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かつての理系女は故郷に向かう

 ついに帰省の日が来た。アンとしてはほぼ1年ぶりである。去年まではただの村娘だったから乗り合いの馬車に2日も乗っての旅だったが、今年はちがう。名目は第三騎士団の視察ということにしてもらって、第三騎士団の馬車に乗せてもらう。しかも余計な寄り道などしないので、王都を早朝に出れば夕刻には生まれ故郷のベルムバッハに着くのだ。

 それでも多少は強行軍である。アンとフローラには実習がてら、馬に対する癒やしの魔法の任務も付与され、ヘレンとネリスは馬の世話が命じられた。要は実地訓練である。

 

 文句を言ったのはヘレンだった。

「私さ、ザクセンでなにか食べるの楽しみにしてた」

 聞いてみると、毎年帰省の際、ヘレンは馬車の中継地ザクセンで買い食いしていたのだ。

「ヘレン、その気持は私も全く一緒なのだけれど」

「あ、ごめん。アンも食べてた」

 警護についている四人の騎士、レギーナたちもニヤッとしていた。


 そんな気楽な会話をしながら食堂で待っていると、第三騎士団の使いがやってきた。レギーナに向かって簡潔に報告する。

「馬車が到着しました。すぐに出発できます」

「ありがとう、では、行きましょう」

 レギーナはアンに対して固有名詞を使うと「様」をつけてしまいそうになるため、最近はアンの名前を省略して言うことが多くなってきた。それに気づいたアンはつい微笑んでしまって、レギーナに、

「どうかしましたか?」

と聞かれ、

「なんでもありません」

と応えるしかなかった。


 馬車にはヴェローニカがすでに乗っていた。アンたちが挨拶して乗り込むと、さっそく馬車は動き始めた。ヴェローニカが馬上でなく馬車で移動するのは珍しいことなのでアンは聞いた。

「ヴェローニカ様、今日は騎乗ではないのですね」

「当たり前だ、私が騎乗、諸君が馬車だと、私が君たちの護衛をしているように見えてしまうだろう」

「あ、ああ、なるほど」

「真相はどうあれ、身分を隠したいという聖女様のご意向だからな」

「すみません」

「ははは、大丈夫だ。私の馬も、君たちの馬も用意してある。ベルムバッハの近くからは全員騎乗でいけば、あくまで君たちが私のつきそいの体は取れるだろう」


 最初の休憩地でヴェローニカは「君たちも気詰まりだろう」と言って馬車を降りた。アンからしたらヴェローニカ自身が馬車に缶詰になっているのが性に合わないのだろうと思うのだが、それを口にする度胸もなかった。もしかしらた馬車の中の暑さに耐えきれなかったのかもしれない。ヴェローニカが降りた後、アンたちはお互いにあおいで風を送ったりしてなんとかしのいでいた。

 

 昼食は騎士団の携行食で、ビスケットのような硬いパン、ジャム、果物で、おいしいのは果物くらいだ。

「わかっておったが、厳しいのう」

 ネリスが珍しく騎士団のことで不平を言う。

「ごめんね、強行軍になっちゃって」

 アンとしては謝るしか無い。

「いやいや、お主が悪いのでは無い。ワシこそすまんかった」

 この口調であれば、ネリスはそれほど不満なわけではなさそうだ。

「で、アンのところは、何がおいしいの?」

 フローラが聞いてきた。

「うーん、新鮮な野菜くらいしか無いかな。ヘレンのとこはどう?」

「うちもおんなじ。名産ってほどじゃないんだよね」

 するとフローラは、

「でも、新鮮ってことが大事なんじゃないかな。街じゃとれたてなんて無いし、あったとしてもとても高いから」

「じゃ、フローラ、採れたてが食べられるように村の人に頼んでみるね」

「うん、楽しみ!」

 アンは早速、誰に頼むか考え始めた。するとニーナの顔が思い出された。ニーナはアンと同い年、14歳のはずである。去年の里帰りのときも顔を合わせていたので、今年も会えるのが楽しみだ。


 休憩ごとに馬車を降り、馬に水を与えたり様子を見たりとしていたのだが、午後の最初の休憩では一人の女騎士が馬をアンのところに連れてきた。

「アン殿、ちょっとこのダーヴィドの様子を見てくれないか? 多分右の前足に異常があると思う」

 女騎士は何回か顔をあわせたことがあり、確か名前はユリアだったと思う。

「ユリア様、診てみます」

 アンはそう返事して、くつわをとり、少し歩かせる。問題はなさそうに見える。

 改めて全ての足に触れて異常がないか調べてみると、ほんのわずかだが右の前足に熱を感じる。そこをじっと手のひらで触っていると、ダーヴィドはいななく。

「ユリア様、確かに右前足の上部に炎症がありそうです。少し休ませれば自然に治る程度だと思いますが、いまのペースで行くと、悪くなるかもしれません」

「そうか、残念だな、馬を換えるか」

 ユリアは本当に残念そうに言い、ダーヴィドも話の方向がわかるのかむずがるような動きをする。

 それを見てアンは、ユリアとダーヴィドの信頼関係の強さを感じた。ユリアは大事な馬だからこそ、わずかな異常も見逃さず、ダーヴィドも多少の違和感があってもユリアと離れたくないのだろう。

「ユリア様、ダーヴィドを愛馬とされているのですね」

「ああ、こいつが産まれるのを、私は見ていたからな。最近はほとんどいつもダーヴィドに乗っているよ」

「なるほど、だから微妙な異常をユリア様は見つけ、それでもダーヴィドはユリア様と離れたくないのでしょうね」

「そう言ってもらえると嬉しいな、しかし乗っていくと悪くなるのだろう」

「そうですね、とりあえず私が今、治療を試みます。ですがベルムバッハについたら必ず獣医に見せてください」

「ああ、それはありがたい。恩にきる」


 アンがダーヴィドの炎症箇所に手をあて、「治れ治れ」と祈っているとだんだんとその場所の熱が引いていくように感じた。もうこれでよし、と思えるまで手をあてた。手を離して立ち上がると、ダーヴィドは顔をアンにすり寄せてきた。

「ダーヴィドはアン殿に感謝しているのだな」

「そうですか、私もうれしいです」

 アンはダーヴィドの顔をなでた。


 充実した気持ちで周りをみると、フローラ、ネリス、ヘレン、それぞれ忙しそうに馬の世話をしている。それを見ていたらヘレンと目が合い、手を振られた。


 次の休憩ではアンも普通に馬の世話をしたが、休憩後、馬に乗るように言われた。生まれ故郷のベルムバッハが近いからである。騎乗して隊列のどこにつくのか迷っていると、レギーナが寄ってきて、

「君たちはヴェローニカ様のすぐ後ろにつきなさい。2列でアン、フローラが前だ」

と指示してくれた。

 ヴェローニカの右後ろについて休憩地を出たところで振り返ると、ヘレンとネリスのうしろにやはり2列でいつも自分たちの面倒を見てくれているレギーナ、ラファエラ、エリザベート、ディアナが鋭い目をして続いている。アンは、この隊列が本当は自分の警護のために組まれていると思い出し、感謝すると同時にこれからの聖女としての仕事の重大さを思い知らされた。

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