第二十五話 正体。完全魔法支配空間。
「――ッ!?」
『なっ!?』
プライドの言葉に、アリアの心臓がバクンと大きな音を立てて鳴った。
正体がバレた!? いや、かまをかけているだけかもしれない。動揺するな。冷静に対応すれば、まだ……。
「学院長先生、何を言っているんですか? 私が極東の悪魔だなんて酷いですよ。むしろ、私は極東の悪魔にさらわれた被害者です。命からがらなんとか逃げ出してきたのに……」
アリアはできるだけ平静を装いながら答えた。
プライドは首を横に振った。そして、憐れむような目をアリアへと向けた。
「もう嘘をつくのは止めなさい。学生寮で戦ったあの時から、わしは気づいておったよ」
アリアの表情が凍りついた。思い当たる節があったからだ。
そして、それは間違いではなかった。
「氷の魔法をわしに向かって放った時のことを覚えておるかの? 本来なら、避けれるはずもない状況で、なぜかわしは躱すことができた。つまりあの時、君は明らかに躊躇したんじゃ。知っている人を殺したくないという良心が働いたのじゃろう……まあ、今もその心が残っているかはわからんがの」
アリアは拳をぎゅっと握りしめた。手のひらが尋常じゃない程の汗を掻いている。
いや、落ち着け。まだ大丈夫。それだけなら、証拠にはならない。
「……なんでそれで私が極東の悪魔になっちゃうんですか? ぜ、全然理由になってないですよ」
「理由なら他にもある。あの時、極東の悪魔が抱えていたのは、ローブで包んだ布キレじゃった。つまり、そもそも君はさらわれてなどいないのじゃ」
き、気づかれてた……。やっぱり、至近距離まで飛び込まれたのは不味かったか。でもまさか、あの状況下でそこまで見ているなんて……。
「なら、さらわれたと主張する君の話は矛盾する。のぉ、アリア君?」
プライドは、一切表情を変えず、視線を逸らさず、ただ真っ直ぐアリアの目を見つめた。
アリアはその目を直視してられず、顔を伏せてしまった。
「せ、先生が何をいっているのかわかりません! 私は……」
どうしよう……完璧に見抜かれてる。返す言葉が……ない。
『おい、どうすんだよアリア!? 全部バレてんじゃねぇか!』
『わかってるよ! 今考えてる!』
確かに全部バレてる……でも、全て状況証拠だ。私が極東の悪魔の姿にならない限り、私を捕まえることなんてできないはず。返す言葉なんてなくても構わない。ここは、何がなんでも違うで通す!
「私は極東の悪魔じゃない!」
「あくまで嘘をつく……か」
プライドは溜息を吐いた。
そして、今まで見せていたものとは全く違う、冷たい目をアリアへと向けた。
アリアは負けじと睨み返した。そして、気がかりであったオルカの所在を確かめることにした。
「嘘じゃありません。そんなことより、オルカはどこですか?」
「……」
しかし、プライドは何も答えなかった。
ただただ冷たい視線をアリアに向けている。
アリアは苛立ちを覚え、声を荒げた。
「答えてください! オルカはどこにいったんですか!」
「…………死んだよ」
…………………………………………へ?
アリアには、プライドの言葉の意味が全くわからなかった。
キョトンとするアリアをよそに、プライドは言葉を続けた。
「オルカ君は死んだ。いや、わしが殺した。君の……極東の悪魔の仲間を生かしておくわけにはいかんからのぉ」
この人は、何を言っているの?
オルカが…………死んだ?
「う、嘘だ! そんなデタラメ誰が信じると――」
「嘘だと思うなら、気配でも探ってみると良い。わしの部屋に死体が一つ転がっておるわ。索敵魔法は得意じゃったろう?」
アリアの言葉を遮るように、プライドは言葉を放った。
「くっ!」
アリアは全神経を集中させた。自分を中心に、氷の魔元素を伝って索敵範囲を広げていく。
いち早く気配を探り終えたセルシウスが叫んだ。
『……これは!? やめろ、アリア! みるんじゃねぇ!』
しかし、一瞬遅かった。
アリアの顔が真っ青になる。
「そん……な……」
それは、学院長室の中心に一つだけポツンとあった。
血だまりの中で横たわり、変わり果てた姿をしたオルカであった。
「う、あ……うあああぁああぁっ!?」
アリアは半狂乱になり、叫び声をあげた。
全身から魔力が溢れ、まるで地鳴りのように建物が揺れる。
『落ち着け、アリア!』
「許さないっ!」
アリアの瞳が緋色に染まる。次いで全身が、極東の悪魔の姿へと変わっていく。
「やはり、君が極東の悪魔か……」
豹変したその姿を見て、プライドは呟いた。
アリアは奥歯をギリッと噛み、プライドを睨みつけた。
よくも……よくも、オルカを!
怒りに震える右腕を左手で支えながら、プライドへと向けた。
「むっ――!?」
「絶対空間凍結ぁ!」
室内にガンッ、と鈍い音が響く。
プライドが立っていた空間が一瞬で凍りついた。出来上がった氷塊の中に、プライドの姿が浮かぶ。
室内が静寂に包まれた。
聞こえるのは、自分の荒れた息遣いだけ。
じわりじわりと、アリアの心に空しさが広がっていった。
こんなことをしたところで、オルカは返ってこないんだ。
オルカ……。
「う……うぅ……ああああぁあああぁ」
アリアはその場で泣き崩れた。
『……アリア』
ずっと……ずっと、オルカを守りたくてここまできたのに……なんで……。
嘘だって言ってよ、オルカ……。
「ふむ。こうも簡単に殺しに来るか。やはり変わったのぉ、アリア君」
突如あがった声に、アリアの肩が小さく跳ねる。
それは、聞こえるはずのない声であった。
アリアは恐る恐る顔をあげた。
まさか、そんな……!?
声の主は、やはりアイリス・デル・プライドだった。
「どうやら、姿だけでなく、心まで悪魔になってしまったようじゃな」
氷塊の中から、プライドがゆっくりと這い出てくる。プライドに触れた部分が、まるで熱源に触れた普通の氷のように、水蒸気を上げて蒸発していく。
『馬鹿な!? 一度完全に凍ったやつが、中から出られるわけがねぇ!?』
セルシウスが信じられないといったように、声をあげた。
そうだ。普通はあんなことできるはずがない。なら、考えられることは一つだけ。
「私の魔法を……支配した?」
「正解じゃ。二十年ぶりかの、これを使うのは」
その刹那、プライドを中心に、半径三メートルほどの黒半透明な球状の空間が発生した。
そして、一足飛びにアリアの眼前へと躍り出た。
その行く手を阻むように、氷燐の羽衣が発動する。
しかし、プライドはそれを何もないかのように通り抜けた。プライドの細い腕がすっと伸び、アリアの首を掴む。そして、そのまま勢いよく壁に叩きつけた。
「がっ!?」
アリアの口から血が飛び散る。
「この魔法の名は、完全魔法支配空間。我が空間に入ったあらゆる魔は、全てわしの意のままに操れる。攻撃魔法も然り。防御魔法も、また然りじゃ」
そう言って、プライドは力を緩めず、アリアを壁へと押し込み続けた。
掴まれた首が、ミシミシと音を立てる。見た目からは想像ができない程強い力が、アリアの首を絞めつけていた。
『くそっ! なんなんだよ、このジジイは!?』
呼吸すらまともにとれず、アリアの顔が苦しさと苦痛で歪んでいった。顔は赤紫に腫れ、目は血走っている。
声など出せる状態になかったが、アリアは構わず声を張り上げた。
「うるさい! 私は……それでも、お前を……殺す!」
プライドは長い溜息を吐いた。そして、部屋の入口へと目をやり、口を開いた。
「これでわかったじゃろう」
アリアはプライドの視線を追った。
「…………オルカ?」
部屋の扉の前。そこに立っていたのは、紛れもなくオルカであった。
『ま、まじかよ!?』
アリアもセルシウスも、まったく状況を飲み込むことができなかった。だが、アリアにはそんなことよりもオルカが生きていたということが嬉しかった。
しかし、一瞬にしてその感情は褪せていく。オルカの違いに気がついてしまったからだ。
出会ってからずっとアリアに向けられていたものとは全然違う、オルカの冷たい目。
軽蔑するような、蔑むような、悲しそうな、そんな目をしてアリアを見ていた。
嫌だ。止めて……。そんな目で、私を見ないで。
「信じたくはなかったよ。君が極東の悪魔だなんて……」
オルカは悲しげにそう言った。
違う……。違うよ、オルカ! 私はあなたを助けたくて……!
伝えなきゃ。話せば、オルカならきっとわかってくれる。
「オル――!?」
アリアが口を開いた瞬間、プライドは手に力を加えた。
そして、アリアを壁から引きはがし、後ろ首を掴んで、上から押さえつけつように地面に這いつくばらせた。
「うぐっ……」
「勉強不足じゃったな。君がわしの部屋で感知したのは、ノエルが創りだした偽物じゃよ」
「フ、偽物……?」
そうか、まさか――!
「彼女は優秀な創成術師じゃからのう」
迂闊だった。気が動転して、頭が回ってなかった。まさか、創成術師が創る死体が、あんなに精巧なものだなんて……。
「君をその姿にするために、オルカ君にも協力してもらったというわけじゃ。まんまとかかったのぉ」
その言葉に、アリアは腹が煮えくり返るほどの憎悪を覚えた。
「プ……プライドォ!」
アリアは絞り出すように声をあげ、睨んだ。
プライドは怯む様子もなく、ただアリアを見下ろした。
「もう言い逃れはできん。君をこのまま王国へ引き渡す。観念するんじゃな」
私が捕まる……?
きっと処刑は免れない。死ぬ。殺される。
嫌だ。私は死にたくない。オルカと一緒にいたい。
ふいに、アリアの両目から涙がとめどなく溢れた。その涙が絶望感からくるのか、死への恐怖からくるのか、はたまたオルカへの愛情からくるものなのか、アリアには全く分からなかった。
ただ、アリアは泣きじゃくった。
「うぅ……オル……カぁ……」
アリアは救いを求めるようにオルカへと目をやり、手を伸ばした。
「……アリア」
「た、助……け……て……」
オルカは首を横に振って、背を向けた。
「……さようなら。好き……だったよ」
そう言って、オルカは部屋から出ていった。
アリアは泣き叫んだ。
いつまでも、オルカの名前を呼び続けて――
この日、極東の悪魔拘引の記事が、王国中の新聞に大きく掲載された。
極東の悪魔の正体も、捕まった経緯も伏せられたままであったが、そのもたらした被害だけはどこの新聞社も大きく取り上げていた。
死者、三千七百名。加えて四名の皇族殺害。
潰された街や軍などの被害総額、二百九十億キア。
極東の悪魔は、わずか一か月足らずで、世界最大規模の被害をもたらした最凶最悪の犯罪者として、人々に戦慄を与えた。
更に、極東の悪魔公開処刑の日取りが報じられた。
日時は五月五日。午後二時。場所は首都レイファルス。公開処刑場、ダムナシア。
誰も知ることのない少女の戦いが、今、幕を閉じようとしていた――




