子猫
実はつい最近、書いたけどボツにしたお話の中にボロ雑巾のような猫を描写しまして・・・そのときイメージした毛色と妙に一致する子を娘が拾ってきたのです。
お話の中の子は人間に嫌われて、怪我だらけになる設定だったから、あわてて厄落としな~
ねえ、どうして私はこんなところに来てしまったの?
お母さんはどこ?
あったかいお家は? ご飯は?
さっきから大きな声で呼んでいるけど、人間は誰も気づいてはくれない。
なんだか声もかれてきたし、ぶお~って言いながらすごいスピードで走るアレが怖くて、この公園から出られないの。
あ、人間だぁ……
美織は鉄棒の下でうずくまっている子猫の瞳を覗き込んだ。
金の底に沈む緑色、そしてくるりと黒い虹彩。数年前に亡くした飼い猫を思い出させる、懐かしい色だ。
少し嗄れた声で、子猫が一声鳴いた。手を差し伸べれば、体を伸ばして鼻先を擦り付けてくる。
「人懐っこいね~」
ひょいと抱き上げられた子猫は、女の子がもう一人いることに初めて気がついた。
「どうするの? 拾うの?」
「ん~……」
美織は母親に厳しく言われている。
『生き物に半端な情などかけるな。一生の面倒を見てやれないやつが、迂闊に生き物なんか拾うな!』
母の強い口調が思い出される。
何でも中途半端で、娘の美織から見てもだらしない母親ではあるが、猫のみならず、愛育している生き物に対しての情は惜しみない。だからこそ『一生の面倒を見てやる』の意味を美織は知っている。
眼に入れても痛くないほどに可愛がっていた猫が死んだ日、母は声を上げて泣き喚いていた。泣き疲れて、死にも似た眠りに沈み、起き上がっては幽鬼のようにふらりと仕事に出かける……命あるものに愛情を注ぐ楽しさも、苦しみさえもその姿に思い知らされた。
突如に黙り込んだ美織に、友人が慌てたように言い繕う。
「たぶん、どこかのお家の猫だよ。だって、綺麗だもん」
なるほど、確かに毛艶が良い。それに、目やになどたまっていないのも、栄養状態の良い証拠だ。
「ちゃんとお家に帰るんだよ」
尖った耳にそっと囁いて、美織はその小さな猫を手放した。
今日は雨が降ってるの。風も強いの。
とても寂しい……
傘を差して公園の横を通り過ぎようとした美織は、あの猫がいるのに気づいた。公園に隣接する家の戸を掻いて、盛んに鳴き声を上げている。
その猫は毛艶はいいが、毛並みはよろしくない。黒に濃茶の斑が乗って、泥で汚れたように見えなくも無い。
そんな猫が尻尾の先まで雨に濡れている様子は、さながら小さなボロ雑巾が切なく拭き掃除をしているようにも見えた。
「な~」
小さな声は強い雨に紛れ、戸を引っかく音は儚く流される。もちろん、家戸が開く事は無い。
「な~う~」
小さなボロ雑巾は隣の家めがけて強雨の中を駆け出した。濡れ乱れた毛から雫が垂れる。
それ以上の正視に絶えず、美織は傘で視界を遮って……そして駆け出した。
あんよがいたいよお~。体も冷たいよお~。おかあさ~ん、おかあさ~ん……
小さな猫は、それでも美織の姿を認めるとヨロリと這い出してきた。右の後ろ足はビッコを引いている。
美織の顔色がさっと変わった。
「あ~、この猫、まだいるよ~」
のんびりとした友人の声を押しやり、小さな体を抱き上げる。
(冷たい……)
幸いにも雨は上がったが、風は冷たく、小さな体から体温を奪うには十分すぎる寒さだ。すでに門限を過ぎようとはしているが冷たい体は手放しがたい。美織は少しぱさついた毛並みを必死にこすって暖めようとした。
「どうすんの、美織~?」
「ねえ、この子、飼ってあげて」
「無理! 家にはもう猫いるし、お母さんに怒られちゃう」
美織の母だって怒ることだろう。猫嫌いの父はもっと怒るに決まっている。
公園の横を通り過ぎる車の音に、猫が大きく身を震わせた。
「車、怖いの?」
優しい声を鳴らす胸元に、猫は鼻先を押し付けてごろごろと擦れ声を立てる。
この子を拾っていったら、母はきっと可愛がることだろう。そうして歳月を重ね、、年老いて死んでゆく猫のためにやはり涙を……
(大丈夫。責任の意味は解るよ)
それでも今、目の前にいる命を手放すことは出来ない。
「行こう。私がずっと一緒にいてあげるから」
美織は猫をきゅうっと抱きしめた。
このときの彼女はまだ知らない。この後、ピコピコしたダンゴ尻尾にすっかりやられてしまった母親が怒ることも忘れて猫餌を買いに走ることを……そして、父と母が激バトルを繰り広げることを……でも、うちの子になったんだよ~♪