第九話 城塞都市。銃火器の行方。
四月六日。深夜二時。
城塞都市ミッドラッド。上空。
眼下に城壁によって囲まれた巨大な都市が広がる。その光景に、アリアは小さな藍色の瞳を丸くさせた。
「わあ、すごい」
その口から思わず感嘆の言葉が漏れる。淡いオレンジ色の光が街中に灯るその外観は、とても綺麗だった。
『ようやく着いたな』
そんな様子を見ていたセルシウスが声をかける。
「うん。でも私的には、こんな離れた所にこんな短時間で来れちゃうことのほうが驚きなんだけれど……」
学院を出てから三時間。高速で飛び続けて目的地へとたどり着いた。本来、飛行を数時間に亘って行使するなんて魔力量的に不可能なのだが、契約執行中のアリアは反則的に魔力量が多いためそれすらも可能だった。改めて精霊の力を実感する。
ふと自分の漆黒の肌が目についた。
「さすがにこの姿のままじゃまずいよね」
『だめだろうな』
間髪入れずに即答され、アリアは苦笑いを浮かべた。その場で契約執行を解除する。そして、用意してきた別のコートを羽織り、フードを深く被りなおした。飛行にかける魔力をだんだんと弱めていき、ゆっくりと降下する。
「飛行終了」
背中に纏っていた光の羽がすっと消えていく。アリアは都市の入り口に建つ大きな城門の前に降り立ち、門越しに都市を一望した。
「わあ、にぎやかな街」
夜だというのに、街の入り口に面した大通りは人で溢れかえっていた。
「さすが城塞都市ミッドラッド。これだけ大きいと、夜でもこんなにたくさんの人がいるんだね」
初めて見る都市に、アリアの声は自然と弾んだ。
『ふん。人間人間人間で吐き気がするぜ』
嬉しそうなアリアとは反対に、セルシウスは不機嫌極まりない様子である。げんなりとしたその声のトーンから、見るのも嫌なんだとわかる。普通に話してたから忘れてたけど、そういえば人間が大嫌いだって言ってたっけ。
ふと、アリアに一つの疑問がわいた。
「ねぇ、セルシウス。聞いてもいい?」
『なんだよ』
「人間が嫌いなら、私のことも嫌いなの?」
セルシウスは幾秒か悩んだ後、
『人間は嫌いだが、お前のことは嫌いじゃないぜ』
と答えた。
「そうなの?」
意外な返答に、アリアは小首を傾げた。
『ああ。他の人間と違ってお前といるのは面白いからな』
セルシウスは心なしか楽しそうな声を上げる。
「それ、褒め言葉として受け取っていいのかな」
アリアは悪戯っぽく笑う。
セルシウスはふんと鼻を鳴らし、
『好きにしな』
と答えた。
「ふふ、じゃあそうする。ありがとう」
アリアの表情がほころぶ。セルシウスが心を許してくれているということが、なんとなくアリアには嬉しかった。
『ところでアリア。そろそろ周りを見たほうがいいと思うぞ』
「え?」
そう言われて、アリアは行き交う人たちから注がれる視線に気がついた。残念な人を見るような目で、遠巻きにアリアの様子を窺っている。
『お前、他の人間には今の俺の姿は見えないって忘れてないか。ずっと独り言をぼやいてると思われてるぞ』
わ、忘れてたー。恥ずかしい、死にたい。
アリアは顔を真っ赤にしながら、城門を潜り抜け、逃げるように都市の中へと入っていった。
『もう、わかってたんならもっと早く教えてよ!』
大通りに出るなり、アリアは心の中で叫んだ。
『クックッ、やっぱりお前といるのは面白いな』
謝る気もさらさらないらしい。っていうか、さっきの一緒にいると面白いって言ってたのはこういうことなの!?
『もう。セルシウスのバカ!』
アリアは口を膨らませてそっぽを向いた。不機嫌になったアリアであったが、次の瞬間にはそんな感情は消え失せてしまった。顔を向けた先に光によって彩られた店があり、その美しさに目を奪われたのだ。木でできた店の壁に光の魔法がかけてあるらしく、入り口に掲げられたお洒落な看板がより一層素敵に映った。
「綺麗なお店。ジュエルフェデリス……宝石屋だって」
アリアの足が自然と店の方に向く。近づくと、ウィンドウのなかにキラキラと輝く宝石が飾られていた。
『なんだ。何かと思えば、ただの光る石ころじゃねぇか』
無神経なセルシウスの発言に、アリアの表情が再びムッとする。
『もう、セルシウスは黙ってて!』
いつになく強気のアリア。
『な、なんだよ……』
伝説の精霊セルシウスは、一人の女の子に圧倒され渋々口を噤む。
「あ、こっちには洋服屋さん! あっちには素敵なレストランもある! わあー……」
その目が爛々と輝く。気に入った店を見つけるたび、アリアは興奮したように声を上げた。アリアもやはり女の子である。こういったものにはどうしても心を惹かれてしまう。
「色々なお店があるんだ。私、こんな大きな都市に来たの初めてだから感動するよ」
辺りをきょろきょろと物色しながら、更に通りの奥へと進んでいく。
「おっと、危ないよ。そこをどいてくんな」
落ち着きなくよそ見をして歩いていると、背後から声をかけられた。驚いて後ろに振り返ると、運び屋と思われる老人が荷馬車に乗ってアリアを見下ろしていた。
うわ、大きい荷馬車。全然気がつかなかった。
「す、すみません」
アリアは慌てて隅へ避けて道をあけた。がたいの良い二頭の馬がゆっくりと歩を進める。馬が一歩動くたび、車輪が軋んだ。その様子から荷台の中身が相当な重みであることが窺えた。ガラガラといかにも重そうな音を立てながら、アリアの隣を荷馬車が通り過ぎていく。
すると、微かに鉄と油の匂いが夜風に乗って鼻を衝いた。
「この匂い……」
荷台は布が被せてあって中身は見えなかったが、アリアにはその中身がわかってしまった。
『なんだ。なんの匂いだ?』
「たぶん銃火器っていう武器だと思う。初等部の時に特別授業かなにかで先生に見せてもらったことがあったの。そのときすごく独特な匂いがして印象的だったんだけど、今それと同じ匂いがしたから……」
『銃火器?聞いたことねぇな』
相変わらずというか、予想通りというか、セルシウスは人間の世界のことはまったく無知のようだ。アリアも慣れてきたのですぐさま説明することにした。
「魔法を使わないで狙撃をする道具のことだよ。誰でも使えるし、下手な魔法よりも殺傷力が高いから戦場では重宝されるって授業で習ったよ」
まあ、授業というか武器マニアで有名なコロッセオ先生の大演説会といった方が正しいかもしれないけど。アリアの脳内に、授業の様子とコロッセオ先生の喜々とした表情が浮かぶ。当時の懐かしい記憶がポツポツと思い出される。
「そういえば、武器の中でも先生は銃火器が特に好きだっていってたっけ。見せてくれた銃火器もお給料二か月分はたいて買ったって……」
アリアはそこまで言って話すのをやめた。ぽかんと口を開けたまま荷馬車を見つめる。
「ねぇ、セルシウス」
急にアリアの顔色が変わる。先ほどまでの穏やかなものとは違っていた。
『なんだ?』
「あのね、銃火器ってすごい高価なの。もしあの中身が全部銃火器だったとしたら、きっとものすごい値段だと思うの。それこそ、並のお金持ちですら手が出せないほどに」
『そうなのか。それで、そうだとしたらなにかわかるのか?』
アリアはゆっくりと頷いた。
「だとしたら、たぶん買い手は王宮。もっと言えば、この城塞都市ミッドラッドを治める第五皇子カルマ・レイ・ファルスだと思う」
『は? どうしてそうなる』
急な話の展開に、セルシウスは迫るように聞き返した。
当然、アリアは適当な内容を並べているわけではない。状況から考察した、ある仮説を立てたのだ。
「あれを全て買えるとしたら相当なお金持ち。そして、近いうちに大規模な戦闘をする予定があるはず。それもあの量からして、かなり警戒をしている相手とね」
アリアは荷馬車から目を離さないようにしつつ、セルシウスに自ら立てた仮説を展開する。
「巨額のお金を惜しまず用意できて、銃火器で武装した大人数に守ってもらわないといけない程強い相手に命を狙われている人物。この条件に当てはまる人なんて、そんなに多くはいないでしょ」
セルシウスはアリアの考えに驚嘆の声を上げる。
『お前……やっぱりすごいな。よくそんな頭が回るもんだ』
アリアはにっこりと笑った。
「自分が刺客を差し向けた島が氷漬けになったんだもの。カルマだって、極東の悪魔の存在と今回の件が無関係ではないと気がついているはず。迎え撃つつもりなら、軍備の強化を早急にするのも十分に考えられる」
『皇子がもう逃げちまった可能性は?』
そうだ、それもなくはない。でも……。
「可能性は低いと思う。私から……極東の悪魔から逃げるなら、わざわざ大金をはたいて備えたりしないと思うし」
私はオルカの命を狙うカルマを確実に消さないといけない。だからカルマが逃げずにこの都市に残っているか、それが心配だったんだ。どうやって調べようか考えてたけど、これは手間が省けたね。
「ついて行こう。もしあの荷馬車が王宮に入ったら、カルマはきっとそこにいる」
アリアはフードを深くかぶり直し、気付かれないように荷馬車のあとを追った。
城塞都市ミッドラッド。王宮前広場。
「やっぱり入っていった」
広場にある酒場の陰に身を潜めながら、アリアは荷馬車が王宮の中へと入っていくのを見届けた。
『予想的中だな。ってことは、あの中に……』
「うん。第五皇子カルマがいる」
アリアは小さく頷いた。
『しかし、アリア。よくわかんねぇけど、皇子ってのは偉いもんなんだろ。普通は会わせてもらえないんじゃねぇのか』
セルシウスはたまに的を得た発言をする。その問いに、アリアは不敵な笑みを浮かべた。
「そうだね。でも、今の私は普通じゃないでしょ」
『はっはっ!そうだったな』
珍しくセルシウスが高らかに笑い声をあげる。
「さあ、計画第二段階だよ。私は、極東の悪魔として正面から会いに行く」
そう言って、アリアは右手を胸に当てた。
「契約執行」




