第二十話 衝突。最強騎士。
女が一歩足を踏み出すと、凍りついていた地面が一面捲れ上がった。まるで地震でも起きたかのように、大地が激しく揺れる。
「なっ!?」
「初っ端から全力でいくぜ?」
そう言って、女は地面に向かって右手をかざした。何かを掴むように、小指から一本一本指を折っていく。掴んだ何かを引っこ抜くように、頭の後ろまで右腕を引き上げた。
次の瞬間女の足元から光が噴き出した。溢れ出た光は巨大な長い帯となり、その姿はまるで龍のようであった。その光の帯が、女の体に纏われていく。
「龍装」
光に照らされた女が笑みを浮かべる。
アリアは背筋がゾッとするのを感じた。
『み、見えるか。アリア?』
セルシウスの声が微かに震えていた。
「う、うん。見える。見えるけど、この力は……なに?」
それは、明らかに異様な光景だった。
女から、魔力を一切感じなかったのだ。
『少なくとも、魔法じゃねぇ。だが……』
「だが……なに?」
『あれは、なんかやべぇ。力の正体はわからねぇが、俺たち精霊と互角……いや、下手したらそれ以上だ!』
「そんな!?」
アリアは思わず女から視線を外した。
その刹那、女は勢いよく地面を蹴って、跳躍した。
『よそ見すんな! 来たぞ、上だ!』
「え?」
アリアは咄嗟に上空に目をやった。
女が拳を構えながらこちらに向かって落下してくる。
「うらぁっ!」
繰り出された拳に対し、氷燐の羽衣が発動する。
発生した氷と女の拳が激しい衝撃音を上げる。
「素手!?」
「あたしの武器はこの拳なんだよ!」
力の正体はわからないけど、物理攻撃なら助かる。このまま防いで、攻撃の反動で動けなくなったところに絶対空間凍結を――
『おい、逃げろ! アリア!』
「――!?」
アリアは目の前の光景に目を疑った。
氷燐の羽衣に、亀裂が入っていたのだ。
「嘘っ!?」
「砕けろぉ!」
女の叫びと共に、氷燐の羽衣が甲高い音を立てて砕け散った。
やばい、喰らう!?
アリアは必死に体の軸をずらした。
しかし、間に合わなかった。
振りぬかれた拳が、アリアの右わき腹に触れる。
次の瞬間、グシャッと果物が潰れるような音がして、アリアの右腹部が吹き飛んだ。
『アリアっ!』
「ぐぁっ……!?」
腹部に尋常じゃない痛みが走る。
「へぇ。あの状態から、よく咄嗟に避けたもんだ」
女は振り返って、拳についたアリアの血をベロリと舐めた。
アリアは膝をついた。
抉れた腹部を咄嗟に手で押さえたが、傷口が大きすぎた。隙間から零れるように大量の血と、血にまみれた内臓が、ボトボトと音を立てて地面に落ちていく。
この傷はまずい!? たぶん致命傷だ……早く、何とかしないと……!
アリアは手に魔力を込めた。
「あ……ぅ……!」
「はん。出血を止めるために、傷口を凍らせたか」
血は止まったが、痛みはむしろ増した。アリアは下唇を思いっきり噛んで、痛みで飛びそうな意識を何とか繋ぎ止めた。
『無茶苦茶だが、良い判断だぜ。生きてさえいれば、傷はあとから完治できるからな』
アリアは女の方へと体を向けた。じっと、その姿を見据え直す。
この人、強いなんてもんじゃ無かった。氷燐の羽衣を拳で貫くなんて……。
「お前、ファーストか?」
女は首を横に振った。長い黒髪がフワッと舞い上がる。
「あんな気持ち悪い男と一緒にするな。あたしはセカンド。シャーロッテ・ドンキー・アークだ!」
「なるほど……」
気持ち悪い男……たぶん、作戦を考えた方だ。
この戦闘を預かっているくらいだ。きっとこの人が、エクイテス最強騎士。
氷燐の羽衣で防げない以上、今の私じゃこの人には勝てない。今打てる最善の手は、ミシェルの居所をなんとか聞き出してこの場から逃げること……。試してみるか。
「なら、ファーストがミシェルの護衛に付いているということだな?」
アリアの言葉を聞き、シャーロッテは口角を上げた。
「クックッ……」
「何がおかしい」
アリアは眉間に皺を寄せた。なぜここで笑いだすのか理解ができなかったからだ。
だが、シャーロッテの笑いの意味をすぐに知る。
「ミシェル? いるわけねぇだろ! てめぇの狙いが皇子の命だってのはわかってんだからなぁ!」
そ、そんな……。
アリアの全身から力が抜けていく。
『おい、アリア。しっかりしろ!』
そうか、なんで気付かなかったんだ。最初から罠だったんだもん。向こうからしたら、わざわざリスクを犯してまで、実際に皇子を連れて回る必要はないだ。完璧に、相手の作戦にハメられた……。
作戦も戦闘も完全に上をいかれたのだ。
アリアは絶望に伏した。
その時、ドンッと鈍い音が上がった。
「おい、なにをぼうっとしてやがる?」
気がつくと、アリアは宙に浮いていた。眼前にシャーロッテの顔がある。
胸部に痛みが走り、視線を落とした。
シャーロッテの肘が見えた。よく見ると、肘から先が無い。
いや、肘から先が無いのではない。シャーロッテの腕がアリアの胸部を貫いていて見えないのだ。
『アリアぁ!』
大量の血が込み上げ、口から勢いよくこぼれ落ちた。
口の中いっぱいに鉄臭い血の味が広がる。
「がふっ……」
「言ったよな? 少しは粘ってもらわないとつまんねぇってよ?」
シャーロッテはつまらなそうな顔をして言葉を吐き捨てた。
駄目だ……強すぎる。
アリアの心が、音を立てて折れた。
ゆっくりと、瞼が閉じるていく――
オルカ……ごめん………………。
アリアの意識が消え去る刹那、大きな声が上がった。
「ひゃっははぁ! いいぞ、セカンド。そのまま殺してしまえ! 我が国の敵、極東の悪魔を地獄に叩き落とせぇ!」
シャーロッテが声の方向に勢いよく振り返った。そして、信じられないものを見るように目を大きく見開いた。
その様子に、アリアの第六感が働いた。遠のいていた意識が急速に戻ってくる。
まさか……まさか……!?
シャーロッテは声の主を見るなり、ギリッと音を立てて奥歯を噛んだ。
「なぜ、てめぇがここにいる……ミシェル・レイ・ファルス!?」




