第十八話 緊急事態。迫られた選択。
沈黙を破ったのは客の一人だった。
「おいおい、護衛隊の隊長様が護衛もせずにこんなとこで酒飲んでていいのかよ!」
茶化すようなその物言いに、静まり返っていた他の客たちからどっと笑いが起きた。そして、口々に罵り始めた。
「そうだそうだ! 何偉そうに言ってやがる、この税金泥棒が!」
「違いねぇ。偉そうにしてねぇで働けや!」
「護衛隊はおとなしく護衛してろ!」
次々と上がる非難の言葉を掻き消すように、鎧の男は声を荒げた。
「うるせぇ! 第二皇子には……ミシェル様にはな、あの最強の騎士団エクイテスがついてんだ。少しくらいサボって俺が酒を飲もうと、何の問題もねぇんだよ。あいつらにゃ、あの極東の悪魔だって敵わねぇさ」
そう言って、男は手に持ったグラスの酒を一気に飲み干した。
『聞いたか、アリア』
アリアは小さく頷いた。
「うん。やっぱり、ミシェルの護衛隊だ。ってことは、ミシェルもこの街にいるんだ」
『だが、エクイテスもいるらしいぞ。どうする?』
「関係ないよ。邪魔する奴は、全員消す」
『はっ、頼もしいな』
とりあえず、この人からミシェルの居場所を聞き出さないと……。
アリアはじっと男を見据えた。すると、視線に気づいた男がこちらに顔を向けた。
「おい、そこのチビ。何見てやがる!」
やばっ、見過ぎた!?
アリアは慌ててフードを深く被り直し、視線を逸らせた。
次の瞬間、アリアは自分の体が宙に浮くのを感じた。男に胸倉を掴まれ、持ち上げられたのだ。
「うっ……」
咄嗟に両手で男の腕を掴み返すが、ビクともしない。なんとかその場から離れようともしたが、背の小さいアリアは足が地面につかず、バタバタと両足を振るので精一杯だった。
その行動が、最悪の事態を引き起こした。
暴れた反動で、被っていたフードが下がったのだ。
「あっ──!」
アリアの素顔が露わになる。
男は眉をひそめた。
「ああ!? 女のガキ!?」
その様子を見ていた周りの客にも動揺が広がる。
「子どもがなんでこんなところに……」
「見ない顔だな。この街の子どもじゃないぞ」
「おい、誰かあの子どもの連れを探せよ。このままじゃ、面倒なことになるぞ」
まずい、こんなに目立つところで……顔を!?
アリアは宙に浮いたまま、慌ててフードを被りなおした。
『おい、アリア! 前を見ろ!』
突如、セルシウスが叫んだ。
咄嗟に視線を前方に向ける。アリアはその光景に目を疑った。
男がアリアを掴んだまま、腰から下げた剣を鞘から引き抜いていたのだ。
「怪しい奴め。始末してくれる!」
そう言って、男はおもむろに剣を振り翳した。
嘘っ!? いきなりっ!?
店内にざわめきが広がる。
「お、おい! やめろ!」
店主が叫んだ。しかし、男は聞く耳を持たずに、構えた剣を振り下ろした。
刃がアリアに触れるその刹那、光が店内を包んだ。
「うぎゃああああああぁぁ!?」
野太い叫び声が店に響き渡る。
店の中にいたすべての者の視線が、絶叫する男へと注がれた。そして、目の前の光景に思わず息をのんだ。
「腕が……俺の腕があああぁぁ!?」
男の手にしていた剣が滑り落ちる。落ちた剣は鈍い音とともに床に突き刺さった。
アリアを掴んでいた男の腕が、肩近くまで凍結していた。あろうことか、肘から先は折れ、アリアの足元に転がっている。
「こ、氷!?」
「うっ……腕がもげてやがる!」
「なんだ……今、何が起きたんだ!?」
突然の出来事に戸惑う客たち。そんな中、もう一つの異変に気付いた一部の人間が身を震わせながら絞り出すように声を上げた。
「ば、ば……化け物っ!」
その声で、他の客たちも変貌したアリアの姿に気がついた。契約執行をした、極東の悪魔の姿に。
「うあああ! な、なんだこいつは!?」
「俺は見ていたぞ! その化け物は……さっきのガキだ!」
「氷の魔法使い……まさか、あ、極東の悪魔!?」
どうしよう。正体が……ばれた!
アリアは手をぎゅっと強く握りしめた。手に尋常じゃない量の汗が滲む。
「に、逃げろ! 殺されちまう!」
誰かが叫んだその一言を皮切りに、店内にいた客たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
アリアはただそれをぼうっと見つめていた。
こんなにたくさんの人に、私の顔を……極東の悪魔の正体を見られた。選択肢は一つしかない。だけど……。
アリアの異変に気付いたセルシウスが叫んだ。
『おい、アリア! この状況はやべぇんじゃねぇか!? あいつらはお前の顔を……!』
「わ、わかってる!」
そうだ。悩んでいる暇はない。やるしか……ない!
意を決したアリアは大きく深呼吸をした。見る見るうちに周囲の温度が下がっていき、吐いた息すら真っ白く染まる。
魔力を込めると足元に氷の膜ができあがった。それがゆっくりと回りだし、大きな渦へとその姿を変えていく。
店に残っているのは、蹲る鎧の男とアリアのみであった。
他の人たちはどこまで逃げたかわからない。ならこの辺り一帯、すべてを飲み込むしか……ない。
「ごめんなさい」
そう小さく呟いて、アリアは手を地面へとかざした。
「絶対永久凍土」
同時刻。ブランクフランキー郊外。
「シャル。目標が網にかかったよ」
街が一望できる小高い丘に設けた簡易駐屯地から、様子を見ていた眼鏡の男がそう言った。
シャルと呼ばれた女は、男の隣に並んだ。長い黒髪を後ろで束ね、腕を袖に通さず、白いコートを肩に掛けていた。コートの下は晒を胸部に巻いているだけなため、隙間から胸元が大きく露出している。服装からして男勝りな印象を放っていた。
「一体どんなトリックを使ったんだい。一時間足らずで、こんなにもあっさりと極東の悪魔を見つけちまうなんて」
シャルは男へと視線を向けた。
作戦の成功に、喜んでいる様子はない。上手くいくことは当たり前だとでも言わんばかりに、男は椅子に腰かけたまま、のんびりと本を読んでいる。
こいつがやったことといえば、街で見かけた酔っ払いに一声かけただけ。たったそれだけだ。どういう脳ミソしてんだか……全く、気持ち悪い男だね。
「別に、大したことはないよ。条件さえそろえば君でも簡単にできるさ、シャル」
そう言って、手に持った本をパタリと閉じた。
「うるせぇ。っていうか、シャルじゃねぇ。シャーロッテだ!」
シャル……もといシャーロッテは胸の前で両腕を組み、フンと鼻を鳴らした。
「それと、あんたがそういうこと言っても嫌味にしか聞こえないんだよ。智将ラプラス……いや、ラプラス・ジル・クロウ・ファースト!」
ジト目をラプラスへと送り、不機嫌を露わにする。
その時、背後から幼く可愛らしい声が上がった。
「さすがはラプラス様です! こいつら能筋共とは能の作りからして違うですね」
シャーロッテの背後から少女が現れ、楽しそうに声をあげながらラプラスに抱きついた。
「こら、ロップそういうことは言うもんじゃない。怒られるぞ?」
抱きとめたラプラスがロップの頭を撫でながら言った。
ロップは嬉しそうに目を細めている。
誰かと思えば白兎か。こいつは本当にファーストにべったりだな……。いや、待てよ。そんなことより、今こいつなんて言った?
「能筋?」
シャーロッテは首を傾げた。シャーロッテには能筋という言葉の意味が分からなかったのだ。
その様子に、ロップが口角を上げ、にんまりと笑う。
「能筋の意味もわからないですか? さすがは能筋一号。脳みそ筋肉の略に決まってるです!」
ロップはシャーロッテの目を見据えたまま、勝ち誇ったようにそう言い放った。
「ああ!? 死にたいのか!?」
シャーロッテの額に血管が浮かび、ぴくぴくと頬が吊り上る。
いい度胸だなこの糞餓鬼が……!
ボキボキと激しい音を立てながら、シャーロッテは両手の指を交互に鳴らした。
「落ち着け、シャーロッテ。餓鬼の戯言だ」
そう言って二人の間に割って入ったのはシドだった。全身を覆う鋼のような筋肉。その所々に見える生々しい傷跡を多く残す茶褐色の肌。その姿は歴戦を潜り抜けた屈強な戦士を思わせる。
「黙るです。この能筋二号。独活の大木。無能な木偶の坊。変態黒光り裸族。ゴキブリ野郎!」
しかしその屈強な戦士を、小さな少女は言葉ひとつで一蹴した。
「すまん、シャーロッテ。止めたのが間違いだった。殺すのを手伝おう」
穏やかに話していたシドの声がフルフルと震えていた。
三人の殺気が交錯する。それを断ち切ったのは他でもない。ラプラスだった。
「ほら、遊びはそこまでだ。ロップもそれ以上は止めなさい」
ラプラスは間に立ち、抑揚なく言葉を放った。
「はーい。ラプラス様がそう言うなら!」
「ぬ……すまん」
「はいはい」
三人は毒気を抜かれたように、殺気を収めた。
その様子を確認したラプラスは振り返り、氷に飲み込まれた街を見下ろした。
「さて、舞台は整った。僕らの標的、極東の悪魔はあの氷塊の中心にいる。ここから先はシャル、君の仕事だ」
そう言って、ラプラスはシャーロッテに視線を向けた。合わせるように、シドとロップも体を向ける。
シャーロッテは後ろ頭を掻いた。後ろで束ねた長い黒髪がバサバサと揺れる。
「わかってるよ。殺してくればいいんだろ? 極東の悪魔を」
その台詞に、ロップが鼻で笑った。
「無理しなくてもいいですよ? 駄目ならロップが代わってあげるです!」
「うむ。主が負けたら、我が極東の悪魔の首を取ろう」
シャーロッテはにやりと笑った。
ったく。要らぬ心配しやがって……。
「うるせぇ。誰に向かって言ってやがる、雑兵どもが! 」
シャーロッテは肩にかけていたコートを脱ぎ、袖の部分を結び付けて、腰に巻いた。胸部と両腕に巻いた晒の端が風になびく。
「よろしく頼むよ。エクイテス最強の戦士、シャーロッテ・ドンキー・アーク・セカンド」
「はんっ! 暴れるのとぶっ壊すのは得意だ。任せな!」




