かつての理系女は世を忍ぶ
翌日からの十日間、アンたち四人は第三騎士団に缶詰になった。フローラ、ヘレン、ネリスは護衛する側、アンは護衛される側の訓練である。基本を教えられたらもう、犯人役をたてての警護訓練である。犯人役はもちろん第三騎士団の騎士であるから、そう簡単に止められない。犯人は一人から始まり、二人、三人と増やされていった。
最初は台本を示され、それに応じた動きをさせられるのだが、三日目からは台本もなくなった。さらに、弓で狙撃されるという想定の訓練もやった。魔法攻撃もありうる。
弓やら魔法を想定していたので、アンは余計なことを言ってしまった。
「火炎瓶で襲われたらどうするのですか?」
すると近くにいた女性騎士が逆に、
「火炎瓶ってなんですか」
と聞いてきた。火炎瓶の何たるかを教え、実際につくり、実際に投げて燃やしてみた。もちろんアンも、杏としても、火炎瓶など作るのも投げるのも初めてである。おかげで訓練は丸一日のびた。
ヴェローニカは、
「これは良いな。火矢とことなり攻撃距離は短いが、面で制圧できる。しかし逆にこれを投げられたらやっかいだな」
などと言い出す。
「燃えにくい服装が一番かと」
アンが答えると、
「燃えにくい服とは?」
と逆に聞かれてしまう。
「羊毛は燃えにくいです。また、あらかじめ濡らしておいた毛布を防御用に装備しておくのも良いかと思います」
そんなわけで、アンの聖女としての最初の実績は、火炎瓶と火炎瓶からの防御法の導入ということになってしまった。
「アン、慈雨の聖女様って、知っているか」
急にヴェローニカが聞いてきた。
「はい、その昔大干ばつの際、祈りにより雨を呼んだ聖女様のことですね」
歴史上有名な聖女は、その実績で後の世で言われることが多い。
「うん、だからアンは、火炎瓶の聖女様と後世呼ばれるようになるかもな」
「やめてください」
十日間の訓練のあと、王立女学校で2日間の休養日をとらされた。四人とも体が疲れ果てているのと、その後の帰省の準備をするためである。最初にアンがフローラたちをつれてベルムバッハにもどり数日過ごす。そのあとアンは王都へもどり聖女としての訓練、フローラたちはそれぞれの故郷へ帰省という段取りである。
休養一日目、事実上アンは寝て過ごした。同期の友人たちは皆寮を出てしまったし、後輩たちもほとんど帰省してしまっているので話し相手はいつもの3人しかいない。その3人も連日の訓練で疲れ果てており、アンも節々が痛い。久しぶりに物理と数学の研究をしたいがそんな元気はなく、しかたなく算術の本を寝っ転がりながら読んでいた。いや、読もうとしてすぐ意識を失っていた。
億劫なのは食事である。自室のような気軽な格好のわけにはいかない。かと言ってもう制服というわけにはいかない。めんどくさいなあと思いながら、アンは騎士の略服を着た。
実はアンはヴェローニカに頼んで、フローラたちと同じ女騎士の服装を一通り借り出していた。アンも他の3人と同じく騎士になったということにしておけば、本当の身分のカモフラージュもしやすい。4人で第三騎士団に所属し、まだ年若いので王立女学校で教鞭をとりながら騎士としての訓練もおこなっているという体にしたのだ。
ヴェローニカは
「それはいいアイデアだな」
と評した。
ヘレンは、
「私達は仲間、いつも一緒だよ」
と喜んだ。
ネリスは、
「世を忍ぶ仮の姿じゃな」
と言った。
フローラは、
「ネリス、いい加減にして」
と呆れた。
朝食は眠いばかりで、厨房の人たちには申し訳ないけれど、味があまりしなかった。他の3人も同様らしく、ネリスですら静かに食べている。半分くらい食べ進んだところで、これはいけないと気づいた。
食べ物自体に対する感謝が足りない。
作ってくれた人への感謝も足りない。
アンはカトラリーを一旦置き、食事の祈りをもう一度することにした。
食材となった生き物たちへの感謝、食事を用意してくれた厨房の人への感謝、自分が生きていく上で支援してくれている人々への感謝、もちろん神への感謝。
祈りを終え目を開くと、その祈りにフローラ、ヘレン、ネリスも付き合っていた。微笑みを送りまた食べ始めると、美味しい。本当に美味しい。あっという間に食べ終えてしまった。
ヘレンが言う。
「アン、ありがとう。アンのお陰で元気も出たし、ごはんも美味しくなった」
アンとしてはこう答えるしか無い。
「ううん、私が間違っていた。今までの食事のお祈りは、きめられた言葉を言っていただけだった。私今にして初めて、お祈りの意味がわかった」
フローラもネリスもニッコリと笑っている。
食器を返しに行くと、厨房のおばちゃんたちが元気にしている。
「ごちそうさまでした」
と言うと、
「いつもありがとね!」
と返ってくる。
「こちらこそありがとうございます!」
ネリスが近寄ってきた。
「うむ、世を忍ぶ仮の姿であっても、お主の力はたいしたもんじゃな」
「やめてよ、そんなんじゃないよ」
「そうかの?」
ある意味、アンの言葉は本当だった。朝食は美味しくいただけたものの疲労がすべて抜けきったわけでなく、昼まで二度寝してしまった。
 




