352 試練
「はぁい、アンニフィルドです。今朝も早くからありがとうございます。それで、この辺で少しラブコメに戻していくわよ。当座は二宮とイザベルよね。イザベルは空手道場の黒帯、二宮は茶帯の一級。二宮は昇段を賭けて十人組手の荒行に入るの。前回ノックアウトのイザベルと再び対戦だなんて、わくわくでしょ?」
■試練■
明日は、足利道場では二宮の昇段審査であった。
「おす!」
「おす!」
道場生たちにはいつなく気合が入っていた。あ
「いよいよですね、二宮さん」
社会人が中心のビジネスマン・クラスは、夜の7時に始まり8時半に終了だった。
「おす」
今日の夜のクラスも終わり、道場生たちは汗を拭き、水分を補給していた。
「おまえも真面目に稽古していりゃ、そのうちすぐにチャンスが来るさ」
二宮は社会人ルーキーの青帯の後輩に言った。
「自分はまだまだっすよぉ」
「オレもそう思った。だがな、早いもんだぜ」
「そんなもんすかぁ?」
「ああ」
「では、みなさん、並んでください」
最後の気合入れ直しの時間だった。
「おす!」
指導員の声がし、道場生たちは一列5人の4列に並んだ。
「明日は昇級審査です。また、二宮1級は昇段審査となります。白帯の人も、ここで昇級すれば、もう先輩になるわけです。それぞれ自覚を持って稽古に取り組んでください」
二宮はわくわくすると同時に緊張した。
(いよいよ明日・・・)
そんな二宮を厳しくも包み込むような眼差しで指導員が見つめた。
「では、締めくくりの100本正拳中段突き!二宮1級から10本ずつ!」
「おす!」
「はじめいっ!」
「1!」
「しいやっ!」
「2!」
「しいゃ!」
「3!」
「しいや!」
「明日は先輩の昇段審査日ですね?」
残業で会社に残った和人は俊介に言った。
「そうだな・・・」
「イザベルとの組手さえ乗り越えれば大丈夫よ」
真紀が会話に加わった。
「イザベルさん、そんなにお強いんですか?」
ユティスが和人の側で真紀を見つめた。
「強いわよ・・・」
真紀は真剣な顔になった。
「というより、イザベルにだけ圧倒的に弱いのよ、二宮は」
クリステアが多分に真実を述べた。
「うん!」
「うん!」
--- ^_^ わっはっは! ---
クリステアの真実を突いたコメントに女性たちが頷いた。
「まぁ・・・、そういうことですの?」
ユティスがにっこりした。
「そっかぁ・・・」
和人も頷いた。
「そういうこと。でもね、和人、あなただってユティスとなにか賭けて真剣勝負することになったとして、ちゃんと勝負できる?」
真紀が和人にきいた。
「え、和人さんがわたくしと・・・?」
「ユティスと真剣勝負ですか?」
ユティスと和人は互いに見合った。
「そうよ。それが今の二宮とイザベルの立場・・・。できる?」
真紀がユティスを見つめた。
「・・・」
「・・・」
和人とユティスは無言で見つめあった。
「無理です・・・」
「わたくしも無理です・・・。和人さんと真剣勝負だなんて・・・」
ぽん。
ぽん。
にっこり。
「ま、あなたたちはそんな関係にはならないから心配しなくていいわよ」
アンニフィルドがにこやかに言った。
「でもな、それ以上に、この昇段審査は意味があるんだぜ・・・。にひひ・・・」
俊介が面白そうに笑った。
「な、なによ?知ってんるんならさっさと教えなさいよぉ」
アンニフィルドが催促した。
「あのな、二宮のヤツ、イザベルにプロポーズしてるだろ?」
「うん」
「うん」
俊介を中心にして真紀たちは頷いた。
「そこで、二宮がイザベルに負けたら・・・?組手が完遂せずに昇段が阻まれたら・・・?」
「まずいじゃない・・・」
女性たちは真紀に同意した。
--- ^_^ わっはっは! ---
「つうのがイザベルの条件だ・・・」
「なんで、あなたがそういうことまで知ってるの、俊介?」
真紀が俊介にきいた。
「部下の幸せを考える上司の立場として、悩みの相談を受けるのは当然だな。おほん」
「それをみんなにバラすのもね」
クリステアが静かに続けた。
--- ^_^ わっはっは! ---
「わっ、秘密じゃないったら!」
ばさばさ。
俊介が両手で大げさにジェスチャーした。
「とにかく、二宮先輩の幸せがかかってるわけですね?」
「そういうことだ、和人」
「二宮さんの応援に行くことはできるんですか?」
ユティスが心配そうに言った。
「いや、そいつはできん。立ち会えるのは道場生のみだ。昇段審査は言わば一種の神聖な儀式だからな」
「そうですか・・・。例えば、精神体で・・・」
ユティスはそれでも二宮が心配だった。
「精神体で行くのもダメだぞ。アンディーの中継もだ。とにかく、これは気持ちの問題だ。わかるな、ユティス?」
「リーエス・・・」
俊介の警告をユティスは受け入れた。
「でも・・・」
「今ならまだ、間に合うわよ、ユティス。えへ・・・」
アンニフィルドが楽しそうに言った。
「なにがですか、アンニフィルド?」
「道場生になればいいのよ。今晩、入門しちゃえば?」
「まぁ!」
--- ^_^ わっはっは! ---
「うむ。理屈上、それなら同席は可能だな・・・」
俊介は腕を組んで頷いた。
「いらっしゃいませぇ」
株式会社セレアムの向かいにあるコンビニではイザベルがアルバイトに精を出していた。
「弁当は温めなくてけっこうです」
「はい。わかりました」
にっこり。
「シャケ弁に緑茶、しめて、540円でございます」
「あ、はい・・・」
ちゃらぁん・・・。
「600円お預かり、おつり60円とレシートでございます」
「どうも・・・」
「ありがとうございました」
ぺこり。
ぴんぽぉーん。
しゃあーーー。
客が精算を済まし店を出て行くと、イザベルはレジを離れ商品の棚を見回った。
すっすっす・・・。
「日用品は大丈夫そうだっと・・・」
「あーーー、喜連川さん、お弁当コーナーを見てくれないかな?」
店長が惣菜コーナーで商品の入れ替えをしていた。
「はぁい、店長さん、今行きます」
さっさっさ・・・。
「のり弁ゼロ。ナポリタンがあと一つ。おむすび弁が・・・。店長、パスタ類の追加発注かけときますか?」
イザベルは在庫状況を確認すると店長に報告した。
「うん、お願いするよ。この時間残業OLの帰宅に合わせてヘルシーサラダとかも4つくらい追加しといてよ」
「はぁい。発注かけときます」
すたすた・・・。
イザベルは発注伝票に目を通して、不足分のチェックを入れた。
(そういえば、明日は二宮さんの昇段審査だわ・・・。わたしも、9時であがったら、すぐに寝なきゃ・・・)
イザベルは統計を確認して、素早く発注処理を行なった。
二宮の昇段審査は午前中に基礎体力審査と基本型が終わり、午後、ついに試練の十人組手が始まった。
「二宮1級、前に出てください」
「おす!」
二宮は一際大きく返事をした。
ぴーーーん・・・。
道場には黒帯たちが並び、なんともいえない厳しい空気が漂う中、緊張感に満ちていた。
「これから二宮一級の十人組手を執り行います。組手は1人につき最大2分で連続で行います。10人中過半数5人に対して一本勝ちもしくは優勢勝ちをすれば昇段を認められます」
もちろん、この黒帯たちはこの昇段審査の試練に打ち勝った人間だった。
「・・・」
彼らも、この厳しい十人組手を完遂したからこそ黒帯なのだった。
「しかし、両手に握った小棒を落とすか、蹴り技で意識を失う等、組手が続行できないと判断された場合、組手は即中止となり審査は終了します」
「おす!」
二宮は両手に握った5センチくらいの小棒が手の中にあるか確かめた。
(絶対に落とすもんか・・・)
ぎゅ・・・。
二宮はもう一度それを握り締め直した。
「では、一人目、西方2段、前に進んでください」
「おす」
すっす・・・。
西方三段は180センチを超えるどうどうたる体躯の男で、毎年全国大会のベスト4の常連であり、指導員を兼ねる道場の顔であった。
「神前に礼!」
さっ。
「審判に礼!」
さっ。
「互いに礼!」
さっ。
二宮と西片は互いに向き合い十字を切った。
「構えて」
さっ。
足利師範は二宮に最初から道場の最強の人間をぶつけた。
「始めい!」
「おす!」
「おす!」
たった。
「しゅっ!」
ばん!
二宮は左半身を取り牽制のステップを踏んで西方の出方を見た。
しゅん!
どん!
「しゅっ!」
西方はそれに乗らず、すぐに踏み込んで下段回し蹴りから左の中段突きを二宮に叩き込んだ。
だん!
ささっ。
ばし!
二宮はとっさに身を回して右手でそれを払ったが、西方は左手を素早く戻しながら、反転した。
「はっ!」
くるっ!
二宮は西方の右足が頭上に上がるのが一瞬見えた。
(上段後ろ回しだ!)
二宮は普段の稽古で時折見せる西方の必殺技を知っていた。
ひょい。
二宮は回転方向に身をよじり、西方との間合いを一気につめた。
ばしっ!
ここで下がったら、西方の軸足が前進してきてまともに後ろ回し蹴りを喰らう。
しゅん!
「はぁ!」
しかし、西方はそれを予想していて、回転が終り二宮に向き合うと、その頭上から右足の踵を落としてきた。
(しまった。踵落とし!)
ずん!
ずる!
しかし、二宮は一瞬頭を左に捻り、西方の踵は二宮の頭上で炸裂することなく、二宮の右手上段受けに勢いを半減されその右肩をかすめていった。
どすん!
「うっ!」
それでも、すざまじい衝撃に二宮は思わず声を漏らした。
(くっそう!)
審判を務める足利師範の手が一瞬ぴくりと上がりかけて止まった。
(一本取られるところだった)
「動け、二宮!」
二宮に声援が飛んだ。
しゅっ!
二宮は半身のまま押すようにして西方に前進して、左中段突きを入れた。
ばん!
ところが、西方の鍛え抜かれた腹はまるで岩のようだった。
「しぃや!」
とん!
ばん、ばん、ばん!
すぐに西方は右足を下ろすと、中段突きの3連発を二宮に見舞った。
「はっ!」
二宮は身体を回して衝撃のいくらかを逃すそうとしたが、なにしろ相手は世界ランキング3位の実力者だ。
(意地でも倒れるもんか・・・)
ばし!
ばし!
二宮は歯を食いしばってそれに耐え、突きや蹴りを西方に見舞った。
どん!
「しいや!」
二宮は西方に圧倒的に押されてはいたが、決定的な突きも蹴りも許していなかった。
「回れ、二宮!」
「はっ!」
すかっ・・・。
誰かが叫び、二宮は左に回って西方の前蹴りをかわした。
「しいや!」
ばぁーーーん。
突然、再度西方の後ろ回し蹴りが二宮を襲い、二宮はすんでのところで頭への直撃を免れた。
(くぅ・・・)
「二宮さん!」
(イザベルちゃん・・・)
二宮の頭の中にイザベルの叫びが聞こえたように思えた。
どん!
「あう・・・」
西方の右中段突きが半身に構えた二宮の左胸に当たり、二宮は一瞬息ができなくなった。
「時間!止めぇーーーい!」
ぴた。
すす・・・。
2分間が過ぎ、足利師範の声が飛ぶと、西方の右上段回し蹴りは途中で降ろされた。
(くぅ、効いたぁ・・・)
「両者分かれて!」
すす・・・。
たったった・・・。
師範の号令で、二宮と西方は別れて向き合った。
「神前に礼!師範に礼!互いに礼!」
「おす!」
「おす!」
ぴっ。
二人は向き合ったまま十字を切って礼をして分かれた。
はぁ、はぁ、はぁ・・・。
(最初の一人目で息が上がっちまってる。くっそう・・・!)
二宮の身体に一気にアドレナリンが噴出してきた。
「次、野田初段、前に出てください」
審判の声で、西方とは正反対のやや小柄で軽量級の黒帯が登場した。
「おす!」
「神前にに礼!」
ぴっ!
「師範に礼!」
ぴっ!
「互いに礼!」
ぴっ!
お決まりの礼が済むと、二宮と野田初段は2メートルくらい離れて向かい合った。
「始めいっ!」
「おす!」
「おす!」
師範の号令で、二宮は野田に猛ダッシュをかけた。
「しゅっ!」
「しゅっ!」
野田は小柄だからこそのスピードには定評があった。
す。
どん!
二宮の突きや蹴りに合わせて、野田は右や左に回りこみ突きを放った。
「はいや!」
野田が身を沈めて二宮の左に回った。
「はっ!」
くるっ!
そして、それに合わせるかのように二宮は体を左回転させた。
どぉーーーん!
「う・・・」
そして、野田の左わき腹に二宮の中段後ろ蹴りが入っていた。
「一本!二宮!」
野田は倒れこそしなかったが腹を押さえていた。
(すいませんっす。オレ、足長いんすよ・・・)
ぴ!
二宮は考えたこととは裏腹に厳しい顔で十字を切った。
「両者分かれぇ!」
師範の号令が道場に鳴り響いた。
いつものカフェ・スターベックスではエルフィア娘たちと和人が、休日の午後をリラックスして過ごしていた。
「今頃、二宮さんの十人組手が始まってますよね・・・」
ユティスは時計を見ながら心配そうに和人に話しかけた。
「リーエス。よもや基本体力や型でつまずくとは思えないよ」
和人はユティスに笑顔で答えた。
「そうですよね。うふふ」
ユティスはいつも元気いっぱいの二宮を思い浮かべて少し気が楽になった。
「でも、どうして、そんなに二宮先輩のことを心配するんだい?」
和人は不思議に思ってユティスにきいた。
「他に心配するものがないんですもの・・・」
「へ・・・?」
--- ^_^ わっはっは! ---
「あのねぇ、ユティス・・・」
和人が文句を言いかけた。
「ふわぁ・・・。ユティス、あなたが二宮のことを心配することはないのよ」
アンニフィルドもあくびを抑えて言った。
「リーエス。イザベルに任せればいいじゃない」
クリステアがカフェラテに口をつけた。
「ですけど、二宮さん、イザベルさんと連れ合いになるおつもりで・・・」
ユティスはそれでも心配だとばかりに3人を見つめた。
「ほっとく。ほっとく。くっつくものは必ずくっつくし、くっつかないものはどうやったってくっつかないものよ。うーーーん、本当にいい香りだわぁ・・・」
くんくん・・・。
アンニフィルドがブルマンの香りをかいで夢見心地で言った。
「じゃ、先輩うまくいくってことかい?」
和人がアンニフィルドの真意を質した。
「わたしが知るわけないじゃない」
--- ^_^ わっはっは! ---
「そんな無責任なぁ・・・」
「責任なんて、わたしにあるわけないわ」
「そりゃそうだけど・・・」
「今回失敗しても、また挑戦すればいいことじゃない?きっと、死ぬまでには受かるわよ」
--- ^_^ わっはっは! ---
「まぁ、アンニフィルド、それでは二宮さんが可愛そうですわ」
二宮は昇段一回目のチャンスは組手でイザベルにノックアウトで頓挫。二回目はイザベルを襲ったコンビニ強盗に立ち向かって名誉の負傷で辞退。そして、今日が3度目の挑戦だった。いずれもイザベルがらみだった。
「で、クリステア、あなたはどう思うの?」
アンニフィルドが目を閉じてブルマンの香りを堪能しながら言った。
「取るんじゃない黒帯・・・」
「まぁ、本当ですか!」
ユティスが喜びの声を上げた。
「十人と対戦して倒れなければよっぽどのことがない限り合格だって聞いたわ」
「でも、二宮さん・・・」
「それで、瞬間接着剤を足の裏に付けとくようにアドバイスはしたわよ」
--- ^_^ わっはっは! ---
「これなら倒れっこないでしょ?」
すす・・・。
クリステアはすました顔でカフェラテをすすった。
「しかし、移動ができないじゃないか・・・」
「きっとサンドバッグ状態になってるわよ、クリステア」
ぼこ!
ばこ!
どか!
--- ^_^ わっはっは! ---
「まぁ、二宮さん、可愛そうに・・・」
「それでも倒れなきゃいいんでしょ?」
「理屈はそうかもしれないけど・・・」
ぼこ!
ばこ!
どか!
「弁慶みたく立ったまま死んでたりして・・・」
「まぁ、そんなぁ!」
--- ^_^ わっはっは! ---
二宮の十人組手はなんとか6人を継続していたが、明らかに二宮がポイントを取ったのは野田への一本勝ちだけで、初組手の西方へは優勢負け、後は五分のどちらにも取れる内容だった。
「しゅっ!」
「しゅ、しゅっ!」
お互い、一歩も譲らない下段や中段の蹴りを混ぜながら、突きのラッシュが続いた。
「おら、おらぁ!」
「二宮、負けてるぞぉ!」
二宮への声援が一段と大きくなった。
「しいや!」
ばし。
ばし。
「・・・」
イザベルは両手の拳を腰につけ、じっと自分の出番が来るのを待っていた。
「7人目は喜連川、おまえが行け」
師範がイザベルに指示を出した。
「おす!」
イザベルは返事をすると体を解した。
「二宮さん、どんな感じですか・・・?」
ついにイザベルは堪らなくなり、師範に途中経過をきいた。
「まぁ、こんなもんだな・・・」
師範はどちらでも取れるような返答をした。
--- ^_^ わっはっは! ---
びし!
ばし!
「は!」
「しいや!」
どん!
ばん!
ば、ば、ばん!
ばし!
二宮は6人目とは真っ向勝負の打ち合いになっていた。
「間を取れ!」
「前蹴りだ、二宮!」
当然のことながら、周りの道場生たちはテストされている二宮の応援をした。
きゅ!
すす!
だん!
「二宮、回れ!」
「ダッシュ!」
さっ。
ばん!
相手の上段蹴りを二宮が受けきった。
「止めい!」
そして、時計を確認した師範の号令で二人の打ち合いは終わった。
「はぁ・・・、はぁ・・・」
4人を残し6人連続の組手で、二宮はすっかり息が上がっていた。
(ふぅ・・・。くっそう、絶対に倒れるもんか・・・!)
「二宮、気合っ!」
「うっす!」
きっ!
「かぁーーー・・・!」
ぎゅぅーーー!
二宮は大きく息吹をすると、全身に力をみなぎらせた。
「はっ!」
ぱっぱ・・・。
すぅーーーー。
二宮は道着を直すと深呼吸した。
「師範・・・」
「よし。喜連川、行ってこい!」
足利師範はイザベルに頷いた。
「おす!」
たったった。
師範の合図でイザベルは道場生の囲む大きな円の中には入っていった。
「組手7人目に入ります。両者、神前に礼。師範に礼。互いに礼!」
「おす!」
「おす!」
さささ・・・。
礼を終えると、二宮とイザベルは2メートル離れて構えた。
(二宮さん、手加減一切なしですよ・・・)
二宮は約2年ぶりの昇段チャンスに、イザベルが目で語るメッセージを読み取った。
(うっす。自分も手加減しませんから・・・)
相手は前回上段蹴りをまともに喰らってた畳た沈んだ二宮だった。
「始めい!」
審判の号令でいよいよ因縁の組手が開始された。
ぴきーーーん。
この時、道場の人間は異常な緊張感に包まれていた。
(喜連川の初突きは絶対に見切れ!)
この昇段審査に先立ち、足利師範は二宮にアドバイスを送っていた。
(左の中段突きのコンビネーション。左手の死角から飛び出す左上段回し蹴り。おまえが沈んだ喜連川の必殺技だ。速いぞ!)
(おす!)
(間に合うつもりで中途半端に間合いを取っていたら、あっという間に間を詰められて顎に一発喰らう。詰めるなら電光石火でいけ!見切ろ。なにがなんでも見切れ!)
(おす!)
(間合いに気をつけるっす、師範!)
二宮は心の中で叫んだ。
ささっ・・・。
「しゅ!」
ささっ!
イザベルは二宮との間合いを保ったまま、前足のフェイントを数回かけてきた。
「しいや!」
だっ。
二宮は180センチ近い長身と足を活かし、左に回ると見せかけて逆に一気にイザベルとの間合いを詰めた。
ばしっ!
ぱしっ!
たちまち二宮の右下段蹴りはかわされ、逆にイザベルの左下段を喰らってしまった。
「はぁーっ!」
イザベルの気合が二宮の勇気を挫くように道場に響いた。
ばし!
びし!
そして、イザベルの怒涛の蹴りラッシュが始まった。
「しゅっ!」
「はい!」
びし!
たった・・・。
イザベルは蹴りに下段中段上段を混ぜ、しかも左右に回りこんでは二宮を翻弄させた。
ささっ。
(くっそう、あっと言う間に回り込まれている・・・)
「しいや!」
どん!
「はっ!」
ばし!
びし!
イザベルは小柄な体型を活かして二宮の周りを回りこみ、カバーの遅れたところに突きやけりを入れた。
「二宮、遅れてるぞ!」
初回の対戦相手の西方が怒鳴った。
「しいや!」
くるっ!
イザベルが時計回りに電光石火の勢いで反転した。
「後上段だ!」
誰かが叫び、二宮はそれで助かった。
びゅん!
ばしっ!
二宮はてっきり上段回しがくると思っていたところに、イザベルの後ろ回しが二宮の頭部に炸裂した・・・かに見えた。
(くぅ・・・。速い。無茶苦茶、速い・・・)
二宮は無意識に間合いを詰め、かろうじてイザベルの踵の直撃を右手で防いだが、腕を通してもなお強烈な一撃だった。
びりびり・・・。
(ふぅ・・・。痺れるっすよぉ、イザベルちゃん・・・)
--- ^_^ わっはっは! ---
「どうかな、二宮は?」
足利師範が西方に耳打ちした。
「道場生の気合に乗せられて、今のところはまずまずですね」
「うむ。今のは喜連川の新コンビネーションだったが、よく見切った」
「何しろ運のいい男ですから」
--- ^_^ わっはっは! ---
「悪いよりいいだろうが?」
「確かに」
「きいや!」
気合とともに繰り出した二宮の右手が、こともあろうに、またしてもイザベルの左胸に当たった。
ずん。
ぷよん!
「・・・!」
前回二宮はこれですっかり調子が狂ったのだが、今度はイザベルは悲鳴を上げなかった。
「おわぁーーー。す、すいません!」
ぺこ。
--- ^_^ わっはっは! ---
かぁ・・・。
しかし、イザベルの顔がさっと赤らんだ。
「こらぁ、構えを崩すな、二宮!審査中だ!」
二宮に西方が怒鳴った。
(二宮さん・・・)
イザベルの目に羞恥に対する別の感情が沸き起こるのを感じ、二宮は2年前の昇段審査をふいにしたその一瞬を思い出した。
(あわわ・・・。また当たっちまったぁ・・・)
たちまち二宮の緊張の糸が切れそうになった。
「二宮、気にするな!」
「もっと手数を出せ!」
黒帯から檄が飛んだ。
「二宮のやつ、また性懲りも無く・・・」
師範が呟いた。
「触りましたね・・・」
西方がまたかという顔になった。
--- ^_^ わっはっは! ---
「違う。また、動転しやがって・・・」
足利師範が西方を訂正した。
「こら、二宮、平常心だ!」
それを察した西方が二宮に叫んだ。
「はぅっ!」
しゅっ!
イザベルは右足を着地させると同時に高速左前蹴りを繰り出してきた。
どぉん!
(速い・・・)
二宮は半身を取っていたおかげでその衝撃の大部分を逃がすことができたが、まともにくらったら、いくら体格的に有利とはいえ、二宮とて後に飛ばされていたかもしれなかった。
「二宮、中段突き!」
「上段、がら空きになっとる!」
(うっす!)
「はっ!」
「しゅ、しゅ!」
どか、どか、どか!
ばし!
また二宮へのアドバイスが飛び、二宮は上段を警戒しつつ、中段突きの3連発をイザベルに見舞った。
「いいぞ、二宮!」
「は!」
すす・・・。
びゅん!
どか!
イザベルは一瞬の隙をついて二宮の懐に飛び込むと体を反転させ、その回転力を合わせた最速強烈な横蹴りを見舞った。
「う・・・」
だだ・・・。
二宮はそれをまともに喰らい一歩後ろに下がった。
「二宮!」
「こら、耐えろ!」
二宮が腰を折るように前のめりになると、先輩たちの応援が一斉に飛んだ。
(倒れてたまるか!)
ここで膝を着いたら一本負けだった。
きっ。
足利道場では、組手中に相手を睨むことは礼儀違反として厳しく戒められていたので、二宮は一層真剣な目になっただけだったが、気持ちはイザベルを睨みつけていた。
(そうですよぉ。そうこなくっちゃ、二宮さん・・・)
イザベルは自分の蹴りのスピードについてくる二宮の反応速度に密かに感心していた。
「後、1分持てば引き分けにはなりますね」
西方が時計を確認した。
「引き分けじゃ、喜連川は不満じゃないのか?」
「え、どうしてですか?」
二宮とイザベルの本当の事情をよく知らない西方は師範に聞き返した。
「わしは、二宮は一本勝ちしか考えとらんと思う」
師範はそれに答えず自分の意見を続けた。
「二宮が喜連川にですか?女子部とはいえ軽量級全日本のベスト4ですよ・・・」
西方は信じられないというように語尾を濁した。
「喜連川はいずれ優勝する・・・」
イザベルと二宮は再び間合いを取り合って体制を整えた。
ささ・・・。
(はい、次いきますよ、二宮さん!)
すすす・・・。
そこで、イザベルは間合いを変え、二宮の右に回った。
(来た・・・。上段蹴りだ!)
二宮は直感した。
「二宮、左のコンビだ!」
(イザベルちゃん、オレの右に回りこんで上段を放つつもりだ・・・)
二宮はアドバイスが聞こえていたが自分の直感もそれを告げていることに心でにやりとした。
くるり!
「しゅっ!」
二宮は逆にイザベルの回転に合わせるかのように身を反転させ、今度はお返しとばかりにイザベルより一瞬早く後ろ蹴りをがら空きになった中段に放った。
どか!
ばしっ!
「うっ!」
イザベルは小さく声を漏らすと一瞬目を落とした。
ぐるっ!
ぶん!
「きぃやぁーーー!」
二宮は気合を入れると足を入れ替え、間髪入れずにイザベルの頭に踵を落とした。
ばんっ!
イザベルは上方死角から長身の二宮の右足が落ちてくるのが一瞬見えなかった。
がくん。
イザベルの両手の受けは完全には間に合わず、二宮の踵落としを両手越しに頭に受けたまま、イザベルはそこに両膝を着いた。
「一本、二宮一級!」
それと同時に審判の声が道場に響き渡った。
(やった・・・)
(二宮さん、やりましたね・・・)
イザベルはなぜか無性に嬉しかった。
「喜連川!」
たったった・・・。
西方二段が急いでイザベルのそばに寄った。
「立てるか?」
「おす。大丈夫です・・・」
イザベルはそういうと西方の手を借りて立ち上がった。
「おす!」。
ぱっぱっ。
イザベルは素早く道着を直すと西方に向いて礼の十字を切った。
ぴっ。
「互いに礼!」
「おす」
「おす」
こうして、昇段審査最大の難関イザベルとの組手は、二宮の予想外の一本勝ちで切り抜けられることになった。




