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第15話 夜更けのダンジョンアタック

 王宮の地下は、ただの真っ直ぐな通路ではなかった。


 カチャッ。

 私が通路の中央にある、少し色の違う石畳を踏んだ瞬間、微かな金属音が足元から響く。

 直後、左右の壁に空いた無数の小さな穴から、銀色の矢が雨霰と降り注いできたのだ。

 旧時代の防衛機構。侵入者を串刺しにするための、古典的だが致命的な罠である。



「きゃっ⁉」



 私は咄嗟に身を屈めようとしたが、それよりも早く、私の身体を覆うように展開した銀色の魔力結界が、飛来する矢をすべて軽い音と共に弾き返した。

 カラン、カランと、無数の矢が床に散らばる乾いた音が響く。

 私はふう、と息を吐き出し、足元に落ちた矢を一本拾い上げた。



「……信じられない。ただでさえ埃っぽい通路に、こんな鉄屑を撒き散らすなんて。掃除の手間が増えるじゃないの」



 アメジストの瞳が、怒りに細められる。

 命の危機? そんなものは感じない。

 私の結界は、これまでの過労死寸前の労働で鍛え上げられた、絶対的な防御力を持っているのだ。


 私が腹を立てているのは、これから私の生活圏となるであろう通路が、無意味に散らかってしまったことに対してである。



「全く。誰が片付けると思っているのよ」



 バケツを床に置き、指先から微量の魔力を放った。

 風を起こして通路に散らばった矢を一箇所に集め、壁際に綺麗に積み上げる。

 ついでに、矢が飛び出してきた壁の穴に錬金洗剤の泡を詰め込み、二度と作動しないように念入りに塞いでおいた。



「よし。これで綺麗になったわね」



 私は満足げに頷き、再びバケツを手に取って歩き出した。



 さらに地下深くへ潜っていくと、通路の様相が変わり始めた。

 ただの無骨な石造りから、青光りする奇妙な鉱石が埋め込まれた壁へと変化していく。それと同時に、瘴気の濃度も一段と跳ね上がった。


 視界がうっすらと黒い靄に覆われ、手元の光の球の輝きがじわじわと弱まっていくのがわかる。



「……今度は何かしら。湿気が酷いわね。お肌に悪そう」



 私は不快感に顔をしかめながら、バケツを抱え直した。


 不意に前方の黒い靄の中から、ゆらゆらと人影のようなものが浮かび上がってくるのが見える。

 一つ、二つ、三つ……。

 それは、実体を持たない亡霊のような存在だった。かつてこの地下で命を落とした者たちの怨念だろうか。



『……ーー#$%&……』



 最早言葉であるかすら疑わしい底冷えのする声が、鼓膜を通さず、脳内に直接響いてくる。

 それらはゆっくりと、しかし確実に私を包囲するように近づいてきた。影は、生者に対する強烈な嫉妬と憎悪に満ちている。

 ここにいたのがただの人間であれば、それらの憎悪を満たすことができたかもしれない。ただ、残念なことに、私は腐っても聖女なのだ。



「……ちょっと、どいてくださる? 通れないのだけれど」



 目の前に立ち塞がる怨念の塊に向かって、私は事務的なトーンで声をかけた。



『……|%$%#!!!!……』


「あのね、私だって連日の残業と睡眠不足で苦しいのよ。あなたたちの愚痴を聞いている暇はないの」



 バケツを持ったまま、私は影に向かってズカズカと歩み寄った。


 恐怖で逃げ惑うと予想していたのだろうか。堂々と向かってくる私の姿に、それらは一瞬動きを止めた。

 その隙を突いて、私は右手に込めた純白の浄化の光を、怨念に思い切り叩きつける。


 バチィィィンッ!


 凄まじい破裂音と共に、怨念の一つが光の粒子となって弾け飛び、一瞬にして消滅した。



「ああもう、深夜に騒がしいわね! さっさと成仏しなさい!」



 私はバケツを床に置き、両手に光を纏わせると、群がる怨念たちを次々とビンタの要領で張り倒していく。

 静かだった地下通路に、乾いた打撃音と、怨念たちの情けない断末魔が響き渡る。


 私の浄化の力は、彼らにとっては絶対的な猛毒だ。

 触れられた端から、長年の怨念は「ああ、なんかどうでもよくなってきた……」という間抜けな思考を伴って昇天していく。

 数十体いた怨念の群れは、わずか三分足らずで完全に姿を消した。



「ふう……。無駄な体力を使わされたわ」



 乱れた服の襟を正し、私はバケツを拾い上げる。

 この地下通路のトラップも亡霊も、私にとっては「大掃除の邪魔をする障害物」でしかない。

 頭の中は、これから手に入れるであろう完璧な引きこもり部屋のことだけで埋め尽くされているのだ。



「待っていなさい、私のふかふかのベッド。今すぐ、極上の寝室を用意してあげるからね」



 私は血走った目で暗闇を睨みつけ、さらに歩みを速めた。




 そして、ついに長く煩わしい地下通路を抜け、長く続く螺旋階段を下りきった先。

 一寸先も見えない暗闇の中で、私の手はひんやりと冷たい金属の取っ手に触れた。


 夢で見たのと同じ、黒ずんだ重厚な木の扉だ。

 表面に彫り込まれた魔術文字は、物理的な摩耗と、扉の向こう側から染み出す濃密な瘴気によって、ほとんど読み取れないほどに侵食されている。


 私は両手で取っ手を握り締め、体重をかけて押し込んだ。


 ギィィィ……ッ。


 夢と同じ音を立てて、扉が開いていく。大きくなっていく隙間から、中に溜まっていた空気が一気に外へと噴き出してきた。

 これは、ただの古い空気ではなさそうである。カビと埃の匂いに、鉄錆と腐肉を混ぜ合わせたような強烈な悪臭が混じり合っていた。


 並の人間であれば、この風を浴びただけで呼吸器が焼け焦げ、意識を刈り取られていただろう。

 まったくもって、聖女様様である。


 私は手元に浮かべた光の球を、部屋の中心へと押し出した。

 淡い光が、暗闇をじわじわと後退させていく。

 そこに広がっていたのは、まさに夢で見た通りの、完璧な『荒れ果てた部屋』だった。


 そして、部屋の奥。

 最も暗く、最も空気が淀んでいるその場所には、どす黒い霧のような瘴気がとぐろを巻き、まるで意思を持っているかのように蠢いていた。

 恐らく、ここが王宮から漏れ出した負の感情が最終的に流れ着き、澱み、蓄積される『吹き溜まり』なのだろう。

 長年放置された結果、この部屋は王都全体に悪意を撒き散らす、恐ろしい呪いの発生源となってしまっていたのだ。

 普通なら、忌避するような場所だ。すぐに王宮の魔術師団を総動員して、大規模な封印を施すべき魔境である。


 けれど――。



「……ああ、なんて素晴らしいのかしら」



 私の口から漏れたのは、恐怖の悲鳴ではなく、心底うっとりとした感嘆の溜息だった。


 蠢く瘴気など完全に無視して、部屋のポテンシャルだけを的確に計算していく。


 外の音を完全に遮断する、厚い石造りの壁。

 日の光が一切入らない、安眠に最適な暗さ。

 そして何より、誰もこんな呪われた場所に近づこうなどとは思わないという、絶対的な『立地の良さ』。


 ここは、静かで程よい広さの、誰にも邪魔されない最高の寝室になる……!


 私の頭の中では、すでにこのゴミ溜めのような部屋が、極上の引きこもり空間へとリノベーションされていた。


 あの中央のスペースのガラクタを片付けて、ふかふかの特注ベッドを置く。

 本棚の古い魔導書は隅に寄せ、代わりに私が読みたかった恋愛小説や冒険譚をぎっしりと並べるのだ。

 ベッドの脇には小さなサイドテーブルを置き、いつでも温かい紅茶が飲めるように保温の魔術具をセットする。


 想像しただけで、口元がだらしなく緩んでしまうのも仕方のないことだ。



「ふふっ……ふふふっ。さあ、そうと決まれば、さっさとこの目障りな汚れを落としてしまわなければね」



 私は気合いを入れるように袖を肘まで捲り上げた。


 王国の危機? 派閥争い?


 そんなものは知ったことではない。私が今から行うのは、世界を救うための戦いではなく、私の安らかなる睡眠環境を整えるための『大掃除』なのだ。

 ついでに救われるものがあったとしても、私にはおまけのようなものである。



 部屋の入り口付近の床にバケツを置き、真新しい雑巾を手に取った。



「まずは、物理的な汚れからよ」



 私は指先から微量の魔力を放ち、部屋全体の空気を強制的に循環させた。

 ブワァァッ、と室内に突風が吹き荒れる。

 床や本棚に積もっていた長年の埃が、一斉に舞い上がった。視界が真っ白になるほどの埃の嵐だが、私は結界で守られているため、むせることもない。

 私は風を巧みに操り、空中に舞い上がった埃を部屋の隅の一箇所へと集約させ、固めていく。

 あっという間に、巨大な毛玉のような埃の塊が完成した。



「よし。次は床磨きね」



 ポケットから錬金術の洗剤を取り出し、バケツの水に数滴垂らすと、爽やかな柑橘系の香りが広がり、水が淡い青色に発光し始める。

 私はその水に雑巾を浸し、固く絞ると、四つん這いになって石造りの床を無心で磨き始めた。

 キュッ、キュッ、という小気味良い音が、静かな地下室に響き渡る。

 汚れがこびりついた床は、錬金洗剤と私の腕力によって、みるみるうちに本来の大理石の輝きを取り戻していく。


 額に汗が滲むが、苦にはならなかった。

 むしろ、床が綺麗になればなるほど、私のベッドを置く理想の空間に近づいているという実感が湧き、私のテンションは不気味なほどに上がり続けているのである。


 

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