第十三話 重唱魔法『不狂乱和音』。侵食魔法『絶対永久凍土』。
「おい、ショコラ!それは聞き捨てならねぇぞ」
投げ飛ばされたリンドは体を起こし、ブンブンと腕を振って抗議した。
「リンド、五月蝿い」
アリアには二人の会話がうまく聞き取れなかった。
止まない耳鳴り。嘔吐症状。平衡感覚の喪失……考えられるのは耳の異常。だとすると……。
「これは……音の魔法?」
「正解」
ショコラが右手をアリアへと向ける。魔方陣が展開し、彼女の体を煌々と照らした。
「破壊音」
ショコラが指を弾く動作をした直後、先ほどの症状が再びアリアを襲った。
アリアの口から吐瀉物が漏れる。膝立ちすらできなくなり、床に片腕をついて四つん這いになる。舌が吐瀉物に混じった胃液で刺すように痛む。その臭いはアリアの嘔吐感に拍車をかけた。
耐えきれなくなったアリアは、口にたまったそれらを吐き出した。
「ぐっ……あ……ぁ……」
『アリア!』
セルシウスの声が脳内に響く。
あれ、セルシウスの声が聞こえる……そうか、精神に直接話しかけられてるから耳がどうなろうと関係ないんだ。
『セルシウス……』
アリアは朦朧とする意識の中、セルシウスへと話しかけた。
『おお。無事か!』
セルシウスが安堵の声を漏らす。
『うん、なんとか。それよりも、彼女はさっきなんて言ったの?』
『あ、ああ。確か自分はセヴンスだから、そこの男より強いって言ってやがったぞ』
セヴンス……リンドとか言う男の方は、確かイレヴンスだって言ってた。なるほど、序列が上がると比例して強くなるっていうのは本当みたいだね。
『そう。他には?』
『ああ。音の魔法で正解だっつって、さっきと同じ魔法をぶっ放してきたんだ』
状況を説明され、ようやく事態を把握する。
『そっか、ありがとう』
アリアの脳内に、最悪のシナリオが浮かぶ。
どうしよう。だとすれば間違いない。氷燐の羽衣は……。
『セルシウス。氷燐の羽衣じゃ、音は防げないの?』
セルシウスはうっ、と言いよどんだ。そして、渋々口を開いた。
『氷燐の羽衣は、もともとは俺が作り出した、俺を護るための魔法だ。氷燐の羽衣の発動基準はあくまで精霊なんだ。俺たち精霊は、音で身体がどうこうなることはない。だから、音に対しては発動しない。音なんかがダメージになるなんて考えたこともなかったからな』
どことなく申し訳なさそうな声でセルシウスが言った。
『そんな……』
アリアの表情に絶望の色が浮かぶ。
『だが、妙だな。契約執行しているお前は、普通の人間よりも遥かに頑丈なんだ。音なんかでそんな状態になっちまうのは考えにくいんだがな……』
セルシウスが納得いかないというようにぼやいた。
アリアはふらつく頭を抑えながら、口を拭った。
だんだんと、めまいも治まってきた。視界の歪みが無くなる。
『たぶん、あの女の子の方は、砲撃主だと思う』
『砲撃主?』
『うん、魔法使いの系統だよ。高火力魔法を得意とするタイプの魔法使いってこと』
補助と近接戦闘を得意とする魔法剣士と、火力重視の砲撃主か。しかも、二人ともかなりの手練れみたいだし、この状況はちょっと厳しいな。
『何よりの問題は、現状、あの魔法を防ぐ手段がないことだね。なんとか手を打たないと、このままじゃ畳み込まれる』
セルシウスがそうだな、と相槌を打った。
その時、アリアの様子を見ていたリンドがふん、と鼻を鳴らした。
「どうやらその自動防御魔法は、音には対応できねぇみたいだな!」
リンドは立ち上がって長剣を鞘へと納め、得意げに声を上げる。そのまま、ショコラの隣に並んだ。
リンドのその表情から、声が聞こえなくとも何を言っているのかアリアには予想がついた。額から流れた汗が頬を伝って床に落ちる。
まあ、さすがに二回も食らっちゃ、相手も気づくよね……。
「なんでリンドが得意気なの」
「いいじゃねぇか。細かいこと気にすんなよ!」
リンドはショコラの方を向いて笑った。
「次の一撃でこいつを倒せるんだからな」
そして、自信に満ちた表情でそう言い放った。
『おい、なんか勝利予告してきたぞ』
「え? 勝利予きょく?」
『噛んでる場合か! あいつら、何か仕掛けてくるぞ』
セルシウスに怒られながら、アリアは二人へと視線を向けた。
「しくじったら怒るよ、リンド」
ショコラがじと目を向けて言った。
リンドはにやりと笑った。
その足元に、光り輝く魔法陣が発生する。
「我は魅せる。この身を模るの残像を。映せしは幻影。偽りの我が身を創りだせ」
一気に詠唱を完成させ、リンドは解放キーを口にした。
「幻像」
リンドとショコラの姿が光に包まれる。その光は一瞬にして謁見室全体に広がった。
アリアは咄嗟に腕で光を遮り、目を瞑った。
だんだんと光が治まっていく。アリアはゆっくりと閉じた瞼を上げた。
「え……!?」
視界に広がった光景に、アリアは目を疑った。
視界のいたるところにリンドとショコラの姿があったのだ。慌てて周囲を見回すも、三百六十度同じ光景である。
『なんだこりゃ!? こんなにいたんじゃ、どれが本物かわかりゃしねぇ!』
やられた。姿を隠して何かする気だ。
「「我らは謡う。神が創りし破滅の旋律を……」」
リンドとショコラの声が幾重にも重なって、室内に反響する。異様な威圧感がアリアを襲った。
聴覚に異常がでていたため、正確に聞き取ることはできなかったが、まるで本物の歌のようだと思った。もちろん良い意味ではない。
死者に捧げる曲、鎮魂歌のようだと──。
室内中に魔方陣が無数に発生し、それらがおびただしい量の光を放つ。
アリアの視界に光が充満した。
「この詠唱は、まさか……重唱魔法!?」
『なんだそれ?』
『二人で詠唱する合成魔法のことだよ。ただでさえあの威力なのに、補助系統の魔法使いと重唱なんかされたら……』
勝利予告までしてきたんだ。絶対に無事じゃ済まない。下手したら……。
さきほどの攻撃がフラッシュバックする。背中が嫌な汗を掻いた。
『ねぇ、セルシウス?』
『なんだ』
『私って、都合よく不死身だったりしないよね?』
思わず、淡い期待を口にする。
だが、セルシウスは間髪入れずに否定した。
『しねぇな。頑丈なだけで、普通に死ぬ』
『ですよね……』
アリアは、ははっ、と力無く笑って肩を落とした。
こうなると、生け捕るのは難しいな。思いっきり戦って、生きていてくれることに賭けるしかないか……。
アリアは決心して、正面を見据えた。
「これだけ幻影が多いんじゃ、本物を見つけて詠唱を止められる確率は低い。だから……」
『どうするつもりだ?』
大きく深呼吸をして、深くゆっくりと息を吐く。吐いた息が真っ白に染まった。アリアの周囲の気温が見る見るうちに下がっていく。
足元に氷の膜が張り、それがまるで生き物のように、ゆっくりと渦を巻きながら広がっていく。
「喰らうの覚悟で、迎え撃つ!」
『はっ、いいぜアリア。好きだぜそういうの!』
セルシウスが興奮したように叫ぶ。
的が絞れないなら、絶対空間凍結じゃだめだ。逃げられないように、一撃で全てを飲み込む新しい魔法を……。
アリアはありったけの魔力を掻き集め、足元の氷の渦へと練り込み続けた。
「「奏でしは終焉の二重唱。神に逆らいし愚者に、混沌と眠りを届けん」」
その時、リンドとショコラの詠唱が完成した。大気が震えだす。目を開けていられない程、室内が白い光に包まれた。
速い。もう詠唱が完成した。氷燐の羽衣が機能しない以上、直撃は免れない。
この一撃は、耐えるしかない……。
『来るぞ!』
「「不狂乱和音」」
解放キーが唱えらた。
その刹那、アリアの体が縦に激しく揺れた。爆発のような衝撃音が上がり、足元の地面がめり込んだ。床が、まるで見えない巨大な球状のハンマーでも叩きつけられたかのように抉れ、その周囲が勢いよくめくれ上がった。
しかし、アリアに物理的ダメージはなかった。咄嗟に頭上に目をやると、アリアを守るように氷の殻が発生していたのが見えた。予想外の光景に、アリアは目をパチクリとさせた。
氷燐の羽衣!? どうして……?
その事態に驚いたのは、アリアだけではなかった。
「なに!?」「防御……された?」
リンドとショコラも驚愕の表情を浮かべた。
『この魔法はさっきのと違って強すぎたみたいだな。衝撃波が発生しちまってる時点で、氷燐の羽衣が防御対象と認識したわけだ』
唯一状況を理解したセルシウスが、見解を口にした。
アリアが安堵の息を吐く。
「まだ、喜ぶのは早い」
ショコラはそう言って右手をアリアへと向けた。
「爆ぜろ」
乾いた炸裂音が響く。その音にアリアの脳は激しく揺さぶられた。
視界がぐるぐると回り、再び激しい嘔吐感がこみ上げる。
ワンテンポ遅れて耳から血が吹き出し、目からは血涙が流れ出した。アリアの血に触れた白い髪が真っ赤に染まる。
そのあまりの衝撃の強さに、意識を持っていかれそうになる。
「ぐあっ……う……うぅ……」
膝が笑って言うことを聞かない。次の瞬間、糸が切れた人形のように、アリアの体は膝から崩れ落ちた。
だめ! 倒れるわけには……いかない!
「まだだっ!」
アリアは大声を上げて、崩れることなく踏みとどまった。
「「なっ!?」」
リンドとショコラが驚嘆の声を上げる。
アリアは地面に向けて右手を伸ばした。
『よく耐えた、アリア。お前の勝ちだ!』
……いけ。
「絶対永久凍土」
アリアが解放キーを口にする。すると、足元で渦巻いていた氷が、キンッ、と甲高い音を立てて弾けた。
解き放たれた氷の渦はまるで侵食するかのように、円を描きながら空間内の氷の魔元素を取り込み続け、爆発的スピードでネズミ算式にその面積と体積を広げていった。
「なんだ、この魔法は……!?」
「うっ……!?」
アリアの放った魔法は、一瞬にして謁見室にいたものを全て飲み込んだ。
侵食が止み、それはやがて動かない巨大な氷塊となった。




