第十五話 アリアの考察。次なる標的。
四月十日。午前七時。
マイティタウン。宿屋『木漏れ日の館』。
「ふぁ……」
アリアは大きく伸びをし、目を擦りながら体を起こした。長くて真っ白の髪が毛布に垂れる。
ふと、小鳥の囀りに気づき、アリアは窓の外へと目をやった。すると、脳内に声が響いた。
『耳の調子はどうだ、アリア』
セルシウスの声だった。
「うん。もう大丈夫みたい」
『そうか、良かったな』
「契約解除」
アリアの体が光を纏う。極東の悪魔の姿から、少女アリアへと戻っていった。
白い肌。ショートの黒髪に、くるりと丸い藍色の瞳。戻ったその姿は極東の悪魔とは対照的であった。
「ありがとう、セルシウス」
アリアはニコッと笑って答えた。
そして、
「すごいね、本当に治っちゃったよ」
と続けた。
不思議そうに自分の耳をいじる。
あの一戦で、アリアの聴覚は完全に機能しなくなっていた。だが、契約執行中はどんな怪我も回復するとセルシウスが言うので、解除せずに今日まで過ごしていたのだ。日に日に回復していき、今、完全に耳が聞こえるようになっていた。
『お前は精霊と契約している身だからな。不死身ではないが、例え腕が千切れようとも新しく生えるぜ』
「ははっ。それはちょっと想像したくないかも……」
アリアは力無く笑った。
「体が戻ったのはいいけど、もう四日も経っちゃったね。そろそろ動き出さないと」
ミッドラッドから逃走してからこの四日間、情報収集も何もやっていなかった。
耳が聞こえなかったのもあるが、極東の悪魔の姿では情報収集は不向きだったからだ。あまり目立ってしまったら、また新たな追手が来てしまう。できれば、戦いに備えて体は万全な状態にしておきたかった。
『調べるにしても何から手をつけるんだ?』
「うーん、今欲しい情報は他の皇子の居場所かな。でも、カルマが死んだ今、みんな警戒してその身を隠しているはず。各皇子が治める王宮に向かったところで、時間の無駄だろうし……困ったな」
アリアはコロンと体を倒した。枕に顔を埋め、膝を抱える。
こうならないように、あの二人を生け捕りにしたかったんだけどな……。
脳裏に氷漬けになったリンドとショコラの姿が浮かぶ。リンドはショコラを守るように立塞がっていた。ショコラは何かを叫んでいるようであった。二人の表情を思い出すと、どうしても心が痛んだ。
『しょうがねぇだろ。真相を知ってたエクイテスを殺しちまったんだからよ』
心を読んだかのようなセルシウスの言葉が、アリアの胸に突き刺さった。
アリアは、枕に埋めた顔を上げ、どこともなくジト目を向けた。
「うー。私だって死にもの狂いだったんだもん! あの二人とっても強くて、こっちが死ぬかと思ったんだから」
そう言って、アリアは必死に反論した。
『まあ、そのうちまた手頃なやつ捕まえて聞けばいいだろ』
のんびりとした調子で話すセルシウスに、アリアは体を起こして首を横に振った。
「そのうちじゃダメなんだよ。あまり、時間がないの」
『あ? どういうことだ?』
アリアはふぅ、と小さくて長い息を吐いた。
「セルシウスはわかってなさそうだから、少し整理した方が良さそうだね。私の立てた計画覚えてる?」
諭すような言い方に、セルシウスがムッとする。
『そんくらい覚えてるぞ! オルカの命を狙う奴らを殺すんだろ』
アリアは首を縦に振った。
「そうなんだけど、簡単じゃないの。殺せばいいってもんじゃないんだよ。もとの生活に戻るのが前提なの。極端な話、殺すだけでいいなら、国中凍らせれば済む話だもん」
『お前、さらっとすごいこと言えるようになったな……』
「えへへ」
アリアは腰に手を当てて、いたずらっぽく笑った。
「話を戻すとね、もとの生活に戻るためには条件がつきまとうんだ。なんだと思う?」
『んー。お前の正体がばれちゃいけないとか、オルカが殺されちゃいけないとか、そういうことか』
「そう、正解。その二つは絶対条件だね。他は?」
『まだあるのかよ』
アリアは小さく頷いた。
「うん。オルカを王様にしてはいけない」
『なんだそれ? どっから、そんな話がでてくるんだよ。きちんと──』
「わかってるよ、説明すればいいんだよね」
『お、おう……頼む』
たじたじになるセルシウスが、なんだか可愛らしく見えた。
アリアは口元に拳をあて、クスクスと笑った。
「えとね、全ての皇子を殺してしまったら、皇位継承権をもっているのがオルカだけになっちゃうでしょ?」
『そうだな』
「そうしたら、必然的にオルカが次期国王になっちゃうの。それはもう、日常に戻ったとは言えないでしょ」
『あぁ、なるほどな』
「そこで問題になるのが、カルマのような暗殺を企む皇子が他にもいるという事実。もしかしたら、複数人……最悪全員の可能性もある……」
「待て。それのなにが問題なんだ? お前は他の皇子を殺すのが目的なんだろ。殺しあってくれる分には、手間が省けていいじゃないか」
セルシウスの問いに対して、アリアは首を横に振った。
「考えてみて。例えば、一人の皇子がオルカ以外の皇子を皆殺しにしたとする。その人がオルカの存在に気付かなければ平気だけど、そんな確証はどこにもない。結局、私はその皇子を殺すしかない。そうしたら──」
『残ったオルカが次期王になっちまう……か』
意図を察したセルシウスが言葉を続けた。
アリアはゆっくりと頷いた。
「そういうこと。ネックになるのは第一皇子オズ。彼は順当にいけば皇位を継承するわけだから、他の皇子のように暗殺しようなんて気はないと思うの」
『つまり、そのオズとか言うやつが殺される前に──』
「他の皇子を全員……消す」
その言葉はアリアの決意でもあった。
これがとてつもない大罪だということは分かっている。それでも、私はオルカを守りたい。
アリアはぎゅっと拳を握った。
『時間がないっていう意味はわかった。だが、そんなに急ぐのか?』
アリアはその問いには答えなかった。
おもむろに立ち上がり、部屋の入口に向かって歩いた。
『どうした?』
「新聞。私の予想が正しければ、そろそろ誰か皇子が死ぬ頃だと思って……」
そう言って、扉と床の間に挟まれた朝刊を拾い上げる。
大きく取り上げられた一面に目をやり、アリアは小さく溜息をこぼした。
「やっぱり、一人殺された。第三皇子ウィリアム死亡、犯人はまたも極東の悪魔……だって」
『は? なんでお前が殺ったことになっているんだ。それは、他の皇子どもの仕業だろうが』
セルシウスの頭上に大きなクエスションマークが浮かぶ。
しかし、アリアにはこうなることが予想ができていた。
「私がカルマを殺したのをいいことに、模倣犯を装って動いたんだよ。今なら、私のせいにして堂々とやれるだろうからね」
王国の調査団が事件現場の魔法痕を調べるだろうけど、皇子なら事実をもみ消して改変する事くらい容易いはずだし。
『はぁ。なるほどな』
「たぶん、数日中にまた何人か命を落とすことになると思う。オズが殺される前に、急がないと」
アリアは新聞を放り捨て、クローゼットから真っ黒のローブを手に取った。
『で、結局どうするんだ?』
「しばらくは、駐屯地のような王国所属の軍用基地を潰して回ろうかと思うの。そうすれば、皇子の情報が手に入るかもしれない。それに、軍相手なら実戦練習もできるしね」
服を着替えながらアリアは答えた。
『実戦練習?』
「うん。もっとこの力を使いこなせないと、この先の戦いは厳しくなると思って」
そう言って、ローブからスポンと頭を出した。
『この俺と契約しておいて随分と弱気だな。精霊の力はそんなにやわじゃねぇぞ?』
心外だ、と言わんばかりにセルシウスが言葉を返した。
「わかってるよ。確かにこの力は強い。正直、でたらめな強さだと思う。でもその力に私がついていけてないの。それが、この間の戦いでわかった」
『あれは生け捕ることを前提としたからだろ。単に殺すだけなら、誰も相手にならないと思うがな』
アリアは首を振った。
「エクイテスの上位には、この力が通用しない敵がいる可能性は高い。それに……」
『それに、なんだよ』
悩んだ末、アリアは口を開いた。
「エクイテスにいるかどうかはわからない。けど、少なくとも世界政府には契約者がいる。これは、たぶん間違いない」
『契約者って……精霊か!?』
アリアはコクリと頷いた。
「過剰反応……とでも言えばいいのかな。アーデルベルクを凍らせたその日に、私に七億の賞金を懸けた。これは、正直言ってやりすぎなの。こんなの、過去に前例がない。つまり、精霊の力が関与していると政府が確信しているということ。でなければ、説明がつかないんだよ」
セルシウスは言葉を失った。他に契約者がいるかもしれないということにでない。
アリアのずば抜けた推察力にである。
『……お前には、毎度のことながら驚かされるな。もしかして、天才ってやつなんじゃねぇか』
「そんなことないよ。いずれにしても、近いうちに契約者と……もしくはそれと同等の強さの敵と戦うだろうからね。備えておいて損はないでしょ?」
着替え終わったアリアはフードを深く被り、にっこりと笑った。
大丈夫。必ず間に合わせてみせる。そして、オルカの元に帰ろう。
「最初の標的は、西にある軍用駐屯地ブライドル。四日もあけちゃったからね。今日は潰せるだけ潰すよ」
そう言って、アリアは部屋の扉を開いた。
『よし、久しぶりに暴れまわるとするか』
セルシウスは笑い声をあげた。
つられるようにして、アリアも笑った。




