隠れている恐れ
叶わない願いの裏には恐れが隠れている
恐れは、あらゆる姿形に変わり成りすましている
自分でも気づかない
さも当たり前のごとく別の顔をして存在している
それが、良いのか悪いのかはわからないけれど、遮っていることは確かだ
流れをブロックしている
せき止めている
よく例えられるお金のブロック
お金が欲しい、つまり足りていないという欠乏感
その欠乏感はお金が無い恐怖からきている
元から辿ると
お金が無ければ食べ物も住む場所にも困る
もっと蓄えがなければ将来が不安
お金が必要、いくらあっても足りない
こんな風に、根本原因として恐れがある
何とかなる、お金は必要な分ある、と心から思えたなら現実もそうなる
お金だけが豊かさではないというのはまた別のブロックの話
宝くじに当たる願いというのも、これはまた別の、実現ルートのブロックが絡んでいる
とにかく全ては思い込み、定義付けられている
その中に隠れている恐れが、願望実現の障壁となっている
願いを叶えるどころか、不安を現実化してしまっている
世の中の病気や災害、様々な災厄全てが人類の不安によるものだとは言わないが、病は気から、は本当
防犯対策を念入りにしている人ほど被害に遭う確率が高いような気がする
(お金持ちは当然だが、それほど裕福ではない場合も)
防犯対策をするのは必要で良いことだが、常に泥棒に入られるのではと恐れ、その事ばかり考えることはその現実を創り出す力を与えている
過去に被害にあったことで強く恐れるようになることもある
経験から恐れる悪循環
生きている中で様々な経験から恐れが生まれ、定義付けられ、障壁になる
私たちは経験から学ぶ
あつものに懲りてなますを吹く
(熱い吸い物で火傷した人が、それに懲りて冷たい料理も吹いて冷ます様子)
学習はしても、必要以上に恐れるようになることはない
慎重で用心深いことは賢いとされる定義
ネガティブにリフレーミングすると、警戒心が強く心配性な臆病と言い換えられる
こんな感じで、恐れは潜り込んでいる
一見、恐れが潜んでいることはわからない
が、掘り下げると根っこに存在している
恐れを手放せたなら、宇宙の豊かさは無限に流れ込む
理論はわかる
言うは易く行うは難し(これもブロック)
三日坊主の予感の恐れ発見
意識できる欲からの執着は手放せても
無意識下の刷り込みの恐れを手放すことなどできるのだろうか?
生老病死を恐れずにいられるのだろうか?
まずは、気づくこと
気づいて、違う定義付けをすればいい
理論上は、ね…