かつての理系女は呼び出される
週末の未明、トイレに行きたくなったアンは寒さをこらえながら廊下を歩いていた。
それにしても寒い。寒い日はいくらでもあったが今朝はまた特別に寒い。気になって廊下の窓の外を見ると雪が降っていない。
めずらしいことだ。空の様子は窓が結露が凍結していてよく見えないが、晴れているのかもしれない。放射冷却で冷え込んでいるのなら納得できる。週末の晴天はめずらしい。
朝食に出ると、上級生から下級生まで今朝の晴天の話題で持ちきりだった。夏場美白を標榜する生徒であっても、さすがに十日近く太陽を見ていないと体が日光を欲しだす。アンもどちらかといえばインドア派だが、背を伸ばすためのビタミンDの合成には日光が必要なことは知っていた。そんなわけで食卓の話題は、今日の貴重な日光をどう利用するかになる。
「私は午前中、あの雪山のてっぺんに登ってやる」
鼻息荒く宣言するのはネリスである。フローラは
「危なくない?」
と否定的である。
「じゃ、雪合戦しよう!」
ヘレンも体を動かしたいらしい。
「雪、硬くなってない?」
アンは少し心配であった。村でさんざんやったことがあったからだ。
「それがいいんじゃん」
と、ヘレンが恐ろしいことを言う。あきれたようにフローラは、
「ヘレンもネリスも先生に怒られそうなこと言わないでよ。わたしはカマクラつくりたい」
「ねぇヘレン、カマクラって何?」
隣の席のジョセフィーヌから質問があった。カマクラは日本語だった。
「あのね、私の地方でね、雪でドームを作って、中に入って遊ぶの」
「入れるの?」
「うん、何人か座って入れるくらいの大きさに作れるよ」
いつの間にか日本語の「カマクラ」がフローラの出身地ネッセタールの方言になってしまった。アンたち三人はニヤニヤして聞いていた。するとフローラはニヤニヤしたアンたちに憤慨したのか言ってきた。
「あんたたちはやったことあるだろうけど、私はないのよ」
「いや、私たちもないし」
アンは答えた。ヘレンもネリスもうんうんと頷いている。
真面目な話、アンは悩んでいた。体が小さくなった今、カマクラはぜひやってみたい。女の子としてかわいいではないか。しかしこの貴重な日差しを浴びるような外遊びもすてがたい。さすがに雪山登りは怖いけど。
朝食をとりながらそんなことを考えていると、食堂の入り口付近がざわめいた。何事かと振り返ると、第三騎士団のヴェローニカがツカツカと入ってきていた。
王立女学校では、女騎士の集団である第三騎士団はあこがれの的である。まして騎士団長であるヴェローニカは大変に人気が高い。そのヴェローニカが突然来訪したのだ。歓喜の悲鳴をあげる生徒がいなかったのは日頃の女学校の教育の賜物であると言える。
ヴェローニカはアンたちのテーブルにやってきて告げた。
「君たち、元気そうだな。せっかくの晴天だ。久しぶりに第三騎士団に来ないかね」
「は、はい、行きます!」
他の三人の意見も聞かず返事したのはヘレンだった。
「そうか、他の者はどうか?」
他の者、という表現だったがヴェローニカの目はほぼアンに向けられていた。これは自分に用があるのだと思えたので、アンは承諾した。もちろんヘレンもフローラも行きたいとのことだ。
「では支度してきたまえ、すでに学校側への許可はとってある。正門に集合だ」
武人らしい簡潔な指示にあわてて朝食を片付け部屋に戻る。冬の外出着に着替え、何かの見学でも困らないよう筆記具を持つ。どうせ日帰りだから、大した荷物はいらないだろう。
息を切らせて正門にたどり着くと、外の世界は眩しかった。昨日まで降っていた雪に陽光があたり散乱している。その中に華麗な第三騎士団の騎士たち、そして馬車が文字通り光を放っている。
「では乗車したまえ」
「「「「ハイッ」」」」
相変わらず短い指示にさっと応えて馬車に乗り、外をみると見物しに来たのか生徒が何人も見える。顔見知りも見えるので窓越しに手を振ったら手を振り返された。
みるみるうちに窓が人の息で曇っていく。
真っ白になった美しい道を通って第三騎士団に着くと、馬車から降りること無くすぐに森へ行こうとヴェローニカに言われた。
「冬の森は美しいぞ。長居は危険だがな」
とのことだ。馬車でそのまま森の入口まで行くとのことだ。アンがどういうことなのか聞くと、
「森の中は馬でないと進めないが、何かのときのために馬車にある程度装備を積んでおけば安心だろう」
と説明してくれた。
騎士団の砦から真っ白な田園地帯を進む。ところどころに赤い旗がつけられた竿がたてられ、悪天時に備えているのがわかる。人工的なものはそれくらいで、あとは白い丘が続き遠くに森とか山とかが見える。早朝のは快晴だったのに、もう少しだが雲が出始めている。
アンは思ったことをそのまま口にした。
「ねぇ、もう雲が出始めてるね」
ネリスの答えは、
「やっぱ雪国は晴れが続かないよね」
と呑気なものだった。ヘレンも発言する。
「天候が長続きしないのはわかりきっているのに、森に誘うっていうのはどういうことかね?」
アンは自分なりの意見はあった。しかし先にフローラが言ってしまった。
「そんなのアンに見せたいものがあるに決まってるじゃない。きっとヤバいものよ」
「あのさ、そうは思ってたけどさ、口にすると本当になりそうだから言わなかったのに」
「無駄な抵抗だよ」
まだ気楽に笑っていられた。
森が近づくと、それにつれて魔物の気配が濃くなっていった。




