かつての理系女は卵を託される
雪の急坂を登り切ると、むこうに黒いドラゴンがいた。ドラゴンが息を吐くたび、それが白い煙になる。アンが登り切ってすぐヴェローニカも坂の上に出たが、ドラゴンを目にしたヴェローニカは後続を一旦押し留めた。
「刺激したらまずい。フローラ、ヘレン、ネリス、あとは護衛のものだけ来い。他のものは坂の下で待機だ」
坂の上には、アン、フローラ、ヘレン、ネリス、ヴェローニカ、レギーナ、ラファエラ、エリザベート、ディアナの9人がそろった。アンとしてはよく知る人々と共にいるので心強い。ドラゴンは息だけしており、まるで動かない。
「アン、通常ドラゴンは人間の接近を好まない。私も生きているドラゴンをこの距離で見たのは初めてだ。おそらく傷ついているのだろう、ドラゴンの周りの雪に赤いところがある」
ヴェローニカの説明に、アンも答える。
「はい、私も傷ついていると思います。というより、助けを求めているように思えます」
「そうか、では行くか。私が見に行きたいところだが、責任上そうもいかん、誰か行ってくれるか」
すると四人の女騎士達は、
「私が参ります」
と口々に言う。ヴェローニカが、
「それでは」
と指名しかかるので、アンはあわてて止めた。
「ヴェローニカ様、私が参ります。屈強な騎士達では、ドラゴンを刺激するかと思います」
「弱っているだろう」
「生き物は最後の力をとっておいているのではありませんか」
「そうだな」
「助けを呼んでいるにしても、警戒もしていると思います。武装もしていない無力な子供なら、刺激しないと思います」
「しかしアン、一人で行くのは心細いだろう」
するとフローラ、ヘレン、ネリスが進み出た。
「私たちが行きます」
「おい君たち、何かあれば、四人いっぺんにやられるぞ」
代表してアンが答える。
「大丈夫です。かならず四人でもどります」
「しかたないな、くれぐれも気をつけてくれよ」
「「「「ハイッ」」」」
四人は騎士達のもとからドラゴンに向かって雪上をゆっくりとすすむ。ときどき最後尾のネリスが振り返って手を振っている。
ドラゴンに近づくと、あたりに血の匂いがたちこめる。ドラゴンは方々に傷を追っていて、浅い傷はもう塞がっているがまだ血の滲む傷も多い。全長が馬車3台分もありそうなドラゴンはトグロを巻くようにうずくまり、こちらをしっかり見ている。攻撃の気配はない。
ハァハァと息を切らしながらやっとドラゴンの近くへたどりついた。アンにはドラゴンが助けてくれと言っているようにしか思えなかった。アンはドラゴンの顔をなで、つづいて体についている傷をひとつひとつ治していった。
小さな傷はすでに治りつつあるので大きな傷を四つほど治した時、ドラゴンが急に「ガオッ」と鳴いた。
「痛かったのかな、ごめんね」
治癒魔法で痛みが出るはずはないのだが、アンはそのように声をかけた。
次の傷を治そうとしたら、再びドラゴンが「ガオッ」と鳴く。
呼ばれた気がしてアンはドラゴンの顔の近くに戻ると、ドラゴンはトグロを少し解いた。すると大きな卵が一つ見える。
「ああ、あなたはお母さんだったのね」
アンが声をかけるとドラゴンは小さくうなずいた。
再び治療をしようとすると、ドラゴンはまた鳴いてアンをとめてしまう。そしてドラゴンは首をうごかし卵の方をみる。ネリスが言った。
「アン、もしかして卵の面倒を見てほしいって言ってるんじゃないかな」
そう言われてアンは、納得が言った。
先ほどから実は、ドラゴンの呼吸が少しずつ弱まっていた。だからアンは治療を急いでいたのだが、もしかしたらもう手遅れなのかもしれない。最期を悟ったドラゴンとしては、卵をアンたちに託そうとしていのかもしれない。
そう考えたアンは、ドラゴンに語りかけた。
「ねぇ、ネリスの言う通り、私たちに卵の面倒をみてほしいの?」
するとドラゴンは小さくうなずく。
卵のところに移動すると、ドラゴンはさらに体をうごかし卵全体が見えた。
卵はアンたちの身長の四分の三ほど、とても大きく、自分たちの手で運べそうにない。
「そりを呼ぼう」
ヘレンがそう言うのでアンが
「そうね」
と言うと、ヘレンはヴェローニカの方へ深い雪の中を走って行った。
わかるかどうかわからないと思いながらも、アンはドラゴンに話しかける。
「卵は私たちが面倒をみるわ。だけど卵を動かすのに人手がいるし、来るのに少し時間がかかる。だから卵はまだ、あなたが温めていて」
するとドラゴンは卵を巻くように姿勢をかえた。
「がんばってね」
アンはそう声をかけ、ドラゴンの治療を再開した。
残念ながらこの治療はドラゴンを助けるためではない。卵をのせる橇が来るまでドラゴンを生きながらえさせるためだけのものだ。つらい作業だが、橇がくる前にドラゴンが息絶え、卵が冷えてしまったら母ドラゴンの最後の願いがかなわなくなってしまう。アンが身体中の傷を塞いでいる間、フローラとネリスは、ドラゴンの頭をなでつづけていた。
橇がやってきた。坂の下から持ち上げたのだからかなりの重労働だったであろう、そりを引く四人の女騎士たちは肩で息をしている。ドラゴンを恐れる余裕もない。
そしてドラゴンはトグロを解いた。
そこにいる全員で力をあわせ、慎重にそりに卵を載せる。もはやドラゴンは人間たちの行いを見ているだけである。
橇に卵が載ってロープで固定したところでヴェローニカが言った。
「君たち四人は橇に乗りたまえ。すこしでも卵を寒さから守るのだ」
橇が女騎士たちに引かれドラゴンから遠ざかり始めた。アンもまた女であるから、ドラゴンにとって我が子が離れていくのがつらいのは良くわかる。仲間の三人だけでなく、騎士たちも同様だろう。
アンたちを、いや卵を見送るドラゴンを見て、アンは川崎から北海道へ旅立つ際、いつまでも見送ってくれた両親を思い出して涙が出てきた。




