かつての理系女は講義する
第三騎士団にもどったアンたちは、もともと予定にあった算術の講義と剣術の稽古は、時間変更をしてなんとかこなした。
翌日は女学校での勤務である。午前に2クラス、午後に1クラスの講義をしなければならない。なにかあったら連絡がくることにはなっているが、講義に集中できるかアンは不安であった。
最初のクラスはコンスタンツェのクラスだった。教室に行ってみるとさすがに全員着席して待っている。宿題を回収し、丸付けをヘレンたち3人に任せ、アンは今日の単元の導入を始めた。正負の数の四則演算は一通り教え終わっているので、今日は整数・自然数の概念、さらには素数を教える。こういった数の分類からスタートして、集合論の基礎について触れる予定だ。
前回の復習をし、続けて素数について導入していたらフローラが丸付けした宿題をまとめて持ってきた。さっと目を通すと、みなきちんとできている。予想より優秀そうだ。
優秀な生徒たちを見て、アンは思い切って集合論を日本の高校レベルで始めた。生徒の顔つきが引き締まるのが見て取れる。内容として難しい話ではないのだが、抽象的な論理についていけるかがポイントだ。王立女学校は全国から集められた優秀な女子の学校なのだが、純粋に抽象化された話には慣れていない。案の定、ついていけていない顔つきの生徒が続出した。
アンは用意してきていた演習問題を板書した。具体的な要素を集合にあてはめ、分類していくことと、それを数学的な記法で記述する練習である。
アンも含め四人掛かりで生徒たちの間を巡回し、アドバイスを与える。以前の授業で突っかかってきたコンスタンツェはどんどん解き進めていたが、難しめの問題で引っかかっていた。
小声で
「ヒントが欲しいですか?」
と聞くと、小さく頷く。アンはごく簡単なヒントを与えて、席を離れた。
少し離れたところで振り返ると、コンスタンツェのペンは元気よく動いている。ヒントは適切であったようだ。
授業が終わると何人かが質問に来た。ひとりひとり丁寧に答える。答えていたら次の教師が来てしまい、慌てて詫びて教室を出る。職員室に戻るとフローラが話しかけてきた。
「アン、予定にないことしないでよ」
「え、問題は用意してたわよ」
「そうだけど、普通いきなりあのレベルに飛ばないでしょ」
「だけどさ、あの子達、優秀よ。鍛えがいがあるわ」
「アン、あんたは大丈夫ね」
「なんのこと?」
「いや、いい」
なんのことかわからずヘレンとネリスの方をみるとニヤニヤしている。
「やだな、気になる」
と言うとフローラは渋々と言った感じで、
「あのさ、私達今、けっこう大変な問題抱えてるよね」
と言った。
「あ」
アンは講義に集中するあまり、王子のことなど忘れていたのである。顔から血の気が引いていくのがわかる。
「だからアン、大丈夫だって。今あんたはベストを尽くしてる。むしろ学問にのめりこむあんたを見てるほうが、私達は安心だよ」
その日の残りの授業も、同じことの繰り返しだった。
夕刻寮の自室に帰ると、アンはさすがに疲れを覚えた。ぐったりとした気持ちで自室のベッドにこしかけていると、警備に来ているレギーナは立っている。いつもなら部屋の隅に椅子を出して一緒におしゃべりをしたりしているのだが、今日はキリッと仕事モードだ。
レギーナには細かいことは話していないのだが、昨日アンたちがレギーナといっしょに慌ただしく第三騎士団から聖女室を往復しているのを見て感じるものがあるのだろう。
「レギーナ様、昨日、今日とありがとうございます。休めるときに休んでくださいね」
アンとしては適切なねぎらいの言葉が思いつかず、そう言うのが精一杯だった。レギーナは簡潔に、
「はい、そうさせていただきます」
とやさしく微笑んだが、まだ立ったままだった。
翌日、予定通り第三騎士団から差し向けられた馬車でまず宮廷教会の聖女室へ向かう。いつもどおり護衛にはレギーナ、ラファエラ、エリザベート、ディアナがついてくれる。
車中でアンは仲間に言った。
「レギーナ様たち、いつ寝てるのかな? いつも居てくれてるよね」
ネリスが答える。
「そうじゃな、交代で寝てるのだろうな」
「疲れ溜まってきてるよね」
「そうじゃな」
「大丈夫かな?」
「聞いても大丈夫としか答えんじゃろ」
「だよね」
宮廷教会でジャンヌと合流するが、ヴェローニカはすでに宮廷教会で待っていた。少し狭いが馬車にジャンヌとマリアンヌも乗せる。これでアンたち四人はジャンヌ聖女代理の護衛の騎士という体裁を整えることができた。
すぐに宮廷教会に隣接する王立神学校へと向かう。近いので徒歩である。先頭にレギーナとラファエラ、続いてヴェローニカにアン、ジャンヌにマリアンヌと続き、さらにまわりを女騎士達がとりかこむ。かなりものものしい感じである。ジャンヌはいつもこんな大袈裟な行列をつくるわけではないのだが、アン達が加わったので大事になってしまった。
王立神学校の校舎に入り、講堂に向かう。代理とは言え聖女はこの国の宗教界の頂点に立っている。神官が何人いようとも、神の意思は聖女を通して人間に伝えられ、場合によっては神の力の最大の実行者になるからだ。今までも政治の道具として聖女を利用しようとした者は数しれないが、いずれも悲惨な運命を辿ったという。王でさえ聖女に意見をする際は、それなりの覚悟がないとできないらしい。そんな聖女がこの国の将来の宗教界を担う学生に講義するのであるから、全学生が出席する。自動的に通常の教室では容量不足となる。
講堂はほとんど礼拝堂のようである。神学校であるから当然とも言える。ジャンヌは迷うこと無く演台にあがり、うしろにマリアンヌが控える。ヴェローニカの指示により、ジャンヌの左右に少し距離をおいてアン達4人は並んだ。
アン達は自動的に学生たちの方に顔を向けることになる。学生たちからは少女騎士が聖女代理の形式的な警備のために並んでいるように見えるだろう。
アンは同行してきた騎士たちが学生たちを取り囲むように配置についたのが見えた。




