かつての理系女は堪能する
「なんだみな、お勉強が進んでないようだな」
突然声をかけられ、アンたちは焦った。ヴェローニカだった。すぐにネリスが答えた。
「申し訳ありません、私達、お腹がすいて力が入らなくて」
「そうか、では何か腹に入れるか。食堂に行こう」
「ありがとうございます」
ネリスがうまいこと言ってくれたが、アンは勉強をつづけたかった。
「あの、ここで食べたらまずいですよね」
「だろうな」
「あの、この二冊が持ち出しできないんです」
「なに、どんなものだ」
ヴェローニカがその本を手に取る。
「君たち、こんなの読んでいるのか。私は全く意味がわからないぞ」
「持ち出しができないことでおわかりいただけるかと思いますが、かなり重要な内容なので、勉強はしたいんです」
「そうか、特別に許可をもらおう。ヴァレリウス殿、責任は私が持つから、上司に許可をとってくれないか。許可を取りに行っている間、私が彼女たちを見ていよう。茶菓の手配もしてくれると助かる」
「承知しました。こちらをお願いします」
「うむ、頼む」
アンとしては大変ありがたい話で、とにかく礼を言った。
ヘレンが質問した。
「ヴェローニカ様、ヴァレリウス様に話されるとき、命令をしないのは何故でしょうか」
ヴェローニカは感心したようにヘレンを見た。
「良いところに気がついた。私から見てヴァレリウスは階級は下だが年齢は上だ。それが理由だと言ったらヘレン、君は信じるかね」
「いいえ」
「そう、それでいい。私は確かに第三騎士団の団長ではあるがここは近衛騎士団だ。私の指揮系統にヴァレリウスは存在しない。ヴァレリウスへの命令は、ヴァレリウスの上官からしかこない。だから私としてはヴァレリウスに頼むことしかできないんだよ」
「はい」
「軍隊というものはそういうものだ。ヘレン、君は騎士志望だったか?」
「いいえ、私は女官を志望していますが、お役所の仕事という面では同じかと思いまして」
「よくわかっているな、騎士団もお役所そのものだよ」
ヴェローニカは愉快そうに笑った。四人もつられて笑った。アンは札幌での申請とか許可とかを思い出していたが、他のメンバーも似たようなものだろう。
やがてヴァレリウスがクルトたちとともに戻ってきた。ヴァレリウスはテーブルにまな板のような板の上に置かれた大きな菓子をのせた。パイのようだ。目を輝かせる女子に気づいてかヴァレリウスは、
「本当は焼きたての方がうまいのですが、今はこれくらしかありませんでした」
と言いながら、ナイフで四等分し、取り皿にのせ始めた。するとヴェローニカが抗議した。
「ヴァレリウス、私の分は無いのか?」
「はははお嬢様、ちゃんとありますよ。クルト」
クルトがさらにもう一つのパイを出して切り始めた。
「お嬢様はもう勘弁してくれよ」
ヴェローニカはヴァレリウスに文句を言って、さらにアンたちにも言った。
「私が騎士団に入った頃は、ヴァレリウスは怖くてな。騎士としての仕事はほとんどこのヴァレリウスに教わったんだ。第三騎士団長になっても、頭があがらないよ」
「ハハハ」
「私の父も騎士だったんだが、ヴァレリウスは父の部下でな。だからいまだにお嬢様なんて言われて、こっちはやりにくくて仕方がない」
アンは少し気になったことがあったので聞いてみた。
「しかしヴェローニカ様、ヴァレリウス様は年功で騎士団で働いているわけではないでしょう?」
「その通り、本人は怪我のこともあるし引退したいと言っているのだが、それは困る。ヴァレリウスは全騎士団を通じての最年長者でもあるし、騎士団の裏も表も知り尽くしているからな」
「裏も表もですか」
「ヴァレリウスはな、貴族の生まれではなく一般兵士からの叩き上げだ。武勲のみならず騎士団の運営にも多くの功績があって騎士に任命されたのだ。だから末端の兵士から上級幹部のことまで、すべて知り尽くしているよ」
「私は下士官のままでよかったのですが」
「すると定年が早い。だから本人の希望を無視して、王命で騎士にとりたてたのだ。勅任の下級騎士なんて前代未聞だったな」
「おかげで死ぬまで働かされそうです」
「うむ、騎士に定年は無い。引退はあるがな」
「もう引退したいものです」
「だめだ。国防上、許可されないだろう」
「ハハハハハ」
「ま、あまり大きな声では言えないがな、近衛にかぎらず騎士団で自分の意見を通そうと思ったら、このヴァレリウスを味方にするのが一番だ」
「お嬢様、そのようなことをおっしゃられては困ります」
「相談事をもちかけられるからだろう」
「否定はしませんが、そろそろ皆さんに食べさせてあげませんと、反乱がおきますぞ」
「そうだな、みな、遠慮せず食べてくれ。あ、パイ生地が本に挟まららにようにな」
「「「「ハイ!」」」」
食べ始めたパイの中身は砂糖で煮られたリンゴで、この世界にアップルパイがあることにアンは幸せを感じた。お茶ともよく合う。
「ヴァレリウス様、とっても美味しいです」
「それはよかった」
あっという間に四人とも平らげてしまったのだが、ヘレンが怖いことを言い出した。
「あの、生クリームはありますか」
ヴェローニカが答えた。
「あるにはあるが、何故?」
「生クリームを泡立てたものをパイの上にのせるとさらにおいしいかと」
「お、おい、そんなの聞いたこと無いぞ。ヴァレリウス、厨房に聞いてみてくれるか」
「わかりました。時間がかかるかもしれませんが」
ヴァレリウスは出ていった。ヴェローニカは、
「君たちの表情をみていると、その美味さを知っているようだな」
苦笑いするしか無い四人だった。
「まあいい、残りのパイは生クリームがきてから食べよう」
しばらく雑談しているとヴァレリウスは強そうな兵士を一人伴って戻ってきた。脇にボウルをかかえている。
「これは厨房を実質的にしきっているヨハンだ」
「パイはうまかったかい?」
四人は立ち上がって返事する。
「「「「ハイ!」」」」
一通り自己紹介が終わるとヨハンが聞いた。
「で、俺のパイをどうするって?」
ヘレンが答える。
「泡立てたクリームを添えると、もっと美味しいと思うんです」
「なに、パイはすでにかなり甘いぞ」
「はい、砂糖の甘さです。これに生クリームの脂肪の甘さが加わると美味しいと思うんです」
「脂肪の甘さだ?」
「他のみんなもそう思うのか?」
もちろんもと女子大生の三人はそんなことはよく知っているのでうなづくしかない。
「まあ、持ってきたけどな?」
持ってきたボウルをテーブルに置いた。確かに泡立てられたクリームが入っていた。
「おいおい君たち、獲物を見る狼のような目をしているぞ」
女子四名の様子を見て、呆れたようにヴァレリウスが言う。ヴァレリウスは続けた。
「ヴェローニカ様、若き淑女が狼と化す前に許可を与えたほうがいいのではないでしょうか」
「おお、そうだな、諸君、好きにやりたまえ」
ネリスはボウルにスプーンを突っ込み、皆が少し食べ残していたパイの上に生クリームをのせていく。もちろんヴェローニカのにもだ。
「どうぞ」
まずヴェローニカがひとくち食べたのを見て、アンたち四人もそれにならう。
「おお、これは」
ヴェローニカはヴァレリウスやヨハンの方を向き、
「諸君もぜひ食べるべきだ」
「ありがとうございます」
アンは幸せだった。おそらくこの世界で生きてきて、もっとも美味なものだったと思う。
「ヘレン、ありがと!」
「さすがわが妾じゃ」
久しぶりにネリスのオヤジ化も出た。
「それにしてもこの嬢ちゃんたちはすごいな」
「どうしてだ? ヨハン」
つぶやいたヨハンにヴァレリウスが問いかけた。
「はい、いまパイを食べるとき、四人ともヴェローニカ様が食べるのを待っていたじゃないですか。躾というか礼儀というか、きちんと身につけていますよ、この子たちは」
「うむ」
「このまま近衛騎士団に来てもらいたいものです」
「今夜の食事は、近衛騎士団で取っていく予定だぞ」
「わかりました。失礼します」
ヨハンは急いで帰っていった。
夕食は予定通り騎士団で食べたのだが、質、量ともに申し分なく、デザートも付いた。果物に生クリームを添えている。堪能していると聞こえてきた。
「おい、今日外出している奴らは失敗だな」
「おお、こんなうまい食事食ったこと無いぞ」
「果物にクリームつけて食うって、こんなにうまいのな」
「なんでこんないいもん食えるんだ?」
ヨハンは近衛騎士団に四人を引っ張り込むため、今夜の夕食に目一杯腕をふるったようだ。しかし居残りの騎士たちの会話により、その目論見はアンたちに見抜かれてしまった。




