002 和人
■和人■
4月1日が来て、株式会社セレアムでは入社式と新人紹介が行なわれていた。
「この度、株式会社セレアムでお世話になることになりました、宇都宮和人と申します。出身は・・・・です」
和人は出社初日にセレアムの全員を前にして挨拶をした。
ぱちぱちぱち・・・。
「ようこそ、和人」
「いらっしゃい」
「あ、どうも・・・」
「ほれ、二宮。待望の男子後輩だよぉ!」
「可愛がってねよ」
「うーっす。よろしくな和人」
「はい。二宮さん」
2年先輩になる二宮祐樹は和人より背丈があり、細身の割には筋肉質で、いかにも体育会系の引き締まった身体に、スポーツ刈りのような短い髪だった。
「確か、真紀社長の直採用だってな?」
二宮が和人にきいてきた。
「はい」
「和人、あなたも真紀の毒牙にかかったってわけ?」
茂木が、和人に、にやりと笑い、ウィンクした。
「いや、そういうわけじゃ・・・」
「ふふふ。茂木ったら、なに言ってるの?」
真紀が、茂木を見た。
「男はな、オレと二宮とおまえだけだ。残りはみんな女の子。気に入ったか?」
ぽん。
常務の国分寺俊介が和人の肩を叩いた。
(ホントだぁ。社員が15人いるけど、確かに常務さんと二宮さん以外の12人は女の子ばかりだ。これって、もしかして、いいかもぉ・・・)
--- ^_^ わっはっは! ---
「あなたのすぐ上は、去年は入った、石橋よ」
真紀が小柄な女性を紹介した。
「あ、どうも。初めまして。宇都宮です」
「うふ。石橋です。よろしく、和人さん」
「どうも・・・」
(石橋さんか。あは、悪くないや・・・)
「爽やかそうな人ね」
「ど、どうも」
「和人、二宮はカラテの黒帯よ。知ってる?」
真紀は二宮を和人の前に連れてきた。
「はい・・・」
「あなたの2年先輩よ」
「よろしくお願いします」
「うーす。ビシバシ鍛えてやるぞ。安心してついて来い」
「本気にしちゃだめよ。こいつの鍛えるって、夜のことだから」
「夜?」
--- ^_^ わっはっは! ---
「なに考えてんのよ、スケベ」
こつんっ。
二宮の横にいた開発部マネージャーの岡本が、和人の頭を軽く叩いた。
「痛っ・・・」
「飲みよ。飲み!」
「飲みですか・・・」
--- ^_^ わっはっは! ---
和人は個人事業主で、一応ビジネスオーナーということであったが、あくまでセレアムにいることでしか成り立っていなかった。
「あーあ。取引先は、いつまでたってもセレアムだけか・・・」
それは和人の意図する独立起業とは少々違っていた。
「うーーーん。取りあえず、セレアムに入った事で、まずは個人事業主にはなれたけど、これを独立起業と言うんでしょうか・・・?」
「ここでさぁ、ビジネスオーナーとしての必要な勉強をすればいいじゃない?」
真紀は和人に言ってはいたが、和人は悶々としていた。
セレアムの人間関係はフラットでフランクだった。
「はい。いつも、あなたのFM金座。お相手するのは・・・」
「Je t'aime. Je t'aime. Je te veux. Je t'aime....」
事務所にはFMラジオが程よい音量で流れ、みんなの精神を落ち着かせていた。
「確かに、みんな対等って感じだ。社長さんも、常務さんも、まったく威張ってないし、形式的なものは全然ない」
セレアムの人間関係は、和人が考えている競争的ビジネス関係とは、一味も二味も異なっていた。
「信用でもっているから・・・」
和人は、女社長の国分寺真紀の美しく優しそうな視線を思い出した。
「和人。最初に言った通り、あなたは、マーケティング部門を請け負ってもらいたいんだけど、2ヶ月は、教育期間よ」
「はい」
「教育係をつけたいんだけど、二宮と俊介の二人は、マーケティング実務で忙しいから、専任はさせられないわねぇ。どうしようっかなぁ・・・」
「姉貴がしろよ。基本的な仕事の流れとかさ・・・」
俊介が軽く言った。
「うーーーん、そうね。わかった。和人、会議室にいらっしゃい」
「あ、はい」
真紀はそう言うと、会議室に、和人を入れた。
ぱちっ。
ぶうーーーん。
プロジェクターが会社の仕事の概要を映し出した。
「まずは、仕事の流れを説明するわね」
「はい」
「うちはIT企業で、WEBのマーケティングをしてるの」
「はい」
「だから・・・・、ということよ」
「わかりました」
真紀による和人の座学教育が数日間続いた。
和人はいざという時に考え過ぎて行動できない性分で、恋愛についても同じだった。これは専門学校の学生時代の話だった。
「あのなぁ、坂本・・・」
坂本は和人のクラスメートだった。
「和人、おまえがまじめな性格なのは認めてやるけど、それが災いしてないか?」
坂本が言った。
「そうかな?」
「ちぇ、ぜんぜん自覚ないぜ。勉強するのもいいけど、まずは行動だろ?やらないことには、なにも始まらないぞ。やらなかったことへの反省など、なんの役にもたたん。オレに言わせば、そんなのなんにも学んでないってことだぜ」
坂本はなんとかして和人に火を付けようとした。
「そ、そっかぁ?」
「おまえ、何事に対しても、実行する前に勉強しすぎて臆病になったり、考えすぎて決断できなくなったりして、肝心な時に一歩踏み出せない。そんな傾向がある。そうだろ?」
「そうかもな・・・」
「で・・・」
「で、なに?」
「いつもの電車の彼女。好きなんだろう?」
坂本は和人の悩みの本質を感づいていた。
「そうかも・・・」
かぁ・・・。
和人は赤面した。
--- ^_^ わっはっは! ---
「あちゃぁ・・・」
そして、その傾向は逆にひどくなっていた。
「もうじき卒業だぞ。そうなったら、彼女とは二度と会えなくなるんだぞ。わかってんのか?さっさと告っちゃえよ」
「会うのは通勤電車の中だけだぜ・・・」
「それがなんなんだ?他人のことを気にするヤツなんているかよ」
「恥ずかしくてできないよ・・・」
「バーカ。『きみと絶対に連絡取りたいから』とかなんとか言ってさ、さっさと名前と携帯番号とメルアドとか書いた紙切れを渡すとか。方法なら、いろいろあるだろ?」
「おまえ、よく思いつくな」
「おまえが考えなさすぎだっつうの。本気で好きなら、人を気にしてる余裕なんて、あるわけないぜ」
「やっぱりムリだよ。人が見てる・・・」
「おまえ、なぁ・・・」
坂本はあきれ返った。
「もし、どっかで、男が、連れの女に紙っ切れを渡して、一言二言話しかけてるのを、見たとしよう。おまえはそれを気にするか?」
「どうかな?」
「じゃ、今までにそんなシーンがあったこと覚えているか?」
「いや。ないと思う」
「ほれ、見ろ。おまえは周りの他のヤツなんて気にも留めてないんだよ。逆に言えば、だれもおまえのこと気にしてないの」
坂本は和人をなんとか安心させようと考えた。
「今まで、そんなことがなかったからだろ?」
「違うね。少なくとも、オレはよく目にするぜ。ああ、コイツ、今、なんとかして、女にコンタクトしようと努力してんだなぁってな」
「ウソだろ?」
「いいや。注意してみな。周りには、そういう実行力を持ってるヤツが、けっこういるぜ。そいつらは必死だし、知ってるんだ。他人は、人のことなんて気にしてないってな」
坂本はだんだん空しく感じてきていた。
「因みに、昨日の電車で、お前の左隣にいた人間の顔を覚えているか?」
「覚えているわけないじゃないか?」
「そういうことさ。だれも他人を気にしない」
「そんなこと言ったって、第一、返事がなかったらどうするんだよ?」
和人が蒸し返した。
「アホ!彼女に聞く前に、返事なんか来るわけないじゃないか?」
「でもなぁ・・・」
「じゃ、なにか?彼女の方からおまえに告ってくるとでも思ってるのか?」
「それは絶対にないと思う・・・」
「はっ。おまえが告らなきゃ、はいも、いいえも、あるか!」
「ああ・・・」
きーーーい。
電車が減速した。
「駅についたな」
きっ。
ごとっ。
ぷしゅ。
がぁーーーっ。
「勝手にしろ、アホ。オレはここで降りる。じゃあな・・・」
坂本はそう言うと、出口を目指して、和人を振り向くこともなかった。
がったん、ごっとん。
電車は再び動き出した。
(あいつは彼女がいるんだよなぁ・・・。あいつの言ったことは正しいんだろうけど、あの勇気というか、厚顔と言うか、とにかく羨ましい・・・)
--- ^_^ わっはっは! ---
和人は、いつもの駅で、いつもの時刻に、いつもの電車のいつもの車両に、乗り込んだ。
(あっ、彼女、今日も乗ってる。どうしよう・・・)
満員の通学電車の同じ車両に、いつも一緒になる同年齢くらいのちょっと可愛いポニーテールの女の子がいた。薄い茶色の大きな目が魅力的で、同じ駅で降りるが、学校は違っていた。どの学校の何年生かはおろか、和人は名前さえ知らなかった。
(うちの専門学校の生徒じゃないな。学校じゃ見かけたことないし・・・。たぶん。どこかの女子大なんだろうなぁ。ここにある大学は、短大も入れて3つもあるし・・・)
彼女も和人をよくちらちら見てきた。
ちらっ。
(うわっ、やべ・・・。また、こっち見てる・・・)
ささっ。
視線が合うと、和人も彼女もすぐに視線を外した。
「・・・」
しかし、和人はうすうす感じていた。
(こっちから声がけすべきなんだよな。時々オレ方をっと見てるんだ。ものすごく視線を感じるんだけど。オレのこと嫌いってわけでもなさそうだし・・・)
「さっさと告れ!」
--- ^_^ わっはっは! ---
和人は坂本の声が聞こえたような気がした。
(そうだよ。もしオレが嫌いなら、いつも同じ車両で、いつもオレの近くにいるわけないし・・・)
通勤通学の時間帯は、ラッシュアワーでもあり、肩が触れ合うくらいそばになることもあった。
こん。
(ひゃあ、肩が触れ合っちゃった。というか、顔がほとんどすぐ目の前というか)
ぺこっ。
ぺこっ。
にこっ。
かぁ・・・。
その時は、お互いちょっと頬を染めて、微笑んで礼をするようになった。
(うわっ。やばい、真っ赤になっちゃった・・・)
がたん。
きーーーっ。
どんっ。
--- ^_^ わっはっは! ---
「わっ、すいません・・・」
「い、いいんです・・・」
ゆら、ゆら・・・。
電車がブレーキをかけたり、発進したりすると、彼女のポニーテールが大きく揺れ、白いうなじが現れて、なんともセクシーで可愛かった。
ぽわーーーん。
女の子のシャンプーのいい香りが漂ってきた。
(なんて、いい匂いなんだろう・・・)
-―― ^_^ わっはっは! ―――
(ハーフかなぁ。名前はなんていうんだろう・・・。ナタリーとか、モニークとか、カトリーヌとか、だったりして・・・)
ききーーーっ。
どーーーん。
「うっ、くっそう・・・」
そして、満員の乗客がその度に彼女に圧力をかけると、和人は少しでも、彼女がその圧力の影響を受けないように、ここぞとばかりに乗客の圧力を一手に引き受け、頑張った。
(なにくそぉ!)
それは女の子にも十分伝わっていた。そんな時は必ず微笑んでくれたのだ。
にこっ。
「あは・・・」
「ど、どうも・・・」
「いえ・・・」
(可愛いいなぁ。当然、彼氏とかいるんだろうなぁ・・・)
女の子の笑顔は最高に可愛かった。
ぎゅ、ぎゅうっ。
(かぁ・・・。おしくらまんじょう状態じゃないか・・・)
ぽよ・・・。
(げげ・・・!)
女の子の胸が和人の背中に当たってきた。
かぁ・・・。
和人はたちまち赤面した。
「あっ、すいません!」
--- ^_^ わっはっは! ---
「い、いえ・・・」
そんな毎日なのに、和人は一言二言だけで、大した会話も交わしたことがなかった。
(はぁ、どうして言葉がでないんだろう・・・。『お早う』、『オレ、宇都宮和人』、『いつも同じ電車だね?』、『駅も同じだね?』、『考えてることも同じだね?』、え・・・?)
--- ^_^ わっはっは! ---
(これは違うか・・・。毎日毎日、考えてはいるんだけどなぁ。彼女もそれを待っているのかなぁ・・・。いつも無口でちょこっと微笑んでくれるんだけど、ぜんぜん進展しないや)
そして1年があっというまに過ぎ、時間切れになった。
(結局、名前さえ、聞けなかった・・・。情けない・・・)
和人は、学校を卒業した。
--- ^_^ わっはっは! ---
一言言えば次に展開したかもしれないのに、和人はその一言がついに言えなかった。そして、和人は知った。
(オレ、どうしようもなく、彼女が好きだったんだ・・・)
これは和人の心に小さくはない傷を残したのであった。和人は株式会社セレアムに就職し、さらに1年が過ぎようとしていた。