かつての理系女は作戦会議に出席する
ふかふかと心地よいベッドでアンは目を覚ました。妙に美しい部屋である。隣にはヘレンが寝ており、すやすやと寝息を立てている。ヘレンを起こさないようにそっとベッドから抜け出るともう一台ベッドが入っていて、フローラとネリスが寝ている。どうやって寝たのか思い出せず、服をみるとブカブカの寝巻きを着せられていた。昨夜着ていた聖女の略装は、部屋のすみに畳まれていた。
そう言えば昨夜はネッセタールから帰還後ほとんど眠れず、ヴァルトラント侵攻についての警告を近衛騎士団に来てやっていたのを思い出した。つまりここは近衛騎士団の部屋の一つ、しかも賓客用の部屋なのだろう。あれからどうなったのだろうと考えながら窓に言って外を見る。
窓からは秋色が深まる練兵場が見える。太陽の位置からするともう昼近いのだろうか。そう考えた瞬間、お腹が音をたてて鳴った。時計を見るとまもなく正午という時間だった。アンとしては、深夜に自分にフローラたち三人をつきあわせてしまったという思いがあった。だから自分が目をさましても、フローラたちを起こそうと言う気もせず、窓際の椅子に座って外を眺めていた。練兵場の植木が黄葉して美しい。紅茶を飲みたい気もしてくるが、がまんして秋の景色を眺めていた。
しばらくすると、部屋のドアが低くノックされた。音が低いのは、自分たちが寝ていたらそれを起こさないためだろう。アンも静かにドアまで歩いて、ゆっくりとドアを開いた。
そこにはウィルマが第三騎士団から来ていた。
「お目覚めですか? 他の方は?」
「まだ寝ています。昨日は遅かったから」
「そのようですね。もうすぐお昼ですが、どうしましょう?」
「多分みんな疲れているから、かんたんに部屋で食べられるものがあれば……」
「ご用意いたします」
「ごめんね、ありがと」
「いえ、とんでもないです」
ウィルマは微笑みを残して去っていった。
そんなやりとりを聞いたのか、ヘレンが起きてきた。
「あ、アン、おはよう」
「おはよう、よく寝れた?」
「んー、まだ眠い」
「わかる」
「あ、着替えだ。下着もある」
「ウィルマが来てた」
「あとでお礼言わなきゃね」
そんな会話をしていたら、フローラとネリスも起きてきた。
朝の挨拶、本当はもう昼なのだがとにかく挨拶を交わし着替えをしていると、ウィルマが昼食を持ってきた。
「みなさんお目覚めですね」
と言いながら、テーブルにサンドイッチと紅茶をならべてくれる。
「お目覚めのこと、マティアス様、ヴェローニカ様にお伝えしておきます」
アンが礼を言う前にネリスが、
「かたじけない」
と言ってしまい、ウィルマも含めみんなで笑ってしまった。
サンドイッチを食べているとウィルマがもどってきて、
「食後、第一作戦室にお集まりくださいとのことです」
と伝えてくれた。昨日は第二作戦室だったが今日は第一作戦室だ。第一作戦室は常時稼働状態である。そこに呼ばれたと言うことは、昨夜アンの発した警告にのっとって実際に隣国の侵攻にそなえるということだ。
食事を食べ終わる頃、ジャンヌ聖女代理が部屋を訪れた。
「アン様、お疲れではないですか?」
「おかげさまで、しっかりと休ませていただきました」
「これから第一作戦室ですが、アン様はまだご身分をお隠しになりますよね?」
「はい」
「では私の随員ということにして行動してください。ご発言は私を通せばよいかと」
「お手数をおかけします」
「ではそろそろ参りましょうか」
というわけで、ジャンヌの後ろにアンたち四人がぞろそろとついて第一作戦室へと歩いていった。
第一作戦室はざわついていた。第二作戦室と同じく部屋の中央部が窪んでいて大きなテーブルがあったが、そのテーブルにはたくさんの模型が既に置かれている。テーブル自体がノルトラントとその周辺の地図になっているわけだが、模型は今現在のノルトラントの各部隊の配置、さらには隣国の軍隊の配置をしめしてるのだ。遠目に見ても隣国ヴァルトラントの軍隊が国境の近くにいて、緊張状態が高まっているのがわかる。
ざわつく作戦室の中、アンはマティアス武官長の横に懐かしい顔を見つけた。フィリップである。呑気に手を振っている。アンは手を振り返すわけにも行かず、とりあえずヘレンにフィリップが出席していることを伝えた。
第三騎士団の騎士が案内で席に座ったところですでに来ていたマティアス武官長が立ち上がった。
「諸君、すでに連絡済みであるがヴァルトラントとの国境地帯の状況が切迫している。これから全騎士団で情報を共有したい。最初に隣国の情勢について、第一騎士団から」
すると第一騎士団のダミアン団長のとなりにいた騎士が起立した。
「第一騎士団参謀長のテオパルドです。隣国情勢についてご説明いたします」
テオパルドの話はこうだった。
ここ数年不作が続き、今年に至っては冷害でかなりの収穫減が見込まれる。農業国であるのだが、最近は農業輸入国になってしまっていて、国内の現金が海外に流失している。それなのに物価は上昇傾向であるので、ヴァルトラントは貨幣を乱発している可能性が高い。経済活動は停滞傾向なのに物価は上昇、賃金は上昇していないので、国民の不満は高まりつつある。
ただ政情は安定していて、宰相アルノルドにより国全体がひとつにまとまっていると言う。ただアルノルドは演説でたびたび「ヴァルトラントが苦労するのは外国がヴァルトラントの富をすいあげているからだ」と発言しているらしい。
軍隊については、志願兵の募集が盛んになっているという。配置についてはよくわからない。
アンの隣に座るジャンヌが耳打ちしてきた。
「軍隊の配置がわからないというのは、ヴァルトラントが配置を積極的に隠している、と言う意味です」
つまりここにいる軍人たちは、ヴァルトラントが侵攻してくるのをほぼ確信していると言うことだ。
テオパルドの発言が終わったところで再びマティアスが発言する。
「侵攻の時期と手段について、第三騎士団のヴェローニカ団長から」
「第三騎士団のヴェローニカです。第三騎士団はご存知のとおり聖女室を支援してまいりました。その関係で、聖女室のお考えを共有しておりますので、僭越ながら私からご説明申し上げます」
いつも明快なヴェローニカがまわりくどい説明をしているのは、意見を出しているアンの身分を隠匿するためだ。それでも勘のいいものならば、ジャンヌ聖女代理の近くに座っている少女たちが重要な役割をしていることがわかるだろう。
アンはこの会議が、もっとも重要な局面に入ったことを理解した。




