパーツの段階から組み立てたいわゆる自作パソコンというヤツだからだ。俺は余りパソコンに詳しく無いのだが、OSというものまでも自分自身で作ったらしい。
自作OSを含めて一ヶ月足らずで自作パソコンを完成させた衛世自身は世紀の大発見と喚いていたが、悪友の燎弥が言うには実は自作パソコンは初心者にも意外に作れなくもないとの事らしい。俺はそれにちょっとだけ凹んだ。
あれは確か……俺が港元市にまだいた頃、確か八年か九年程前に衛世が徹夜で作成していたのだ。彼の製作への集中と言ったら、大袈裟だとは自分も思うが、まるで命を賭けてまで打ち込んでいたように思える。そして、自作パソコンが完成した時の衛世の発狂と来たら、彼の人生で一番輝いていた時期かもしれない。全く、あの男は一体何に命を賭けていたんだか……不思議な男だ。戦蓮社村に引っ越して来てからも、ここから一時間ちょいかかる小田原市までパーツを買いに行っては度々整備をしていたものだ。
俺はそんな楽天家藤原衛世自慢の自作パソコンを立ち上げるために電源ボタンを押し込む。柔らかい緑色の光が電源ボタンに灯り、パソコンの真っ黒い画面に光が灯る。この黒い光ってなかなか不思議な現象だよな。黒いのに光っているんだぜ?
「ルナ、衛世の防水メモをここに持ってこい」
「畏まりました、ご主人様。こちらが衛世様の遺した防水メモです。なお、防水メモに貼り付けてある計三九枚のバナナのラベルも綺麗にお剥がしさせていただきました」
「さ、三九枚もバナナのラベル貼ってあったのかよ。三九でサンキュー、ってか? あの野郎……。あ、それと、衛世の携帯電話は見つかったか?」
俺の右斜め後ろに赤基調の和服と、袖元の金色の桜の刺繍が風流なメイドのルナが静かに佇む。安っぽい俺の部屋の照明をもったいないくらい美しく反射させる金髪には桜の髪飾りが付いている。
ルナは律儀に頭を深く下げ、またしても大口径の銃口からUSBメモリや衛世の遺した防水メモ、他にも血で書かれたという呪いのお札まで取り出す。もう、その大口径の魔銃が来ても驚かないからな。
って、お前、その呪符まで奴らから掻っ攫ってきたのかよ。その全体性が云々とかいう呪符、一枚だと一パーセントどころか、それ以下の効力しかないとかいう雑魚さだぞ。持っている価値が無いどころか、何処の誰とも知らぬ者の血液で書かれているとか相当部屋に置いておきたくない代物だ。
効能自体も脳内麻薬と呼ばれるβ-エンドルフィンとかの異常な程の放出とかいうなかなかに怪しい代物である。ミイラの臓器の詰め物であるカノプス壺並みに置いておきたくない。
俺はその乾いて褐色に変色した血液で書かれたアルファベットのような文字を見ると、昨晩見た血塗れの少女の細い太股を流れる赤い線を思い出して吐き気を覚えるが、もう吐けるものなんて胃液くらいしかないことにも気付く。
「しかし、衛世様の用いていた携帯電話は見つけられませんでした……。お許し下さいませ、ご主人様」
「そうか……。まあ、良いや。このパソコンで父さんのアカウントでTwitterにログインすりゃあ良いんだろう。携帯だろうとパソコンだろうとどうせ同じことだ」
それでも、衛世の携帯がないのは厄介っちゃあ厄介だ。何せ俺自身が今、持ち運び可能な通信機器を何も持っていないのだ。衛世の携帯が残っていれば、俺が使おうと思っていたのだが。
我が困った和服メイドも、ようやく、と言ったように、今日一日スマホが無いだけで非常に惜しいことをしたものだ。まず、暇だらけの河川敷の散策の際にスマホがあれば衛世のTwitterアカウント(クッソ痛々しい厨二ハンドルネームのアレだ)なんていくらでも調べられたのだ。
更には、ピーピングトムのにゃん写速報だって燎弥に色々とやかく言われる前に調べられたかもしれないのだ。この時間の損失は、非常に痛い。世の中が如何に情報社会に変わっているかを痛感するも、この世が情報社会化しているのなんて一世紀も前からそうじゃないか。そう思うと、この関東地方の外れに産み落とされた田舎がどれだけ一般的に世界と呼ぶ存在から置いてきぼりになっているかが分かる。田舎最高。
とは言え、情報機器欠如のままではこの先厄介だから、明日は朝っぱらから衛世が自作パソコンの整備をしていたみたいに小田原市まで行って携帯の部品買い集めて修理してやるか。『暁月の環』があれば俺のような素人でも携帯の修理なんて楽ちんさ。多分ね。
「んと……先に問題のUSBから覗かせて貰うか。全く、舐めてくれるよな。港元市ではUSBメモリだなんて有って無きが如き物体だっていうのに」
「矢吹様が首元に付けていたPHC、マスターフォンのことですね。かの帝国は素晴らしい物をお作りになりますね……。アレさえあれば、我々がパソコンですることもマスターフォンのみで出来ますからね」
「あの市と百年くらい科学技術で遅れているって悔しいよなあ……。でも、そんなこと言っても仕方ないな。日本人は日本人らしくUSBとパソコンでデータを閲覧しますよっと」
俺がUSBメモリの先端のキャップを取り外し、パソコンの横にある受け入れ口に差し込もうとして、気付いた。このパソコン、先ほどのブラックスクリーンからろくに立ち上げ作業が進んでいないのだ。
ブラックスクリーンの左上端には「>」という白い半角の不等号が点滅しているだけでそれ以外の変化は何も見られない。プロンプト、と言うのだっけか、コレ。まるで、その半角の不等号記号がここから先への進行を妨げているようだ。邪魔者め。
まさか、故障じゃないだろうな。俺、壊してないからな。電源ボタンを押しただけだからな。いや、ちょっと待て、おかしいだろ、昨日は衛世がフィリップ大総統の成り済ましをしている変な仲間と共にパクツイを世にばらまいていたはずなのだが。
おいおい、マジかよ。俺の携帯に代わると思われた父のお気に入り自作パソコンも壊れているとなると打つ手無しだぞ。この村にパソコンはこの一台しか無いだろうし、スマホを持っている村人なんて俺が知る限りクラスメイトの燎弥だけだ。
俺が焦って燎弥に電話を掛けようとスマホを取り出すも、コイツこそ既に溺死していたのだ。しかも、スマホではUSBの中身が閲覧出来ないことに後から気がつくというこのお馬鹿振りだ。焦り過ぎだろう。
しかし、俺が焦りからパソコンのリターンキーをスパーンと昨日の衛世のように決めてみると、点滅している左上端の不等号から白い英字と記号が躍り出た。不等号の点滅は止まり、その代わりに半角の括弧の内側に「|」という縦棒が出現し、点滅を開始した。これは文書作成エリアに現れるいつもの縦棒ちゃんじゃないか。
ん、ああ……そういうことか、分かったぞ。
> [OTS] Basic Code ( )
「なるほどな。これ、パスワードか何かしらのコードが要求されているのか。まさか、この段階で要求されるとはな」
「ベーシック、コード……ですか。こちらのメモにあるパスワードのことでしょうか? それと、半角の大括弧内の先頭三つの大文字の英字も不明ですね」
「ベーシック、コード。基礎コード、って事か? まあ、これは衛世の残したIDに混じる明らかに異常な大文字だろう……って『暁月の環』が言っていた」
『暁月の環』をパスワードやらIDの入力に使うだなんて、なかなかズルいことをしたものだ。これ、本当に倫理観を持っていない人間に持たせるとどんな事でもしちゃうだろうな。世界征服も夢じゃねえぞ?
というか、衛世こそ『統一協会』の中枢であるデータベースにハッキング出来たのって『暁月の環』のお陰なんじゃあないだろうか。何てこった、データベースの知識を握るだけで弱小国家は転覆させられるんだぞ、倫理観を失った衛世よ。
絶対的な力を持ち、運命を操作する宝具『暁月の環』に出来ないことなんてきっと無いのだろう。使い方が非常に難しいのと、加えて膨大な魔力消費を伴うのがたまに傷と言ったところか。お昼ごろに呑気に野草の名前を調べた時に分かったが、直接知識そのものを引っ張ってくる使い方では連続で三回か四回の使用が限度だ。
直接知識を引っ張ってくる使い方ってのは、アレだ。ルナや矢吹のバストサイズをメジャーで測ることなく知るという使い方だ。矢吹は何だっけ、確か九七センチだったっけな。
おおっと、我が親愛なる暁月先生、九七センチのバストのカップ数なんてわざわざ計算してくれなくても良いんだからな。勿論、ルナの八六センチのカップ数も計算しないでくれ。それに、和服のルナにブラジャーなど必要無いのだ。
……和服で下着は着けないとは良く聞くが、これは果たして男の生み出した妄想ではなく、真実なのだろうか。勇気ある女性や女装趣味のある男性は是非とも俺に教えて欲しい。
俺は画面の左上に表示された半角の括弧内に特定の文字、衛世の残したコードの内、小文字に混じる四文字の大文字を入力する。
というわけで、済まない、衛世。お前のパソコン、こじ開けるぞ。自分の罪が跳ね返ってきたと思ってくれ。でも、安心しとけ。エロ画像やエロ動画が残っていたとしても見なかった事にしてやろう。なんと親孝行な息子だこと。
> [OTS] Basic Code ( SKEI )
> [RFS] Clear
S、K、E、I。セ、キ、エ、イ。
衛世のTwitterのアカウント名である「隻影」に由来するんだか、その「隻影」の由来になっているだかの恥ずかしく痛々しい厨二系の語句だ。入力するだけで全身がむず痒くなってくる。
俺は『暁月の環』に指示された通りの大文字の英字を半角の括弧内に挿入し、リターンキーを叩くと、その下段に”Clear”の白い英字が即座に出現した。先頭の大括弧内の大文字英字は相変わらず意味不明だ。しかし、次に表示された”Clear”の英字、つまり、「クリア」ってことは衛世の自作パソコンの要求するベーシックコードだか基礎コードが正解だったというわけだ。『暁月の環』の知識の絶対性への信頼が増えたぞ。
「お、おおおお! クリアだ、クリア出たぞ! 流石は『暁月の環』の知識だ!」
「お見事です、ご主人様! あっ、あれ、ご主人様。下段にまた、何か出ましたよ……」
> [OTS] Basic Code ( SKEI )
> [RFS] Clear
> [OTS] Code for Levenah ( )
「ま、またかよ。しかも、今度は何だよ? コードフォー、れ、レヴェナハ? はあ……なんじゃそりゃ?」
「レヴェナハ、レヴェイナー、レイヴェイナ……読み方が分かりませんね。一体何のことでしょうか……。少なくとも、英語ではありませんね」
喜ぶのも束の間、”Clear”の段の更にその下、またまた白い英字と記号が出現しやがった。しかも、先頭の大括弧の中身はまたしても「OTS」。このパターンは先のベーシックコードが要求された時の英字と同じだ。半角の括弧内で縦棒が点滅しているのも同じだ。
ここまで来て思い付いたが、[OTS]と[RFS]、完全には解読出来ないが、「O」と「R」、「T」と「F」はそれぞれ対立し合う概念だろう。
具体的に言うと、先頭の「O」と「R」はそれぞれ"order"と"respond"、真ん中の英字「T」と「F」はそれぞれ"to"と"from"のはずだ。俺がベーシックコードという命令をパソコンに向かって送り、それに対するクリアという返答がパソコンから帰ってくる。おおよそ、こんなところだろうな。末尾の「S」は知らん。
コードという英字があることもそうなのだが、つまり「O」と「T」が記されているということは、また何かしらのコードが要求されているらしい。
ルナが言うに、"Levenah"という語はどうやら英語ではないらしい。確か、"le"はフランス語では定冠詞だよな。ゼロ年代、若しくは十年代のエロゲーのタイトルでもあった気がする。俺は二十年代生まれだから、十年代、ましてやゼロ年代なんて生まれてもいないのだが、衛世はやたらとゼロ年代や十年代のゲームやアニメを好むのだ。その一環で俺も多少なりとも知っていたり。
まあ、日本のオタク文化がほぼ完全に成立したのがこの時期だからな。だいたい今、この年代でオタクを名乗る者はゼロ年代、十年代のいわゆる古典作品を見ているものだ。
ああ、話題が大きく脱線したな。済まない。というわけで、今、コードフォーレヴェナハだかレヴェイナーとかいうのが更に必要らしい。それでも、問題は無い。まだ残り一回分なら『暁月の環』を使って、今、この半角括弧内に入れるためのコードを知ることが出来る。本当は残り連続で三回使えるのだが、ぶっちゃけ二回使うだけでバテるから勘弁。
だから、くれぐれも"Levenah"の正確な読み方とか、その意味だとかを調べるんじゃねえぞ。こういう非常にどうでも良い疑問にまで律儀に解答してしまい、本当に知りたい疑問を解答するだけの魔力が無くなってしまうのが、この『暁月の環』の困った点だ。
さあ、起動しろ、『暁月の環』。
俺に知識を授けたまえ……なんてね。
突如、訪れる情報の氾濫。
> [OTS] Basic Code ( SKEI )
> [RFS] Clear
> [OTS] Levenah Code ( ********************************************************************** )
> [RFS] Clear
かくして、運命をも恣に捻じ曲げる絶対的な知識は授けられた。
現在、このパソコンをこじ開けるのに必要とされるコードの桁数。その数、七十。
英字の小文字、大文字の区別もあり、尚且つ数字、記号も含め多少の重複も存在する有り得ない程強力なコードだった。
俺は脳内に流れ込む英数字や記号の羅列の洪水をひたすらにキーボードを叩いて画面に表出させた。クリアはしたものの、キーボードを叩いた指が痙攣し、無意識に震える。最初から指は謎の毒物混入によって麻痺気味だったからかな。
ルナが俺の小刻みに震える指を心配そうに見るが、俺はウィーンと微かな起動音を立て始めた七十桁のコードの映るパソコンの画面に釘付けになる。
そう、今、ようやくこの自作パソコンは使用者に心を許したのだ。俺は感覚の薄れかかった指を無視して起動するパソコンのディスプレイを穴が開く程見つめるが、おもむろにルナはぽんと手を打って納得したように頷いた。俺は和服の袖から小さく手を挙げるルナに発言の許可を与え、彼女は「あくまでも推測ですが」、と前置きをして切り出した。
「ご主人様、これは衛世様の仕組んだ非常に堅固なセキュリティです。恐らく、初めから『暁月の環』の能力を使うことを前提にしたセキュリティでしょう」
「『暁月の環』の使用が前提、だと? この指輪がコードフォーレヴェナハだかの解錠の唯一の鍵ってことか?」
ルナが言うには、初めから『暁月の環』の運命を変える能力でしか導けないコードが設定されていたということらしい。確かに、そうだとすれば、このパソコンは宝具『暁月の環』の所有者しか使うことが出来ないということだ。
なるほど、仮にもそうならばこのパソコンにかけられたセキュリテイは非常に堅固だ。流石に七十桁の小文字と大文字の区別のある英字と数字、様々な記号、更に重複有り、そんなコードをまぐれで弾き出すのは天文学的な確率だろう。
つまり、存命中であった時の衛世と現在『暁月の環』の継承者である俺しか開けられないということだ。衛世亡き今では俺一人だ。衛世はそれを見越して、俺にこの指輪とIDやらパスワードを教えてくれていたのだ。
そう思うと……何だか、父は俺のためだけにこのパソコンを使えと言っているように感じた。父が滑石のような頼りなく脆い俺の肩を叩いてコイツを役立ててくれ、そう言っている気がした。
「っつうことは、初めから父さんは俺に『暁月の環』を使わせてコードを打ち込ませるつもりだった、と。おいおい、ズルい手段を用いる事に多少の罪悪感を抱いた俺に謝罪をしてくれ、藤原衛世」
Sumire.S > [RFS] 本当にえーせーには困っちゃうよね(T_T) 本ッ当に困ったちゃんですぅ。いーっつも、澄鈴のプライバシーな空間をその宝具でこじ開けてくるのよー!
「ああ、その通りだ。アイツは本当に困った奴だ。やっぱり、この宝具を身に付ける者は適切な倫理観や道徳観を整えた俺にこそ相応しい。ルナもそう思うだろう? 『暁月の環』の正式な後継者はこの藤原衛紀様だと」
Sumire.S > [RFS] まっさかー、そーんなわけないじゃん! えーきもその宝具で澄鈴のプライバシーな空間に侵入したから同罪ですー! 親子揃って重罪☆断罪☆処刑☆死刑(* ̄▽ ̄*)ノ"バイバイ!
「な、何だ、と……。る、ルナ、メイドの分際でご主人様に楯を突くだなんて。って、あ、あれ、何だこれ? この声、ルナじゃないぞ。誰だ?」
Sumire.S > [RFS] お? おおおお? 気付いたかな? 気付いちゃったかな? 気付いちゃったかなyou(´∀`)9! (ルナって誰よ!)
俺はきょろきょろと振り返っては左右や上下、後方を確認するが、視線をパソコンに戻したところで目を見開く。
最初は、俺の目が見せる幻視かと思った。幻視だけではない、パソコンから画面上の文字を読み上げる電子音の幻聴まで聞こえる。そして、明らかにルナも怪訝な視線を送っている。これは俺だけの幻覚ではない。
パソコンは微かな起動音を俺の耳に届けたというのに、未だに真っ暗なままのディスプレイを表示していた……はずだ。さっきまではそうだったんだ。
だが、今、その馬の耳のようなブラックスクリーンには変な文字が映り込んでいた。変な文字というのは、別に文字化けを起こしたとか、変わったアスキーアートが表示されているとかそういう意味ではない。ましてや綺麗に念仏を表示させたというわけでもない。
さて、今起こっている現象というのは、なんと今までの半角の英字や不等号ではなく、平仮名や片仮名の全角文字が真っ黒なディスプレイに表示されているのだ。それ以外にも、漢字や鬱陶しくも可愛らしい顔文字なんかも混じっている。しかも、何だかめちゃくちゃ元気いっぱいな口調で話しかけられている。
画面上の白い文字を読み上げる幻聴と思われていた少女の声を思わせる電子音は、アレだ。恐らく、ゼロ年代にこの世に舞い降り、十年代に最盛を誇ったVOCALOIDというヤツだ。父の携帯電話の着信音がVOCALOID楽曲だったのを思い出した。ネギがどうとか、な。
でも、VOCALOIDにしては異常に口調が滑らかな気がする。もしかしたらVOCALOID誕生の数年後に誕生したVOICEROIDか、あるいはその両者の融合系かもしれない。その高音域の声は機械じみてはいるものの、機械特有のノイズが混じることや音の高低、発音の仕方が狂うことは何一つなく、こういう声を持つ一人の生きた人間の女性と勘違いしてしまいそうだ。いや、事実そうだとしても驚かない。
い、いやあ……これは感動的だ。オタクを名乗る者としては懐かしき平成初期のオタク文化確立期の代表、VOCALOID或いはVOICEROIDの音声で俺自身に話しかけてもらえるだなんて。自分が興奮しているのが分かる。いっぱい、いっぱい愛でてやるからな。
「これは、パソコンがご主人様に話しかけているのでしょうか。衛世様のパソコンにこのような秘密があったとは……。ご主人様、この人工知能をご主人様はご存知でしたか?」
「いやいや、こんなのは全くもって知らなかったよ。衛世の奴、こんなすげえモノを俺に隠していたなんてどういうことなんだ! ず、ズルいぞ……! ここまで高度な人工知能は見た事ない!」
ルナは実に不思議そうにパソコン画面を覗き込んで言葉を漏らすが、俺はひたすら昂ぶる胸を抑える。この声を入浴中の玲華に聞かれたらマズイからな。極力あの女とは関わりたくない。
しかし、俺が愛でてやると宣言した人工知能は青白い静電気を瞬間的に走らせるような機械的で、かつ人間のような温もりの溢れた美しい高音域の声で反論する。
Sumire.S > [RFS] ちょ、ちょっと待ってΣ(´∀`;)! 澄鈴ちゃんは澄鈴ちゃんだよ! そこいらの人工知能なんかと澄鈴ちゃんを一緒にするんじゃないよー(#・∀・)!
「可哀想に……。この子、自分が人工知能であることを知らされていないのかもしれません。何て悲しい事でしょう、ご主人様……」
「ああ……そうだな、ルナ。この世には知ってはいけない事、知らなくていい事が多く存在するんだ。これが高度科学の発展した社会に必要とされる倫理観か……。今や科学者たちに倫理、道徳は無いのか!」
Sumire.S > [RFS] 科学者の悪口はどーでも良いけど、えーせーの悪口はえーきでも許さないんだぞ☆ というか、澄鈴は人工知能じゃなくて、澄鈴ちゃんなの(ノ`Д´)ノ彡┻━┻! 澄鈴はス・ミ・レちゃんなんだよー!
う、うっわあ、めちゃくちゃ怒っていらっしゃる。
青白い静電気を紫電の奔流としたような機械的な怒声を澄鈴ちゃんは上げる。どうやら、人工知能という言葉で澄鈴ちゃんの逆鱗に触れてしまったようだ。
だが、怒っている顔文字が可愛くて怒っている気がしない。卓袱台返しの絵文字とか可愛すぎてもう。
一方、音声の方はどんなに怒りを含んでいたとしても、電子音の声そのものがめちゃくちゃ可愛いから憤怒の臨場感に欠ける。それで良いのだ。
で、結局、この子は澄鈴ちゃんと呼んで良いのかな。正直に言うと、影に叱られた俺が言うのも何だが、機械に叱られるなんて人生で初めてだからどうしたら良いかよく分からない。でも、人工知能と呼ぶと怒るみたいだし、馴れ馴れしく名前で呼ぶのも許してくれ。
というわけで澄鈴ちゃん。澄鈴ちゃん。澄鈴。澄んだ、鈴。「澄鈴」という漢字で「すみれ」、か。いやあ、日本風の良い名前ですなあ。この子の開発元も世界で最も雅で美しい国である日本なのかな?
Sumire.S > [RFS] 澄鈴の開発元は一応、日本じゃなくてー港元なんだよー( ^ω^)ダヨダヨ
「え……あ、マジ? 何だよ、やっぱり科学は港元市かよ。凄いショックなんだが」
クソッタレ、日本から独立しただけの(つもりの)港元市はあくまで日本文化を継承している。まあ、そこは認めてやっても良いのだが、認められないのは日本文化を真似ているのは日本国だとかいうワケの分からん理論を展開しているということなのだ。
彼ら曰く、長い歴史の元に成立していた真の日本とは現在、港元帝国にある。現在日本国と呼ばれる国家はいわば残骸に過ぎない。真の日本は脱皮して港元帝国となり、現在日本国と呼ばれる国家はその際に捨てられた抜け殻でしかない、だとかな。虫がいいにも程があるっつーの。
この辺の港元市と日本国のしがらみについては話していたらキリが無いからなあ、いつか俺が衛世の遺言を聞ける「良い子」になれたらお話してやろう。俺が良い子になるまでの過程を辛抱強く待っていてくれ。あの市にいる方がきっと話しやすいだろうから。
Sumire.S > [RFS] そんなに落ち込まないでよ、えーき……(T_T)
Sumire.S > [RFS] 如何に優れた澄鈴ちゃんでも生まれだけは選べないんだよー……。
まあ、誰でも生まれは選べないですわ。仕方がない。誰でも生まれは選べないとは、今まで俺が俺自身に度々子守唄のように言い聞かせていた自己暗示の一つだ。俺も日本国籍を持ってはいるものの、所詮は港元産に違いはない。
それに、よくよく考えれば衛世がパソコンを作っていたのは確かに港元市在住の頃だったからな。その時にこのパソコンに澄鈴ちゃんを導入したとすればそこで手に入る澄鈴ちゃんも当然港元市製なんだよなあ。
……だとすると、この澄鈴ちゃんは七年か八年前のものなのか(ということは七、八歳の幼女ということか? フィリップさんに教えたらまずいな)。あ、でも、衛世の奴はOSまで自作だって言うからこの澄鈴ちゃんも衛世の自作なのか。VOCALOIDやVOICEROIDに広い知見を持ち、且つ両者をこよなく愛していた衛世ならこんな人工知能を作るのだろう(人工知能と呼んでしまった!)。彼がこの澄鈴ちゃんを懸命に作成する姿が容易に目に浮かぶ。
だが、それ、何だかめちゃくちゃ怖いな。何か犯罪っぽいよな。「らめぇぇぇぇ」とか、「あぁ〜んっ」とか、「いっちゃうよぉ〜」とか変な言葉を毎晩喋らされていたんじゃないだろうか。
仕事を選べない衛世作の澄鈴ちゃん。何と哀れな。これはパソコンにエロ動画残して逝くより恥ずかしいぞ、衛世。
い、いかん、忘れるんだ。故人となった父親のそんな変態的一面なんて知りたくない。考えたくもない。
「港元市……じゃない、港元帝国民の女。まずは、名を名乗れ」
Sumire.S > [RFS] えっ、えーきは澄鈴ちゃんの事、覚えてない感じ(゜д゜)lI|? まあ、七、八年振りだから仕方ないかー……。
Sumire.S > [RFS] えっと、ではお久しぶりです。セキエイシステムの中の人、電脳間脳少女の澄鈴ちゃんと申しますー(m´・ω・`)m
と、パソコンの中の少女は可愛らしい顔文字混じりの文章を暗闇で細く青く輝く電流のような美しい音声で読み上げて名乗った。
しかし、せっかく可愛げに名乗られても、俺に分かるのはこの少女の名前が澄鈴であることだけだ。隣にいるルナも相変わらずな訝しげな視線を送っている。あの素晴らしい頭の回転力を持つルナが頭上にクエスチョンマークを浮かべているのだ。これはなかなかお目にかかれるものではない。
このパソコンの中の……セキエイシステム(?)の中の少女の紹介の真意や存在は複雑怪奇、意味不明だ。一体、この自己紹介に対して何と言ってやれば良いのだろうか。とりあえず自己紹介されたは良いが、コレは一応、人工知能、ってことで良いんだよな……?
「電脳……官能少女、だと? 何だ、変態さんだったか。俺もきっと変態さんだ。どうか、お仲間同士宜しくな、官能少女澄鈴ちゃん」
Sumire.S > [RFS] えーきはやっぱりえーせーにソックリだね。
Sumire.S > [RFS] はあー……。
Sumire.S > [RFS] とーっても澄鈴さんは残念です。
Sumire.S > [RFS] とーっても、とってもね。
Sumire.S > [RFS] ☆誠に遺憾☆ というやつです。
Sumire.S > [RFS] 男の人怖いよー……しかもさっきから独り言多いし((((;゜Д゜)))) なになに、脳内彼女でもいるの(;・∀・)ドン引きだわー。
衛世にソックリって、そりゃあ親子だし仕方ないじゃない。と、一瞬考えた俺を今すぐ殴り飛ばしたくなった。誰があんな奴と、一緒なものか。
しかも、独り言が多いって何なんだよ。今までに見ないまさかの六行に分けたセリフで詰り、加えて独り言などありもしないでっち上げをしてまで俺に気持ち悪い男としての烙印を押したいというのか。そうなのか、そういうことなのか、我が同志、官能少女澄鈴よ。
「あ、おい。独り言って、そういうことかよ!」
そして、今、ようやく隣に佇む和服金髪碧眼メイドが俺の脳内だけの存在と定義しても過言ではない幽星体の状態であることに気が付く。幽星体状態のルナの姿は勿論、冬の夜空に瞬く星のように麗しい声までもがこの世と干渉することがないのだ。
つまり、遂に俺は自分の部屋で、しかも機械相手だと高を括ってルナの状態を無視して、端から見ると「独り言」をほざいている醜態を晒してしまったというのだ。
今までひたすらの無視を決め込み、隠れて筆談なんてしていた努力が一気に吹っ飛んだ。あれだけ気にしていたというのに、これは、なんたる失態! 大失態!
「お気になさらず、ご主人様。事態を読み込めなかった私にこそ不備がございました。……これで、宜しいでしょうか、澄鈴様?」
Sumire.S > [RFS] え、え、ええええええええ?! う、嘘でしょ、何このめちゃくちゃかわいー外人さんは! 彼女なの? えーきの彼女なのヾ(*´∀`*)ノ? よくも澄鈴ちゃんに可愛い子ちゃんを隠していたなぁー(σ´Д`)σ
俺自身は全くルナの変化に気が付かないが、今、彼女は従来からかけていた幽星体の殻を破って通常体に変化したのだろう。
幽星体の殻を破ったルナはこの世への干渉率が俺たちと同程度であり、俺の脳内という一種の呪縛から解き放たれてこの世に顕現する。
恐らく、俺以外でルナの姿を見るのは電脳官能少女澄鈴ちゃんが初めてだろう。ルナは軽やかな手付きで金色の川のような長髪を梳いてみせた。やはり、美しい。
Sumire.S > [RFS] というか、まさか、れーかにもそのルナって子を隠しているのーΨ(`∀´)Ψ? えーきも隅に置けないなー、えーせーにそこまで似たかー(^ω^)澄鈴ちゃんは悲しいよー……。
Sumire.S > [RFS] ルナちゃん、って言うのね? ああ、ルナちゃん可愛いよぉ〜〜〜〜//// ペロペロしたいよぉ//// 金髪顔に埋めてモフモフしたい、クンカクンカしたいよぉぉおお////
Sumire.S > [RFS] い、いけないいけない。えーせーにも言われたけど、私ってレズっ気があるっていうのよ。私がまだ身体を持っていた頃はレズだったのかなあ////
Sumire.S > [RFS] きゃっ、でも、今は本命の人がいるんだからね、えーせー様ぁ♡ えーせー様だぁいすきぃー♡
澄鈴ちゃんはパソコンに付属されたカメラでお外の様子までご覧になり、ルナの余りの美しさに画面上に遂に五行程のバグを走らせまくってしまった。それでもさっきの俺を詰るだけの六行よりは短いというね。泣きたいよ。
というか、澄鈴ちゃんのレズっ気のカミングアウトによるバグ発生なんかはどうでも良い。問題はあの衛世にベタ惚れしているこの頭オカシイ電脳官能少女はやっぱり衛世自身に作成された(無礼を承知で言わせてもらおう)人工知能に違いないということだ。そうじゃなきゃあの男に魅力されるという現象など起こるまい(ごめんなさい、顔も知らないお母様)。
そ、そして、衛世の奴は自作パソコンに自分を愛してやまない「設定」の少女の人工知能を作って悦に浸っていたに違いない。藤原衛世、あの男は犯罪者だ。真性の変態だ。
「ああ、もう、コイツは彼女じゃねえよ。さて、頭オカシイ官能少女。官能だとかセキエイシステムとやらに詳しく説明してもらおうか」
Sumire.S > [RFS] だ・か・ら! 私は電脳間脳少女の澄鈴ちゃんって言っているのー! 本当にそーんのまんまの意味なんだからねー(・x・)!
Sumire.S > [RFS] ほら、えーき。えーせーが予めこの時間、2038年4月14日の午後9時48分ちょーどに閲覧可能にするようにセキエイシステムに仕込んだ資料があるから、まずはそれを読みなよー( ̄ー+ ̄)キリッ!
Sumire.S > [RFS] 20380414.ssdoc
Sumire.S > [RFS] このドキュメントファイルを開けばえーきも納得するはず出来るはずー(´∀`*)!
***
俺とルナは抜き足差し足であの女が入浴中の風呂が位置する階下に移動した。別に滝沢玲華とその肢体を覆う湯気を見に来たのではなく、もっと凄い女体の神秘、いや、人体の神秘を見に来たのだ。というか、衛世の遺物を引き取りに来ただけだ。いや、もしかしたら、澄鈴ちゃんの遺物なのかもしれない。
例の遺物は一階の玄関の入ってすぐ真横にある物置部屋、その床下に隠されたものであった。電脳官能少女澄鈴が表示してみせた20380414.ssdocというドキュメントファイル、もとい衛世の遺書とは呼べぬただのメモが言うには、昨夜託した銀の指輪と例のパソコン以外で衛世が後生大事に残しておいた遺物の全てがそこにあるという。
かくしてそれは本当にメモの通りに全てそのままに保存されていた。あの衛世のことだ、メモに書かれた通りのものが馬鹿正直に隠してあるとはとは思っていなかっただけに、非常に拍子抜けだった。
衛世が後生大事に残していたものの全てというのはたった一つの例外なく、全てが有り触れた瓶とその中身だった。その瓶のおよそほとんどが新聞紙に包まれた普通の赤ワインと白ワインだった。ワインセラーなんて豪勢な代物も無いから、そのまま立てて保存してあるだけだ。実に面白くない。
しかし、ワインボトルとは形状の異なる瓶が一つだけあった。俺はそれを包む新聞紙を手早く、丁寧に外し、その瓶に付けられたラベルを凝視する。
その瓶を一つ、とカウントしたからには、ワインボトルのような一本、二本とカウントするような形状ではない。横幅が太く、縦の長さは短い瓶。単純に言うと、ジャムとかを保存する瓶であった。
「衛世の野郎、時間設定で遺書を閲覧可能にするだなんて、暁月先生も教えてくれないわけだ。あの時点では確かに、遺書は存在しなかったわけだ。……いや、それより、これ、信じられるか、ルナ」
「ええ……俄かには信じがたいですが、衛世様のメモを認めざるを得ませんね。この、ジャム用の太めの瓶の中身、更にその中にある試験管のような物の中身ですね」
ジャムの大きめな瓶の中には、更にどこかの研究室で見かけるような密閉された試験管のようなものがある。
当然、試験管の中身も、見えた。茶色だか黄色、緑色が混ざったような一応は透明の液体の中に、何か、歪な物体が数個浮かんでいるのだ。
「澄鈴様も衛世様のメモについては同意していましたし……。実際に、現物を見るとなると、信じないわけにはいきません」
「だが、一体、これは誰のものなんだ。何で、こんなものがここに……」
誰のものか。そんなのは分かっていた。
これは衛世の遺物でもあり、文字通り、澄鈴の遺物でもある。
ルナは懐中電灯で床下にあった瓶の群れを照らし、俺は緊張で汗ばんだ手でジャム用の瓶を掴む。そして、やや剥げかかった紙テープのラベルに記された我が父親特有の非常に汚い筆跡の文字を読む。
***
澄鈴ちゃんの間脳及び視床下部、数個に分裂された大脳新皮質
保存日時 2030/09/15 総重量 3.6g
観察点
・間脳は視床部位をやや損傷。視床下部は正常に保存。
・視床下部より澄鈴ちゃんの魔術が放出され、魔術が機能している。
・やはり、港元の研究通り、視床下部が我的魔術の起動点か。
・大脳新皮質は回収時に付着していた部分のみ。全体の三分の一程度。
・この大脳新皮質のみであの会話力を発揮出来るのか等の疑問が見られる。
(恐らく目をほぼ白目にして舌が口から飛び出ていない段階、即ちアヘ顏寸前の)愛しい我が息子の衛紀へ
保存状態はこの試験管内で完全に維持されているので内容物を取り出さないでね。保存状態というか、今も、澄鈴ちゃんという女の子の間脳と大脳新皮質の一部は「生きている」んだゾ。つまり、これがセキエイシステム、電脳間脳少女澄鈴ちゃんのコアなのだ!
追記
女の子の脳みそだからってペロペロしたり、ナニを突っ込んだりしちゃダメだよ! でも、柔らかそうだよな、女の子の脳って。ぐへへへ。
***
本当にそーんのまんまの意味なんだからねー。
澄鈴のセリフがそっくりそのまま脳内で再生された。
人体の神秘、それは世界で最も機能的で人間の作る芸術の最高峰と言われる脳……の一部である間脳といくつかの大脳新皮質の残骸であった。
衛世のなかなか舐めてくれる走り書きから察するに、この澄鈴ちゃんの間脳と大脳新皮質の残骸は、今なおこの小さな試験管の中で生きているのだ。
「これは、きっと、澄鈴様がまだ、自分の身体を持っていた頃の間脳と大脳新皮質の破片、ですね」
「衛世の野郎……一体何てモノを隠してやがったんだ。こんな物騒なモノを残して死にやがって……ッ!」




