035 茶帯
■茶帯■
二宮は、とある古武道を伝承してきた家系の次男として生まれていた。幼少より剣術を叩き込まれてきたが、本人は何も持たず敵を倒す徒手空拳、カラテに魅力を得ていた。学校を卒業してセレアムに入り、この大山市で足利道場生となった。一途で稽古熱心な彼は、どこか間の抜けた明るい性格もあいなって、師範はもとより黒帯たちに可愛がられ後輩からは慕われた。二宮は精進を重ねるうち、黒帯一歩手前の一級『茶帯』を締めていた。
今日の第3部ビジネスクラスには喜連川イザベル初段が来るということで、普段より道場生が多かった。もちろん、二宮もしっかり参加していた。
--- ^_^ わっはっは! ---
「では、稽古をはじめます」
「オス」
「準備運動」
「オス」
二宮の道場ではいつもの稽古が始まっていた。前列には、黒帯が後輩生徒たちに相対して2人並び、全員の稽古を見ていた。二宮は、1級の茶帯だったから前列の右の筆頭に位置していた。そして、その左前には喜連川イザベル初段がいた。
(くうーーーっ。髪を上げてポニーテールにしたイザベルちゃん、なんて、凛々しくて可愛らしいんだろう)
しかし、イザベルはにこりともせずに、1メートル前の仮想相手を見つめていた。
「基本に入ります」
「おす」
「右三戦立ち(みぎさんちんだち)、構え!」
「おす!」
「すいやぁ!」
「しや!」
道場生たちは、拳を握り締めたまま、気合とともに一斉に『三戦立ち(さんちんだち)』と呼ばれる立ち構えになった。
「逆突き、構え!」
「おす!」
「しぃや!」
しゅっ!
道場生たちは、右手を引っ込め同時に左手を前に出した。
「正拳中段突き、1000本!」
「おす」
「黒帯から各人50本ずつ。はじめ
っ!」
「おす」
イザベルが大きく息を吸い込むと、勢いよくそれを吐き出しさまに、左手を引っ込め右手を突き出した。
すぅーーー。
「1!」
「すいや!」
1000本突きのカウントえが始まった。
「2!」
「すいや!」
「3!」
「すいや!」
「こらぁ!1本、1本、目の前の相手を倒すつもりで突けぇ!」
黒帯の指導員の声が飛んだ。
「おす!」
「はじめから1000本やることを考えて手を抜くなぁ!途中100本で倒れても構わん。全力全速で突けぇーーー!」
「おす!」
「15!」
「すいや!」
「16!」
「すいや!」
「きぇーーーい!」
「27!」
「すいや!」
「そこぉ!そんなんじゃあ、敵を倒すどころか触ったことも気づかれんぞぉ!」
「28!」
「すいや!」
「気合、気合!」
「おす!」
黒帯の容赦ない掛け声に稽古は引き締まっていった。
ようやく地獄の1000突きが終わり、2分の休憩に入った。
「2分休憩します」
「おす!」
「はぁ、はぁ・・・」
「オス、二宮さん・・・。はぁ、はぁ・・・」
「おす。大丈夫か?」
二宮と仲の良いまだ黄帯の男子高校生が汗を拭いていた。
「おす。途中でひっくり返るかと思いました」
「オレもだ。みんなでやらなきゃだれも1000本持たないぜ・・・」
ぜいぜい・・・。
はぁ、はぁ・・・。
「おす」
「おまえ、こんなの独りでできると思うっかぁ?」
「オス。ムリです」
「オレもだ・・・」
「今の間に水分を補給してください」
イザベルが声を発した。
「おす」
ちらり。
二宮はイザベルを見た。
イザベルは苦しいはずなのに、肩で息をしていなかった。静かに、顔の汗を拭きペットボトルを手にした。指導員の黒帯も極めて平静を装って、水分を補給していた。
(やっぱり黒帯はすごいわ・・・。にしても、イザベルちゃんの凛々しいこと・・・。たまらん・・・)
--- ^_^ わっはっは! ---
「道着を直してください」
イザベルは無表情に言った。
「おす」
きゅ、きゅっ。
イザベルも道場生たちに後ろを向き、帯を締め直した。
2分の休憩はあっというまに終わった。
「続けて中段前蹴り、1000本いきます」
指導員の断固たる声が響いた。
「おす!」
道場内に再び緊張が走った。
(ひえーーーっ。蹴りも1000本かよぉ・・・)
しかし、だれ一人表情一つ変えなかった。
「おらおら、もうすぐ2分だぞ。位置につけぇ!」
指導員の声が飛んだ。
「おす!」
どたどたどた・・・。
きっ。
「蹴りに入る前に、息吹2回!」
「おす!」
息吹とは、息を肺いっぱいに一気に吸った後、全身に力を込めてゆっくりと息を長く吐き出す呼吸法だ。その時、胸の前で交差した両手を、ゆっくりと左右に開く。
「カーーーーーーーーーーーーーッ、ハッ!」
「もう一回」
「おす!」
「カーーーーーーーーーーーーーッ、ハッ!」
「力を抜いて深呼吸・・・」
「おす!」
「すうーーーーーーーっ。はぁーーーーーーっ」
「もう一回」
「おす!」
「すうーーーーーーーっ。はぁーーーーーーっ」
「しいや!」
「すいや!」
深呼吸で身体を整えると、指導員の発声で再び道場の気合が高まった。
「平行立ち、構え!」
「おす!」
「中段前蹴り。喜連川から」
「おす!」
イザベルの通る声がした。
「いきます。1!」
「しいや!」
「2!」
「すいや!」
「キエーーーッ!」
足利道場名物その2、地獄の1000本蹴りが始まった。
足利道場名物の1000本突きと1000本蹴りが1時間続いて、その日の稽古は終了した。二宮は例によってコンビニでビールを2缶買った。
「おす。あれ、二宮先輩ビールなんですか?」
道場の高校生の黄帯だった。
「おす。おまえも飲むのか?」
--- ^_^ わっはっは! ---
「おす。とんでもないっす。自分は未成年すから」
「じゃ、映画館にも入れないなぁ」
--- ^_^ わっはっは! ---
「おす。どんな映画館っすかぁ・・・」
「全編に女が出てくるヤツを上映してるさ」
「おす。でしたら年齢はクリアしてます。自分、5月生まれですから」
「そっかぁ。よかったなぁ・・・」
--- ^_^ わっはっは! ---
「おす」
「制服で入るなよな」
--- ^_^ わっはっは! ---
「おす・・・」
「じゃなぁ」
「おす・・・」
二宮は駅の方に向かった。
(むふ。今日はイザベルちゃんと稽古できてラッキーだったぜ。カッコ良かったなぁ・・・。小柄なのにスタイル抜群だし、あの道場着ではわかなかったけど、けっこうグラマーなんだよなぁ・・・。えへへ)
「むふふふ・・・」
くるり。
どん!
「きゃあ!」
二宮は向きを変えた瞬間に、一人の女の子のお尻に衝突した。
「す、すいません」
「あ・・・」
女の子はおっかなびっくりしてしまい、慌てて二宮に背中を向けて奥に行こうとした。
(なんだよ。人を痴漢みたいに扱いやがって。謝っただろ?おまえだって前方不注意だっつーの!)
二宮は不機嫌そうに彼女を一瞥した。
くるっ。
そして、女の子もどういうわけか二宮を振り返った。
(イ、イザベルちゃ・・・)
--- ^_^ わっはっは! ---
ごとっ。
二宮は思わずビールを入れたカゴを落としそうになった。
「二宮さん・・・」
イザベルは右手に道場着をいれたスポーツバッグを下げて、二宮をびっくりしたように見つめた。
「お、おす・・・。い、今のは違うんすよぉ・・・。あはは・・・」
二宮はカゴを抱えたままイザベルに十字を切った。
「なにが違うんですか?」
--- ^_^ わっはっは! ---
「いや、なんでもないっす・・・」
「ぷふふふ。二宮さん、お帰りなんですか?」
イザベルにはそんな二宮の格好が面白かった。
「お、おす・・・」
ぺこ・・・。
「すいません、わたしの方がぶつかっちゃって・・・」
ぺこり。
「おす・・・。いえ、ありがとうございました」
--- ^_^ わっはっは! ---
「お礼ですかぁ・・・?で、それは?」
「おす。ビールっす・・・。大宇宙一の・・・」
「きゃ、なんですか、それ?あははは」
--- ^_^ わっはっは! ---
「おす。うちの会社の常務がいつも言ってるんっすよぉ」
「うふ。二宮さん、おかしいですね?」
「おす。変っすか・・・?」
--- ^_^ わっはっは! ---
「そうじゃなくて、とっても愉快な方」
「お、おす。光栄です。あはは・・・」
「二宮さんはどちらへお帰りなんですか?」
「おす。駅までです」
「ふうん、電車なんですね?」
「おす」
「上りですか下りですか?」
「下りですが、イザ・・・、いえ、喜連川さんは?」
「上りです」
「おす。すれ違いっすか・・・」
--- ^_^ わっはっは! ---
「二宮さん、道場の外は、『おす』はいいですよ」
「おす」
「きゃはは、おっかしい!」
「そ、そうですか?」
「おす!」
「喜連川さんだって、言ってるじゃないすっか・・・」
「じゃ、駅まで一緒に行きましょうか?」
「おす!」
二宮は大いに喜んだ。
(超、超ラッキーじゃん!イザベルちゃんと駅までツーショットだぜぇ!)
二人は駅まで一緒に歩くことになった。
ちんたら、ちんたら・・・。
二宮はできるだけゆっくり歩くようにし、イザベルもそれに歩調を合わせた。
「じゃあ、二宮さん、また」
「お、おす・・・。無事に駅に着きました・・・」
道場の手前20メートルが駅だった。
--- ^_^ わっはっは ---
イザベルは改札口を通ると反対側のホームを登っていった。
「今度の昇段審査頑張ってくださいねぇ!」
反対側のホームでイザベルが手を振った。
「お、おす!」
二宮は十字を切って礼をし、それに答えた。
ぷわぁーーーん。
イザベルの上り線ホームに電車が到着し、イザベルがその中に消えた。そして、二宮が窓越しにその姿を探している時、手前のホームに下り電車が滑り込んできた。
ぷわぁーーーん。
登り電車は発車し、イザベルは完全に見えなくなった。
「くーーーっ!オレの人生で最も貴重な3分間だったぜ・・・!」
二宮は両拳を握り、噛み締めるように一人ごちた。
--- ^_^ わっはっは! ---
一方、和人はレストランで国分寺たちと別れた後、まだアパートの部屋で精神体のユティスと一緒にいた。
(あははは。このまま、ユティスはエルフィアに戻ったりはしないよなぁ・・・。さっき真紀さんがバラしちゃったこと、絶対に確かめてくるに違いないよ・・・。どうしよう・・・)
「和人さん、もう少しお話しできませんか?」
ユティスが頬を染めて和人に近づいてきた。
(ほらほら、来た、来たぁ・・・)
--- ^_^ わっはっは! ---
「う、うん。なに・・・?」
「あのぉ・・・、先ほどの和人さんとわたくしの仲のことですが・・・」
「あははは・・・」
「和人さん、ご本人としてどう思われますか・・・?」
「あはは、どうと言ったって、ねぇ・・・」
「わたくしは、和人さんのこと、とってもステキな方だと思っています」
ユティスは目を伏せた。
「そりゃ、どうも・・・。き、きみもだよ・・・」
「リーエス。わたくしたち、最高のエージェントとコンタクティーとして、想い合えるようになるんでしょうか?」
ずばーーーんっ!
剛速球が飛んできた。
--- ^_^ わっはっは! ---
「ははは・・・」
(今後の努力次第かな・・・。オレの・・・)
「努力ですね・・・?」
すかっ。
第一球は和人の空振りだった。
--- ^_^ わっはっは! ---
ユティスは和人から視線を外した。
「わたくしは・・・、わたくしは、その努力をしてもいいと思います・・・」
第二球は緩いカーブだった。
「あ、そうか。あははは・・・。ええ?」
和人は見逃した。
「和人さんは?」
「あの・・・、ユティス・・・」
「どう思われますか?」
第三球は真っ直ぐはストレートがど真ん中に入った。
「オレ・・・、それだったら・・・。あははは・・・」
和人は照れ笑いした。
(きみのこと最高にステキと思ってるに決まってるじゃないか。
しかし、和人はユティスに心をさらけ出してしまっていた。
--- ^_^ わっはっは! ---
「嬉しい・・・」
ユティスは今にも和人に抱きつきそうな感じだった。が、精神体のためそうはしなかった。
「和人さんにお会いしたいです。ちゃんと実体として・・・」
「オレも・・・」
「・・・」
「・・・」
二人は結局この切なさに耐え切れなくなった。
「もう時間ですわ・・・」
ユティスは名残惜しそうに言った。
「うん・・・。また、来てよね」
「リーエス。絶対に来ます。うふ・・・」
にこっ。
ユティスは健気に微笑むと、和人の頬にキッスする格好をした。
「ユティス・・・」
ちゅっ。
「では、また・・・」
すぅ・・・。
ユティスは和人の目の前でゆっくりと滲むように消えた