かつての理系女は手の汚染を検証する
週明けの補習クラブは中央病院である。何回か中央病院には訪問していたが、治療の見学や手伝いばかりだった。しかし今回は、ようやく女学校で完成した寒天培地を持ち込むことになっている。ついでにフローラが作った石鹸も持ち込む。あと学校の用務員さんに探してもらったわりと柔らかめのブラシも持参する。手洗いの方法を調べるためだ。
寒天培地を作る際、アン、ヘレン、フローラの三人はネリスにより手の洗い方は徹底的に指導されていた。特に文句を言われていたのはアンで、手首までしっかり洗えとか爪先に気をつけろとか散々言われていた。そのたびに実験で手慣れている三人がうらやましかった。
とにかくしっかり手を洗い、調理実習室のゾフィー先生から寒天培地を大量に受け取る。風呂敷みたいな布にくるむが、こういうことはフローラが器用にこなす。
「フローラ、うまいわね」
ゾフィー先生が感心している。
「では行きましょう」
今日の引率は寒天培地制作に協力してくれたゾフィー先生だ。
王立女学校の門を出ると、夕方が近づいているのがわかる。王都は北国だから冬の訪れは近い。都心部でありながらもときたま落葉が舞い、アンはかつて過ごした札幌を思い出す。横を歩くフローラは、仲間の内で一人だけ札幌に来なかった。寒いのは苦手とも言っていた。
「フローラ、もうすぐ冬だね」
「うん、私、寒いの苦手」
そのあたりは変わっていないらしい。ゾフィー先生が振り返ってフローラに言う。
「私も寒いのは嫌いですが、女学校の中は遠回りすればすべての建物を外に出ずに移動できますよ」
フローラは、
「それは雪対策でしょうか?」
と聞く。
「そうです。王都は結構積もりますよ」
するとヘレンが、
「あの、中庭で雪合戦してもいいですか?」
と聞いた。
「ネリスではなく、あなたが聞くのね」
ゾフィー先生はネリスが騎士志望であることを覚えてくれていたのだろう。アンは口を挟んだ。
「先生、ネリスは許可なんか確認しないでやっちゃうタイプだと思います」
アンはネリスに睨まれた。
無駄話をしていると、中央病院にはすぐ着いた。今日は寒天培地で手洗いの効果を実験するのが目的なので、いつものように治療室ではなく、薬品の調合室に通された。
調合室には男性二人、女性ひとりが白衣を着て待っていた。
「外科医のグントラムです」
「薬剤師のフーゴーです」
始めに男性二名が自己紹介し、続けて女性も自己紹介する。
「看護員のロッティです」
自己紹介してもらったので、アンたちも自己紹介していく。もちろんゾフィー先生も挨拶している。
「実は私達は、この間みなさんが治療を見学していたときにいたのだ」
そういえば、グントラムは開放骨折の治療をしていた医官のようだ。
それでアンは合点がいった。ネリスが開放骨折からの感染の可能性や手洗いの重要性を説いたその場にいたのだ。
ネリスが聞いた。
「あのときの骨折の方は、その後どうですか?」
するとグントラムは、
「ああ、今のところ順調だよな?」
グントラムは話をロッティに振った。
「ええ、びっくりするくらい順調です」
「そうですか、それはよかったです」
「ネリスのおかげだと思うぞ」
ネリスは照れたように頭をかいた。
グントラムは続けた。
「とういわけで、上の方からあのときの話の続きを聞いてこいと言われてね」
アンは持参した寒天培地の一つを取り出した。
「これはゼリーのもとに砂糖をまぜて固めたものです。つくるときにしっかり熱を加えてあります」
フローラがもう一つの寒天培地を取り出した。
「これは、さきほどのものと同時に作ったものですが、作ったあとでわざと汚れた指でさわったものです」
培地上に点々と細菌が繁殖したものが汚い色の島状のものを作っている。ヘレンが説明する。
「この汚いのが、糖分を吸って繁殖したもので、こういったものがお腹に入ったら腹痛、傷口に入れば炎症を起こすと考えられます」
グントラムが口を挟んできた。
「ちょっとまってくれ。君たち四人がかりで説明してくれたが、この話はネリスだけじゃなく四人とも把握しているのか?」
代表してネリスが答える。
「はい、四人とも、持っている知識は基本的にかわりません」
「そうですか、で、今日は何をするのですか?」
誰が説明するかでアンたち四人は目配せをし合ったが、アンはここはやっぱりネリスに任せるべきだと思い、肘でつっついた。
「今日はですね、手がどれくらい汚れているかを明らかにするために、洗わない手、水で洗った手、石鹸で洗った手、ポーションで洗った手をこのゼリーにくっつけます。そしてゼリーを同じ条件で数日観察すれば、どのように手を洗えばよいかわかるでしょう」
「では、はじめます」
ネリスが説明しながら作業を始めた。アンたち四人の間では昨日のうちにうちあわせをしてあった。未使用の寒天培地をずらっとならべた。
「まず、私達四人の手の汚れを一定化させるために、お互いに手を握り合います」
四人でお互いに両手をこすりあわせる。四人とも手に付着しているものが同じになるように、入念におたがいの手をあわせる。
「アン、水で手を洗って。入念に」
アンが手を洗う。
「フローラ、石鹸で手を洗って」
フローラも指示通り石鹸で手を洗う。
「ヘレン、手にポーションをかけて」
ヘレンはポーションを片手の手のひらに取り、それから両手にすりこむ。
「みなさんいいですか、今四人の手の状態は、なにもしていない、水で洗った、石鹸で洗った、ポーションをすりこんだ、という状態です。手を手ぬぐいで拭いてすらいません。で、このままそれぞれの手をゼリーにつけます」
四人はそれぞれ別々の寒天培地に手を付ける。
「このゼリーをほこりがはいらない場所で何日間か観察すれば、手の汚れがどれくらい残っていたかわかるはずです」
「なるほど」
「それで、申し訳ないのですが私たちは毎日ここにくることができません。どなたか毎日責任持って記録をのこしていただけると助かるのですが」
ネリスの依頼に答えたのは薬剤師のフーゴーだった。
「グントラム先生やロッティは忙しいでしょうから、私が行います」
するとグントラムは、
「それは助かるが、時間のあるときは見にこよう」
「おねがいします」
「あとは、意図的に汚した手に対し、同じように手を洗うことでどのような効果があるかを実験しましょう。私達の手は使ってしまいましたから、みなさんと、あとゾフィー先生も参加していただけ舞うか」
「もちろんです」
「では」
と言って、ヘレンが袋から土を取り出した。ネリスが続ける。
そのあとグントラム、フーゴー、ロッティに加えゾフィーも土で手を汚し、それぞれ、そのまま、水で洗う、石鹸で洗う、ポーションを用いるの四種類のサンプルを作った。
一通りの作業を終え、寒天培地をフーゴーに預けると今日はおしまいとなった。
帰り道、意外にもゾフィーがとても興奮していた。
「ねぇみんな、あれで正しい手の洗い方がわかれば病気で死ぬ人が減るのね」
「そうだと思います」
慎重にネリスが答えるとゾフィーは、
「期待しているわ」
と言った。アンはその様子が気になり聞いてみた。
「ゾフィー先生は、なにか今回のことにこだわる理由があるのですか?」
「実はね、私には妹がいたのよ。生きていたらあなた達と同じくらいの年のはずよ」
「そうですか」
アンはそれ以上話を聞く気になれなかった。おそらくゾフィー先生の妹は幼くして病気で無くなったのだろう。それが腹痛から始まった強い下痢とかではなかったかと想像する。ほかのみんなも同様の想像をしているようで、言葉少なに女学校へ帰った。




