078 T大
■T大■
ぴくっ。
ふっ・・・。
エルフィアから戻ってきた和人は、事務所のソファーに横になっているのに気づいた。
「あれぇ、オレ、なんでソファーなんかに?」
「やっと、お目覚めね」
「真紀社長。それに常務や二宮先輩も」
「ユティスをめぐっての対決はどうだったのかしら?」
「あ、それ・・・」
「知ってるわよ」
「そうですか・・・」
「どうだったんだ?」
「ええ。今回は撃退できたけど・・・」
「やはり、そうだったのか!」
「うほー、勝ったのか、和人。やるじゃないか。一発かましてやったんだろう?」
「いや暴力は・・・」
「和人さん、大丈夫ですか?」
石橋が心配そうに和人に寄ってきて声をかけた。
「あ、石橋さん、なんでもないんです。ちょっとだけ・・・」
「ちょっとだけ、なにかあったのでしょうか?」
「疲れてんです」
「そ、そう・・・。わたし心配しちゃった。無理をしないでくださいね」
「は、はい・・・」
(わたしだけが、本当のことを知らされてない・・・。和人さんの様子、あれはとても普通ではないわ。それに、心底疲れきってるって感じだった。すごく悲しい。すごく寂しい)
石橋は聞きたくても、怖くて聞けなかった。
和人の話を聞くと、俊介は頭を抱えた。
「おまえの話だと半径30億光年、差し渡し直径60億光年もの想像すらできない領域のどこに天の川銀河が位置するのかってことだろ?」
「リーエス」
「リーエス?」
「あ、はい」
「前にT大の高根沢博士に頼んではいるが、天の川銀河の正面図と断面図?どうやって作成するというんだ?われわれ地球人は、天の川銀河の真の姿を正面から直接観察する手段はないんだ・・・。困った・・・」
「はい、わかっています・・・」
「なにしろ、われわれは天の川銀河の中に位置しているんだからな。そこを抜け出して遠くから俯瞰するなどできはしない。自分の顔なら鏡やビデオカメラで確認できるが、天の川銀河は直径10万光年、構成する恒星も2000億個もあろうかという大銀河だ。その真の姿は、赤外線観測や電波観測で、こうだろうという予測をするだけだからな。いくらT大の宇宙研究室とはいえ、どうやって、正確なものを確認する・・・?」
「とにかく、オレには無理なんで、その高根沢博士にお願いできますか?」
「そりゃ、かまわないが、エルフィアの方はどうなっている?」
「それについては、エルフィア銀河と、エルフィアがある渦状腕と、その中での位置を入手してあります」
「なに?それを持ってるのか、おまえ?」
「ええ。頭の中ですけど」
「取り出せ・・・」
「ええ?」
--- ^_^ わっはっは! ---
「ど、どうやってですか?」
「心配するな。幸いT大には医学部の脳神経外科もある」
「ちょっと待ってください!」
--- ^_^ わっはっは! ---
「安心しろ、腕はいい」
--- ^_^ わっはっは! ---
「そんな問題じゃないですよぉ」
--- ^_^ わっはっは! ---
「おまえの脳波を捉える電子装置にヘルメットみたいなものを被せるだけだ。お前が心に描いたものをある程度映し出せる」
「ホントですかぁ・・・?」
「なんてものがあるか、聞いてこよう」
「へっ?」
--- ^_^ わっはっは! ---
「なけりゃ、オペだ・・・」
「今すぐ、プロジェクトから降ろさせてください!」
「却下」
--- ^_^ わっはっは! ---
国分寺は大田原に連絡をとった。大田原は第一級の天文学者連をたちまち招集した。そこで、天の川銀河における太陽系の位置、天の川銀河の周辺の銀河の地図を出すよう要請したのである。半径3億光年、直径の球状の立体地図だった。この中に何十万という銀河のそれぞれに対して座標とそのディスク面の傾き、をプロットするという、途方もない作業だった。地球から形がはっきりわかる銀河については、その個別情報も付加された。
T大では、高根沢博士が学生相手に銀河と宇宙の大規模構造の講義をしていた。
「諸君。われわれ人類は、ほんの数百年前にやっと、地球が太陽系の中心ではなく太陽を回る一つの惑星だと知ったわけだ。天の川がミルクの川でなく、何千億個もの恒星でできている銀河であることもわかった」
高根沢博士は宇宙物理学の権威であった。
「だが、天の川が途方もない数の星の集まりだと確認したハーシェルも、太陽系を銀河の中心に置いた。これも・・・、間違いだった。太陽系は、天の川銀河の中心から2万6千光年も離れたところにあった」
高根沢博士は170センチそこそこだったが、体重は90キロ近くあった。
「夜空の銀河の観測と、電波望遠鏡の精密な観測から、天の川銀河は、渦巻き銀河ということがわかったが、今では、中心のバルジが棒状の棒渦状銀河であると訂正された。しかも、同じくらいの太さの渦状腕が5つあると長らく思われていたが、実は、大きな2本の腕と小さないくつかの腕が伸びていて、太陽系は、主だった2つの腕にすらなく、そこから派生する、淡い小さなオリオン腕に、しかも、かなり星の密度が低い領域に位置することも判明した。オリオン腕が4つの大きな腕ではないことすら、われわれは気がつかなかった」
高根沢博士は研究も好きだが、講義も好きだった。
「天の川銀河は、アンドロメダ銀河を含む大小40以上の銀河で局所銀河団を形成することもわかった。だが、まだまだ、天文学者は天の川銀河を中心にすえて宇宙を考えていた。しかし、様々な銀河の距離が、赤方偏移とセファイド型変光星、Ia型超新星で、より正確に算出されるようになり、各々の銀河の位置は、相対的なことでしかないことが明らかになり、さずがに天文学者も天の川銀河が宇宙の中心にあるとは思わなくなった」
高根沢博士は大田原太郎と中が良かった。
「さらに、銀河団は、いくつも連なり合い超銀河団を形成していて、大きいものは10億光年以上というとてつもない大きさだった。わが天の川銀河は、数億光年にわたっている隣の乙女座超銀河団に含まれていることもわかった。これが、最新の超銀河団全体の様子だ。宇宙の大規模構造と呼んでいる」
高根沢博士の映し出した映像に、学生たちは息を飲んだ。蜘蛛の巣状にびっしり分布している銀河は、いったい何億あるかしれなかった。
「諸君。この一点、一点のすべてが、直径10万光年はあろうかという銀河だ。この宇宙地図は、中心に天の川銀河をすえてはいるが、天の川銀河が中心にあるというわけでは決してない。世界地図は各国によって、日本の位置が異なっているだろう。それと一緒だ。もし、はるか数億光年先に知的生命体がいたとしたら、この地図の銀河の相対的位置はは変わらずとも、彼らの描く宇宙地図はまったく別の視点から作成された地図になるだろう」
「先生、天の川銀河が中心のバルジが細長い棒渦状銀河だと、どうしてわかったんですか?。それに、オリオン腕が主渦状腕でなくて派生的な渦状腕でしかないと?」
にっこり。
高根沢は満足そうに笑った。
「よい質問だ。地球の位置だよ、天の川銀河における。うむ。具合のいいことに、太陽系はバルジの軸方向からちょうど45度斜めの位置にある。だから、バルジの左側は地球に近く右側より明るい。赤外線で星間物質を取り除く処理をした後でも結果は変わらなかった。これはバルジが球形ではなく、ラグビーボールを長細く引き伸ばしたような形と考える方が、理にかなっている。もし、地球がバルジに対して0度ないしは90度に位置していたとしたなら、バルジの左右の明るさは同じだから、バルジが棒状だとは判明しなかっただろうな。今では、この棒状のバルジの長さが2万光年以上あると考えられているぞ」
「わかりました。それで・・・?」
「オリオン腕については、MASAのスピッツァー望遠鏡や電波望遠鏡で、天の川銀河の幾万という星を10年観測した結果だ。もう一度、天の川銀河の正面図を見てみよう」
ぴっ。
高根沢教授は、すばらしく美しい天の川銀河の正面予想図を、スクリーンに映し出した。
「どうだね、きみたちの感想は?」
「はぁ・・・」
あまりの美しさに学生たちはため息をもらした。
「地球が、天の川銀河のこの位置、中心から2万6千光年離れていること。そして星があまり密集していないオリオン腕のはずれに位置すること。これが、生命誕生の好条件となりえたんだ。もし、バルジの中にあったとしたら、回りの星々の重力の影響や放射線の影響で、とても生命体が生きれる環境ではなかっただろうね。ましてや、その中心となると、超巨大ブラックホールの放つとてつもない放射線で、一瞬で焼き殺されてしまうだろう。ここの星たちは、太陽の質量の100万倍はあろうかという、超巨大ブラックホールの周りを、なんと秒速数千キロという猛スピードで回っているんだ」
高根沢博士はユーモアのある温厚な性格だった。
「また、銀河のディスク面から外れていたり、ディスクのリムにあったとしても、十分な酸素炭素といった重元素や星間物質が得られず、必要な重力もなく、超新星となる超重量級の星も生まれず、星は世代を重ねることもなく、生命誕生に必要な重元素も、供給されなかっただろうな」
「はい。ありがとうございます」
質問した学生は頷いた。
「天の川銀河は135億歳、太陽は50億歳だ。さて、なにがわかるかな?」
「はい」
「そこの手をあげたきみ、名前は?」
「ファンです」
「おお、留学生かね?」
「はい」
「さて、ファン君の説は?」
「太陽は第一世代の恒星ではない、ということです。少なくとも数世代経てできた星です」
「うむ。完璧だ。さあ、諸君、答えてくれたファン君に拍手」
ぱちぱち・・・。
「どーも」
ファンは頭を下げた。
教室は拍手に包まれた。
「太陽ができる前、第一世代、第二世代の水素とヘリウム中心の大型星があった。今は、太陽は第三ないしは、第四世代の星だとされている。そして、それらの大型星は生涯の最後に超新星爆発をして、鉄より重い重元素をあたりに撒き散らした。それを使って、太陽も惑星も生まれたわけだ」
高根沢博士は学生を見回し、一呼吸置いた。
「で、わたしが言いたいのはこれだよ。諸君の体を作っている重元素も、そういう超新星の中心で核融合によって、その時に作られたということなんだ。そして、その時のまま、きみらの身体を構成している訳だ。きみらは、超新星の成れの果てだ」
「おお・・・」
静かなどよめきが教室に起こった。
「超新星の残骸が、銀河を漂ってやっときみらの体を構成する一部になった。もちろん、わたしもだ。なにも超新星は何万光年も先の話ではない。われわれ自身の体なんだ。そして、われわれの体になる前は、その他の生物、恐竜とか、三葉虫とか、そういうものや、ロボクや他の直物の構成元素だったかもしれん。そうやって、何十億年もの間、宿主を変えてきたんだ。そして、やっと今、きみらの体に宿った・・・。どうだね、少しは、宇宙の偉大さを感じることができたかな?」
「すごい・・・」
「どっかぁーんだなぁ・・・」
高根沢教授の言葉に教室はどよめいた。
「われわれは、星の子だよ。一人残らず。原子のレベルで年齢を計るとしたら、さしずめ、わたしは・・・、そうだな、137億と56歳かな」
「はははは」
「ふふふふ」
教室は笑いの渦が起こった。
「じゃあ、わたしは?」
カップルと思わしき二人の内、女学生が彼氏にきいてみた。
「おまえは、137億と21歳。すっげぇ、婆さんだな・・・」
--- ^_^ わっはっは! ---
「ま、失礼な!誕生日、まだだからね。まだ20歳だってば!」
「きいてきたのは、おまえだろ?」
「わはっは。こらこら、そこ。そのくらいじゃ、誤差にもならんぞ!」
--- ^_^ わっはっは! ---
「確かに!」
「わっはっは!」
「あははははは」
きんこーん、かんこーん・・・。
講義の終了を告げるチャイムが鳴った。
「それじゃ、諸君。次の講義も一緒に楽しむとしよう」
「ありがとうございます、先生」
ぱちぱち・・・。
教室は高根沢教授への拍手に包まれた。
「ありがとうございます」
「おお、ありがとう。また、よろしくな」
「失礼します」
学生たちは次々に教室を後にした。
「教授、お客様です」
「恵美くんか?」
「はい」
高根沢が自分の研究室に戻ると、中には意外な人物がいた。
「お、大田原さん・・・。お一人とは、無用心ですな」
「天下のT大で、テロでもあると?」
大田原はにやりと笑った。
「可能性なら、まったくゼロとは申しあげられませんな」
「そうではなくて、ここまで来る間に・・・。わたしは、車で来ている。警備は部屋の外で待機させた」
「そういうことなら、けっこうです。で、ご用件は」
「ズバリ、天の川銀河中心にして、半径30億光年の直径1万光年以上の銀河の地図を大至急作成してもらいたい」
大田原は真剣な表情だった。
「ふむ・・・」
高根沢は大田原を見つめて、静かに言った。
「どういう理由かわかりませんが、NASAにあるSDSSのデータでは、不足ですかな?あなたなら、データの使用許可をお取りできるでしょうに・・・」
教授が言った。
「銀河地図の作成が不可欠です」
「大田原さん、お気持ちはわかりますが大きな問題があります」
「なんですか?」
「銀河までの算出距離です。誤差が10%ですめば、精度としてはいい方です」
「うむ・・・」
「あまたある銀河は、Ia型超新星、セファイド型変光星や、スペクトルの赤方偏移から、天の川銀河との相対距離を算出するのですが、チャンドラセカール理論で、比較的同じ明るさとされてきたIa型超新星も、最近になって、同一の明るさではなさそうな観測結果も出ています」
「それで?」
「比較的近くある銀河でも何千万光年もあるんですよ」
「承知だ」
「ましてや30億光年となると、それだけで誤差は20%にもなってしまいます。やっと算出した距離ですら・・・。それは、何億年前、何億十年前にそこを出た光が、やっと地球にたどりついたということで、その間、さらに銀河は離れていっています。現時点の銀河間距離は、見かけより、遥か遠方にあるのです」
「承知していますよ。距離に比例して、すべての銀河が、後退速度が増すのであれば、銀河の図形的な位置関係は、あまり変わらんとも言えますな」
「そうかもしれません。しかし、銀河固有の運動も無視できません。いたるところで、銀河同士、衝突を繰り返しています」
「なるほど」
「今、われわれが見ている二つの銀河が、実はこの瞬間、衝突し終えて一つの大銀河になっているのかもしれない、ということです」
「まぁ、この際、天の川銀河がある局所銀河団と、それを含む乙女座超銀河団が明らかになっていれば、この大宇宙といえど、エルフィア人のことです、それなりに割り出せるでしょう」
「楽観的ですね。もし、エルフィアが、何十億光年も先にあるとしたら、SDSSのデータは、そのままでは問題がありますよ」
「いや、そんな途方もなく遠方でもありますまい。ハイパートランスポンダーが有効なのは、せいぜい2、3億光年までです」
「え?ハイパートランスポンダー?なんですか、それは?」
「それより、そんなに博士が心配でおられるなら、赤方偏移量を元に、銀河の相対的な後退速度を割り出し、距離の補正をすればよろしでしょう」
「大田原さん・・・。あなたという人は・・・、本当に政治家なんですか?」
「ふふふ。それで、他になにかありますかな?」
「銀河は、天の川銀河から遠くにあればあるほど、距離の誤差は大きくなります」
「了解です」
「それで作った地図が、はたして役に立つんでしょうか?SDSSにも、それなりの地図は、存在します。しかし、宇宙の大規模構造を理解するモデルとして使用するのならともかく、特定の銀河を割り出す地図としては、いったいどこまで通用するのやら・・・」
博士は首を振り大きくため息をついた。
(セレアムとさえ交信できれば、そのような問題はたちどころに解決できるのだが・・・)
大田原は思ったが、ハイパートランスポンダーの調子が悪く、どうしようもなかった。和人のつぶやきサイトの稼動を別にしたら、それは、まったく沈黙していた。
「けっこうです。あなたの算出した補正距離で、SDSSの銀河座標データベースを再構築してください」
「わかりました。SDSSの算出値を使いましょう。直系1万光年以上の銀河ですと、この領域内だけでも何百万か、それ以上にもなります。お探しの銀河は棒渦状銀河だということですが、それでもいったいいくつあるのやら・・・。全銀河の10%くらいは該当するかもしれませんぞ。せめて対象領域でもわかっていれば、もっと早くできるのですが」
「どれくらいかかりますか?」
「プロジェクトのメンバーは、最低10人は必要です。メンバーを構成するのに、2日。SDSSのデータを利用するとして、補正値をデータベースに反映させて、再構築とクレンジングに1週間。それを3次元展開するプログラムに2週間。土日も並行作業するとしても、クリティカルパスは、16日です」
「最低でも16日もかかるのですか?」
大田原は意外だという顔になった。
「楽観的にみても、それくらいは必要でしょう。そして、とても大切なことですが、地球から真横に位置する銀河は渦状銀河なのか、棒渦状銀河なのか、区別できない場合が多いということです」
「天の川銀河が、エルフィア銀河から見て、真横だったら・・・?」
「判別には苦労するでしょう。いや、ほとんど不可能でしょうなぁ・・・」
「対象は、どれくらいあるので?」
「今は、相当数としか申し上げられません」
高根沢は渋い顔になった。
「ふむ・・・。とにかく、早速とりかかってはもらえないしょうか?」
「了解しました。やってみましょう。それから、大田原さん、お探しの銀河とその周りの銀河の形状と大きさ、またそれぞれの相対位置情報が必要です。データベース上で探すのに更に数日かかるかと思います。もちろんシステムで自動検索をかけてですが。その情報はいつ入手できますか?」
「了解です。すぐに、やってみよう」
「ぜひ」
高根沢博士と大田原は握手して別れた。