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第3話 護衛騎士の執着心

 彼女の戸惑いなど知ったことではない。


 私と彼女の間にある、途方もない温度差など気にするものか。


 ただ、この日、この瞬間。私の安眠をかけた、壮大な引き継ぎ計画が幕を開けたのだ。


 歓喜に打ち震える私と、突然の事態に目を白黒させている異世界の少女の間に流れる奇妙な沈黙。


 その張り詰めた空気を真っ二つに切り裂くように、石造りの階段を駆け下りてくる乱暴な足音が聞こえた。



「レティシア様っ……!」



 鼓膜を打ったのは、低く、微かな焦燥とすさまじい怒りを孕んだ声。


 その声の主に聞き覚えがありすぎて、私の肩はびくんと大きく跳ねた。


 振り向くよりも早く、長年開けられることのなかった分厚い木製の扉が、蝶番が悲鳴を上げるほどの勢いで乱暴に開け放たれる。


 バンッ! という爆音と共に舞い上がった埃の向こう側。


 そこに立っていたのは、私の専属護衛騎士であるルーク・ノイラートだった。


 長身の男が、地下室の入り口を完全に塞ぐように濃く長い影を落としている。


 いつもは隙一つなく完璧に整えられている栗色の髪が今は酷く乱れ、呼吸のたびに広い肩が激しく上下していた。


 普段は冷静沈着で、澄んだ美しいサファイアのような眼差しが、傷ついたような切羽詰まった光を宿して私を射抜いている。



「ル、ルーク……どうしてここに」



 私は引き攣った笑みを浮かべながら、反射的に後ずさろうとした。


 しかし、ただでさえ過労死寸前だったところに、膨大な魔力を使い果たした直後の身体は鉛のように重く、足がもつれてしまう。



「どうして、ではありません。先月も過労で倒れかけたというのに、また俺の目の届く範囲から抜け出して……!」



 ルークの長い脚が、迷いのない歩調でじりじりと距離を詰めてくる。


 カツン、カツンと硬い靴音が冷たい石畳で鳴るたびに、彼の全身から放たれる圧倒的な威圧感が、私の退路を完全に断っていくようだった。


 戸惑う私の目の前で、彼は唐突に片膝をついた。カチャリと、身に纏った防具が冷たく重い音を立てる。


 怒られる。そう身構えてギュッと目を閉じた次の瞬間、ふわりと、私の身体が重力を失って宙に浮いた。



「え?」



 目を開けると、私の視界は普段よりもずっと高い位置にあった。


 ルークの逞しい両腕が私の背中と膝裏に深く差し込まれ、いとも容易く抱き上げられていたのだ。所謂、お姫様抱っこというやつである。


 密着した彼の胸板の硬さと、服越しに伝わってくる異常なほどの熱量。


 そして、鼻先を掠める微かな汗の匂いが、彼がどれほど血相を変えてこの広い教会内を探し回っていたか如実に物語っていた。



「ちょ、ちょっとルーク⁉ 降ろして……!」



 私は慌てて、空いた両手で彼の肩を押し返そうとした。


 けれど、力仕事など無縁の聖女の腕力で、日々の厳しい鍛錬で鍛え抜かれた騎士の腕をどうにかできるはずもない。

 

 ルークの腕は鋼の檻のようにびくともせず、むしろ私を絶対に逃がすまいとするかのように、ギリッと力を強めた。



「駄目です。貴女はすぐに無茶をする」



 サファイアの瞳が、至近距離から私を深く覗き込む。


 その奥で揺らめくのは、過保護という言葉では決して片付けられないほどの重い感情だ。


 まるで、少しでも目を離せば、私が煙のようにふっと消えてしまうとでも思っているかのような、痛ましいほどの執着。


 普段ならその重圧に絆されて、大人しく従ってしまおうかと思うところだが、今の私には「安らかな睡眠」という絶対的な大義名分があるのだ。



「あ、あのね、ルーク。私、これからはちゃんと休めるわ。新しい聖女を召喚したの」



 私は彼の硬い胸の中で身じろぎしながら、視線だけで魔方陣の中心に座り込んでいる少女を示した。


 黒髪に赤みがかった茶色の瞳を持つ、小柄な異郷の娘。


 私が精根尽き果てる思いで召喚した、私を救ってくれる希望の星である。



「彼女に仕事を引き継げば――」



 私が、ふかふかのベッドでの輝かしい引きこもり生活を思い描きながら言いかけた言葉は、ルークの氷のように冷たい声によって途中で真っ二つに断ち切られた。



「それは結構ですが、俺にとっての聖女はレティシア様だけです」


「え……」



 一刀両断だった。


 ルークは、私が召喚した新たな救世主であるはずの少女には、見向きもしない。一瞥もくれないのだ。


 彼の視界には、ただ腕の中にいる私だけしか映っていないようだった。



「護衛対象を変えるつもりはありませんので、あしからず」



 涼しげな顔で放たれたその恐ろしい宣言に、私は完全に絶句した。


 待って。それってつまり、私が聖女を引退して王都から離れた領地に引きこもったとしても、この過保護で重すぎる騎士が、どこまでも地の果てまでついてくるということではないのか。


 誰の足音も聞こえない、誰にも邪魔されない絶対的な孤独の中で眠るという私の夢は、どうなってしまうのだ。


 頭の中で、完璧に整えられた真っ白なふかふかのベッドが、ガラガラと音を立てて崩れ去っていく幻覚が見える。


 絶望に打ちひしがれ、魂が抜けかけている私と、私を絶対に手放すまいと抱き締めるルーク。


 そんな、外部からの干渉を一切受け付けないような私たちの間に、酷く遠慮がちな、震える声が割り込んできた。



「あのー……お取込み中のところすみません」



 声の主は、魔方陣の中心に取り残されたままの制服姿の少女である。


 彼女は、見知らぬ薄暗い地下室で突如として繰り広げられる痴話喧嘩のような状況に、完全に戸惑い切った表情を浮かべていた。


 彼女の瞳が、居心地の悪さに激しく泳いでいる。そして少しだけ身を縮こまらせて、恐る恐る口を開いた。



「私、帰った方がいい感じですか……?」



 その言葉に、私は全身の血が逆流するような強烈な焦燥を覚えた。


 冗談じゃない。彼女に帰られてしまったら、私はまたあの地獄のような過労死寸前の生活に逆戻りだ。


 貴族たちの派閥争いの道具として搾取され、睡眠時間を削られる日々なんて絶対に御免だった。


 私はルークの腕の中でもがきながら、なりふり構わず少女に向かって叫んだ。



「い、いいえ! 帰らないでお願い。私の安眠のためにも!」



 冷たい石造りの地下室に、私の悲痛な叫びがこだまする。


 かくして、過労死寸前の限界聖女と、右も左も分からない異世界からの後輩、そして執着心たっぷりの過保護な騎士という、前途多難な顔ぶれが揃ってしまったのだった。



 私の安らかなる引きこもり生活への道は、想像以上に険しいものになりそうである。


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