第三話 召喚術師。襲来。
しばらく歩くと、大きな岩山のふもとまで来た。
「ここを少し登ればあるはずだよ」
そう言って、アリアは山を登ろうと岩肌に手をかける。
「待って、アリア」
「なに、どうしたの?」
振り返ると、オルカが険しい表情で辺りを見回していた。
「気配を感じる。近くに、俺たち以外誰か……いる」
「え?」
「我は開く。時空の扉を現世へと……」
どこからともなく聞こえた詠唱とともに、突如アリアたちの前方に光り輝く巨大な魔方陣が発生した。
「きゃっ、なにこれ!?」
「ま、魔方陣!?」
アリアは自分の目を疑った。こんな巨大な魔方陣は未だかつて見たことがなかった。
「輪を持ち、廻を紡ぐ……」
詠唱が続くたび、魔方陣はいっそうに輝きを増していく。
「呼び起こせしは岩巨兵。古の契りに従い、我に仇なす者に絶望を与えん」
聞いたことのない詠唱。見たことのない魔方陣。
「古代魔獣召喚」
「し、召喚魔法……召喚術師?」
詠唱が完成し、魔方陣から長くて歪で巨大な何かがゆっくりと這い出てきた。先端部分に四本の指のようなものが見える。
「もしかして、これ……腕か?」
腕と思われるそれは、ゆうに五メートルはあった。次いで、魔方陣の中からもう一つ同じものが出てきた。そして、両腕の力を支えにして頭部と思われるものが現れた。無数の鉱物と魔法石を体中にとってつけたようなゴツゴツした歪な上半身。額についた鉱物の隙間から巨大な二つの赤い目が、ギロリとアリアを睨みつけている。
「ガアアアアアアアアァッ!」
それが口と思われる部分を開き、この世のものとは思えない雄たけびを上げた。
言葉にならなかった。奥歯がガタガタと激しく震え、身の毛もよだつような恐怖が全身を襲い、気が付くと両足は立つことをやめて座り込んでいた。
だめだ、殺される……。
すると、アリアの視界を遮るように何かが目の前に立ちはだかった。他でもない、オルカだった。
「アリア、魔法だ! こいつを完全に召喚させちゃだめだ! 今ならまだ間に合う!」
大好きなオルカが私に何かを言っている。でも、なんて言っているんだろう。目の前のオルカの声ですら、アリアには聞き取れなくなっていた。それほどまでに、その存在は圧倒的過ぎた。オルカは剣を捨てて振り返った。そして、アリアの両肩を掴んで叫んだ。
「しっかりしろ、アリア! 帰ったら大事な話があるんだろう! ここで死んでいいのか!」
「大事な……話」
オルカの想いが通じたのか、断片的にアリアにその声が届く。
そうだ。私は、オルカに伝えないといけないんだ。
ふと、アリアの目の焦点が合った。目に生気が戻っていく。その様子を見てオルカはいつものようにニコッと笑う。
「アリア。俺もお前に大事な話がある。だから、生きてここから帰ろう」
オルカの……大事な話。
その時、溢れんばかりのオルカへの愛情が胸いっぱいに広がった。
「か、帰ろう……生きて帰ろう。オルカ!」
「あぁ!」
アリアは両足に力を入れて立ち上がった。
「こいつは、私が止める!」
アリアは右手をかざし、詠唱を始めた。
「我は結ぶ。水の力を大気へと……」
足下に魔法陣が発生し、金色に光り輝く。
落ち着いて、最速スピードで詠唱を完成させるんだ。
「造りしは霧雨。恵まれぬ者へ天恵を与えん」
すぐさま詠唱が完成し、右手を振り上げる。
「水霧」
解放キーを唱えると、魔法陣が一層輝きを増し、召喚獣の魔方陣に重なるようにもう一つの魔方陣が発生する。すると、新たに発生した魔方陣上に大量の水蒸気が舞い上がった。
「おわっ!」
「オルカ! それにかからない位置まで離れて!」
「わ、わかった!」
この魔法自体に現状を打破する効果はない。だから、もう一つ。
「我は喰らう。異なる力を糧として……」
再びアリアの足元に魔方陣が発生する。すると周辺の温度が急激に下がり、吐く息すら白くなった。そして冷気がまるで生きているかのように周りを浮遊し始める。
あいつを止められるかどうかの肝はこっちだ。完成度の高い術式にしないと。結合式を間違えないように、正確に。
「造りしは氷塊。力を振るいし者へ天災を与えん」
これで止まれ!
「氷河」
解放キーを唱えた直後、押さえつけられた力がはじけるように凄まじい冷気が辺りに広がった。術者のアリアも、近くにいたオルカも思わず両腕で顔をかばわなければいけないほどであった。
幾秒か経ち、二人は恐る恐る目を開いた。そこにあったのは、召喚される途中で氷漬けになった召喚獣の姿だった。
「止ま……った?」
「やったぞ、アリア!成功だ!」
「よ、よかったぁ。これで無事に帰れるね」
アリアとオルカは顔を見合わせて歓喜の声を上げる。すると、どこからともなく一人の男が現れ二人の目の前に立った。
「あーらら。何してくれてんのかねぇ。俺様のギガントメテオールに」
そう言って氷漬けになった召喚獣ギガントメテオールを見上げる。
「だ、誰だお前は!?」
「このタイミグで出てきてわかんないか?」
「召喚術師……」
アリアが答えると、男はニヤリと笑った。
「我は違える。流し時の召環を……」
詠唱!? まずい、何かをする気だ。
アリアよりも早く行動を起こしたのはオルカだった。
「させるかぁ!」
オルカは剣を拾い、召喚術師目がけて全速力で駆け出した。一瞬で間合いを詰めたオルカが剣を振るう。しかし紙一重でかわされ、反撃に繰り出された回し蹴りを頭に喰らう。オルカの体が数メートル先まで吹き飛んだ。
「ぐぁっ!」
「オルカ!」
アリアが駆け寄る。
「オルカ! オルカ!」
必死で声をかけるが返事はなかった。
「造りしは二重廻。我の求めし獣を呼び覚ませ」
召喚術師の足元に発生した魔方陣が光り輝く。
その詠唱を聞いたことはなかったが、それがどんな結末を生み出すのかは容易に想像ができた。そして、それはアリアとオルカの死を意味していた。
「だめ……やめて」
「再召喚」
解放キーとともにギガントメテオールを包むように巨大な魔方陣が発生する。次の瞬間、ギガントメテオールを止めていた氷が一瞬で泥のように剥がれ落ちた。そして、押さえつけていた枷を失ったギガントメテオールはリコールの力によって勢いよく魔方陣から全身を乗り出すと、地鳴りのような叫び声を轟かせた。
「ガアアアアアアアアァッ!」
アリアは今度こそ立ち上がる力を失った。
あの化け物が完全に召喚しきってしまった。魔力はさっきのでほぼ底をついた。オルカは意識を失っている。
頭から血を流すオルカをぎゅっと抱きしめ、アリアは召喚術師を睨みつけた。
「なんなの、あなたは。なんでこんなひどいことをするの」
「これから死ぬ奴に、説明が必要か?」
召喚術師はほくそ笑んで答えた。
「力のないやつは死ぬ。ただ、それだけのことさ」
「あなた、人じゃない……」
オルカを抱きしめる手に力がこもる。
「ははっ。褒め言葉として受け取っておくぜ」
アリアはオルカの体をそっと寝かせ、立塞がった。
「ほう。何のつもりだ?」
体にうまく力が入らない。立っているのもやっとなほど怖い。それでも今オルカを守れるのは私しかいない。生きて返って、伝えなきゃいけないことがあるんだ。
「私が、死んでもオルカを守る」
「あっそう」
召喚術師が右腕を掲げる。呼応するようにゆっくりとギガントメテオールの腕が持ち上がる。少し動くたびに鉱物がガチガチとぶつかる音がして、その重厚さが嫌でも伝わった。
「じゃあ、死ね」
召喚術師が腕を振り下ろす。同時にギガントメテオールの巨大な腕が、凄まじい風切り音とともに振り落ろされる。
「……ッ!」
恐怖に耐えきれず、アリアは目をつむった。
オルカ!
アリアは心の中でオルカの名前を叫んだ。爆発音に近い大きな音が耳を劈く。しかし、なぜか痛みはなかった。アリアは、恐る恐る目を開いた。
「大丈夫か。アリ……ア」
アリアは自分の目を疑った。ギガントメテオールの一撃を、オルカは剣一本で受けとめていたのだ。
「オルカッ!」
「ぐっ……」
オルカの全身から血が吹き出す。よく見ると、右腕と両足から骨のようなものが突き出ていた。その様子は、今の攻撃の威力を騒然と物語っていた。アリアは慌てて救急用ポーチに手をかけるがすぐに思いとどまった。
どうしよう。持ってきた魔法薬じゃこんなひどい怪我は治せない。このままじゃ、オルカが死んじゃうよ。
そんなことを考えていると、アリアの耳に硬くて鈍い音が聞こえてきた。はっとして見上げると、ギガントメテオールが再び腕を上げて構えていた。
「はっは、やるじゃねぇか。魔法も使えないくせにギガントメテオールの攻撃を受け止めるなんて」
「そんな……」
「だが、二度も持つかな?」
召喚術師の口元が緩む。
「だ、だめっ!」
あんなものをもう一度受けたら、今度こそオルカは……。
「逃げ……ろ……………アリアッ!」
フラフラになりながら、オルカがもう一度剣を構える。
瞬間、巨大な腕が振り下ろされた。なぜか、アリアにはその光景はスローモーションに見えた。
「オルカッ!」
そして、先ほどよりも大きな衝撃と爆発音がアーデルベルク島に響き渡った。