第十六話 オラクルの憂鬱。ラプラスの計画。
四月十六日。深夜一時。
首都レイファルス。王立特別研究室。
「なるほど。このでたらめな強度はそういう仕組か……」
暗い室内に、一人の男の声が反響する。
机に向かい、小さな氷の粒に解析魔法を当てながら、実験結果をメモしていく。
これなら理論上は説明がつく。だが、魔力の練成度が人外過ぎる。こんなのエクイテスですらできるかどうか……。
「何かわかったかい、オラクル」
ふいに上がった声に驚き、オラクルは後ろを振り返った。
そこに立っていたのは白いコートを羽織った、整った顔をした金髪の男であった。眼鏡越しに見える金色の瞳は、まるですべてを見透かしているかのように澄んでいる。
やれやれ。噂をすればなんとやら……か。
「なんだ、ラプラスか」
「なんだとは、随分ぞんざいな扱いだね」
ラプラスが少し困った顔をする。オラクルは鼻を鳴らした。
「気配を消して近づくのをやめろ、といつも言っているだろうが」
「消してなんかいないさ。君が研究に夢中だっただけだよ」
ラプラスはやんわりとした口調で言った。
こいつとは同期の仲だが、昔からなんか合わない。この落ち着きすぎた雰囲気は、どうも調子が狂う。
「まあ、いい。とりあえず、お前に頼まれていた件は大体調べがついたぞ。極東の悪魔の能力調査だったな」
「相変わらず仕事が早くて助かるよ」
オラクルは椅子を回してラプラスの方へと体を向けた。白衣のポケットから煙草を取り出し、口にくわえる。
すぐに煙草の先が赤く染まり、小さく煙がのぼった。
「予測の部分もはらんでいるが、おそらくこれは空間凍結だろうな」
「空間凍結?」
ラプラスは首を傾げた。
「そうだ。水を凍らせるのではなく、空間そのものを直接凍らせている」
オラクルの言葉にラプラスは眉をひそめた。
「なんだそれは。完全に魔法力学を無視しているじゃないか。確かなのか?」
「ああ。戦場に水の魔法痕が一切なかった。本来、氷の魔元素は他の魔元素に比べて微弱だ。戦闘手段としては不向きな属性だろう。だが、極東の悪魔は水を媒介とせず、氷の魔元素を魔力で無理矢理凝縮して空間を凍結させている。滅茶苦茶な魔力量だ。この時点で人間業ではない」
オラクルは面倒くさそうに後ろ頭を掻いた。
「更に言えば、これを防御に使っている可能性がある。あれだけ激しい戦闘痕が残っている割に、流れた血が少なすぎるからな。おそらく絶対強度クラスの防御力だろう」
そう言って、手に持っていた石ころ程の大きさをした氷の欠片を放り投げた。
ラプラスはそれを空中で掴んだ。
「これは、もしかして……」
「極東の悪魔が使った氷の欠片だ」
「随分と綺麗な氷だな……」
「見ろ」
次いで、先ほど書き終えた研究結果をラプラスに手渡した。
彼は手に取った氷と実験結果に交互に目をやると、滅多に動かない口角を上げた。
「なるほど。これは、興味深い……」
「恐らく、それが絶対強度の理由だ。空間凍結以外の魔法を使う可能性も大いにあるが……まあ、それだけわかれば、お前なら対策を立てられるだろ」
オラクルは煙と共に皮肉を吐いた。
「買い被りすぎだよ。君が言うほど、僕は有能じゃない」
ラプラスが肩を竦めてそう返した。
オラクルは顔をしかめた。
「その辺の凡人が言うならわかるが、お前じゃ説得力がねぇよ。ラプラス・ジル・クロウ……ファースト」
ラプラスは首を振った。
「周りが囃し立て過ぎなのさ。僕は他のメンバーのように才能がないからね。足りない部分をなんとか補うのに必死なんだよ。こうやってね」
そう口にして、実験結果の用紙をつまんでヒラヒラとさせた。
「あー、そうかい」
オラクルは煙草の煙を盛大に吐き出した。
沈黙が流れ、部屋の時計の音だけが大きく聞こえる。
その沈黙を破ったのはオラクルだった。
「おい、ラプラス」
「なんだい?」
「単刀直入に聞くぞ。お前は……いや、王国は何を隠してやがる?」
オラクルは真っ直ぐラプラスの瞳を見据えた。
ラプラスは鼻あてに指を添えて、眼鏡を押し上げた。
そして、一切表情を変えずに言葉を返した。
「どういう意味かな?」
「はぐらかすな。この一週間で皇子が更に二人も死んでいる。だが、調査団の団長である俺が現場に呼ばれなかった。お前からの頼まれごとを理由にだ」
「……そうだね」
「調査の結果、両名を殺害したのは極東の悪魔ということになっている。だが、俺にはどうもそうは思えない」
「どうしてだい?」
ラプラスが首を傾げた。
「タイミングが良すぎる。いや、偶然そうであったとしても、死んだのは皇子だぞ。普通、万全を期して俺をその現場に呼ぶだろうが……」
「そうかな? でも、それは憶測に過ぎ──」
「ミッドラッドで死んだお前の仲間」
ラプラスの言葉を遮るように、オラクルは言葉を挟んだ。
「──!」
「なぜ、あの場に居合わせた?」
ラプラスが小さい溜息をこぼす。
「任務だよ」
その声は今までよりも小さく、弱いものだった。
「詳細は?」
「すまないが、それ以上のことは言えない……」
なるほどな……。
オラクルは大きく息を吸い、煙を吐いた。
「俺には言えない事情があるってわけだな?」
ラプラスは何も答えなかった。
オラクルは後ろ頭を掻いた。
「しょうがねぇ、わかったよ。この件はお前に任せる」
「……ありがとう、オラクル。悪いようにはしないよ」
そう言って、ラプラスはほのかに笑みを浮かべた。
「代りと言っちゃなんだが、極東の悪魔の動向を教えてくれ。今、奴は何をしている?」
「動向か……。確か、この一週間での被害報告は、軍用基地の破壊が十九件。死亡した兵士の数が千二百超。潰された騎士団の数が四つ。我がエクイテスも、シックススとテンスがやられている。被害は甚大だよ」
ラプラスはメモでも読んでいるかのように、スラスラと言ってのけた。
「相変わらずいい記憶力してんな」
オラクルは感嘆の声を漏らした。
「しかし、好き放題やられているな。大丈夫なのか?」
「確かに、対応はかなり後手に回ってしまったね。でも、手はもう打ってある」
その時、大きな可愛らしい声が研究室に響いた。
「ラプラス様!」
声の方に振り返ると、部屋の入口に小さな女の子が立っていた。
雪のように白い肌。赤い瞳。サラサラと垂れる長い白髪。身に着けた薄ピンク色のワンピースと、長くピンと伸びた桃色のリボンから、ウサギのような印象を受ける。よく見ると、首から懐中時計のようなものまで下げていた。
「ガキ? なんでこんなところに?」
女の子はオラクルの言葉を無視し、テクテクと走ってラプラスの胸へと飛び込んだ。
「おっと……」
ラプラスはその少女を抱き留めた。
「やっと見つけましたぁ!」
「おや、ロップじゃないか。どうしたんだい? 今日は本部にいるはずじゃ……」
ロップと呼ばれた少女は顔をあげて満面の笑みを見せた。
「えへへぇ。今日のロップは伝令係なのです! シドから目標をようやく発見したと報告がありましたぁ」
「そうか、それはよかった。ありがとう、ロップ」
ラプラスはそう言って、ロップの頭を撫でた。撫でるたびに、リボンがピョコンと跳ねる。
ロップは嬉しそうに目を細めていた。
「おい、誰だそいつは。関係者以外は立ち入り禁止だぞ」
オラクルはロップを指さして、ぶっきらぼうに言った。
ロップがジト目をオラクルへと向ける。
「誰ですか、このムサいおっさんは。しっしっ、消えるです!」
「なっ……!?」
お、お、お、おっさんだ!? 俺はまだ二十六だ!
突然の出来事に動揺して声にならなかった。
「くくっ」
ラプラスが笑い声を殺しながら視線を逸らした。
「て、てめぇ、笑ってんじゃねぇ! 俺と同い年だろうが!」
ロップが目を大きく見開く。
「ラプラス様とお、同い年ですか!? 益々ありえないです!」
ロップは高速でラプラスとオラクルの顔を見比べた。
「ありえなくねぇ!」
「ありえないです! 片や白馬の皇子様。片や汚らしいホームレスのおっさん。同い年には無理があるです!」
短くなった煙草がポトリと床に落ちる。
あまりにもはっきりとした物言いに、珍しくオラクルの心がダメージを受けた。そして、崩れるようにして、そのまま四つん這いになった。
「汚らしい……ほ、ほ、ほ、ホームレス……」
完全勝利したロップが鼻を鳴らす。
「それにしても、あの木偶の坊。トロいったらありゃしないです。ラプラス様が依頼してから五日もかかるなんて……」
視界の端で崩壊する友人の姿に笑いを堪えながら、ラプラスが口を開く。
「仕方ないさ。シャルは自由な人だからね。むしろ五日で発見できたのは早い方だと思うよ」
「そうですか? むぅ、ラプラス様は優し過ぎるですよ!」
ラプラスは不満そうに顔をあげるロップの頭を再び撫でた。
「あうぅ」
「よし。どうやらも探し人も見つかったようだ。これで、手札は揃った」
その言葉に、オラクルは眉をひそめながら、体を起こした。
「探し人?」
ラプラスの口角が上がる。
そして、抱いていたロップを優しく降ろした。
「ああ。とびっきりのジョーカーさ」
そう言って、ラプラスは立ち上がり、踵を返した。白いコートが音を立ててはためく。
「それじゃあ、オラクル。極東の悪魔を始末してくるよ」
「死ぬなよ。お前の氷塊なんざ検証すんのは御免だぜ」
ラプラスは小さく頷いた。
「計画を第二段階へ移行する」
ラプラスの声が、研究室に静かに反響した。




