246 返上
■返上■
「うわぁ!なんで避けれるんだ、あれが!」
二宮はすっかりクリステアの動きに魅了されていた。
「そうですね。わたしにも到底無理です」
イザベルが相槌を打った。
「普通の地球人でしたら、膝蹴りを顎に決められてますわ」
「ユティスさん、地球人って・・・?」
「うふ。なんでもありませんわ。ほらっ!」
どかっ!
ぱしっ!
クリステアの動きはあまりに速く、キャサリンの望む接近戦にはなかなかなれなかった。
(クリスめ、ちょこまかと動いてくれちゃって、くっそう・・・)
キャサリン陣営は苛立っていた。
いらいら・・・。
「キャサリン、踏み込むんだ!ためらうんじゃない!」
ざざっ。
きゅっ、きゅっ。
ささっ。
ききっ!
マットの音がクリステアのフットワークを物語っていた。
「あいやっ!」
ばしっ。
ぱしっ。
キャサリンはローキックの連続攻撃に切り替えた。
「はっ!」
クリステアは両足のステップを速くして、それをかわそうとした。
(今だ!)
しゅっ。
ぱしっ!
キャサリンはクリステアを誘うように、右、左とジャブを放ち、自分の左顔面をわざと晒した。
「しいやっ!」
クリステアの右の中段突きがそれに合った瞬間、キャサリンは半身になり、右手でそれを払った。
ひゅっ!
クリステアの右顔面ががら空きになり、そこにキャサリンの高速左フックが決まった・・・、かに見えた。
ぱしっ。
が、クリステアは右手でキャサリンの左手を完璧に止めていた。
(な、なにぃ・・・?)
さすがにこれにはキャサリンも背筋に寒いものが走った。
(完全に釣られていたじゃない?なぜ、今のフェイクがわかったの?)
「完全に見切られている・・・」
キャサリン陣営はパニックになりかけていた。
「キャサリン、横だ。横に動け!動くんだ!」
たったったっ。
ひゅんっ!
セコンドの声が飛び、キャサリンは左右に細かくステップし、クリステアに近寄ろうとしたが、直ぐに間合いを修正された。
さっ。
「右だ。右に回れ!」
キャサリンがクリステアを追いかけるような構図だったが、見方によっては、クリステアにキャサリンが引っ張られているようにも感じられた。
ばしっ!
びしっ!
お互いに手技足技を出すも、決定的な一打はなかった。
「いいようにやれれてるぜ・・・」
(受けてみな、クリスッ!)
キャサリンが右に身体を捩った。
「いけ、キャサリン!」
くるっ。
ぶんっ!
キャサリンの右足が後ろ回りに高く上がり、弧を描いた。
「はいやっ!」
キャサリンの後ろ回し蹴りが絶妙のタイミングで、クリステアを襲った。
ひょいっ。
ぶーーーんっ。
しかし、そこにクリステアはいなかった。
すかっ。
キャサリンの右足はそのまま身体を一回転させて、マットに降ろしかけた。
「くうっ!」
しゅんっ!
しかし、キャサリンはクリステアが身を屈めたのがわかり、その足をもう一度上げて、クリステアの頭上から、真っ逆さまに落とした。
「でやぁっ!」
がつんっ。
(なんですって!)
クリステアは、間一髪、左手一本の上段受けで、それをがっしりと止めた。
その時だった。
かーーーんっ。
キャサリンは踵落としの体制、クリステアは上段受けの状態のまま、二人は
凍りつたように止まった。
「きゃあっ!」
「クリーーースッ!」
キャサリンの踵落としが決まったように見えたファンから、次々に悲鳴が上がった。
「ブレーーーク!ゴングだーーーぁ!」
主審が二人を分け、第一ラウンドは終了した。
(やるわよ、アンニフィルド)
クリステアの声がアンニフィルドの頭の中で囁いた。
(リーエス。うまく外して座ってね。わたしがイスを飛ばしてあげるから)
(リーエス)
クリステアはリング中央でキャサリンと軽くグラブを合わすと、自分のコーナーに向かって戻っていった。
すたすた・・・。
くるりっ。
クリステアはゆっくりと身体を反転させて、用意されたイスに座ろうとした。
つるんっ。
かたっ。
ぽーーーんっ。
クリステアは足を滑らせ、彼女の尻がイスの端をかすめ、イスは大きく左側へ宙返りした。
ぴゅーーーんっ。
ずでーーーんっ。
そして、クリステアは、大きく尻餅をつくと、顔をしかめて叫んだ。
「あうっ!」
ばっ。
クリステアは直ぐに左手首を右手で押さえた。
(お見事!)
「クリス!」
(不自然じゃなかった?)
「あいたたた・・・」
(大丈夫。5000分の1の超高速度カメラにだってわからないわ)
「どうしたの、クリス!」
アンニフィルドがリングに上がった。
「左手・・・」
(えへ。ドクター呼んでくれる?)
(リーエス)
「大丈夫か、クリス?」
クリステアの動作は、セルジにはとても演技に見えなかった。
「痛ぁい・・・!」
「ドクター!」
セルジは、すぐにドクターを呼ぶ手を高く掲げて、派手に振った。
「今度はオレの出番だ」
リングサイドにいたサングラスの黒ずくめの大男が立ち上がると、黒カバンを持って、急いでクリステアのコーナーに向かった。
「どけっ」
「ひぃ!」
--- ^_^ わっはっは! ---
どかどか・・・。
ぐいっ。
大男はロープをくぐると、リングに上がった。
どん・・・。
「診せろ」
「だれだ、あんた?ドクターなのか?」
主審が不審そうにサングラスの大男に質問した。
「ああ。クリスの専属ドクターだ」
にやっ。
黒ずくめの大男は、サングラスを外すと、主審に向かって笑った。
「そんな風には見えんぞ・・・」
「神父も兼ねてる」
--- ^_^ わっはっは! ---
「神父?」
「実は、葬儀屋も兼ねてるが・・・」
ぎろっ。
「い、いや、ドクターでいい・・・」
--- ^_^ わっはっは! ---
黒ずくめの大男は、クリステアの脇に屈んだ。
「どうしました、マム?」
「左手首を・・・」
「ふむ」
大男はクリステアの左手を軽く持った。
「痛ぁーい!」
「捻挫だな。すぐにでもレントゲンが必要だ。」
--- ^_^ わっはっは! ---
「わかったわ」
そして大男は叫んだ。
「レフェリー!」
大男は主審に大声で説明を始めた。
「クリスは、左手首を捻挫してる。関節の事故は、複雑骨折等の重大事態の可能性がある。目視検診だけじゃ不十分だ。今すぐ、レントゲン検査が必要だ!」
「し、しかし、試合はどうする?決勝の最中だぞぉ・・・」
「バカもの!こんな状況で、続行できるわけがない。試合はすぐに中止すべきだ!」
「捻挫は本当なのか?」
主審はまだ大男を疑っていた。
「じゃ、なにかぁ?オレがウソの診断でもしてるとぉ?」
ぎろっ。
--- ^_^ わっはっは! ---
「わ、わかった!」
場内アナウンスで、クリスがコーナーに戻った際、イスに座り損ねて、マットにあらぬ状態で左手をつき、左手首を捻挫したことが伝えられた。
「只今、クリス選手の負傷診断で、ドクター・タイムが取られています」
「なんですってぇ!」
キャサリンはコーナーに立ち上がり、クリステアを見つめた。
つかつか・・・。
「今、診断中だ。コーナーで待機し給え」
レフェリーは、キャサリンのところにやってきて、ドクターの診断を待っていると告げた。
「くぅ・・・」
「左手首を痛めたらしいな?」
にたっ。
「ドジな女だぜ。これで、労せず優勝はいただきだな・・・」
キャサリンのセコンドは、ほくそ笑んだ。
ばーーーんっ!
「冗談じゃない!」
キャサリンは、肩に掛けられたタオルをマットに叩きつけ、猛烈な怒りが湧き上がるのを必死で抑えた。
「クリスッ!」
キャサリンは、クリステアを睨みつけた。
「クリスさんの怪我、どんな具合なんでしょうか・・・?」
「みんなコーナーに集まってるぞ。どうしたんだろう?」
二宮とイザベルは事情を知らないので、心配そうに言った。
「左手首をくじいたのさ。たぶん予定通り・・・」
(こらっ、俊介!)
アンニフィルドが俊介を嗜めた。
--- ^_^ わっはっは! ---
(やばぁ・・・、ホントのこと言っちまうところだったぜ・・・)
(うっかりしゃべっちゃ、ダメじゃない、俊介!)
(悪い、アンニフィルド・・・)
(気をつけてよね)
(へいへい)
俊介はアンニフィルドからハイパーラインで知らされていたので、大して心配していなかった。
「それ、とっても大変なことだわ!」
事情を知らない真紀も、クリステアのところに集まった人間を見つめて、彼女の状態を憂った。
「アンニフィルドが付いていますよ、真紀さん。ご心配は無用ですわ」
ユティスも慌てず、真紀たちを落ち着かせるように言った。
「だって、試合続けられないじゃない?」
「しょうがないです」
和人も事情を予め知っていた。
--- ^_^ わっはっは! ---
「ありゃ・・・」
「どうしました、二宮さん?」
イザベルが二宮の目戦を追った。
「黒ずくめのドクターって、例のジョバンニじゃあ・・・」
「しっ。黙ってろ、二宮」
俊介が二宮の口を封じた。
--- ^_^ わっはっは! ---
「お、おす・・・」
ドクター・タイムは、すでに2分を経過していた。
「ぶーーーっ!」
「どうなってるんだ?」
「クリーーース!」
「キャサリーーーン!」
観客たちは、ブーイングと選手の名前の連呼で、ざわついた。
「試合の続行は無理だな」
ジョバンニ扮するドクターは主審に最終判定を告げた。
「わかったが、クリス負傷のため試合放棄となるが、それでいいな?」
主審がドクターに確認を求めた。
「オレじゃなく、本人に確認してくれ」
ちらり。
ドクターはクリステアに目配せした。
「わかった」
主審はクリステアを見たが、クリステアは首を横に振った。
ぷるぷる・・・。
「ダメよ・・・」
「それでいいな?」
「仕方ないわよ。これじゃ・・・」
「ゴング!」
主審はゴング係を見ると、ゴングを鳴らすよう、要請した。
かんかんかーーーんっ!
(間に合ってよかったわね、ジョバンニ)
(イエス、マム)
かんかんかーーーん。
「あーーーと、やはりゴングです。試合続行不能をドクターが宣言した模様です。クリス・ジニンスカヤ、よもやの途中棄権敗退」
「わーーーっ!」
「はぁ・・・?もしかして、これで終わりなわけぇ?」
ぷぅーーー。
クリスチナは頬を膨らませた。
「負傷ということですが、完璧に自爆ですからねぇ、公式には、試合放棄でしょう」
「蓮田さん、となると、優勝は去年に引き続き・・・」
「キャサリン・グリーンですね」
「いやぁ、クリスにとっては、不運と言いましょうか、不注意と言いましょうか」
「不名誉でしょうなぁ・・・」
--- ^_^ わっはっは!---
「第一ラウンド終了直後、自コーナーに戻ったクリスは、床の汗で滑ったんでしょうか、イスを座りそこね、マットに手をついた勢いで、左手首を強烈に捻挫です!今、担架がリング上に入れられました」
アナウンサーは大げさに伝えた。
「わぁーーーっ!」
「ぶーーー、ぶーーーっ!」
「あれ、蓮田さん、クリスは、担架を断ってるようですよ・・・」
「ま、手首じゃ、歩くのには影響はないですからね」
「それもそうですね」
「ぶーーーっ!」
「クリスゥッ!」
「うぉーーーっ!」
「しかし、なんというあっけない幕切れか。会場はブーイングと、クリスファンの同情の叫びで、騒然としています」
「当然でしょう。ファンも怒りますよ、これじゃあ・・・」
「1回戦、準決勝と圧倒的なスピードで圧倒してましたからねぇ・・・」
「期待が大きい分、失望も大きいんですよ」
「まったくです」
テレビは完全にファンの立場で、状況をコメントしていた。
ばんっ!
「んもう!終るにしても、最低の終り方してくれるわねぇ!」
ホテルの部屋では、クリスチナがテレビの前で悪態をついていた。
すたすた・・・。
既に紐を切ってグラブを外したキャサリンが、クリステアのところにやって来た。
「おい、キャサリン、なにをする気だ?」
ばっ。
セルジがキャサリンの行く手を阻もうとした。
じろっ!
「どきな・・・」
ぐいっ。
「うへっ!」
キャサリンに睨まれセルジは脇に寄った。
(お母ちゃんより、おっかねぇや・・・!)
--- ^_^ わっはっは! ---
「優勝おめでとう。連覇ね・・・」
「ぶっ殺されたいの、クリス?」
ぎりっ・・・。
ものすごい形相で、キャサリンはクリステアを睨みつけた。
「優勝が嬉しくないらしいわね?」
「当然よぉ!戦って勝ち取らなきゃ意味がないわ!」
キャサリンはライオンのように吼えまくった。
「もらえるものは、もらえる時にもらっておくものよ」
「くっ・・・。クリス、悔しくないの、あなた?」
「悔しいわよ。あなたを地獄に落としてあげるつもりだったから」
ばっ。
「今になって、減らず口叩いたって・・・」
ぎゅぅ・・・。
ぶるぶるぶる・・・。
キャサリンはクリステアの目の前で、両拳を振るわせた。
「どういう形であれ、わたしには優勝経験がないわ・・・」
クリステアが言った。
ぷるぷるぷる・・・。
ぱんっ!
「はっ!これが、あなたじゃなきゃ、本当にぶっ殺すとこなのに!」
「ごめん・・・」
「カッコ悪いのは、あなただけじゃないのよ。わたしもいい物笑いだわ!」
くるっ。
そう言い放つと、キャサリンは自コーナーに戻っていった。
すたすた・・・。
「いいヤツですね、キャサリン」
ジョバンニはにやりと笑った。
「ステキなレディー。でしょ、ドクター・ジョバンニ?」
「イエス、マム。訂正します。病院に直行しますぜ」
「ええ。早くやって」
リング上では、表彰式が行なわれ、優勝者のキャサリンが、インタビューを受けていた。
「キャサリン、内容はどうであれ、これで2連覇達成です。いかがですか、今の気持ちは?」
「チャンピオン・ベルトは、返却するわ」
「ええ?」
キャサリンの思ってもみない言葉に、ホストも会場も騒然となった。
ざわざわ・・・。
「返却って・・・、どういうことで?」
「だから、わたしに締めるだけの価値がないのよ、あの試合内容じゃ」
するする・・・。
そう言うと、ホストの言葉も無視して、ベルトを外すと、大会運営のコミッショナーのところに持っていった。
「せっかくだから、一度は締めさせてもらったけど、返上するわ。こんなんで、チャンピオン気取りなんか恥ずかしくてできない」
「しかし、きみ、勝ちは、勝ちなんだよ・・・」
「勝ちだろうが、価値のある勝ちじゃないことだけは確かね。こんなもの、1年間も持ってたら、精神が腐ってしまう。絶対に願い下げだわ」
ぽいっ。
キャサリンは、コミッショナーにベルトを渡すと、さっさとコーナーに引っ込んでいった。
すたすた・・・。
「待ってください。あの、インタビューがまだ・・・」
くるっ。
キャサリンは踵を返した。
すたすた・・・。
「貸しなさい。わたしが説明する」
くいっ。
キャサリンは、ホストからマイクをひったくると、観客向かって右手を高く上げた。
ぴーーーぃっ!
「みんな応援ありがとう。結果、優勝したらしいけど・・・」
「わーーーっ!」
「キャサリーーーンッ!」
「ふぅ・・・」
キャサリンは一呼吸置いた。
「みんなぁーーーっ!あれで納得いくぅーーーっ?」
「ノーーーッ!」
「納得いくかっつーーーの!」
「ノォーーーッ!」
観客はキャサリンに一斉に同調した。
「ありがとう、みんな。わたしもよ!だから、ベルトは返却したわ。戦って勝ち取るのがベルト。そうでしょ?もらうものじゃないわ!」
「そうだ、そうだ!」
「わーーーっ!」
キャサリンは、クリステアたちが出て行った通路を指差して、叫んだ。
「クリスっ!今年のレジーナは空位よっ!いいわねっ!」
「そうだぁっ!」
「いいぞ、キャサリーーーンッ!」
そう言うと、キャサリンハマイクをホストに返し、両手を頭上に上げて、観客に応えた。
「わーーーっ!」
「キャサリーーンッ!」
「行くよ」
キャサリンはセコンド陣に合図すると、リングを降りて控え室に通じる道を、両手を振りながら消えていった。