第6話 聖女ソフィアの後悔 2
――遡ること七日前。
レイが【魔人】を倒してから五時間後。
血肉が四方八方に飛び散り、悪臭漂う肉片の中で埋もれていたレイをようやく見つけたときのことである。
「レイ、レイだ! ここだ! エレノア、ソフィアこっちだ!!!!!!」
レズリィ師匠が、肉片に埋もれた場所から引っ張り出したのは、およそ人間とは思えない形をした成れの果てだった。
皮膚のほとんどが焼失し、全身がドロドロに焼けただれている。
【魔人】の炎は皮膚を焼くのではなく溶かす。攻撃を全身で受けたであろうレイの姿は、いや、かろうじてレイだと師匠たちにしか気づけない人間の形をした物体は、師匠たちの心臓の鼓動を凄まじく早めた。
「ああああぁぁぁぁぁああ……はぁっはぁっ……治れ、治れ、治れ、治れ、治れ治れ治れ治れ治れ治れ治れ治れ治れ」
いち早く治癒を施したのは、回復魔法を担当しているソフィアではなく、攻撃魔法を担当していたエレノアであった。
攻撃と防御、回復は似て非になるものである。全てが扱える魔法使いも存在するものの、そんなものは器用貧乏になるだけである。
強者というものは例外なく特化しており、エレノアとソフィアもまた同じく特化型であった。
だというのに、エレノアは拙い初歩的な治癒魔法を連続で使用した。 擦り傷しか治せない程度の効率の悪い魔法。魔力は通常の四倍ほど消費する。 それでも、彼女は力の限り、心の底からの魔力を込めて叫び続ける。
「ソフィア、貴様は何をしているんだ!!!!! 早く!!!! レイを治せ!!!!!!!」
一方で、ただ呆けていたソフィアに対して、レズリィが激怒した。
胸ぐらを掴み、今にも殴りかねない勢いで声を荒げる。
後にこの行為は、深く、深く、レズリィ自身をも苦しめることになる。
ここまで激怒したのは、もちろんソフィアがただの聖女ではなく、規格外の聖女だったからにほかならない。
軽い傷は指先に触れるだけで治し、切り傷程度ならば遠隔で治癒を施すことができる。
通常の聖女が匙を投げる怪我ですら、ソフィアからすれば、魔力をどのくらい使うか、と瞬時に計算できるほどだった。
だがしかし、そんな優秀なソフィアだからこそ動けなかった。
消失した皮膚の損傷だけではなく、脳への深刻なダメージ。
眼球はかろうじて繋がっているものの、ただ穴に収まっているだけの置物になっている。
手足の腱は完全に溶けてなくなっており、声を出す大部分を司る喉頭はズダズダになっていた。
たとえ表面上を力の限り治癒したとしても、レイは戻らない。
そもそも、魔力反応がほんの少しでも感じられることが明らかに異質だった。
確かにレイ、レイである。けれども人体としての機能は存在せず、また、奇跡的に回復したとしても、それはただ、レイだったものになるしかありえない。
よって、ソフィアは動けなかった。
レイは自分たちを守るため、何らかの手段を持って、【魔人】を倒した。
その覚悟は、間違いなく命を投げうつものでしかありえない。
ならばこの状況は、彼にとっては最悪のものでしかない。
だが――それでも。
ソフィアは舌を噛み切る勢いで拒絶した。
残り全ての人生がレイへの謝罪になろうとも、レイの覚悟を無駄にしようとも、この現状を見過ごすことはできなかった。
それでも、たった五秒である。
回復に人生を捧げ、利他的な行いに費やした過去全てを否定するには、あまりにも短い。
しかし、皮肉にもレズリィにとっては長すぎる時間だった。
悪態をつき、動けない、動かないソフィアに対して声を荒げ続ける。
自分が魔法を使えないことは棚に上げながらも、ただ声を出すことしかできない自分に、それが制御できないことすらも理解できずに。
けれどもソフィアの耳には一切の声は届いていない。
レズリィの言葉とは関係なく、レイであろう亡骸に両手をかざし、全魔力を放出する。
「――全回復ッッッッッッ!!!!!!」
全魔力の放出。それは通常、術者の死を意味する禁忌の行為。
しかし、ソフィアは文字通り一滴残らず魔力を、命を、レイへと注ぎ込んだ。
不可能を、可能にさせるほどの力業で。
人間が限界を超えて力を出し切ることは不可能である。
たとえ力の限りだとしても、倒れこんだとしても、指先を動かし、目をつむり、呼吸をするだけの力は必ず残る。
しかしソフィアはそんな制御を外した。
血の一滴、魔力の一滴も残らずレイに放出した。
皮膚を生成し、かろうじて残っていた骨をかき集め、生前の記憶と一致させるように魔法で修復したことも気づかないほどの力を使い、レイを回復、修繕、修復した。
だがしかし、それはただ形を整えただけでしかなく、それ自体に意味がないことは誰よりもソフィア自身は理解している。
けれどもその姿は、レズリィとエレノアにとっては声にならない声を上げさせるほどの救いだが、全てを使い切り、意識が途絶えたソフィアが目にすることはなかった。
ふたたびソフィアが意識を取り戻したのは、それから三日後だった。
飛び起きた彼女は、すぐさまレイのことを探す。
見知らぬ部屋。経験で貴族屋敷だとすぐわかったものの、ここがどこなのかはわからない。レイが今、どんな状態なのかはわかっている。
ただ、レイであったであろう姿のまま、横になっていることは間違いない。
いつもの思考ならば、まずは神への冒涜に等しい回復行為をしたことに自己嫌悪しただろう。
けれどもソフィアの頭には、ただただレイに会いたいという、利己的な考えしかなかった。
急ぎ、足がもつれ、倒れそうになりながらも、砂漠で水を欲するような夢遊病に近い行動だった。
扉を開け、階段を降り、声を上げる。
「レイ、レイ君は、レイ君はどこ、どこにいますか」
まず現れたのはエレノアだった。
目の隈から寝ていないことは察するものの、そんな言葉を投げかける余裕などない。すぐに訴えかけると、エレノアはソフィアを優しく抱いた。
「地下室にいるわ。連れていくから、落ち着いて」
「レイ君は、レイ君は――」
無事なの、そんなことを言えるわけがない。
そんなことは、自分が一番よく知っているのだから。
しかしどうしても期待はしてしまった。
奇跡を信じ、今までの人生を費やした善行は今この時の為だろうと、強く願った。
そしてソフィアは、レイがいる地下室の扉を開いた。




