かつての理系女は呪文をかける
北海道を強烈に思い出させる景色から三人を引き離したのはネリスだった。
「うむ、景色はよいが、腹がへるのう」
とつぶやいたのだ。言われた瞬間、アンのお腹が鳴った。もう笑うしかなかった。
見ていたヴェローニカも笑いだしてしまい、
「そろそろもどろうか」
と言ってくれた。
食堂に戻ると、女騎士たちはなんだかまったりとしていた。テーブルには小皿がおかれ、リンゴの皮が残っている。一人の騎士が大きな皿に切ったリンゴを盛ったものを持ってきた。
「ヴェローニカ様、みなさん、どうぞ」
余ったリンゴを切って食べていたらしい。
「うむ、ありがとう」
ヴェローニカは一つ口にいれたが、
「おお、これは酸っぱくて、目が覚めるな」
と言った。ヘレンは、
「こういった酸っぱいもののほうが、お菓子には向くのです」
と言う。
「なるほど、で、そろそろ作業に戻って良い時間かな?」
「はい、いいと思います」
「では皆のもの、作業にもどろう!」
ヘレンが説明しながらの作業を開始した。
「台に打ち粉を振り、生地にもふります。余分な粉は落としたうえで、丸棒を使って平たく伸ばしていきます」
ヘレンが手に力をいれて、グイ、グイと生地を伸ばしていく。
「丸棒を転がすようにして平たく伸ばし、伸びたら三つに折ります」
そう、この作業がパイ生地の層を作っていくのだ。
「向きを変えて、伸ばして折るを5回ほど繰り返してください」
アンも真似してやってみる。ずらっと居並ぶ女騎士たちもせっせとパイ生地を作っている。
やがて生地を折る作業が終わると、ヘレンは生地を長方形に切り始めた。
「この切ったパイ生地の半分がリンゴの台、残り半分はリンゴの上にのせることになります。台にはフォークで穴を開け、リンゴの上にのせるものは、ナイフで切れ込みをこんな感じにいれてください」
ヘレンは切れ込みを入れた生地を持ち上げ、みんなによく見えるようにした。
「いよいよリンゴですが、台になるパイ生地の上にこれくらいならべ、その上にさきほどの切れ込みを入れたパイ生地をおきます。パイ生地の端を、フォークで押さえます。最後に表面に溶き卵を塗れば、焼き上がりに艶が出ます」
アンもやってみた。並み居る騎士たちもやっている。
「あとは厨房におねがいして、オーブンで焼いてもらうだけです」
するとヴェローニカが質問した。
「これは野外ではできないか?」
ヘレンが答える。
「厚手の鉄鍋を用いればできると思います。ただし、鍋底に網を入れてパイを直接底に触れないようにすること、あとは蓋の上にも炭火をおくとよいでしょう」
「なるほど」
「火加減などは、厨房の方に教えていただければよいかと思います」
「わかった。陣中でこんなものが食べられば、士気もあがるであろう」
「そうであれば、リンゴはあらかじめ煮ておけばよいかと」
「パイ生地はどうだ?」
「それは難しいと思います。凍らせておければ別ですが」
「それは冬場以外は無理だな」
四人のパイは完成した。ヴェローニカに促され、まだ作業中の騎士たちの席へ助言のため回る。りんごの皮むき同様、幹部席に近い連中は時間もかかり、できあがりもいびつな感じだ。後方はほぼ問題なく良い仕上がりだ。
食堂前方にもどってくると、いつもアンの面倒をみてくれているレギーナがやっとできたようで、「うむ」とか言っている。フローラの担当はラファエラだが、フローラを捕まえていた。
「フローラは魔法師志望だったな」
「はい、そうですが」
「美味しくなる魔法とかあるのか?」
それを聞いたアンは思い出したことがあった。大学1年次、学園祭で物理科1年生がメイド喫茶をやったのだ。杏も危うくメイドをやらされそうになったが全力で拒否し、裏方に回らせてもらった。考えてみたら優花と健太の出会いはあの学園祭だった気がする。優花のメイド姿に健太が陥落したのかもしれない。のぞみのメイドも好評で本人ものりのりだった。クラスメイトにメイド喫茶でアルバイトしている子がいたので、のぞみはしっかり教わっていた。そこおかげでか、後輩たちがたくさんキュンキュンしていたらしい。そんなことを思い出していたら、ヘレンが手でハートマークを作ってフローラに見せている。
フローラはヘレンを睨んでいた。フローラがやってくれそうにないのでアンはテーブルの下で他人からは見えないようにハートマークを手で作り、心のなかで例の呪文を唱える。
「美味しくなーれ……」
心の中とはいえ完全にふざけていたのだが、呪文を唱え終わったとき食堂中に金色の光が満ちた。
「これはなんだ!」
「落ち着け!」
などの言葉が飛び交う中、アンはフローラとネリス、ヘレンに睨まれた。ヴェローニカもアンをニヤッとしながら見つめていた。
つかつかとネリスが寄ってきて小声で聞いてきた。
「お主、呪文は最後まで言ったのかのう?」
「言うわけ無いでしょ!」
本当は最後まで唱えていたし、そのキュンのところで金色の光が出たのだった。
「ヴェローニカ様」
「何だ、フローラ」
「間違いなく、美味しくなったと思います」
「うむ、であろうな」




