かつての理系女は指示を出す
隣国ヴァルトラントとの国境の森近くに、グリースバッハという名の廃村があり、ヘレンがそこを指さしていた。アンはその付近を調べた。
グリースバッハがなぜ廃村になったかは地図からはわからないが、村の周りは平地である。もとは畑だったのだろう。当然道も通っている。村であったのだから、井戸もまだ使える可能性が高い。
森の幅はもっとも狭いというわけではないが、たしかにまあまあ狭い。ただそのあたりの森はほぼ平坦で、魔物以外に通行の妨げになるものはなさそうである。
森をはさんで反対側、つまりヴァルトラントの方はやはり村がある。もしこの村が廃村であれば軍隊の集結には適していそうである。
「ヴェローニカ様、ヘレンの言う通り、ここが突破口の一つの候補になりますね」
「うむ、ヘレン、よくやった」
「ありがとうございます。ですがここだけに絞るのは危険でしょう」
「その通りだ、他の可能性も探らねばならん」
ほどなくして、近衛騎士団のマティアス団長、第一騎士団のダミアン団長、第二騎士団のジークフリート団長もバラバラと到着した。
全員が揃ったところで、作戦室奥の地図の近くに全員が着席した。近衛師団長マティアスが最初に発言した。
「早速始めよう。ヴェローニカ団長が緊急の呼集をかけるのだから、よほどのことだろう」
マティアスはヴェローニカの方へ視線を送ったが、ヴェローニカはすぐにアンに話せと行った。
「皆様、緊急のことなので挨拶は抜きにします。私の懸念は、ヴァルトラントが国境の森のどこかを突破して、我が国に侵攻する可能性が高いということです」
うーむ、という声が方方から上がるが、とくに異論は出なかった。
「まず隣国の侵攻の理由ですが、ここ何年か、隣国は不作続きだったようです。ダミアン様、よろしいでしょうか」
国外の情報収集はダミアンが団長を務める第一騎士団の担当であったから、アンは聞いてみた。
「その通り、食料品は品不足、かつ値段はかなり上がっているという情報です」
「つづいてジークフリート様、ブラウアゼーの状況はどうでしょうか」
第二騎士団は、国境の湖ブラウアゼー付近に演習の名目で部隊を展開させている。
「演習がてら対岸の様子もそれとなく探りましたが、従来と大きな変化はみられておりません」
アンの予想通りだった。
「皆様、先程申し上げた通り、侵攻は森を突破して行われると考えております」
マティアスが質問した。
「聖女様、森は突破できるのですか?」
「わかりません、ですがもし、魔物の使役に成功すれば可能になります。使役した魔物が森に生息する魔物を排除すれば、敵軍は被害なく森を突破できるでしょう」
「それはそうですが聖女様、魔物の使役なんてできるんでしょうか」
「私は可能と考えています」
「どうやってでしょうか?」
「たとえば私が女学校にいたころにドラゴンの卵を孵化させたように、卵から、または生まれた直後から人間によって育てれば可能であると思います。そして、私達がドラゴンの孵化に成功したことは隣国に漏れていると思います」
「え、そんな」
「中等学校の生徒は知っていましたよ」
ここで騎士団長達は言葉を失った。中等学校は留学生も受け入れているからである。
「つぎに突破予想地点ですが、その例はヘレンが見つけました。グリースバッハという廃村の付近です。比較的森の幅がせまく、突破先は平原です。向こう側も平原ですから、軍隊の集結には便利でしょう」
「突破口は他に、聖女様はご予想でしょうか」
第一騎士団のダミアンが質問した。
「現段階みつけておりませんが、敵にとって有利な地点、我が国にとって不都合な地点をさがすのが良いかと思います」
「承知しました。早速研究いたします」
「ダミアン様、侵攻は切迫しているとお考えください。隣国の食糧事情からすると、あまりもう時間が無いかと思います」
「承知しました。りあえず先程のグリースバッハには先遣隊を送ります」
「規模はどうされますか?」
「偵察ですから小規模でいいのではないでしょうか」
「申し訳ありませんがそれには反対です。小規模な部隊が大規模な敵に遭遇しあっさりと粉砕されてしまうと、我が国の貴重な戦力が削がれ、また時間も失います」
「逐次投入は避けよ、とおっしゃるのですか」
「言葉はともかく、申し上げたとおりです」
「承知しました。聖女様、とりあえずの対策は早急にうちます。それはともかく、聖女様は少しおやすみになった方がいいのではないでしょうか」
ダミアンの指摘にアンはハッとした。気がつけばテーブルに前のめりになり、両肘をついてしまっている。これはいけない。
「ありがとうございます。では第三騎士団にもどろうかと……」
すると近衛騎士団長でもあるマティアス武官長が発言した。
「申し訳ありませんが、聖女様のお知恵をお借りすることが多々ある気がいたします。とりあえず今は近衛騎士団でお休みください」
するとヴェローニカも、
「そうしてください。身の回りのものは取りに行かせますゆえ」
と言ってくれた。
「ありがとうございます。あの、フローラ達は……」
「もちろんご一緒に」
「ありがとうございます。あとひとつだけ」
「なんでしょう?」
「神学校にいる、ノルトハイムのフィリップを近衛騎士団まで呼んでください。ヘレンが呼んでいると言えば、飛んでくると思います」
「承知しました」
言うべきことは一通り言った。聞くべきことも聞いたと思う。そう思うと急に視界が霞んできた。




