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俺は彼女を監禁する / 白銀の剣閃  作者: 清水
邂逅 〜 The Dawn and "Girl" of a lonely Servant.
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LVNH//O//2038/04/14/13/11//TE-01/2021/05/22//FCE

 『術位序列階層』(ランカーズ)の第四位。

 『氷雪』を冠する魔術師。矢吹遥。


 ここで登場した新用語である『術位序列階層』(ランカーズ)というのは港元市内での魔術師の序列の内、超高位魔術師のサロンみたいなもんだ。超高位の魔術師と妙な言い方をしたが、それもあながち間違いでもない。その組織、サロンの入会条件は市に認められた魔術師だけと、非常に厳しい。市の中にはその存在を都市伝説だと言い切る連中もいるくらいだ。サロンの存在が都市伝説と化すのも仕方ないだろう。何たって、『術位序列階層』(ランカーズ)には十本指で数える程度の魔術師しか在籍していないと聞くのだから。

 このサロンの中の連中は市内だけでなく世界屈指の魔術師と言ったところで、一晩で大国の首都を陥落させるほどの力を持つと噂される。まあ、実際、市内だけの検査であって世界共通の検査を通ったわけではない以上、別に世界で認められた序列ではないが、世界で一番魔術技術が高い国の魔術師が世界トップランクなのは当然だろう。

 また、港元市は魔術師全体への評価に関しては皆の言うところの総合的な戦闘力というものを重視するので、この序列の内部の魔術師は単に魔術に長けているだけでなく、体力も頭脳も常人を遥かに超えた連中なのだ。そして、その評価で市に認められた連中だけが晴れて『術位序列階層』(ランカーズ)というサロンへの入会を果たすのだ。ちょっと説明が前後したな、申し訳ない。とにかく、サロンの連中はヤバイのだ。

 そう、もう分かったはずだ。即ち、目の前の栗毛色のポニーテールを怪しく揺らす魔術師、矢吹遥はサロンへの入会を市に認められた魔術師で、その怪物サロンの中でも第四位であり、異常な戦闘力を持つ魔術師なのだ。たかだか死なないだけの能しかない俺が戦っても勝つことはないだろう。


「ああ、これはヤバそう。俺、大丈夫かな……」

「ご主人様ならば大丈夫です。この私も微力ながらお力添え致します」


 矢吹の結界を構成する魔法陣は古めかしい梵字といくつかの図形が散りばめられたもので、俺をこの結界内部に閉じ込める鳥籠のように機能している。逃げ出そうとしている俺への決定的な一手であったと言えよう。彼女の言う通り、俺はこの結界がある限り魔の手からは逃れられない。そして、真面目に戦ったところで序列第四位のバケモノには殺されることがなくとも勝つ事は絶対に出来ない。

 まあ、それでも良いのさ。予め言っただろう。矢吹や霧谷とは戦わずに、元から逃げるつもりだと。でも、結界が張り巡らされていて、逃げるに逃げられない。ではどうするかって? そんなのは簡単だ。

 

 結界をブッ壊せば良い、それだけの話だ。

 そして、それが、今の俺には出来る……ッ。


「おや、衛紀くん、目付きが変わったよ? 私と殺し合う気になったかな、出来れば私もそっちの方が全然都合が良いのよ。やっぱり……確かめたいことはあるからね」

「悪いが、俺はお前に何の用も無い。すぐに終わらすぞ」


 矢吹は凍てつく様なオーラを背後から展開し、結果内部にはキラキラと輝く何かが無数に浮遊し始める。


 それらの粒は全て、目視可能な大きさで無色透明の六方晶系の結晶。

 つまり、一粒一粒が空気中の水分を固体化した大きな氷の粒だ。


 彼女は無数の氷の粒をレイピアの周囲に浮遊させ、そのまま横一文字に空中を凪ぐ。その軽々とした一撃でレイピアが凪いだのは空気だけなのだが、レイピアに纏わり付く無数の氷の粒だけはやや変則的な動きをして俺の元に一斉に襲いかかってきた。さながら目視可能な衝撃波のようだ。

 俺はそのまま二度目となるバク宙を決めて、無数の槍の穂先のように突っ込んでくる氷を回避する。俺の真下を通過した氷の槍はゴォッと空気を破る音を響かせながら本来の出口に設置されたドアを突き刺さり、瞬く間に粉砕する。

 さっきも言ったけれど、意外にも体育は得意だからバク宙やバク転はお手の物なのだ。そして、今の俺ならその途中で魔銃を二発ほど撃ち放つ余裕だってあるのだ。高速で射出された銃身内部から切り離された空間は刃となり、この部屋を支配するモノを打ち砕き、切断する。


「全ッ然ッ、ハズレ。というかどこに向かって打ってんのよ、舐めんなよ?」

「……お前と話す必要も、無い」

「ブッ殺す」


 まんまと挑発に乗った矢吹は歯ぎしりをしながら氷の槍を構成する氷の結晶そのものを操作する。ブワァッと氷の粒は即座に槍の形を崩し、今度は竜巻のように渦を巻いて襲いかかる。無数の氷の粒は完全に魔術師矢吹遥の支配下にあるらしい。形成された氷の渦はキラキラとした一見して美しい輝きを秘めているが、一遍巻き込まれてしまえば氷の粒が全身に突き刺さってしまうのだろう。実に恐ろしい。

 俺は先の氷の槍が突き崩したテーブルの残骸を踏み台にしながら、後ろに向かって空間加速砲(エアアクセル)の引き金を引く。瞬間的に身体からは必要な魔力が引き抜かれ、空間の刃と化して氷の竜巻を切り裂く。

 が、当然ながら極めて微小な氷の粒によって構成された竜巻はそんな空間の刃など素通りし、大口を開けて全てを飲み込もうとする。加えて竜巻の大口からは定規で引いたように真っ直ぐな氷の光線がビュンビュンと打ち出され、もはや直線上に逃げ切るのは不可能だった。それに、もうこのまま直線上に逃げると魔術師本人の持つレイピアの殺傷圏内に入ってしまう。


 でも、今の俺には見えるのだ。

 氷の竜巻の移動ルートも、氷の光線がどの位置で、どのタイミングで射出されるのかも、何もかも。


 少しは感付いたのではないだろうか。この未来視のような能力は俺の真の能力……ではなく、父の形見である銀の指輪の能力である、と。

 だが、その答えでは後一歩惜しいところだ。この銀の輪の真の能力は「ある状況を自分の望む状況に変えるための知識を与える」というチートじみた能力なのだ。だから、俺はこの指輪を玲華から無事に隠すことも出来たし、監禁罪やら外宮鳥居、壬生忠岑和歌の知識を得たし、ルナの投げた魔銃をキャッチするタイミングも把握出来た。今だってこの能力のおかげで氷の竜巻や光線の移動ルートが割り出せる。それらは全て、俺が玲華から指輪を隠したい、分からない事をもっと知りたい、ルナの投げた魔銃をキャッチしたい、氷の竜巻やら光線から逃れたい、といった俺の現状を変えたいという願望を指輪が汲み取り、その状況を変えるための最短距離としての知識を与えているからだ。

 すんごい簡単に言うと、俺がどうしたら良いのか教えてくれる超便利な先生みたいな能力だ。

 ………なーんていうのは、全部俺の推測したこの指輪型魔具の能力だ。俺には専用の機器も無しに解析することなんて出来ないからな。でも、玲華から指輪を隠し、放り投げられた魔銃をキャッチすることが実際に出来たという結果が出ている以上は、そういう過程があると考えるのが一番妥当な考えだと思うのだ。

 ただし、魔具というのは文字列や数列、記号や魔法陣などの術式を一つないし二つ以上彫り込んであるもので、彫り込める術式の容量というものがあるのだ。それを無視したようなこの指輪型魔具の能力、これはかなり強力でレアな魔具らしい。すんげえラッキーだぜ。その分、魔力消費が著しいのは内緒だが。

 というわけで、この推測を信じるのであれば、俺のすることは非常に簡単だ。指輪の与えるその竜巻や光線の移動ルートを躱しながら、指輪の与えるタイミングで魔銃をぶっ放す。たった、それだけだ。

 俺が踏み台にしたテーブルの残骸から右の方向に飛び上がると、氷の光線は指輪の教えてくれた移動ルート上を綺麗になぞる。俺が即座に右方向へジャンプしたことは矢吹にとっては想定外だったようで、彼女は水色の目を見開く。

 どうやら、俺の真の作戦に気付いたようだ。その通り、俺の作戦は、実を言うと、残り空間加速砲(エアアクセル)の引き金を三回引くと完了するのだ。

 しかも、二秒後にそれらの動作が全て完了する。


 一回。二回。

 そして……三回。


「う、嘘でしょ……ッ」

「始めに言っただろう? お前のような魔女と殺し合う気なんてないし、お前には何の用も無い、と」


 打ち出された三つの刃は一発も漏れることなくこの世界を支配するモノへ飛び込み、その全てを切断、粉砕した。それと同時、青白い境界に閉じられた一つの世界はガラスのような破片を撒き散らしながら終焉を迎えようとする。

 さっきも言った通りだ、俺は魔術師矢吹遥には元より攻撃しようとなど思っていない。俺の目的はこのレストランを支配する結界を破壊することだ。起動中の結界、ひいては自身の後付けによる後天的な魔術、つまり梵的(ブラフマン)魔術全般を中断する方法というのは二つある。

 一つは魔術を起動させた魔術師本人に攻撃をしかけて魔術の起動と維持を停止させるという方法だ。これは魔術師本人の意識を奪ったり、諦めさせたり、最悪の場合、殺害するというものだ。これが魔術師同士の戦いにおいては最も効果的なやり方だ。何たって魔術を停止させるどころか魔術師本人をも倒し、戦い自体を終わらせられるのだから。

 だが、残念ながら俺と矢吹の戦いにおいてそれは実現出来ない。港元市製の魔女、しかも『術位序列階層』(ランカーズ)の第四位が相手なのだ。死なないだけの俺が勝てるわけがないだろう。だから、俺は二つ目の方法を取ることにした。

 さっき俺の言ったことを少し思い出して欲しい。魔術師は、術式を介して魔術を運用する。ここで言う魔術とは、自身の後付けの知識による梵的(ブラフマン)魔術のことだ。これは如何なる魔術師にとっても梵的(ブラフマン)魔術を扱う時は当てはまる条件だ。これはそういう世界共通の絶対的なルールだ。たとえフィリップさんのような魔術のプロでも詠唱だけの言霊と呼ばれる術式を扱うように、これを逸れては全ての梵的(ブラフマン)魔術は運用出来ない。

 ならば、そのパイプ役の術式という存在をブッ壊してしまえばどうなるか。魔術師は己の魔術を制御出来なくなる……という危険な事態を想定して、予め術式には術式が破壊されたら魔術をも巻き込んで消滅するというプログラムを仕込んであるものなのだ。

 というわけで、最初から俺は矢吹が打ち出した青白い術式、魔法陣を維持する部位を指輪の知識に従って破壊していったのだ。

 術式という存在の一つ、文字列と図形を組み合わせた魔法陣というものはその魔法陣を維持するためのコアのような部位が分散されており、それらを適切に破壊していくと魔法陣全体を破壊することが出来るのだ。

 まあ、以上の知識は全部指輪型の魔具が教えてくれたものだ。多分、合ってると思うから信じてくれ。それに、事実、青白い魔法陣の破壊によって結界が崩壊しているのだ。俺の目論みは成功したということだ。やっぱり魔術は力量だけじゃなくて知識も必要だな、脳筋の馬鹿には良い薬となっただろう。

 とか言っちゃう俺だが、実際のところ『術位序列階層』(ランカーズ)認定を受ける魔術師とは大抵知識も兼ね合わせた存在であり、俺自身こそ指輪が教えてくれるまで魔法陣の破壊方法なんて塵ほども知らなかったんだけどな。


「おめでとうございます、流石はご主人様です! 素晴らしいです、最高です、ご立派です! しかし、今すぐ、指輪を仕舞って下さい」


 結界が青白いガラスを砕け散らせながら崩壊する中で、矢吹や霧谷の背後にいたはずのいつの間にかルナは俺の隣にいた。瞬間移動のスキルでもあるのかな……? 金色の桜の刺繍の施された袖の内側、桜のような暖かい手には何かが握られているようだった。しかし、いや、今はそんなのどうでもいい。ルナの言葉はご主人様への祝辞に留まることなく、警告を発した。何を言っているんだ、このメイドは。俺はもうこの戦いにケリをつけたし、何より俺はこの指輪型の魔具の使い方を覚えたつもりだ。

 それとも、この指輪の能力とはこれ以外にもあるのだろうか。俺は右手の人差し指に嵌まる銀の指輪を改めて眺めてみる。銀の指輪はやはり何の宝石やら綺麗な文様も施されておらず、ただ崩したアルファベットのような文字があるくらいだ。例のお札よりは崩れては無いけど、でも、この文字、アルファベットにない字もあるような……ッ?


「おい、藤原衛紀。この程度で勝ったつもりになるなよ」


 負け犬の遠吠え、とも思ったのだが、氷の魔術師の表情には確信的な笑みがあった。ま、待て……いや、待て。おいおい、反則だろ。指輪の事なんてその光景を見たらあっという間にどうでも良くなった。

 俺は二つほど大事な事を忘れていた。大失態だ。さっきも言ったばかりではないか、術式を破壊したって魔術師本人には何の害も無い、と。

 そして、氷の竜巻から真っ直ぐ吐き出された氷の光線。もう少し、疑問に感じるべきであった。あの氷の光線が竜巻からどこへ向かって伸びていたのかを……。


「ご、ご主人様! 前、いや、直上ですッ!」


 ルナが鋭い警告を耳に入れた時には、もう、手遅れだった。

 矢吹の手元からは溜まりに溜まった真っ青な氷の光線が蛇のようにグルグルと回転しながら中空を素早く舞う。それから、氷の光線は空中のある一点で衝突する。

 

 突如として俺の足下が急に暗くなった。

 いや、違う、そうじゃない。

 視界全体が暗くなったのだ。

 まるで、降り注ぐ光を何かが遮ったかのような……。


 頭上。

 そこには、巨大な氷塊があった。


 時が止まったようだった。俺という人間五、六人はぺちゃんこに出来るくらいの氷塊が、瞬きをした瞬間に空中に存在していたのだ。

 あの時、俺は氷の槍をバク転で回避した後は魔術師本人の方向へ走って行き、氷の光線はそんな俺を追いかけるかの如く発射されていたのだ。俺は指輪の知識でこれをことごとく躱したが、その後、氷の光線は真っ直ぐに魔術師本人の手元に集まっていたというのだ。そして、彼女は手元に集めた氷の光線を再び操って、今度はそれを氷の塊に変えたのだ。

 だが、結界が不完全な状態でそんな大それた真似をするだなんて想像だにしていなかったのだ。もう結界壊れているぞ、ほぼ完全に。


「正気なのか、矢吹遥……ッ」

「港元の魔術師ならば当然。魔術を極め、他者を凌駕せよ、他国を圧倒せよ。コイツが帝国の魔術研究におけるスローガンでしてね」


 結界が壊れている、というのはお分かりだろうが、既にここは外界から観測される極普通の世界へと戻ったということなのだ。つまり、もうこの世界で何か物騒なことをしてしまえば周りの無関係な人間に見られる、どころか無関係な人間たちをも巻き込む可能性さえもあるのだ。

 そうだと言うのに、この女は構わずに俺の殺害へ向けた魔術を起動した。俺だけじゃない、ここにいる人全てを殺傷圏内に含む魔術だ。これはもう、実になり振り構わずにひたすら目的のために事を動かす……港元市らしいやり方だ。人の事なんて考えちゃいない。

 そんな傍若無人で馬鹿デカい氷塊を無理矢理作ったのだ、案の定、レストランの天上がぶち抜かれた。しかし、天上の残骸は降り注ぐことはない。というのは、もはやその氷塊自体が残骸の雨を遮る一種の傘としての役割を演じているのだ。その傘が、もう、堕ちてくる。


「ご主人様、指輪を……指輪を隠して下さい!」

「い、いや、お前そんなこと言っている場合じゃないだろ! お前も、ぺしゃんこになるぞ!」

「ご安心を、私は外界干渉率最低ランクの幽星体(アストラル)状態なので……。で、ではなく、どうか、指輪をッ!」


 ルナは俺の制止を振り切って、俺の指輪から指輪をひったくる。そのせいで脳内にはこの状況を変える知識は碌に浮かばず、俺はいないはずのルナに向かって叫ぶなどという奇行を繰り返した。そんなことを心配する余裕など微塵もなかった。

 終わりの瞬間、俺が横目でちらりと氷の魔術師の方、その横に佇む小さな魔術師を見た。ルビーのような赤眼を輝かせ、琥珀のような金眼で睨む魔眼使いの魔術師は、微かに、しかし、確実に口角を吊り上げた。

 ははあ、これは腹癒せというヤツだな、霧谷優梨。俺とルナのいるはずもないルナを探させるという作戦にハマった霧谷はここに来て、ならばフロア丸ごとぺしゃんこにしてしまえば一掃出来る、と矢吹に耳打ちでもしたのだろう。

 嫌だなあ、悔しかったかな、霧谷ちゃぁん。しかもあんなに冷たくあしらっていた矢吹に一掃を頼んじゃうとか可愛いなあもう。とか言っている場合じゃない、やっぱりこの魔女ペアの内の頭脳派は霧谷らしい。彼女の目論みは今、まんまと成功したと言えよう。畜生、お前の勝ちだ。悔しいよ、霧谷様。負け犬の遠吠えをするも、やはりそれはあくまでも負け犬の遠吠えであり、落下を開始した氷塊を止める術などにはならない。当たり前だ。

 氷塊はみるみる、いや、フロアの天上を突き破ってはいるようだが氷塊と俺の頭上からはさして距離がない、本当は一瞬で落ちてきているのだろう。そして、一瞬で俺の頭から爪先まで一瞬にぺしゃんこにさせるのだろう。

 しかも、この巨大の氷塊の落下が風前の灯火のようだった結界を完全に噴き散らし、事態は最悪のケースへと突入した。最悪のケース、つまり俺やルナ以外の人間が巻き込まれるということだ。

 結界の崩壊によって元通りとなった椅子に座っていた客や、先程のウエイトレスさんを始めとした店員、その全員のどよめきが視界に映る。くっそ、彼らは何の関係も無いのに……これが、港元市のやり方か。


 背後から、バタバタと忙しない足音が聞こえてきた。

 ここへ向けて一直線で駆けて来ているのだろうか。


 馬鹿、ここには来ちゃ、いけないのに……。

 まあ、どちらにせよ、このレストランの周囲は丸ごと矢吹の生み出した氷塊に引き潰されるのか。もう、この距離では同じことだ。変わりはない。

 そうして、全てが終わったと思われた。


 バギンッッッッッッ!!

 耳を劈くような金属音が響き渡った。


「は……あ、あれ? 身体が、痛くない。というか、五体満足で立っていられる、だって……?」


 確かに、頭上からは氷が落下している。だが、その氷は、青白い炎を吹き上げながら消滅しかけているただの魔力の残滓だ。身体に当たっても気付きさえしない。

 ば、馬鹿な……。信じられるだろうか。落下まで一秒も無いような瞬間に氷塊は粉砕されていたのだ。周りの客や店員、それから魔術師矢吹も顔を呆然とさせていた。い、一体、誰が、あの氷の塊を一瞬で粉々にというのだ……?

 そして、ガギンッ! と鈍い金属音を立てて氷塊の代わりに何か大きなものが降ってきた。落下してきた物体は氷塊、いや、氷塊を形作っていた魔力を体現する青白い炎を喰らう魔なる剣。いわゆる魔剣だった。

 青白い炎となった魔力の残滓は物凄い早さで銀色の輝きを持つ魔剣に吸収されており、魔力をすっかり吸収し尽くすのにはものの数秒もかからなかった。恐ろしいほどの力だ。

 魔剣の大きさは俺の身長ほどではないにせよ、明らかに剣の所有者の背丈は超えていると思えるほどの大きさだ。加えて異常なほどの幅広な刀身を持ち、怪しい紋章が彫り込まれていた。しかも、有り得ない事にその剣の特徴的な黄金の柄は短く、明らかにそれが片手持ちの剣であることを示していた。それはつまり、この自身の背丈を上回るサイズの幅広の大剣を、片手一本だけで振るうということだ。

 俺の仮説が正しければ、その剣の技量は明らかに普通の人間が行える範疇を飛び抜けていたおり、そんなヤツは俺の知る人間の中では彼女以外いない。矢吹や店員、客たちは辺りを必死に見回したが、霧谷の赤い瞳だけはしっかりと俺の背後、その彼女に見据えられていた。

 魔力の残滓と化した氷の破片はキラキラと世界を反射し、その中に一人の女性を映す。ハタハタと靡く微妙な長さの黒髪に、サファイアのような青い瞳。


 刀剣の魔女。

 その名は憧憬や賞讃と共に、畏れをも伴って呼ばれる彼女の二つ名だ。

 間違いない、彼女は、滝沢玲華だ。


 彼女はそのまま俺の近くに突き立った幅広の大剣をガスリと勢いよく引き抜き、そのまま手首のスナップを利かせてくるりと一回転させた。彼女の背丈より大きい魔剣なのだ、当たり前のように剣先が床を切り裂いた。そして、彼女は魔剣の大重量に流されることなくピタリと剣先を静止させ、構える。目前の魔術師に向けて。

 対して、栗毛色のポニーテールを揺らす港元市の魔術師は呆然としていたものの、直ぐにその八重歯属性たらしめる特徴的な犬歯を剥き出しにして口元を歪ませる。彼女の背後からは先程展開された氷の粒より更に多く、大きな氷の結晶が顕された。いや、結晶なんて生易しいものではない。もはやモーニングスターの打撃部分のように氷柱がびっしりと生えた塊だ。これらも、一粒一粒が彼女の意のままに動くのだろう。


「出遅れちゃった、かな?」

「いいや、田舎娘。殺し合い(ショー)は全然始まったばかりだぜ」


 魔術師滝沢玲華。

 多彩な剣を生成する魔術と、常人には不可能な剣技を扱う。

 その実力は日本の国家魔術師第二級を最年少で獲得するほどだ。


 魔術師矢吹遥。

 空気中の水分を冷凍させ、氷を完璧に操る港元市製の魔女。

 その実力はあの港元市内の序列第四位に位置付けられるほどだ。


 今、その両者が向かい合った。

 両者の実力はもう俺は嫌というほど見知っている。ここで始まる戦い、もはや見世物程度で済まなくなるのは火を見るより明らかだ。


「無事で良かったよ、衛紀くん。でも……衛紀クン、ドイテ、ソイツ殺セナイ」

「あァ? ……この私を無視とはなかなかやるじゃねえか」


 何だか燎弥が昔言っていたようなネタめいた発言をする玲華だったが、ネタ要素ゼロだ。しかも、彼女は今朝と同じ例のモードに切り替わってやがる。

 一方で矢吹も矢吹で女子がしちゃいけないような悪党の顔をして玲華と対峙するが、玲華は思い切り矢吹のセリフを遮った。


「黙れ。無駄乳。牧場へ帰るか?」

「…………ブッ殺す」


 ここに、合戦の火蓋が切って落とされた。

 矢吹が右腕を前に突き出すと、背後の氷の粒を含む圧倒的な冷気はブリザードの如く玲華へ向かって吹き付けた。対して玲華は即座に左手に大剣を持ち替えて、右手に意識を集中させているのが分かる。それから瞼を柔らかく閉じ、その名を呼ぶ。


『世界を焼(レーヴ)き尽く()す黄昏の剣』(テイン)よ……」


 玲華の右手からは剣と呼ぶことも躊躇われる、いっそのこと、ただ「炎」と表現したくなるような剣が顕された。両手持ちなのか片手持ちなのか分からない微妙な柄(ツーハンデッドソードという種類だっけか)に、紅蓮の業火を纏う長い刀身。剣からは距離があるというのに、俺の皮膚がジリジリとするくらいの熱気が伝わってくる。

 まさかとは思うが……玲華がその剣を「その名」で呼んだのであれば、業火を纏うその剣は正しくラグナロクにおいて九つの世界を焼き尽くしたという巨人スルトの持つレーヴァテインなのだろう。とは言っても、そのレーヴァテインとやらが果たして巨人スルトがラグナロクの際に振るい、世界を焼き尽くした剣なのかは定かではない。そもそもレーヴァテインが剣かさえも定かではないという。枝という説もあるくらいだ。

 と、いったところで俺は呆然とするルナの手を掴んで、クルリと背を向け、もはや形を失おうとしているレストランを駆け出した。馬鹿か、あんな高度な魔術戦に巻き込まれちゃ溜まったもんじゃねえ。火傷も凍傷もごめんだ、というかそれどころじゃ済まない。

 それに、ここまでの魔術を派手に使えばいずれあのレストランには警察がやってくるだろう。それまでに逃げないと厄介な事になる。し、しかも、玲華さんは「どいて」って言った事ですしね。ありがとう、玲華。ここは彼女のありがたいご助言に従ってとんずらさせてもらう。

 背後から吹き荒れる冷気と熱風は俺の背中を思い切り叩き、何かもう一周回って俺がこの場から逃げ出そうとしているのを後押ししてくれているようにも感じる。まあ、何故だか若干三名ほどからの物凄く冷たい視線を背中に受けているが、一体どういうわけだろうな。俺にはサッパリだ。

 だが、これも何かの縁だ、良い事を教えてやろう。俺様のありがたいお話をよく聞け、魔術馬鹿共。恥やら見栄なんてもんは捨てちまえ、これが、雑魚が雑魚なりに小賢しく生きていくコツってヤツだ。下手に魔術やら己の才能なんかに縋ろうとするから馬鹿を見るんだ。


   ***


 ああ、すみません。俺は大丈夫です。ルナも見た限りでは無事です。

 あの後、チキン上等でレストラン、ひいてはショッピングモールから逃げ出してきたのは良いものの、建物からは未だに爆発音が轟き、真っ黒い煙がもくもくと出ている。逃げ出さなければ俺もあの場にいたのだろう、そう思うと寒気が全身を撫でる。ああ、本当に逃げ出してきて良かった。

 だが、彼女たちの『例外』(インダルジェンス)が具体的にどのような内容なのかは聞きそびれた。結局、分かったのは今回の『例外』(インダルジェンス)に藤原衛世が一枚噛んでいたということと、呪符の効果や魔法陣の形から忌まわしい儀式と惨殺事件の関連性が露見したくらいだ。それとこの地に斬殺魔以外にも強敵ならぬ凶敵が増えたという事か。

 まあ、今は奴らから逃げ切ったが、俺が斬殺事件や忌まわしい儀式に関与する以上は『例外』(インダルジェンス)とは絶対に干渉するのだ。今逃げたとしても後々は必ず相見える事になるのだろう。あの魔女たちに。

 ……ということで、どうせ後になったらまた対立するのだから、今回の逃亡は逃亡ではない。いわゆる、戦略的撤退というヤツだ。俺の意気地無し。


「ご無事でしょうか、ご主人様?」

「うん……俺はもう大丈夫だよ。ルナこそ大丈夫か?」

「はい、私も大丈夫です。ご主人様のお気遣い、大変嬉しいです。ありがとうございます」


 赤基調の和服に身を包むルナはその場で一回転し、無事であることをアピールした。彼女の金髪はやや傾き始めた太陽の輝きを反射し、眩しくも美しい。時刻も、もう二時半くらいか。早いものだ。

 ルナは隠していた父の形見である指輪型の魔具を俺に渡し、俺はそれをあるべき場所に嵌め直す。うん……やっぱり、コレはここにあるべきものだ。

 なるほどな、ルナには分かっていたのだろう。魔術師矢吹の張った結界が破壊され、その上で圧倒的な魔力によって形成された氷の塊……なんてものが生成されようものなら直様、滝沢玲華が飛んでくるということを。あれだけ大規模な魔術を発動したのだ、玲華ならその異常な程の魔力の活動を察知する事が出来るのだ。だから、ルナは指輪を隠そうと俺に必死に呼びかけていたのだ。

 全く、そう言う事なら一から話してくれれば良かったものを、とは思うが、あの状況でルナにそれ以上を要求するのは酷と言えよう。それ以前にあの状況でよくそこまで考察出来たものだと感心するくらいだ。本当に大したメイドだこと。

 後方はショッピングモールを中心に少々物騒な光景が広がっているが、俺の視界に映る景色は田舎特有なのどかなそれだ。若干粗悪に作られたコンクリの道の横には大きな雑木林があり、そこを通り抜ける風の音が音を聞く者を癒す。

 この雑木林は戦蓮社村周辺の険しい駒ヶ岳と呼ばれる山の一角を成す区域でもあり、登って行けば果処無村に辿り着く。そもそも、戦蓮社村というのはこの駒ヶ岳と呼ばれる山、とその他のいくつかの山によって構成されている大きな山の一部を、無理矢理平地のように切り開いて作られた山に囲まれた村である。だから、山を登れば九頭龍湖や果処無村へ、山を降りれば小田原城なんかで有名な……っとやべえ、特定されるからここまでだ。というかもうほとんど言ったようなものだな、地名と城の名前、同じじゃねぇかよ。まあ、とにかく自然が綺麗な村なんだよ。

 そういうわけで辺りの雑木林はお昼だと言うのに相変わらず鬱蒼としているが、道の端々から見える色とりどりで小さな花を咲かせる野草は非常に可愛らしい。ええと、指輪の能力を使えば、紫色の花がオオイヌノフグリ、ピンク色のがカキドオシ……。ああ、もうッ、魔力消費が激しいなあ、もう一個綺麗なピンク色の花があるが、調べるのはナシだ。

 すると、ルナは道ばたにしゃがみ込んで、例のピンク色の野草を観察し始めた。植物の丈はだいたい十センチ前後で、花の色は本当に鮮やかで可憐なピンク色。それからルナはにこりと微笑んでその花を摘み、下駄をカンカンと鳴らして駆けてきた。何だ、物凄い乙女らしいじゃないか。乙女なんだけど。


「ふふ、ご主人様、これはサクラソウと呼ばれる野草ですよ。日本の環境省のレッドリストに登録されている、いわゆる絶滅の危機にある野草です。可愛らしい鮮やかなピンク色が特徴的なお花ですよ」

「あのなあ、お前はそのサクラソウとやらが日本の環境省のレッドリストに登録されている花と知っていて摘んできたのか」


 何が乙女だ、お前はハンターなのか、悪魔なのか。もう何だか愛おしそうに微笑んで花を摘んだ時のルナの顔が死神の微笑みのようにも思われる。

 しかし、野草ハンター兼死神のルナは割りかし落ち着いて首を振る。


「ご心配なく、ご主人様。元々、この花は湿気の多い場所に生える野草なのですよ。ですから、ほら、例えば河川敷とか、ですね」


 ルナはそう言って、道の横、雑木林の反対側を指差した。彼女の風にはためく桜の刺繍が施された赤い袖の向こう、そこは例によって河川敷だ。そこに流れる大きな川は言うまでもなかろう、旧果処無神社の奥、九頭龍湖から流れる九頭龍川だ。昨晩、俺の見た事件の主な舞台の一つである果処無村の九頭龍川、その下流(川の全体から見れば、ここ戦蓮社村を流れる九頭龍川もまだまだ上流な方だ)がここの河川敷である。

 昨晩はあんなにも流れが速く、おぞましい轟音を鳴らしていた墨汁のような九頭龍川だったが、今、真横に流れる九頭龍川は本当に同じ川なのかと見違えるような穏やかっぷりだ。川は太陽の光をキラキラと反射し、せせらぎは雑木林を駆け抜ける風の音と組み合わさり、絶妙なハーモニーを奏でる。まあ、あっちの方が上流でとりわけ危険区域なんだから差があるのも当然なのだが。

 河川敷には芝生が生い茂り、その中にはポツポツと、鮮やかなピンク色の花弁を特徴とするサクラソウが咲いていた。元々サクラソウはこの河川敷側に多く自生していたのか。そういえば昔、教科書でサクラソウと何とか花蜂とかやったっけな。


「まだ、この自然の残る戦蓮社にはサクラソウもそれなりに自生しているようです。鮮やかなサクラソウ、緑色の芝生、そして穏やかな川の流れ。ここの眺めは本当に、綺麗ですね」

「ああ……。本当に綺麗だ。この川が、本当に、あの九頭龍川だったのか」


 俺が溜め息混じりに呟くと、ルナは軽く目を伏せて俯く。

 コイツは……一通り、昨晩の事は父さんから聞いているのだろう。何たって血で書かれたという呪符を父から受け取っているくらいだ。ああ、そう言えばあの呪符、テーブルに置きっぱなしのまま逃げてきちゃったなあ。まあ、持っていてもその効力は小数点以下三桁程度って言うし、玲華にも見つかってはいけないモノだし、良いや。いらない。

 俺は何気なく河川敷に座り込み、ルナも少し和服で座ることに躊躇ったようだが、俺の隣に座った。俺の手の近くでは、小さく、しかし力強く鮮やかな桃色の花を咲かせるサクラソウが風に揺れていた。風は川や雑木林を香らせ、隣にぴったりと座ったルナの金髪を靡かせる。肩に掛かる彼女の髪が、制服の上からでも妙にくすぐったかった。


「お辛い……ですよね。お悩みの事は私、ルナがお聞き致しますよ」

「もう大丈夫だよ。大体、ご主人様のカッコ悪い姿なんてメイドに見せたくないからな。ご主人様はメイドの上に立つ者だからな」

「むむむ、遠慮しなくて良いのですよ、ご主人様。私は、頭の先から爪先までご主人様のモノなのですから……」

「ば……馬鹿な事を言うな。お前は……お前は、今日会ったばかりの、それだけ、それだけなんだから」


 隣のルナは頬を少し膨らませたが、俺の表情を見て察したようだ。彼女はそのまま、仕方なさそうに微かに微笑み、緩やかな流れに視線を向けた。

 察してくれるのはありがたいのだが、出会ったばっかりと豪語してやったコイツに見透かされるのは恥ずかしかった。今度はこの恥ずかしさを見透かされまいと俺は伸ばしていた脚を折りたたみ、体育座りに切り替えて顔を伏せる。どうせ、これも見透かされているのだろうけど。

 全く、そんなに優しいとお前についつい気を許しそうになるから止めてくれ。俺とお前は昨晩、初めて出会ったんだよ。

 そうだというのに、俺は一体、何故、この女と馴れ馴れしく言葉を交わしているのか。俺は人の命のかかっている緊急事態だというのに、彼女と行動を共にしていた。一体、どういう趣向の戯れだというのだろうか。

 だが……父を失った俺は、本名や住所さえも分からない不思議な女の子に満たされつつあった。落ち着きを取り戻しつつあった。俺はそれに対してとりわけ嫌な感じはしなかった。彼女に土足で踏み込まれても、何だか許せてしまうというか、寧ろ招き入れている気さえする。俺は悩んでいる領域に土足で踏み込まれるのは嫌だったはずなのにな。

 今の俺が不幸と言えば、たった一人の家族が死んでしまったのだ、不幸に決まっている。だが、それが滅茶苦茶不幸で、俺が世界一の不幸者だ、というわけではない。そう言えるくらいには回復してきた。余り大きな声では言えないが、世界中の人間を幸せな人間と不幸な人間とに二分した時、俺は明らかに幸せな人間の陣営に分類されるのだろう。


 昨夜、ルナが手を握って、俺を落ち着かせようとした時から、俺は立ち直りつつあった。そうさ、ずっとこんな時が続けば良いのだ。ずっと、ずっと。


 このまま二人で。

 この二人だけで。


 だから俺は彼女との間に他の者を何人たりとも入れたくない。

 だから俺は彼女を他人に見せるのがあまり良い気分ではない。

 だから俺は彼女が他の人を視界に入れることが気に食わない。

 だから俺は彼女を他人の目の届く範囲に置きたいと思わない。

 だから俺は彼女が自分の元から離れるという事態を望まない。

 だから、俺は、彼女を…………。


「ご主人様?」

「……ッ?!」


 ルナが急に俺の顔を覗き込んだのだ。

 か、顔が……近い。彼女のエメラルドの瞳が俺の顔に近づき、彼女の息遣いさえ感じられた。び、ビビった。全くどういうことですかルナさんよぉ……。

 ルナは微笑んで、そのまま耳元で囁いた。


「ふふ、構いませんよ、ご主人様。どのような理由であれ、私はご主人様に尽くしますから」

「全く……そうやって話を掏り替えてもダメだぞ、ルナ」


 俺がルナの頭を軽く小突くと、彼女はきゃっきゃと戯れる。その嬉しそう顔は、もう何だか俺まで嬉しい気分になってしまいそうだ。全く、これが今、唯一出来るお仕置きだというのに、喜んでいるんじゃねえよ。

 ってか、あれ……今まで何考えていたっけ。まあ、忘れてしまう程度なら大したことないのだろう。どうでも良いや。知らん。


   ***


「……さて、では、ようやくお話出来そうですね。この『暁月の環』(グレモリー)について」


 半泣き状態だったルナは乱れた金髪を掻き上げながら、厨二っぽい用語を交えて言った。

 というか、半泣き状態って、おい。俺はお仕置き、もといお戯れでちょっと弄り過ぎてしまったようだ。俺は彼女を小突きまくって河川敷の芝生に押し倒して、更にきゃっきゃと黄色い悲鳴を上げさせてしまったのだった。

 うん……少しやり過ぎてしまったようだ、反省しよう。いや、いじめ過ぎたのではなく、ご褒美をあげ過ぎたようだからな。だって、さっきも言ったけど滅茶苦茶喜んでいるんだもの。

 しかも、端から見れば男子高生が金髪の美少女を無理矢理押し倒し、真っ昼間ながら人気のない野外で何かをしでかしているように見えるのだから……。

 って、待て。それは違う。ルナは幽星体(アストラル)状態だから、俺はたった一人で真っ昼間の野外で、エア彼女的な何か(その正体は虚空。つまり、そんなものは無い)と虚しい事をしているように見えるのか。これは大問題だ、もう止めよう。


「ああ、本当にようやく、だな。いやあ、正確な事を知らないままであの殺し合いでいきなり運用するとか、今更だけど自分の正気を疑うね」

「あのご立派な様子ですと、もうご主人様のお考えの通りだと思いますよ。ですが、ご主人様のお心を乱すものを排除するのが私の務めですので、どうかご安心を。それに、今、実にようやく邪魔者(・・・)が消えたことですし……」


 る、ルナさん、怖い、怖いですよ。

 ルナは流れる金髪を抑えながら、にやりと不敵な笑みを浮かべる。

 この場合、果たして邪魔者とは玲華なのか港元市の魔術師なのか、それともフィリップさんなのかは分からないが……ルナがこの状況を作るために画策してそうな気がしてしまう。ルナが強大な魔女同士を意図的にぶつけさせた、ような気が。

 いや、あのですね、いくら何でも港元市の魔術師と玲華が上手くぶつかった結果、この二人きりの時間が出来ているとだな、少しは思うところがありましてですね。とは言え、確かに玲華がいると『暁月の環』(グレモリー)についての話が出来ないのは事実だ。だから、仮にもルナが玲華と港元市の魔術師をうまくぶつけさせたというのであれば、本来は感謝すべきなのだろう。

 って、そんな人間離れしたこと出来るワケねぇだろと皆様はお思いかもしれないが、ルナもこの時代を生きる人間ならば当然ながら魔術師であるのだ。こんな可愛らしい顔をしていても(さっきは怖かったが)何をしでかすかは分からない。でも、玲華が剣を、矢吹が氷を極めているように、ルナが魔術師としてどの領域を専門として極めているのかは分からないんだけどね。


「で、コレは『暁月の環』(グレモリー)とかいう厨二っぽい名前を持つ指輪なのか?」


 『暁月の環』(グレモリー)

 その厨二用語の正体は、俺の右手人差し指に嵌められた父の形見、銀の指輪のことのようだ。

 ルナは真面目な顔で頷き、俺は銀の指輪がよく見えるように右手を正面に突き出す。前面に見える銀の指輪は午後三時の太陽の光を反射する。いつ見ても飾りっ気の無いシンプル過ぎる指輪で、崩れた文字なのか記号かも分からないものが刻み込まれている。厚さや大きさも言う程なく、少し強く握ってしまえばくしゃりとひしゃげてしまいそうだ。

 しかし、その指輪型の魔具の能力とは……。


「いえ、それは魔具ではございません」

「俺の指輪に関する考察くらい述べさせてくれ」


 メイドに出鼻を挫かれてしまった。こんちくしょう。

 ルナは時間が多くはございませんので、と頭をぺこりと下げて説明をした。

 でも、これが魔具で無ければ何だと言うのだ。他の表現、というか他のモノが思い付かない。ただの魔具にしては高性能なのは分かるのだが。

 はい、おさらいと行こうか。魔具というものは魔法陣や記号を始めとした術式が一つ、若しくは二つ以上刻み込まれており、魔力を流すだけで魔術を起こすことの出来る便利アイテムだ。

 そのメリットとは、人間と魔術の間を取り持つ術式をその場その場で一から組み立てる必要が無い、という一点に集約される。これは魔術が技術と呼ばれる以前の時代から存在し、古いもので言えば、杖やら空飛ぶ箒も魔具である。

 そして、そんな古臭い魔具以外にも港元市で開発されたような空間加速砲(エアアクセル)といった先端技術を用いた物もあり、その種類は非常に多岐に渡る。

 そうやって考えれば、この指輪だって魔力を流すだけで知識を得る、という術式を組み立てる必要の無い性質を持つと言える。それは正に魔具の性質そのもののはずだ。何が違うと言うのだろうか。俺が怪訝な表情をしてルナを見返すが、ルナは首を振ってそれを否定した。


「ご主人様は、宝具(ほうぐ)……と呼ばれる物体をご存知ですか? これはその宝具というものなのですが……」

「な、何だそりゃ……? 聞いたことが無いし、見たことも無いが……」

「現状、そこはさして重要じゃないので省略させていただきます。とにかく、絶対に破壊されないし、絶対に邪魔されない魔具、とお考え下さい」

「ふむ…………なるほど、意味が分からん」


 絶対に破壊されないし、絶対に邪魔されない。

 何かなあ……絶対、という言葉がくっ付くと凄く安っぽくなるんだよなあ。

 絶対に貫ける、とか絶対に貫かれない、とかはもう矛盾という故事で嫌という程指摘されてきている。アニメや漫画だと、そういう物体同士が衝突すると両者共に破壊されたりするなんて展開があった気がするけど。

 で、そんで、この指輪が百歩譲って魔具ではなく宝具という代物だと仮定して、一体全体何が重要なんだ。個人的には、絶対に破壊されないとか結構大事だと思うんだけどなあ。


『暁月の環』(グレモリー)は自身の置かれた状況を、自分の望む状況に変えるだけの知識を授けるという、ただそれだけの宝具です。残念ながら、ご主人様が望んでいらっしゃるような、炎を吹き出したり、氷を生み出したり、といった攻撃的な機能は一切持ち合わせておりません……」

「だよなあ。やっぱ、それだけだよなあ。畜生め、そのクセ法外の量の魔力を必要とするし、もう、俺、魔力切れだぞ……」


 俺が攻撃的機能を持った魔具(これは宝具というものらしいが)を望んでいるのを知っているルナは、それについて真っ先に釘を打ってきた。ああ、もう、ルナさんは俺の事など何でもお見通しか。

 その通り、俺は死なないという謎の力以外に攻撃的な魔術をほとんど扱えないのだ。誠に悔しいが、これは事実だ。そうじゃなきゃ、俺は今頃、港元市の第一学園の高等部に在籍していたはずだからな。はいはい、お見通しも何も、こんなこと当たり前の事でしたね。

 俺が指輪から憎々しげな視線を外して、放心しながら視線の先に流れる九頭龍川を眺め始めると、ルナは慌ててテレビのセールスマンのように指輪を持ち上げ始める。


「し、しかしですね、ご主人様。宝具の性質上、ある程度の戦闘力があればこの宝具は案外役に立ちますよ。極端に申しますと、指輪の知識は絶対に邪魔されるものではない以上、指輪の知識は絶対なのです。絶対的な知識に従えば、ご主人様は望む運命を絶対に手に入れることが出来ます。ほら、先程、ご主人様が港元市製の結界を容易く破壊してみせたように……」

「まあ、それはそうなんだけど。というか、待て。何それ、チートじゃないか。いや、薄々は感じてはいたけどさ、その絶対的な知識に従えば……」

「そうです、どんな相手だって倒せます。それどころか、どんな運命でさえもその御手に導くことが可能です」

「っよっしゃあああ、チートアイテム、来たぁぁあああ!」


 俺は数十年前に流行った完全勝利を決めたロリスのポーズを決めると、焦りに焦っていたルナは向日葵のような笑顔でパチパチと手を鳴らす。ルナの持ち上げ方もアレだが、俺の手の平クルー感もアレだな。

 いや、本当にこれはマジなのか。夢幻なんかじゃないだろうな。使っている時からそんな能力を持っているとは考えていたが、まさかそれが運命に干渉するような絶対的な力を持つのか。この指輪は。

 自身の運命を変える絶対的な知識に従うというのは、自身の置かれた状況、いや、運命を絶対に任意の運命へと捻じ曲げ、導くということ。つまり、俺の恣に世界の運命は変わるということなのだ。魔力さえあれば。

 具体的に言えば、倒すべき相手を「倒すという運命」への絶対的な知識が手に入るのだ。それから、その絶対的な知識にコツコツと従って戦えば、絶対に倒すことが出来るというのだ。そういう運命に、絶対に、辿り着けるのだ。

 現在の魔術でもある程度人を幸運にしたり、不幸にしたりするようなものはあるものの、運命そのものを人が変えるなどという魔術は空前絶後という言葉がぴったりだ。いや、もしかしたら魔術なんかを使わずに運命を変える力が人間にはあるかもしれない。だが、それを「変えた」と確信する材料が人間には無いのだ。だから、彼らは運命を変えたという風にそれを思わないのだ。

 しかし、この『暁月の環』(グレモリー)はそれを可能とする最強の代物、いや、最強の宝具だったのだ!

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