かつての理系女は数学を勉強する
病室にマティアス武官長がやってきた。
「アン、もう動けるのかね」
「はい、ご迷惑おかけしました」
「では行こうか」
「あ、あの、なぜ武官長様がいらしたのですか?」
「どうせ君たちのことだ、一般騎士には閲覧が許されていないものを読みたがるだろうからな」
「あ、ありがとうございます」
武官長の案内で図書室に入る。まあまあ大きくはあるが、女学校ほどではない。実戦部隊だから仕方ないのだろう。早速算術の棚に行ってみたのだが、王立女学校の蔵書と大した差がない。アンは武官長に質問した。
「算術の本はこれだけですか?」
「司書に聞いてみよう」
武官長はツカツカと受付にいる司書のところに行った。
「算術の本は、棚にあるだけかね?」
「いえ、武官長。古いもので現在使われていないものが書庫にあるはずです」
立ち上がって姿勢を正して答える司書は、顔に長い傷跡のある初老の人だった。
「ではヴァレリウス、この四名を案内してやってくれないか」
「承知しました」
「「「 「よろしくおねがいします!」」」」
四人は自己紹介した。
「君たちは噂通り、相当しっかりしているようだな。では行こう」
ヴァレリウスは先に立って導いてくれる。服装からして騎士、姿勢は正しいのだが左足を引きずって歩いている。おそらく優秀な騎士なのだが負傷によりこの役務についているのだろう。そのアンの想像を肯定するかのように武官長は、
「このヴァレリウスは近衛騎士団の最古参だ。ヴァレリウスの知らないことは近衛騎士団に存在しないということだ。何でも聞いてくれ。ただ、私の昔のことは聞くなよ」
と言う。ネリスは反射的に聞いてしまった。
「何故ですか?」
「ははは、士官候補生時代の教官だから、恥ずかしいこともすべて知られているんだよ」
「なるほど」
「それで、どんな本をご所望でしょうか?」
「うむ、アン、説明してくれ」
「簡単に言えば、転移魔法の転移先を指定するようなのとか、物がとんで行くのを計算するようなのとか」
「転移魔法はともかく、なんだか難しそうですな。これは書庫を直接見てもらったほうが早いでしょう」
「いいんですか?」
「うむ、機密だから書庫にあるというわけでなく、誰も読まないから書庫に入れているのだからね」
ヴァレリウスの案内で図書室の奥のドアから書庫に入る。入った途端、懐かしい匂いに四人は包まれた。古い本の匂いである。お互いに目を見合わせると、それぞれ懐かしさでいっぱいであることがわかる。
「算術の本はこのあたりだよ。必要なものを閲覧室に持っていってくれ」
「ありがとうございます」
アンは礼を言ったのだが、どうも失礼な言い方をしてしまったらしい。
「アン、すぐに読みたいのはわかるけど、ちゃんと目を見てお礼をいわなきゃ。申し訳ありませんヴァレリウス様」
フローラに注意されてしまった。アンはあわててヴァレリウスの方に向き直って謝る。
「申し訳ありません、ヴァレリウス様」
「ははは、まぁいいよ。早く本が読みたいのだろう」
「はい、ありがとうございます」
今一度頭を下げ、棚の本のタイトルを読む。幾何とか微積分に関するものを中心に探す。ゆくゆくは複素解析も必要だと思えるのだが、そのようなものは見当たらない。四人がかりで片っ端から探す。
しばらくして、アンは弾道学に関する本を見つけることができた。
「ヴァレリウス様、この本は持ち出し可能でしょうか?」
「むむ、弾道学? 失われた技術だな」
「失われた、ですか?」
「かつて大筒というものがあったそうだが、魔法のほうが便利なので今は使われていない」
「そうですか、でも、ぜひ読みたいんですが」
「多分問題ないが、一応武官長様に聞いてみよう」
「おねがいします」
今度はネリスが見つけた。
「あの、この本はいいでしょうか?」
ネリスがヴァレリ数に差し出した本は、球面幾何学に関する本のようだ。
「うむ、これは転移魔法に類するものだな。これは持ち出しが難しいかもしれぬ」
「閲覧室ではどうですか」
「それは問題ない。閲覧室で読んでいる間に、武官長様に聞いてみよう」
フローラもヘレンも気になる本を見つけられたようだ。
「うむ、では一旦閲覧室に戻り、読みながら待っていてくれ」
ついでにアンは聞いてみた。
「あの、閲覧室で議論はしてもいいでしょうか」
「ああ、どうせ週末は閲覧室は無人に近かろう、かまわないぞ」
「ありがとうございます」
閲覧室に戻ると、ヴァレリウスの話通り無人だった。テーブルを一つ占領し、それぞれが選んだ本を見せあった。するとヘレンは微積分学、フローラは偏微分方程式に関する本だった。
「うん、どれもこの世界の記法になれるために必要な本だね」
アンはそう評価した。しかしフローラは、
「複素解析とか線形代数みたいのは見当たらなかったね」
と言う。
「急がなくていいいけど、非ユークリッド幾何学も学ぶ必要がでるだろうね」
ヘレンはアンの目を見ながら言う。
「それって、あれば私に勉強しろってこと?」
「そりゃ学力的にはアンでなきゃ無理でしょう」
「うーん」
一人でやり切る自信はないし、かといって他のメンバーに押し付けるわけにもいかないのはアンにもよくわかっていた。だから唸り声しかでない。
ネリスの意見は、
「とりあえずはできることをやろう。教会にもあるかもしれないし」
だった。アンがそれがなぜか聞いてみると、
「うん、暦を司るのは教会だからさ」
「そうか」
物理出身の四人だから、その一言で解析力学を含む書物が教会にあることが期待できることが理解できた。
「とりあえず勉強しよっか」
「「「うん!」」」
アンの音頭でそれぞれが勉強をはじめた。




