かつての理系女は友人を王都に呼ぶ
「聖女様って、ほんと物理以外に興味がないよね」
アンが渡した紙を見たケネスはそう言った。
「上の3つの式はどうせ物理の式なんだろうけど、化学の式だけ高校レベルなんだもんな」
するとフローラが泣き始めた。
「健太、でいいのよね」
「うん、フローラは?」
「優花だよ」
健太は立ち上がり、優花のところへ行って抱きしめた。
友人二人の再会を、杏は満ち足りた気持ちで見つめていた。アンももらい泣きしそうになる。ネリスに至っては「ええのう、ええのう」といいながら泣いている。ヴェローニカは、
「少し二人にしてやろうか」
と言って、警備にラファエラとカロリーナを残し、宿のロビーに移動した。
ロビーではひと目もあるため、重要な話はできない。みな言葉少なにお茶を楽しむ程度にした。
お茶を飲み終わる頃、カロリーナが姿を現した。
「みなさま、お二人がお話したいそうです」
「うむ、行くか」
部屋にもどると先程の応接セットで、フローラとケネスが並んで座っていた。ヴェローニカがまた上座に座り、アンは二人の向かい側にヘレンと並んで座った。ネリスはヴェローニカの向かいに座る。
ヴェローニカは話を始める。
「ケネス殿、大体の話は聞いたか?」
「いえ、フローラと近況を伝えあうのでいっぱいいっぱいでした」
「そうか、邪魔して悪いな」
「いえ、とんでもない」
「アン、君から話したほうがいいだろう」
アンはまず、ヴェローニカを紹介し、続けて自分とヘレンとネリスの正体を明かした。自分が聖女に就任したこと、四人でいっしょに活動していること、明とは連絡がついていること、修二がステファン王子で、軟禁下にあり、救出したいと考えていることなどを語った。
それを聞いたケネスは、
「僕はどうすればいい?」
と聞くのでアンは簡潔に、
「私達に合流して、手を貸してほしい」
「僕はただの鍛冶職人見習いだよ」
「化学の知識を借りたい。化学の知識でこの国の産業と公衆衛生をよくして欲しい」
「なんか急いでいそうだね」
「うん、ヴェローニカ様、話していいですか」
「よかろう」
「実は隣国が、戦争を仕掛けてくるかもしれないと私達は考えている」
「理由は?」
「まず、若手の鍛冶職人が大量に隣国に引き抜かれている。武具の生産に回されているかもしれない」
「若手が沢山引き抜かれているというのは知っている。熟練でなく、若手、というのが変だと思ってた」
「現段階、その理由は正確にはわからない。その他、隣国はここ何年か食糧不足で、今年の夏は冷夏だったらしい。その他細かい兆候はあるのだけれど、決定的な事実はつかめてない。だけどね、準備はしておくべきだと思う。戦争にならなければそれでよし、だけど準備不足で電撃戦をしかけられたら大変なことになる」
「なるほど」
「だからケネス、なるべく早く王都に来て、私達を手伝って欲しい」
「うーん、事情はわかった。具体的にどうすればいいんだろう?」
ここでヴェローニカが発言する。
「ケネス殿には王都の鍛冶工房に移籍してもらいたい。つねに連絡をとれるようにしておき、必要なときはこちらから呼び出す」
「それでしたら、騎士団内の工房にお願いできませんか」
「それはかまわんが、修理ばかりだぞ」
「今は僕の修行より、みんなと一緒に行動しやくしておいたほうがいいでしょう」
「わかった。受け入れ体制ができ次第連絡する。ただ、いまの親方にはこちらから挨拶しておいたほうがいいだろうな、明日伺おう」
「お願いいたします、では、今夜はこれで」
フローラもケネスも名残惜しそうだったが、あまり遅くなるのもまずいのだろう。
ケネスが帰ると、フローラがぐったりとしてしまった。ヴェローニカは、
「フローラ、今夜は先に休んでもよいぞ」
と優しく言った。
「いえ、だいじょうぶです」
「そうか、無理するなよ」
「ヴェローニカ様、早めに王都にもどったほうが良いと思います」
アンはヴェローニカに言った。
「アン、一応理由は聞いておこう」
「はい、まず、ネッセタールに来た目的はほぼ果たせました。それよりも隣国の侵攻が切迫している可能性が高まっているのであれば、騎士団長は騎士団に、王都にいるべきでしょう」
「うむわかった。明日ケネス殿の親方に挨拶したら、そのまま王都にもどろう。フローラ、君だけ少し残るか?」
「いえ、一緒にもどります。平和になったら、ゆっくり里帰りさせてもらいます」
「すまないな」
翌朝割と早い時間に一行は再び工房を訪れた。工房は朝早くから仕事をしているから問題はなかった。親方がでてきて挨拶する。
「ヴィルヘルミナ様、よくいらっしゃいました。なにか昨日のことであるのでしょうか?」
「いや、昨日の注文はそのまま進めて欲しい。ただ、ちょっと話があるので人払いを願えないだろうか?」
「お安い御用です」
昨日と同じ応接室で、ヴェローニカはさっそく話に入った。
「親方、大変申し訳無いのだが、実は私は、第三騎士団団長ヴェローニカだ。ゆえあって偽名を使わせてもらった」
「いえいえ、私共はお客様のご事情とは関係なく、仕事をさせていただくだけですから。というよりも、昨日のご注文、装飾と同時に防御的な使い方を重視するご注文、納得できます」
「ああ、あの剣を抜くときは、本当に重要な場面となるだろう」
第三騎士団は女性騎士団だから、儀仗兵のような役割をすることが多い。だから装飾は必要だが、剣を抜くときはまちがいなく国王の命を守る場合になる。だから切れ味よりも、王に向けられる凶器を確実に防ぐ能力のほうが重要なのだ。
「それはともかくな、親方の雇っている職人のケネス、彼を貸してもらえないだろうか?」
「ちょっとおまちください、ケネスは大変優秀な弟子です。うちの工房をつがせるかもしれません。だから簡単にお渡しするわけにはいかないのです」
「親方の言い分はよく分かる。しかしだ、ケネス殿は聖女様ゆかりの人物であることがわかってな、詳細は言えないのだが、聖女様が彼の能力を必要としているのだ」
「そうはおっしゃっても、彼はまだ修行中の身です。ケネス自身、修行をやめることは望まないと思います」
「実は昨日のうちに、ケネスには接触し、今の話は伝えてある。それにな、騎士団の工房で修行もさせる。聖女様のお仕事が終われば、親方のほうにおかえしすることはお約束する」
「そ、そうですか。聖女様のお召であれば光栄なことです。一人前になるのに少し時間がかかってしまうかもしれませんが、彼がそれでいいというのならいいでしょう」
「おこころづかい、痛み入る」
「どうかケネスを、よろしくお願い致します」
「もちろんだ」
ケネスは数日遅れで近衛騎士団に来てもらうよう話をつけた。聖女アンの要請ということであれば、近衛騎士団はケネスを喜んで受け入れるだろう。
話がついたところで、一行はネッセタールを離れた。がんばって馬車を走らせれば、夜遅くには第三騎士団に帰りつけるだろう。
 




