青空を描く
彼女は間断なく降り続ける雨の中、空を見上げ手を伸ばした。
当然のごとく、彼女の瞳の先にあるのは薄汚れ古ぼけてしまったような灰色の雨雲で、伸ばした手のひらは何にふれることもできない。
それでも彼女は手を伸ばし、わだかまりもなく、晴れやかに笑った。
もし、今現在の空模様が晴天で太陽に向かってその手が伸びていたなら、それは映画やドラマなどで視聴者にありがちかも知れないが強烈な印象を残すことができるような笑顔だった。そう心に晴れやかな余韻を残す、ハッピーエンドの場面のように。
だが実際のところ、まだ何も終わりきってはいないし、まだまだ始まってすらいないことがきっと沢山あるだろう。それはきっと、いいことの印象をあっさりと塗りつぶすような悪いこともあって。もしかしたら、そのうちの一つがきっかけとなって彼女の人生は致命的な痛手を味わうのかもしれない。その可能性も彼女はわかっている。
でもそれでも、彼女は手を伸ばし笑った。
雨の中、灰色の空を見上げながら手を伸ばす。
何故ならば、そう瞼を下ろすだけで彼女は青空を思い描けるようになったから。
それは強がりかもしれない。いや、ちょっと前、ほんの数日前までの自分ならそう笑い飛ばしてしまっただろう。でも、今の彼女は違う。彼女はこの雨雲の向こうにあるであろう澄んだ青色を思い描き手を伸ばす。だって、彼が教えてくれたから。
理屈ではなく、そう自分が思い描いた景色を。可能か不可能かではなく、自分で景色を思い描いて、それを勝算もなく願うこと。その願いをどう読んでいいか、彼女は彼に教わったのだ。どうしようもなく、馬鹿みたいな願いでも、それをそう、
「希望と名づけていいんだよ」
彼女はそうつぶやき、下ろしていた瞼を上げた。当然のごとく、そこに想像の青空はなくて、あるのは灰色の薄汚れた雲ばかり。
それでもそう、今彼女はどこかへ一歩、自分が前に進んだ気がした。
それは静かな喜びで、何を噛み締めていいのかもわからない、でも確かに何かをやり遂げたような、そんな余韻を持った感覚。
彼女は手を下ろし、軽く手のひらを見つめた。理由はわからない。だが何故か、何もつかめなかった手のひらを強く握り、胸に軽く当て、その名状しがたい何かを噛みしめた。
そして、彼女は歩きだした。とりあえずは家に帰ってシャワーを浴びよう。雨に打たれていたので、当然のことながら体が冷えてしまった。このままでは風邪をひいてしまう。そして、ホットミルクでもつくって飲んだ後、あの喫茶店に行こう。
それがきっと、今の時点での私にとって、希望と呼べるような時間になるから。