第四話 精霊。契約。
目を覚ますと、アリアがいた。その先に先ほど凍らせたはずの召喚獣が腕を振り上げて構えているのが見えた。
「私が、死んでもオルカを守る」
アリアの声は震えていた。
「あっそ」
そして、召喚獣の巨大な腕が無造作に振り下ろされた。
次の瞬間、オルカは召喚獣の攻撃とアリアの間に割って入っていた。どうやら考えるよりも先に、体が動いたようだ。咄嗟に大剣の腹に腕を添えて、両腕で受け止めていた。
ワンテンポ遅れて、体中から大量の血しぶきが上がり、全身から骨が砕けるような音が聞こえた。右腕の肘と両足の膝から骨がむき出しになっているのが見える。傷口を確認したと同時に、過去に体験したことがないほどの激痛がオルカの全身を襲った。痛みのあまり声すら出せない。体を少しでも動かしたら壊れてしまうのではないかと錯覚するほどだった。
大量の血液がこみ上げるように口に溜まる。口の中で鉄臭い血の味が広った。たまらずオルカはその血を全て吐き出す。赤黒い血だまりが出来上がった。
これはまずいな。死ぬかもしれない。
意識が朦朧とする中、振り返ってアリアの無事を確認する。アリアは震えながら、俺を見上げていた。
良かった。怪我はしていないみたいだ。
「逃げ……ろ…………ア…リアッ!」
オルカは血反吐を吐きながら声を絞り出し、再び構え直す。
巨大な化け物の腕がまたゆっくりと持ち上がっていく。どうやら、今のがもう一度くるらしい。そう考えた瞬間、オルカは背筋がゾッとするのを感じた。気づけば奥歯が細かく音を立て、両足が震えている。
オルカは、そんな自分の様子に驚いた。小さい頃は、剣を握ると手が震えた。魔獣を目の前にすると、恐怖で足が竦んだ。でもアリア出会ったあの日から、命に代えても守りたいと思ったあの時からオルカの震えなくなった。怖くても立ち向かう勇気というものを知ったからだ。だからこそ、オルカにはわかった。次の一撃を喰らったら助からないのだということを。
そして、オルカの命を終わらせる一撃が振り下ろされる。
ああ。死ぬ前に、アリアにこの気持ちを伝えたかったな。アリアの大事な話ってなんだったんだろう。願わくば、俺と同じであって欲しいな。
「オルカッ!」
轟音と衝撃とともにオルカの体が吹き飛ばされた。そのまま地面に激しく打ち付けられ、全身に激痛が走る。
「ぐぁ!」
意識が飛びそうになったが、はっとしたオルカは咄嗟に体を起こした。
「なんで……俺は生きているんだ」
生きているということは攻撃が当たらなかったのか?
理由がわからず、混乱する意識の中、振り下ろされた攻撃の跡を見つめる。土煙が晴れていくにしたがって、意識が落ち着いてくる。その時、自分が助かった理由として最悪のパターンがオルカの脳裏によぎった。
「嘘だろ……アリア」
土煙が完全に晴れる。しかしそこにアリアの姿はなく、先ほどまで自分たちがいたであろう場所には巨大な穴が空いていた。
オルカの予想は的中した。アリアがかばってくれたのだ。
「あああああぁぁっ!」
オルカの両目から、留まることなく涙が溢れた。落ちた剣を拾い、動かない体を無理矢理起こし、剣を構える。
「馬鹿な女だ。自分から攻撃に飛び込んでくるなんてな」
召喚術師は大声で笑った。オルカは笑う男と召喚獣を見据えた。
こいつが、アリアを……アリアを!
「許さないっ!」
あまりの怒りに剣を握る手が震える。もはや痛みは感じなくなっていた。オルカは両手で剣を握りしめ、アリアを奪った目の前の敵へと突っ込んでいった。
アーデルベルク島。地下鍾乳洞。
気が付くと、アリアは薄暗い空間にいた。
「あれ、私……生きてるの?」
ぽつりとこぼした言葉が反響する。虚ろな意識の中で、手の甲に触れたひんやりとした岩肌の感触が、生きていることを実感させた。声が反響したのを考えると、ここは洞窟のような場所らしい。
「私、どうしてこんなところにいるんだっけ……?」
なにか大事なこと忘れている気がしたが、まだ頭が混乱しているせいかそれがなんだか思い出せなかった。仰向けに倒れているアリアの視線の先に、天井に大きく空いた穴があった。その穴からは微かに光が射していて、そこが外に繋がっているのだと悟った。状況から察するにどうやら、あそこから落ちてきたらしい。そんなことを考えていると、急に体中が激しい痛みに襲われた。
「はぅっ」
あまりの痛みに、指先を動かすこともできなかった。たぶん、落ちたときに全身を強く打ったのだろう。この様子だと、あちこち折れているかもしれない。
すると突然、低く長い衝撃音とともに洞窟が揺れた。パラパラと落ちてきた小石が体に当たる。
「これって……」
その時、ふいに忘れていた記憶が蘇った。
そうだ。私、あの召喚獣の攻撃からオルカをかばって……。それから地面が崩れて……。
「オルカ」
今の音、きっとまだ戦ってるんだ。助けに行かなきゃ。
アリアは歯を食いしばって体を引きずった。動かすたびに体中に激痛が走る。そのままなんとか体を起こし、壁にもたれかかるがそこが限界だった。
「はぁ。どうしよう」
そう言って、私は天井の穴を見上げる。自分のいる場所からそこまで、絶望的なほどに遠くに感じた。
「飛行なら、この洞窟を抜けられる。だけど、こんな状態じゃ、高い集中力を必要とする魔法は使えないし……」
ううん、そんなこと言っている場合じゃない。アリアは何とか体を動かそうと力を入れる。
「痛っ」
ほんの少し力を入れただけでも物凄い激痛だった。そのあまりの痛みに本能的に体が動くことを拒否しているのか、アリアの体は一向に動かない。
なんで、なんでよ。助けないといけないの。
「動いてよ、私の体。このままだとオルカが……」
オルカと生きて帰らないといけないの。
「私は、生きて帰ってオルカに好きだって伝えるんだっ!」
「うるせぇなぁ……人間」
それは、全く突然そこに現れた。
目の前に、見たことのない光り輝く生物がいた。二十センチほどの小さなそれは、暗闇の中で内側から煌々と光を放っている。
見た目には、猫やライオンのぬいぐるみのようにしか見えない。だが、アリアはそれが常識という枠の外にあるものだと直感で理解した。
「あなた……もしかして、セルシウス?」
「はんっ、人間が。性懲りもなくまた来やがったか」
その生物は短い腕を組みながら、いかにも怪訝そうな目でアリアを見つめている。その反応から、目の前にいるのが伝説の精霊であると確信した。
体中に電流が走ったような感覚を覚え、何度も読んだ本のあの一文が脳裏をよぎった。
『だがもし仮に、人が精霊の力を借りる……すなわち、契約することができたとしたら、恐らく人類を超越する最強の魔法使いとなりえるだろう……』
これしかない。
「セルシウス! お願い、私と契約して!」
セルシウスはその言葉を聞くなりため息を吐いて、小さな右手をアリアに向ける。そしてセルシウスが何かを呟くと、鈍い音が洞窟に響いた。同時に、頬に冷たい何かが当たっているのに気がついた。それはアリアの顔よりもはるかに大きな氷槍であった。大きな氷槍が地面に突き刺さっているのがセルシウスの光に照らされて横目に確認できた。
「嫌だね! 俺たち精霊は、自分勝手な【人間】っていう種族自体が大嫌いなんだよ!」
その声には怒りすら感じるほどであった。過去に精霊が人間と契約したことがないのは、精霊自身が契約する気がないからだと改めて理解した。それでも、アリアには他に方法がなかった。
「お願い! 私と契約して!」
再び鈍い音が響く。今度は腹部に激痛が走った。みるとさっきの氷槍が、アリアの脇腹に突き刺さっている。
「うぐっ…ぁ…………ぅ……」
意識が飛びそうなほどの痛みが襲う。
「次は……殺すぞ」
恐怖すら覚える冷たい目をして、セルシウスは言い放った。それが、本気の言葉だとアリアにはわかった。
その時、再び震動とともに洞窟内が揺れた。
「オル……カ」
急がないと間に合わないかもしれない。たぶん、もう一度契約してと言ったら私は殺される。それでも、ここは引き下がれない。
「大切な人が死にそうなの! どうしても助けたいの! だから私と契約して!」
例え殺されるかもしれなくても、アリアにはこうする他にオルカを助ける方法などなかった。
「なっ……!」
セルシウスは小さな目を大きく見開いた。そして、信じられないものを見るような目つきをする。
「お前は馬鹿か? 次は殺すと言っているだろうが!」
そう言って、再び右手を私に向ける。それでも、アリアは構わず叫び続けた。
「殺せばいい! オルカを助けられないなら、この想いが伝えられないなら、生きていたって意味なんかない!」
「ちっ!」
三度、鈍い音が洞窟内に響く。叫び終わったアリアの口から大量の血が溢れ出る。胸元に違和感を感じた。見ると、脇腹とは別にもう一本の氷槍が胸に突き刺さっていた。それが刺さっているのを認識した途端、急に意識が遠退いていった。
「馬鹿な人間だ」
その時、出会ってから今までのオルカとの日々が蘇った。
いつも、どんなときも笑顔でいてくれたオルカ。
私は、そんなあなたを一目で好きになった。
私はあなたを好きでいられて、とってもとっても幸せだったよ。
あなたは私のことをどう思っていたのかな。
好きでいてくれたら嬉しいな。
「あ……ぁ……」
アリアの目からとめどなく涙が零れ落ちた。口にたまった血と、止まらない涙のせいで声がうまく出ない。それでも、アリアは言葉が勝手に溢れていくのを止められなかった。
「大好きだよ、オルカ……。守れなくて、ごめんね」
最後の力を振り絞ったアリアの瞳はそのままゆっくりと閉じていった。
その様子をただじっと見つめていたセルシウスが口を開いた。
「本気で……自分の為じゃなく、他の誰かのために契約したい……のか?」
薄れゆく意識の中、セルシウスが何かを言っているのが聞こえた。
「その為に……お前は自分の命を投げ出したって言うのか?」
しかし、今のアリアにはもはや聞き取るだけの力は残されてはいなかった。
「本当に、人間っていうのは不可思議な生き物だな」
………………………オル……カ…。
アリアの命が尽きるその刹那、聞いたこともないほど綺麗な音が頭の中に直接鳴り響いた。その音の効果か、アリアは消えかけた意識を無理矢理引き戻されて目が覚めた。洞窟全体がはっきりと見えるくらい、目の前が明るくなる。
その光はセルシウスによるものだった。
「はんっ! お前、おもしろい人間だな!」
「……………え?」
「いいだろう、契約してやる」
そう言ってセルシウスは短い腕を私に差し伸べた。それに合わせて小さな体から無数の光の帯が伸びて私を包んでいく。
「人間、手をだしな」
状況が理解できないまま、アリアは言われるがまま右手を伸ばす。アリアの手とセルシウスの手が触れあうと、巨大な魔法陣が二人の下に発生した。
「我が名は氷結の精霊“セルシウス”。この世の理を担う力を、この人間に貸し与えよう─」
魔法陣が更に輝きを増し、まわりの空間が氷結していく。不思議な感覚であった。当然、今までに精霊と出会ったことなどない。契約の言葉など知る由もない。しかし、アリアはその言葉をずっと前から知っていたかのように口にした。
「 「 精霊契約 」 」