第十話 皇子カルマ。最強の侵入者。
王宮内三階。皇族用寝室。
「お、皇子! 大変でございます! 起きてください!」
秘書官クワットロはカルマの寝室に入るなり大声で叫んだ。
「んー…なんだ騒々しい。僕は睡眠中だぞ……」
カルマは眠い眼を擦りながら鬱陶しそうな声を出すと、その丸々と太った重い体をゆっくりと起こした。
「侵入者です! 正面口にいた兵士たちが……ええと、その、し、信じられないことなのですが……」
慌てふためくその様子から事態を察したカルマは、クワットロの代わりに言葉を続けた。
「氷塊にでもなってたか」
その言葉に、クワットロはぎょっと眼を見開いた。
「な、なぜそれを……」
カルマはふんと鼻をならした。
「やっぱりきたか。意外と早かったな、極東の悪魔……」
部屋の時計を見てカルマはにんまりと笑う。
一時か……なら、もうアレが届いているはずだな。返り討ちにしてやる。極東の悪魔め……オルカの暗殺を邪魔するだけじゃ飽き足らず、僕の命まで狙おうなんて百年早いんだよ!
「調子に乗りやがって。生きて帰れると思うな」
そう言って、カルマは勢いよく立ち上がった。
「王宮内にいる全ての兵士へ伝えろ。武装を整え、侵入者を殺すのだ!」
王宮内一階。ポイントデルタ地点。
兵の指揮を執る隊長のマッドハインは混乱していた。
「なんだこれは……。一体何が起きているんだ……」
幾つもの戦いの指揮を執ってきたマッドハインであったが、これほどまでに理解しがたい状況は経験したことがなかった。つい数分前、マッドハインに皇子からいきなり戦闘命令が下された。そして、指揮を執り始めて早々に次々と王宮内に配置された小隊と連絡が取れなくなったのだ。
「か、考えにくいですが、連絡が取れないということはもう……」
近くにいた兵士が語尾を濁しながら答えた。その言葉に、マッドハインは顔を真っ赤にさせて激昂する。
「この短時間に二十近い小隊が消滅したとでも言うのか!? そんな馬鹿な話があってたまるか!」
普段の冷静な彼を知る周りの兵士は、その様子に動揺を隠せなかった。
「ですが……他に説明のしようがありません! 我々の想像を超えるほどの敵が、この王宮に侵入しているのですよ!」
兵士の叫びに、マッドハイン率いる銃火器部隊は静まり返った。そこまでいって、マッドハインはようやく部下たちの不安に包まれた視線に気づく。
隊長の俺が慌ててどうするんだ。俺はこいつらの命を預かっているのだぞ。
マッドハインは大きく深呼吸をした。途端に視界が広くなったような感覚を覚える。ふと手に持った銃火器が目に入った。
そうだ、我らにはこれもあるじゃないか。
それはキラーと呼ばれる対大型魔獣用火薬銃であった。どういうわけか、タイミングよく届いた新型兵器である。まだ誰一人として使用したことはなかったが、強敵に攻め込まれているこの状況下では、強力な武器が手元にあるということはありがたかった。
銃を握るマッドハインの手に力がこもる。ここは、謁見室へと続く廊下。長い一本道で逃げ場もない。これがあればやれるはず。
「よし、やろう。敵の数もその正体もわからぬが、落ち着けば大丈夫だ。我々なら、必ず勝てる!」
そう言ったマッドハインの表情は、いつもの責任感と自信に満ちたものへと戻っていた。兵士たちの表情も明るく活気あるものへと変わる。
「そうですよ、隊長! 倒しましょう、侵入者を!」
「それでこそ我らの隊長です! がんばりましょう!」
漂っていた焦燥感は完全に消え、意気軒昂とする。そんな中、突如一人の兵士が声を上げた。
「隊長! き、来ました!」
銃火器隊のメンバーが声の方向に一斉に顔を向ける。反射的に銃の標準を侵入者へと合わせて構えを取った。スコープ越しに映ったその姿に、兵士たちは先ほど感じた高揚感が一瞬で褪せていくほどの恐怖を覚えた。
「あれは……本当に人か?」
それは、あまりに異常な存在感を放っていた。光すら吸い込みそうな漆黒の肌。足元まで伸びた白髪。垂れた前髪の隙間から覗く赤い瞳。奴の口から洩れた吐息が白く濁り、それが長い帯となって流れ、消えていった。
銃を握る手が汗で滲む。背筋に走る悪寒が一向に止まらない。
「た、隊長……隊長! あれは一体なんですか!? あんなもの、じ、自分は見たことがありません!」
そう言って、兵士は真っ青な顔をして恐怖におののいた。他の兵士たちも、戦意を抜かれていた。それほどに、その存在は人とは異なっていた。
間違いない。他の小隊はこいつにやられたのだ。殺さなければ、こちらが殺される。
「怯むな! 銃火器部隊、構え!」
恐怖をかき消すように、マッドハインは声を荒げた。日頃の訓練の成果の賜物か、出された指示に兵士たちの体が自然と動く。キラーを手にした兵士たちが、廊下の幅一杯に立て膝をついて並んだ。いくつもの銃口が侵入者へと向けられる。
だが、それでも侵入者に動じる様子はなかった。何事もないかのように、ただゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。その姿が、マッドハインたちを余計に不安にさせた。
「くっ……撃て!」
一斉に発砲音が響く。直後、侵入者の付近で激しい爆発が起こった。凄まじい爆音が上がり、大きな震動とともに壁と天井が崩れる。マッドハインたちのいた廊下が一瞬にして爆煙と土煙に包まれた。
「ゴホッ……ぜ、全員無事か!?」
マッドハインは両腕で煙を払いながら、隊員へと声をかけた。
「はい、私たちは全員無事です!」
兵士たちはお互い確認をとると、マッドハインへ報告をした。その返事に、ほっと胸を撫でおろす。
「そうか。良かった……」
煙が晴れていき、大きく削れた廊下がその傷を露わにしていく。
「それにしても、凄まじい破壊力だな」
これがキラー。火薬を詰め込んだ弾丸が、標的に触れた瞬間爆発を引き起こす新型兵器。話には聞いていたが、これ程とは……。その凄まじい威力に、マッドハインの頬が思わず緩む。時間が経つにつれ、張りつめていた緊張感が優越感へと変わっていった。気がつけば、崩れ落ちた瓦礫に向かって自然と足が動いていた。
「隊長、戻ってください! 危険です! 未だ生きていたら……」
慌てたように兵士の一人が声を上げた。
「ははは。この威力だぞ。生きていられるはずがないさ」
対するマッドハインは振り返り、兵士に向かって意気揚々と答えた。直後、瓦礫の山が崩れる音が廊下に静かに響く。兵士たちの表情が恐怖に染まっていく。カタカタと震えながら、一様にマッドハインの背後に向かって指をかざした。
「ああ……あ……た、隊長……後ろ……」
マッドハインは一歩も動けなくなった。兵士たちの目に、何が映っているのかがわかってしまったからだ。自分たちがこの後どうなるのかも……。
耐えかねて、マッドハインは恐る恐る振り返った。崩れた瓦礫の隙間から、赤い光が覗いている。その身に戦慄が走った。
「うあああああっ!?」
マッドハインは叫び声をあげ、その場から全速力で逃げ出した。
「に、逃げろ!殺されるっ!」
続くようにして、兵士たちも次々と武器を投げ捨てて駆け出していく。
瓦礫の山から、真っ黒な腕がすっと伸び出た。
「絶対空間凍結」
午後一時十七分。ミッドラッド王宮を守る総勢百八十六名の兵士がたった一人の侵入者の手によって全滅した。




