かつての理系女は治療する
午後は魔法である。女学校での一般生徒と一緒の魔法の学習はすでにあったが、補習としては初めてである。フローラは当然盛り上がっている。アンとしても魔法全般にコントロールが苦手であるので、ここでしっかり特訓したいと考えていた。
練兵場に集合する。一列に並ぶ一同の前に武官長が立った。
「ここなら力いっぱい魔法を打っても大丈夫だ。だから今日は、それぞれ最も得意な魔法を鍛錬しよう。フローラは火、ヘレンは土、ネリスは風の魔法が得意だったな」
アンだけ名前を呼ばれなかった。
「その3名はこの場で、ラファエラ、エリザベート、ディアナとともに修練に励んでくれ」
「「「ハイ!」」」
アンは落ちこぼれの感覚を久しぶりに味わっていた。小学校での体育以来であろうか。女学校の授業でもこの3人は魔法に関してはアンの力量を大きく上回っていた。自分は暴走するか、なにも起きないかのほぼ二択だったのだ。なので、アンは自分だけ基礎の基礎から特訓かと思っていた。
「アン!」
考え事をしていたので、返事が少し遅れてしまった。
「は、ハイ!」
「うむ、アン、君はどうやら聖魔法に適正があるようだ。だから君は治療室に行ってもらう。クルト、レギーナとアンを治療室に案内してやってくれ」
「ハッ! ではレギーナ様、アン、こちらへ」
アンは移動しながら仲間三名の方を見ると、三人とも親指を立てたりガッツポーズをしたりで、アンを応援してくれているようだ。
クルトに連れられ、アンとレギーナは兵舎に入る。アンは治療室と聞いて学校の保健室のようなものを考えていたのだが、着いてみればそれはほぼ病院と言っていい規模を備えていた。
「大きいのですね」
と感想を漏らすとレギーナは、
「ああ、非常事態に備えて十分な大きさを備えている。第三騎士団も同様だ。戦時では戦地帰りの傷病兵を受け入れることもあるしな」
と説明してくれた。
「その場合は兵舎に入院させるのですか?」
「そう、そのとおりだ。今は平時だから、治療室も兵舎も余裕があるがな」
「なるほど」
「今日は治療中の団員を診てもらおう。騎士団員は頑強な者が多いから病気の者は少ないが、切り傷や火傷、骨折などが多いな」
「火傷もあるんですか」
「ああ、火魔法の流れ弾とかだな」
どうやら相当実戦に近い訓練をしているようだ。
しばらくして、医官がやってきた。かなりのおじいさんに見えるが不機嫌そうだ。
「君がアンだね。思ったより子供だな」
「はい、ベルムバッハのアンです。よろしくお願いします」
どうも気難しい人なような気がして、アンはなるべく丁寧に挨拶した。お辞儀も先日特訓したとおりにする。するとクルトが割り込んできた。
「リヒャルト様、アンが緊張しています。いつもどおりにお願いしますよ」
「そうか?」
いきなり笑い出したリヒャルトを見て、アンは緊張がほぐれつつも戸惑いも感じた。するとレギーナは、
「リヒャルト殿、お手柔らかにな」
と言って笑った。
治療室には、10名の兵士が集められていた。
「この者たちはみな怪我をしている。アンにはこの治療を手伝ってもらおう。はじめはマルコだ。腕に裂傷を負っている。三日前だったかな?」
リヒャルトは記録を見始めた。マルコは、
「槍の訓練中に、やっちまいました」
と言って自分で包帯を外そうとする。熱っぽそうなマルコを見て、アンは申し出た。
「私が外していいですか?」
「ああ、いいだろう」
リヒャルトは許可をくれた。
包帯を外し、さらにその下のガーゼを外す際、マルコはうめき声を上げた。
「すみません」
痛くしてしまったのでアンは誤ったのだがマルコは、
「いや、これぐらいの痛み、気にせずやってくれ」
と言ってくれた。
傷口は指1本分くらいのながさで縫合されていたが、問題はそのまわりが赤く腫れていることだ。傷口が感染症を起こしている。
「アン、どうするね」
リヒャルトに聞かれたので、アンは即答した。
「はい、常識的には傷口を今一度開いて洗うことになるとおもいますが、もう3日も経っているので傷がふさがりかけていると思います。ですから」治癒魔法で炎症をおさえるのがいいと思います」
「うむ、正解だ。アン、できるかね?」
「動物相手ならやったことがありますが、人間相手は経験がありません」
「ならば大丈夫だろう。わしが見てるからやってみたまえ」
流石にアンは不安でマルコに聞いてみる。
「お聞きのとおりなんですが、やってみていいですか?」
「ああ、頼むよ」
「わかりました」
アンは目を閉じ、懐かしい修二の顔を思い出す。そしてまず炎症がおさまった状態をイメージした。体の芯が少し熱くなり、その熱が治まったところで目を開けた。すると先程の傷口付近の赤みは消えたようだ。続いて腕を見ながら傷口がない状態を思い浮かべる。眼の前で思い浮かべた傷のない状態の腕にマルコの腕が近づいていくのがわかる。
ついでにマルコの元気な様子を目を閉じて想像する。
このくらいかな、と思ったところでアンは「はぁ~」と大きく息を吐いた。かなりの疲労感である。しばらく肩で息をしてしまう。
「リヒャルト様、もしかして私、息を止めていましたか?」
「うむ」
アンはかつて箱根で父に車の運転を習ったとき、カーブを曲がるとき息を止めないよう指示されていたことを思い出していたのだ。ある程度のスピードで車を曲げようとするとき、人は無意識に息を止めてしまう。長い山道ではそのたびに体力を消耗してしまうことを父に注意されていたのだ。魔法でも力をこめようとするあまり、息を止めてしまうと同様に体力を消耗してしまうにちがいない。
少し待つと息は普通にもどった。
「マルコ、調子はどうだね」
リヒャルト様が尋ねると、マルコは元気に答えた。
「怪我が治っただけでなく、体調がよく、今すぐ走れそうなくらいです」
「そうか、それはよかった。ではアン、次の治療をやってみようか」
「はい、リヒャルト様、ですが何かご指示はありますか?」
「いや、治療そのものは完璧だ。むしろよく、息の使い方に気づいたと感心していたところだ。つぎはそれに注意してやってみてくれ」
「はい」
「では次はニコラウス殿、左足首の骨折だな」




