121 気合
■気合■
足利道場名物、1000本突きが今日も行なわれていた。いや、今日は、3000本になっていた。
「90!」
「すぃや!」
「91!」
「すぃや!」
「きぇーーーい!」
「うぉーーーっ!」
「97!」
「すぃや!」
「98!」
「すりゃぁーーー!」
「99!」
「しぃや!」
「800!」
「気合!気合!」
「うぉーーーっ!」
「すぃや!」
道場生の一人一人が各々20本ずつ数えて、カウントをローテーションしていた。道場には、黒帯4人のほか白帯も入れ総勢15人が、正拳中段突きを繰り出していた。
「次!」
「おす!」
「1!」
「すぃや!」
「2!」
「しぃや!」
順番が来て、一際、高い声で、白帯の一人がカウントしていった。
「5!」
「すぃや!」
「6!」
「すぃや!」
二宮はイザベルと一緒に稽古できることに、有頂天になっていたが、今はもう息が上がり、それどころではなかった。
(いったい、後、いくつ残ってるんだろう?)
そんな、二宮の邪念を吹き飛ばすように、後ろからイザベルの気合が飛んだ。
「きぇーーーい!」
「おらおら、気合、気合!」
二宮も歯を食いしばって声を出した。
足利道場は基本の正拳中段突きを数やることで、拳の握り方、突きの出し方、突きを当てる部位、突きのイメージを身体で覚えさせていた。と同時にスタミタをつけること、苦しい中での頑張りを期待した。
「99!」
「すぃや!」
「100!」
「しぃや!」
「止めーーーぇっ!」
師範の声が飛び、やっと3000本突きが終った。
「はい。2分休憩します。汗を拭いて、水分補給する人は水分を取り過ぎないように取ってください。道着が乱れている人は道着を直してください」
「おす」
「おす」
二宮は道着を直すため、後ろを向いた。
ぎゅっ、ぎゅ、ぎゅっ。
道着を整え帯をギュッと締め直すと、二宮は顔を上げた。そこで、イザベルと視線が合った。
ぱち・・・。
(あっ、イザベルちゃん・・・)
さっ・・・。
イザベルはすぐに目を逸らした。
--- ^_^ わっはっは! ---
(今日は、イザベルちゃん一番後ろに下がってたんだよなぁ。今まで、オレの後姿を見てたのかなぁ。オレの背中にいるから、こっちからじゃ見えやしない。ちっくしょう、恥ずかしいったら、ありゃしない・・・・)
かぁ・・・。
--- ^_^ わっはっは! ---
「しぃやっ!」
二宮は照れ隠しに、一段と大きな声で気合を入れた。
--- ^_^ わっはっは! ---
あっというまに、2分間の休憩が終わった。
「はい。元の位置に並んで!急げぇ!」
師範の号令が飛んだ。
「おす」
「おす」
「深呼吸」
「おす」
「おす」
「息吹」
「おす」
「かぁーーーっ、かっ!」
「もう一回」
「かぁーーーっ、かっ!」
「最後。上段回し蹴り、100本!」
師範の容赦のない声が飛んだ。
「おす!」
(うっそぉ・・・?上段回し100本、追加かよぉ。くっそうっ!)
--- ^_^ わっはっは! ---
「しぃやーーーっ!」
間髪入れずにイザベルの気合が飛んだ。
「うぉりゃあーーーっ!気合、気合!」
黒帯たちの気合が飛びかい、二宮も率先して気合を入れ直した。
「うりゃぁーーー!」
「おす」
「1!」
「しぃや!」
「2!」
「しぃや!」
「きぇーーー!」
足利道場では、道場生がこれで最後と思って気を緩めた途端、追加の蹴りや突きがくるのだった。稽古の間、少しの気の緩みもあってはならなかった。
(くっそう、今日はどいつだ、気を抜きやがったのは・・・?)
二宮は心で悪態をついたが、それ以後は無心に戻った。
それから5分後、足利道場では、ようやくその日の稽古が終った。
「おす」
「おす」
「道場訓!」
「おす」
「一つ、われわれは・・・」
二宮の通う足利道場では、その日、最後のクラスだった。
「一つ、われわれは・・・」
二宮は最前列の右端に正座して、目を閉じて道場訓を暗唱していた。
「指導員に向かって、礼」
「おす」
「神前に向かって、礼」
「おす」
「お互いに、礼」
「おす」
足利道場は、礼に始まり礼に終わった。
「立ってください」
指導員の指示が飛び、足利師範は道場の一番後ろで表情をくずさず、道場生を見回した。
「おす」
「今日は、みなさん、3000本突き、上段回し100本、よく頑張りました。一人じゃ、とてもできないことも仲間がいるとできます。日常生活においても、苦しい時、われわれは仲間がいること、仲間と乗り越えたことを、ぜひ思い出してください」
「おす」
「黒帯、他に伝えることは、ありますか?」
師範は黒帯たちを見た。
「おす。ありません」
黒帯たちは首を振った。
「では、解散」
「おす」
「おす」
「ふぅ・・・」
たっ、たっ、たっ。
二宮たち、まだ有段者でない道場生たちは、稽古が終わると早速黒帯たちに感謝の挨拶に向かった。
「おす。ありがとうございます」
一等最初に、二宮は胸の前で十字を切り、黒帯たちも応えた。
「おす」
「おす。ありがとうございます」
「おす」
今日の黒帯は4人だった。そして、二宮たちに向かって最も左にいたのが、喜連川イザベル初段だった。
「お、おす」
二宮はイザベルに十字を切ると礼をした。
「ありがとうございました」
「おす」
イザベルは稽古で頬を紅潮させたまま、二宮に応えた。
(うひょう・・。稽古で頬を染めちゃって、うなじも可愛いくて、色っぽいのなんのって。今日、稽古に来てて、ホントにラッキーだったぜ・・・・)
--- ^_^ わっはっは! ---
「おす」
二宮は思わず口元を引き締め、タオルを取り出すため、自分のバッグに戻った。
「おす。二宮先輩、きつかったですね、今日も」
ようやく9級になったばかりの社会人1年の道場生が、二宮に言った。
「まぁな。1000本突きでも、ケンカで相手を倒す意識ですりゃ、100本もたないぜ」
「おす。はじめから1000本突くつもりでするんじゃないって。黒帯の方が大声で言いますからね」
「しかも、今日は3000本」
「プラス、上段回し100本ですよね」
「まったくだよ。師範の声を聞いた時には、死ぬぞと思ったぜ」
「黒帯の先輩たちも、気合の入れ方が違ってましたよ」
「ああ。知ってるんだよ。どこでくじけそうになるかをな」
「みなさん、すごいですよ」
「イザベル、いや、喜連川さんも後ろから、気合入れまくってたからなぁ」
「おす。そうなんですよ。われわれが、へたりそうになると、実にタイミングよく、気合がくるんです。『きぇーーーっ』って。女性なのにすごいっすよぉ・・・」
「その通りだ。ここにゃ、女性蔑視者はいないぜ」
ちたっ。
二宮はイザベルに視線を向けてすぐに下に戻した。
「100本で息が上がって倒れても構わないが、始めから3000本を意識して、スロースタートしようなんてしてみろ、たちまち、檄が飛ぶぜ」
「おす」
「おまえも頑張ったじゃないかぁ」
「おす。しっかし、よく持ちますね、みなさん」
「持たないよ。みんながいるから、後、1本、後1本って、結果、合わせて3000本になるんだ。オレだって、そうだし。黒帯も、きっとそうだと思うぜ」
「おす。そうなんですか?」
「ああ。だから、道場は特別なんだ。気合入るだろ?」
「おす」
「で、先輩、あの喜連川先輩、いつ来られたんでしょうね?」
ぴくっ。
--- ^_^ わっはっは! ---
「おまえ、会うの初めてか?」
「おす」
「オレンジ帯のくせして、狙ってるのか?」
--- ^_^ わっはっは! ---
「黒帯ですか?」
「お、おう。黒帯だ。黒帯・・・」
「まだまだ、何年もかかりそうっすねぇ・・・」
--- ^_^ わっはっは! ---
(こいつも潜在的ライバルか・・・)
「喜連川さんは最近城南道場から移籍して来たんだ」
「やっぱり、そうですか。純粋に、見慣れない人がいるなと思って」
「可愛いよなぁ」
「おす」
「普段は、女子部に出てるからなぁ。夜の社会人クラスでは、滅多に会えないんだ」
「おす、女子部なんですね」
「おまえ、出るつもりか?」
--- ^_^ わっはっは! ---
「と、とんでもない。おす」
「おう」
「おら。二宮。いつまで汗を拭いている!」
「おす」
「さっさと、掃除にかかれ」
「おす」
道場生たちは箒で埃を取った後、雑巾がけでその日を締めくくった。
その時、二宮が畳から目を上げるとイザベルがいた。
「あ・・・。おす・・・」
二宮とイザベルの目が合った。
「おす。二宮さん、お久しぶりですね」
稽古を終えたままの道場着で、イザベルの方から二宮に語りかけてきた。
「おす。時間的に、自分は女子部には出られませんので」
--- ^_^ わっはっは! ---
「まぁ。変なこと言うんですね」
「おす。変でしょうか?」
「十分、変です」
--- ^_^ わっはっは! ---
「おす。光栄です」
「うふふふ・・・」
--- ^_^ わっはっは! ---
「先輩と稽古できて・・・」
「ええ。でも、二宮さん。毎日、このクラスだと、夜、帰りは遅くならないんですか?」
「おす。自分は近いんで」
「そうですか」
「喜連川さんこそ、夜は危なくないですか?」
「わたしはね、ほら、あれがあるから」
「左上段ですね?」
「違います。ダッシュで、一目散に逃げるんです。短距離走は、得意なんですよ」
--- ^_^ わっはっは ---
イザベルは冗談っぽく笑った。
「おす。そうですか」
(確かに、イザベルちゃんは、フットワークもいいし、速そうだよな)
「また・・・、昇段審査に出られるんでしょう?」
「おす。今度こそ、受かりたいです」
「頑張ってください」
「おす」
二宮は、女子更衣室に戻っていくイザベルの後ろで、十字を切った。
「二宮先輩、喜連川先輩と、知り合いなんですね」
「おう。超高速上段蹴りを教えてもらった仲からな」
--- ^_^ わっはっは! ---
「うぁ、それ、無茶苦茶うらやましいです」
「そうだろ。そうだろ」
(お前も一発喰らって、沈めばいいんだ)
--- ^_^ わっはっは! ---
「自分も教えてもらいたいっす」
二宮の後輩は羨ましそうに二宮を見た。
「喜連川先輩、上段回し蹴りが、そんなにすごいんですか?」
「ああ。おまえも組み手をする機会があったら、教えてもらうがいい」
びゅんっ。
「おす」
--- ^_^ わっはっは! ---
二宮は左上段蹴りをする構えをした。
「二宮さんも、鋭い蹴りをされてますね?」
「おう、そうか?」
「おす。自分は、あんまり足が上がらないんで」
「身体を、もっと柔らかくすることだな」
「おす。柔軟体操はするんですが、どうにも」
「どれ?そこに、座って、足を開いてみろよ」
「おす」
二宮は、彼の背中に回り、ゆっくりと背中を押した」
ぎ、ぎ、ぎぎぎ・・・。
「お。おす。あ痛、痛、痛いっすよぉ、先輩」
「なんだ、もう、音をあげちまって。ホント、身体、硬ぇなぁ・・・」
「おす」
「おまえ、頭も固いって言われないか?」
「おす、よく頑固だと言われます」
「だろうな。身体が硬いってことは、頭も固いんだ」
「おす。聞いたことあります。自分も硬くて困ってます」
「そう言うな。身体が硬いことは、いいことだっていうヤツもいる」
--- ^_^ わっはっは! ---
二宮はにっと笑った。
「おす?」
「どれ、見てろよ」
ぺたーーー。
二宮は相撲の又割りのようにして、両足を横真一文字に開き、それをやって見せた。
「まぁ、上段蹴りを放つには、こんくらいにはしとかないとな」
二宮は、足を開いたまま前に身体を倒し、べたっと畳につけた。
ぴたぁ・・・。
「す、すごいじゃないですか。先輩」
「おう。もう、8年、やってるからな」
二宮の両足は、真横に、ほとんど180度で開いていた。
「筋肉は、開く方にも、閉じる方にも、あるんだ。じゃないと、動いたのはいいけど、元に戻らないだろ?」
「おす」
「それを柔軟体操する時には、常に意識するんだ」
「おす。どうするんですか?」
「動かしたい方の筋肉に意識を入れ、反対の筋肉はリラックスするように意識するのさ」
「おす」
「そうすれば、だんだん、身体も柔らかくなり、自分の意識通りの動きが滑らかになる」
「おす」
「ただ、気をつけなければならないのは、やり過ぎだ。無理してすると、逆に身体が硬くなる。それに、時間をかけてゆっくりしろ。反動をつけてすると、筋を切ることになる」
「おす。ありがとうございます」
「なぁに、オレだって、先輩の受け売りだから」
「おす。いやぁ、大変参考になりました」
「風呂上りに毎日しろよ。1ヶ月もすりゃ、自分でもびっくりするくらいに、開くようになる」
「おす」
着替えも一段落し、黒帯以外では、茶帯二宮一級が筆頭だった。
「黒帯のお帰りです」
足利道場では、イザベルが靴をはき終えるのを待って、茶帯の二宮が大きな声を出した。
「おす」
道場生は、一斉に出口の方を向いて、十字を切り礼をした。
「お先に失礼します」
「おす」
「おす」
「おす」
(あーあ、せっかく稽古で、イザベルちゃんと一緒だったというのに、大した会話なしか)
--- ^_^ わっはっは! ---
「じゃ、オレも上がるわ」
二宮は道場生たちに言った。
「失礼します」
「おす」
「おす」
(さてと。のども渇いたし、腹も減った)
二宮は道場の近くにあるコンビニに入った。
がぁーーーっ。
「いらっしゃいませ」
二宮はビール2缶をカゴに入れると、迷わず、おにぎりコーナーに足を運んだ。
どがっ。
「痛ぇーーーっ」
「ご、ごめんなさい」
二宮は脇腹を押さえた。
「あぁ・・・」
そこには、申し訳なさそうに、若い女性が頭を下げていた。
「すみません。振り向きざまに肘が当たっちゃって」
(くぅ、痛ぇ・・・。試合なら、完璧に一本だなぁ・・・)
--- ^_^ わっはっは! ---
彼女が、顔を上げると、二人は同時に声を出した。
「二宮さん・・・」
「イザベルちゃん・・・。いや、喜連川さん・・・。オス・・・」
(今度は、中段肘突きかよ・・・)
--- ^_^ わっはっは ---
(またまた、イザベルちゃんに一本取られちゃったか・・・)
--- ^_^ わっはっは! ---
二宮は、脇腹を庇いながら、イザベルに苦笑いした。
「だ、大丈夫ですか?」
「オス。平気です。武道を嗜む者としてはあるまじき行為です。周りに気を配らないで歩いてたもんで・・・」
「それは、わたしも同じことです。ごめんなさい」
ぺこり。
イザベルは頭を下げた。
「あはは。い、いいっすよ。自分の不注意ですから」
二宮は赤くなった。
「でも、ホントに、大丈夫ですか?」
「おす」
(えへへ。怪我の功名。イザベルちゃんと会えて、しゃべれるなんて、なんてラッキー)
--- ^_^ わっはっは! ---
「道場の外まで、『おす』は、いいんですよ、二宮さん」
「おす。そういう訳にも」
二宮はカゴを置いて胸の前で十字を切った。
「ふふふ。二宮さんって、面白いんですね」
「オス。みんなから、そう言われます。あははは・・・」
「うふふふ。ほんと、二宮さんて面白いん・・・」
突然イザベルが固まった。