153 宗主
■宗主■
ユティスと草浅寺の宗主との問答は続いた。
「宗主さん、ご教義もですが、カテゴリー2の科学にとても通じてらっしゃいますわ」
ユティスは嬉しそうに微笑んだ。
「カテゴリー2?」
「あー、それは、自分の力で自分たちの惑星を脱出する技術、つまり、ロケットを実用化できてる文明社会のことです」
和人はすぐに捕捉した。
「そうですか。ロケットで小惑星探査もしている日本は、カテゴリー2というわけですね?」
「そうです」
和人は頷いた。
「宗主さん、本当によくご存知で感服いたしますわ」
「とんでもない、ユティスさん、あなたこそ世界トップクラスの科学知識がおありです」
「まぁ、嬉しいですわ」
「ただ、仏教でも、科学でも、最後の一つの難問には未だ答えられていません」
「最後の難問ですか?」
「はい。それは、いかにして時空は生まれ、その最初の振動はどんな具合に発生したのかということです。エネルギー保存の法則からすると、その均衡状態を破る乾坤一擲は、必ず、存在しなければならないのです。多くの科学者は、虚数を持ち出してまで説明しようとしていますが、結局なにかの偶然で発生したと言ってます。しかし、それじゃあ、ただの数学です。科学とはいえないんじゃないかと思います。結果があるなら、とことん、その原因を論理的に経験的に検証し、探るべきではないでしょうか?」
「乾坤一擲ですか?」
ユティスは宗主を見つめた。
「つまり、全ての力を拳に込めて、一挙に、どっかーーーん、ですよ」
ばしんっ!
宗主は右手の握りこぶしを勢い良く左の掌にぶつけた。
「ビッグバンでしょうか?」
和人がきいた。
「ええ・・・」
宗主は笑顔で答えた。
「神さまが・・・、そうされたというんでしょうか?」
ユティスはゆっくりと言った。
「ははは。わたしども、宗教はそれで良いでしょうが、科学者は納得してはなりませんね。このままじゃ、到底、答えは見つかりませんよ」
そして、宗主は少し悲しげな口調で付け加えた。
「そういう訳で、わたしが家を継いで僧職の道を選ぶことにしたのは、物理学を専攻していたからとも言えるんです。仏陀の言葉に、科学の最先端のヒントを見た気がしました。天地が引っくり返るような感動を覚えましたね・・・」
「それで、もっと仏教を知りたいと?」
「はい・・・」
「今は、もっと違いますが・・・」
「と言いますと?」
「世の中は、高度経済社会と呼ばれ、計らずとも、われわれ僧職も、その恩恵にあずかっておりますが、平均的には物質的に満たされているはずです。なのに、不幸な人々、いや、みんな、精神的には大きな不幸に陥っております。奪い合い、争い、殺戮は絶えず、科学がいくら発達しようが、人と言うものは、悟りにはほど遠いと言わざるをえません。わたしは、わたしなりの力の及ぶ範囲で、この状況を少しでもなんとかできれば、と思っているです」
ユティスは、宗主を見つめた後、上に視線を向け、両手を合わせ、そして目を閉じた。
(アンデフロル・デュメーラ、わたくし、この方に、エルフィアの文明促進支援教育プログラムの序章をお話しても、構わないでしょうか?)
(リーエス、エージェント・ユティス。十分に下地がありそうです。それに、悪意、作為の類は、まったく感知していません)
(アルダリーム・ジェ・デーリア、アンデフロル・デュメーラ)
(パジューレ、エージェント・ユティス)
「宗主さん・・・」
すすっ。
そっ。
ユティスは宗主に近寄ると、宗主の手をそっと取った。
きゅ。
「人間は、生まれながらにして善ですわ」
はっ・・・。
「生まれながらにして、善?」
「リーエス。それをお疑いになりますか?」
「それは、そうかもしれませんが・・・」
「ご両親は、産声をあげるご自分の赤ちゃんを、悪として生まれたと考えるのですか?」
「あ・・・。でも、それは生まれ持った・・・」
「それを、本能の一言で、お片付けになるおつもりですか?」
「決してそのようなことは・・・」
「赤ちゃんを可愛いと思う本能。それこそは、全てを愛でる善なるものの意思たる証だとお思いになりませんか?」
「しかし、善悪とは理性が伴ってこそ・・・」
「理性とは、本能と相反するものではありません。どちらも、人に備わっているもの。ということは、理性も人に与えられた本能の一部とは、お考えになられませんか?」
「確かに・・・」
「しかし、それは潜在的なものです。磨くことを怠れば暴走もします。また、理性や理屈だけでは、人は幸せにはなれません。それをうまくコントロールすることが必要です。それができるのは、愛しみの心をもって、他にはないのです」
「ユティスさん・・・」
ユティスのたたみかけるような言葉に、さすがの宗主もたじたじだった。
「これが、『すべてを愛でる善なるもの』の意思です。地球に人が現われたのには、それなりの意味があります」
「人の存在する意味?」
「リーエス。とてつもなく永い間、地球上では、生物にとって、愛は親子にのみ限定的で、普遍的な愛は意味を持ちませんでした。しかし、人が文明を築き、初めてそれを考えるようになったのです。人は、どなたの赤ちゃんであれ、動物でさえ、赤ちゃんを見ると癒されます。もし、不幸にして親がいなくなれば、他の人が育てようとします。多くの動物は、自分の赤ちゃん以外は、決して育てようとはしません。知能が高いとされるイルカでも、自分以外の子供を殺すことがあります。なぜでしょう?」
それについては、和人自身もよくわからなかった。
「それは、自分自身でさえ生存が保障されてないからです。いかに自分に食料を回すか。それが最大の関心事だからです。ましてや、種が異なると積極的に命を奪うことすら珍しくありません。その生物のご飯である場合はなおさらです。こういった状況は、身の安全が確立されていない、カテゴリー1の世界なのです」
「うーーーむ・・・」
宗主は低くうなった。
「人だけが、採集による不安定な生活を農業により乗り越えました。人は、文明を持った時、ようやく生存の保障を考えられるようになったのです。そして、カテゴリー2に入った時、はじめて種を超え、惑星を超え、時を超え、それを考え始めたのです。宇宙から地球を見ることによって、自分たちがどれだけ奇跡的に生かされていることを自覚するのです。そして、地球の環境や生き物たちへの責任を強く意識するのです。地球はそうではありませんか?」
「まったくおっしゃるとおりで・・・」
宗主は深く頷いた。
「それを強く感じて、実現できるのは人間だけです。惑星中に、宇宙の隅々に、愛を満たすことができるのは人類だけです。地球に人類が現われたこと、地球人類がカテゴリー2に進んだこと、これらは、決して偶然ではありません。すべてを愛でる善なるものの意思に他なりません。地球にも、その時が訪れたのです。宗主さんのお考えには強く共感いたしますわ」
ユティスは宗主に優しく微笑んだ。
ぽわぁーーーん。
ユティスの身体から、例の虹色の淡い光が、ゆらゆら揺れながらかすかに放射していた。
「愛?」
「リーエス。愛とは創造です。他のいかなるものも、破壊こそすれ創造はいたしません」
宗主はまじまじとユティスを見つめた。
「ユティスさん・・・。あなたは、いったい、どういうお方なのですか・・・?」
「うふ。わたくしは仏教徒ではありませんわ。しかし、愛については、仏教も、わたくしたちと同じようにお考えになられていると思います」
ちらちら・・・。
きらきら・・・。
ユティスは、なんとも言えない優しい表情になり、身体からは、淡く七色に輝く光が強くなって、纏わりつくように放射していた。
「おお・・・。な、なんということか・・・」
宗主は信じられないというように、ユティスに魅入られていた。
「天女だ・・・」
ぷるぷる。
宗主は首を振った。
「あなたは、いったいどのような教えを信条とされているのでしょう?」
「うふふ。エルフィア大教会ですわ。『すべてを愛でる善なるもの』、それがわたくしたちエルフィア人が信じるものです」
「エルフィア・・・?エルフィア大教会・・・?すべてを愛でる善なるもの・・・?」
「失礼ながら、齢50にしても、そのような教義は聞いたことがありませんが、キリスト教でないとしましたら、いったい・・・?」
宗主は世界の宗教のどれなのか、考えを巡らせていた。
「ご心配はいりません。エルフィア大教会は数万年の歴史がありますわ。決してカルトの類ではありません」
「数万年・・・?」
宗主は目を白黒させた。
--- ^_^ わっはっは! ---
「リーエス。この大宇宙に満たされているものは愛です。地球の方は、そこが真空などではなく、大いなるエネルギー場で、創造の場であると、お気づきになりつつあるではありませんか?」
きらり、きらり・・・。
ユティスの生体エネルギー場が、さらに虹色に輝きを増していた。
「おお・・・。ユティスさん、あなたは、仏、天女、いや、天使なのですか?」
宗主は目をこすっていたが、それが紛れもない事実だとに気づき、驚きに声を上げた。
「ナナン。宗主さんと同じく普通の人間ですわ。うふふ」
「しかし、その後光といい・・・。わたしは、夢を見ているのか・・・?」
宗主は左右の弟子たちと見合った。弟子たちは無言で頷いた。
「わたくしは、幻などではありませんわ」
きゅ。
ユティスは宗主の両手を取り、優しく微笑んだ。
「うふふ。ちゃんと、宗主さんの前に存在しています」
ど、どーーーん。
「おおっ・・・」
宗主はユティスの手から流れ込むような優しさを感じ、胸がいっぱいになり、目を潤ませた。
うるる・・・。
「宗主さん、お話しできまして光栄ですわ。心からお礼申しあげます」
すくっ。
ユティスは、時間が来たと判断すると、宗主と一緒に立ち上がり、彼を優しく抱きしめた。
きゅ・・・。
びくっ。
宗主は身を硬くした。
「まぁ、失礼しました・・・。宗主さんのご教義では、僧職の方が女人からこのように挨拶されることを、禁じておられるのですね?」
ささっ。
ユティスは素早く抱擁を解いた。
「いえ、不可抗力ですから・・・。この場合は、ユティスさんは外国の方ですし・・・」
ぺこり。
「申し訳ございません。わたくしの無知ゆえのことです。お許しください」
「滅相もない・・・。そんなこと、あろうはずがありません」
にこっ。
宗主はゆっくりと微笑んだ。
「宗主さんのおもてなし、心から感謝いたします」
ぺこ・・・。
ユティスはもう一度宗主に深く礼をした。
「こちらこそ、いたく感激しております・・・。あのぉ、ユティスさん・・・」
「はい。なんでしょうか?」
「最後に一つだけ、お答えくださいますか?」
「もちろん。わたくしのお答えできることでしたら、なんなりと・・・」
にこっ。
「あなたは、ここで、なにをなさっておられるのでしょうか?」
「はい。この大宇宙を愛でいっぱいに満たす、お手伝いです」
「・・・」
こっくん。
しばらくの沈黙のうち、やがて、宗主は微笑んで大きく頷いた。
にっこり。
「そうでしたか・・・。この愚僧に大そうなお話しをいただき、有難き幸せ・・・」
ぎゅ。
ユティスは宗主の右手を両手で優しく握り締めた。
「こちらこそ。また、お会いできることを、楽しみにしていますわ」
にっこり。
「わたしもです。ぜひ、いつでもお立ち寄りください」
今まで、一言も発していなかった二人の修行僧も、宗主と一緒に深々と礼をした。
和人たちは草浅寺を後にして、二人でその参道をゆっくりと歩いていた。
「さっきは、すごかったね、ユティス」
「リーエス。宗主さん、とても素晴らしい方です」
「うん。ユティスが、文明促進推進の教育プログラムのことを言い始めた時、一瞬、止めようかどうか迷ったんだ・・・」
「セキュリティ上の理由ですね?」
「うん。きみが、あんまり本当のことを言ってたからね。でも、心配は皆無だった。あの人はものすごく知ってるし、深くものごとを考えてるよ。理学部物理学科だったなんて、最新の物理学に通じてるわけだよ。だから、宗主さんが、ユティスやエルフィアのことをマスコミ等にべらべらしゃべるなんてことは、ないと思うよ」
「リーエス。アンデフロル・デュメーラからも問題はないと、お伝えいただきました」
「彼女、モニタしてたのかい?」
「リーエス。これは、委員会にとって、地球の文明レベルを判断するとても良いサンプルになると思いますわ」
「うん。そうなるといいよね。地球にも、カテゴリー1的ではない人がいるという、具体的証拠だもの」
「リーエス」
にこっ。
どきっ。
「でも・・・」
「んふ、なんでしょう?」
かぁ・・・。
「うん・・・。やっぱり、きみは綺麗だよ。生体エネルギー場が見えるたびに感動するんだけど、きみは本当に天使じゃないのかって思う・・・」
「まぁ、そんなぁ・・・。すごく嬉しいです・・・」
ぎゅっ。
ユティスは和人の左手を握り締めた。
「和人さん・・・」
どきどき・・・。
「あはは、ここ、人通りが激しいよね・・・」
「・・・」
ユティスは目を潤ませ、今にも抱きついてきそうだった。
「あ、あれ!あれに乗ろうよ!」
--- ^_^ わっはっは! ---




