かつての理系女は名前をつける
練兵場に一直線に立てられた旗は、天候によって見え具合がかわる。アンたちは第三騎士団に滞在中、こまかく見える数を観測し続けた。時刻や天候により見え具合が変わるためである。
ヴェローニカは、
「今までは経験的にこれくらいの天候ならこれくらい見えるとかやっていたが、これで客観的に見える距離がわかるな」
と言っていた。もちろん軍事的に重要な情報だから、この観測には騎士が必ず参加し記録を取る。
「◯月◯日 天気〇〇 風向〇〇 風力〇〇 28ネリス」
という感じだ。
それはそうと、アン達四人の第三騎士団滞在の最大の目的はドラゴンの卵の世話である。温度、湿度の管理はもとより、定期的に卵の向きを変えたり、耳を当てて様子を調べたりするのである。
騎士団滞在四日目のことだった。いつものように部屋に入り、アンが卵をなでると内側から衝撃を感じる。ついにその時が来たのだ。
「レギーナ様、いよいよ生まれそうです。ヴェローニカ様にお伝えいただけますか?」
「わかった」
レギーナは走り去った。
このような場合に備えあらかじめ打ち合わせしてあったので、残っていた洗濯物を撤去し、大きなかごとか古い布団、大量の手ぬぐいなどが運び込まれる。
そうこうしているうちに、先程は卵の表面に触れると分かる程度であった衝撃が音として聞こえるようになってきた。ここまできたらドラゴンの子が自力で出てくるのをまつだけだ。少し離れてみんなで見守る。ヴェローニカもやってきた。
どれくらいの間見守っていただろうか。はじめはヒビが入り、そのうち口の先らしきものが見えてきた。首が少しでてやがて体を出してきた。
全長はアンの股下くらい、色はやはり黒、フニャフニャの羽がついている。
ビャービャー鳴く。
アン達四人の口からは自然と「かわいい」という声が出る。
アンはドラゴンと目があった。あった気がした。近づくと顔をすりよせてくるので撫でる。
撫でていると他の三人が悔しがっている。
「アンに一番なついているみたいだね」
「アンがお母さんだね」
などと言われる。アンもつい、
「ママだよ~」
などと言ってしまう。
ドラゴンの子は疲れたのか、しばらくしたら寝てしまった。
ドラゴンは倉庫の一つに移動させることになった。乾燥室で動き回られると困るからである。常に二人の騎士を監視につけ、暖房をかけておくことになった。アンたちはなるべく側にいたいので、勉強も倉庫で行うことにした。水をやったり餌をやったり、さらには糞の始末もある。餌は生の鶏肉を好んで食べた。そのドラゴンの世話をアンたちはなるべく率先して行った。いや、正確には世話はやりたかったのでやった。
幸いなことにドラゴンはアンたちにも騎士たちにも慣れてくれた。
問題は名前である。騎士たちからはいろいろな意見があった。アルフレッド、アルベルト、アルミン、アレクサンダー、などなど、かぎりなく名前の候補が出てくる。ヴェローニカは、
「最終的にアン、君が決めろ。一番君に懐いているからな。早くしないと、各人勝手な名前で呼び始めるぞ、チョビとかな」
それはまずい。あのドラゴンにチョビはない。
だから四人で色々と案を出した。その中で、アンは思いついた名前があった。
「ルドルフがいい」
もちろん他の三人はその理由を知りたがった。
「あのね、あの子、トナカイでもないし鼻が赤くもない」
それを聞いて皆、アンがクリスマスソングの事を言っていることがわかった。
「だけどね、あの子が、私達とかこの国とかを正しい方向に導いてくれると良いと思うのよ」
というわけでドラゴンの名前はルドルフになった。
ドラゴンの成長は早かった。四人で成長の記録を毎日取る。
「ルドルフ、そこに乗って」
アンの言う事を一番よく聞くので、体重計への誘導はアンが行う。読み取りは他の三人の誰かがおこなう。
「ルドルフ、体を真っすぐ伸ばして」
だんだん人間の言葉をわかるようになり、身長の計測も簡単になった。
体重と身長のグラフを作っていると、それをヴェローニカが覗き込んだ。
「君たちは指示しなくても、そんなものを作るのだな」
アンとしてはむしろ、記録を取りグラフを作らないほうが不自然だと思い、その通り口にした。ヴェローニカは、
「そんなものかな?」
と言って笑った。アンが仲間たちに、
「普通するよね?」
と言ったらヘレンは、
「普通しない」
と言った。
「そうかな?」
と納得できないでいるとフローラが、
「あんたさ、自分の成長のグラフを見たことあるの?」
と言った。そう言われればこの世界はともかく、川崎でもそんなものは見たことがない。
「そう言われれば、記憶にないわね」
ヴェローニカは、
「そのグラフとやらを、作戦室に貼っておいてくれ」
と注文をつけた。
一週間にわたり、吹雪は続いた。ルドルフはどんどん大きくなり、練兵場に連れ出して一緒に遊ぶようになった。
ヴェローニカに注意された。
「君たち、あまり可愛がると情がうつって女学校に帰れなくなるぞ」
アンとしては帰らなくてもいいか、という気がしないでもなかった。




