第十七話 言えない言葉。皇族護衛隊。
四月十八日。夜八時。
西の街ブランクフランキー。
扉を開くと、そこはたくさんの人と笑い声に溢れていた。酒に酔った客の野太い声が店内の至る所で飛び交う。
『なんだ、この騒がしい場所は……』
セルシウスが怪訝そうな声で言った。
「バーっていうんだよ。ご飯を食べたり、お酒を飲んだりするところなの」
アリアは口元を服に埋め、小声で答えた。
『へぇ。しかし、なんでこんなところに来たんだよ。第二皇子の居所を探すんじゃなかったのか?』
「探すために来たんだよ。どうやらここが、この街で一番大きなお店みたいだからね」
このバーに来た目的は情報収集だった。ここなら、聞き耳を立てているだけで何らかの情報を拾える可能性があるとアリアは踏んだのだ。
一歩中に入ると、酒の匂いに交じっておいしそうな料理の香りがアリアの鼻先を刺激した。
夕食をまだ摂っていなかったためか、アリアのお腹が呼応するように可愛らしい音を立てて鳴った。
「お腹も減ったし、何か食べようかな」
アリアはそう言って真っ直ぐ店内を進んだ。
『なぁ、むさくるしい輩ばかりなのはなぜだ?』
セルシウスの言葉にアリアは思わず笑った。
「お酒は大人の飲み物だからね。本来こういった場所には、私みたいな子供が来ちゃいけないんだよ」
『ふーん。そうなのか』
アリアはカウンターの席に腰を下ろした。
グラスを拭いていた店主らしき男が、アリアにチラリと目をやった。その目はいかにも訝しそうである。
男は小太りな体を白いシャツと黒のベストで包み、首元には朱色の蝶ネクタイをつけている。無愛想な目元と鼻の下に生えたチョビ髭が印象的だ。
『おい、怪しまれてねぇか?』
「大丈夫。この街はならず者の巣窟って言われているくらいだからね。お金さえ払えば、探ってくるようなことはないと思う」
でも一応、怪しまれないためにも何かお酒も頼んだ方がいいのかな。ただでさえフードを被ったままで店内にいるのは目立つからなぁ。よし、やっぱり何か頼んでみよう。
アリアは置かれていたメニュー表を手に取った。酒の名前を上から指でなぞっていく。
うーん。お酒の名前ってよくわからないな。一体何を頼んだら……あ、これならいいかも。確か梅や杏子を使ったお酒だった気がする。
知っている項目を見つけ、指を止めた。
『なんだ、それ?』
「かじちゅしゅ」
噛んだー!
『へぇ、かじちゅしゅっていうのか』
アリアは全力で首を振った。
「ち、違うの!」
なんで果実酒ごときが言えないの!? 落ち着け私、『つ』にアクセントを置けば──!
「かじちゅしゅじゃないの! 本当はかじちゅしゅなの!」
また噛んだー! アクセント意味なーい!
『ん? だから、かじちゅしゅで合っているんだろう?』
セルシウスが不思議そうに尋ね返す。
「本当に違うのー!」
悪気のないセルシウスの言葉が容赦なくアリアの心を抉る。
どうやって伝えていいのかわからず、アリアは泣き出しそうになった。
「何が違うんだい?」
そう言ったのは先ほどの店主だった。
カウンター越しにこちらの様子を窺っている。明らかに不審者を見る目に変わっていた。
「あ、すみません。その……なんにも違くありません」
アリアは顔を真っ赤にしながら消え入るような声で答えた。
見られてた……。恥ずかしい、死にたい……。
店主はふう、と小さく溜息をこぼし、グラスをアリアの前に置いた。中にはオレンジ色の液体が入っている。
「オレンジジュースだ。お嬢ちゃん、悪いことは言わない。それ飲んだらとっとと帰りな」
どうやら、子どもだということもばれているようだ。アリアは思わず頬を掻いた。
会話までしちゃったし、そりゃフードを被ったくらいじゃ隠しきれないよね。いっそのこと極東の悪魔になっちゃった方が……いや、目立ちすぎるか。でも、優しいおじさんで良かった。
「あ、ありがとうございます」
そう言った直後、アリアのお腹が再び可愛らしい音を立てた。アリアの顔が耳まで真っ赤に染まる。
店主は肩を竦めた。
「待ってな。オムライスでも作ってきてやる」
「うー。す、すみません……」
言うなり、店主は店の奥へと入っていった。
「ちょっと無愛想だけど、優しい人だね」
アリアはほっと胸を撫でおろした。そして、用意されたオレンジジュースをゆっくりと口に運ぶ。
『そんなことより、聞かせろよアリア。第二皇子の探し方をよ』
「さっきも言ったでしょ。ここで聞き耳を立てて探すの」
『うげ。そんな回りくどいやり方をすんのか? こんなとこで飯食ってるだけで見つかりゃ苦労しないだろ』
「仕方ないでしょ。最近は軍用基地とか襲っても、もぬけの殻なことまであったんだから」
体が完治してからというもの、アリアは施設や騎士団を潰せるだけ潰して回った。おかげで実践経験は多く積めた。中でもエクイテスのメンバーと二人も戦えたのは大きかった。
だが、代わりに警戒が厳しくなり、空振りすることも増えていた。皇子たちの所在に関する情報が一切あがらずあきらめかけていた時、基地に残されていた資料の中からこの街に第二皇子ミシェルの護衛隊が滞在しているという情報を手に入れたのだった。
『今のこの状況は、前にお前が話してたやばいケースだろう。のんびりしてたらまずいんじゃねぇのか』
セルシウスの言葉に、グラスを握る手に力がこもった。実際問題その通りなのだ。
「うー。わかってるけど……」
先週また一人皇子が死んだ。アリアが目にしたのは、第四皇子ガノア死亡、犯人はまた極東の悪魔。という見出しの記事だった。もちろん前回同様、模倣犯である。恐れていた事態が起こっていた。
そんな中、やっと手に入れた皇子の情報。私だって急ぎたいけど、だからこそここは慎重に動かないと……。
アリアは盛大に溜息を吐いた。
すると、背後で大きな声が上がった。
「ガッハッハァ! おい、バーテン! 酒だ、ウォッカを持ってこい!」
振り返ると、鎧を纏った大男がグラスを片手に声を荒げていた。見ると、腰のあたりに大きめの剣をぶら下げている。燃えるような赤色の短髪が、酔って真っ赤に染まった顔と相まって、まるで赤鬼のようである。かなり酒が回っているのがわかる。
騒ぎに駆け付けた店主が、呆れたように口を開いた。
「すまないが、今日は客が多くてね。ウォッカは今出ているので終わりなんだよ」
その言葉に、鎧の大男は顔をしかめた。
「ああ!? んなこと聞いてるんじゃねぇ! 俺はウォッカが飲みたいんだよ! つべこべ言わずにさっさと持ってきやがれ!」
「無いものは無いよ。そんなに飲みたきゃ違う店に行くんだね」
店主は肩を竦めて首を振った。
『なんだか面倒くせぇ奴が現れたな』
セルシウスがポツリと呟いた。
『お酒を飲むと人は怒りっぽくなったりするみたいだからね。できるだけ関わらないようにしよう』
心の中でそう答えて、アリアはカウンターへと体を向けなおした。
同じことを思ったのか、店主も背を向けて店の中へと戻ろうとする。
男は赤い顔を更に真っ赤に染め上げ、叫んだ。
「なんだぁ、お前。その態度は! 俺は皇族護衛隊の隊長だぞ! 皇子に報告して、ここで営業できなくしてやろうか、あぁ!?」
男の声が反響し、賑やかだった店内が静まり返った。
アリアは藍色の瞳を丸くさせ、男の方へと振り返った。
店中の視線を集めた男はにやりと笑った。
見つけた……皇子ミシェルへの情報源!




