かつての理系女は乗馬する
素敵なオジサマであり武官長でもあるマティアス近衛騎士団長やヴェローニカ第三騎士団長をはじめとする美しい女騎士合計五名に加え、イケメン兵士が四人。アンは自分の容姿が地味めであることを自覚しているので、このような美男美女に囲まれると場違いな気がしてならない。しかし目の保養になることは確かなので、目をそらさないでおいた。
そのオジサマが今日のメニューを伝えてくれた。
「みな今日は来てくれて大変うれしく思う。剣術や体術の訓練は女学校でもできるが、馬術や攻撃系の魔法はここでなければ訓練しにくいだろう。だから午前中は馬術、午後前半は魔法、後半は座学を予定している。四人だけだから厳密に何時から何時とは決めていない。状況に応じて休憩をとりながらやっていくから安心してくれ」
「「「「はい」」」」
「みなは女性だから、指導役には第三騎士団から女性騎士にきてもらった。また助手として近衛騎士団の兵士をつける」
「アン。君には騎士レギーナ、助手にはクルトをつける」
名前が呼ばれたレギーナ、クルトはアンに軽く頭をさげ挨拶してくるので、アンも「よろしくおねがいいたします」と挨拶する。
同様にフローラには騎士ラファエラに助手はアルノルト、ヘレンには騎士エリザベートに助手フォルカー、ネリスには騎士ディアナに助手ブルートが指名された。
「では馬場に行こう。助手のものは打ち合わせ通り、馬を用意してくれ」
気合の入った返事をして、助手の兵士たちは走っていった。
歩いて馬場に行く。五人の女騎士たちは騎乗せず、各自の馬を先導して歩く。アンの横にはレギーナが歩き、レギーナの馬の息が間近に聞こえる。栗色の毛に白い毛が交じる。
「レギーナ様、この馬のお名前は?」
「ああ、アルミンという」
「ありがとうございます。アルミン、よろしくね」
アンはアルミンの目を見て挨拶した。アルミンは「フフン」と挨拶を返す。
「アンは馬に乗れるのか?」
「いえ、乗れませんが生まれた村で、獣医の手伝いなどをしていましたから慣れてはいるんです」
「そうか、それにしても驚いたな」
「何がですか?」
「このアルミンだがな、気性が荒くてな、初対面の人間にはたいて威嚇するのだがな」
「はぁ、私はだいたい動物とは仲良くできるんです」
一部魔物でも仲良くできるのは黙っておく。
「では上達は早いだろうな」
「でも、私、運動は苦手なんです」
「うむ、さきほどのように馬と心の会話ができれば大丈夫だよ」
「はい、がんばります」
クルトが黒い馬をつれてやってきた。
「ありがとうクルト。馬の名は何という」
レギーナの問にクルトが答える。
「はい、ハーマンです」
「何、ヨハネス殿の愛馬ではないか」
「はい、ヨハネス様は今運動場で稽古中です。昨日のうちに許可はいただきました」
「うむ、助かる。アン、ハーマンは良い馬だぞ」
アンはクルトに会釈してハーマンに歩み寄る。
「こんにちはハーマン。今日は私に乗馬教えてね」
と話しかけると、ハーマンは顔を擦り寄せてきた。くすぐったくて声が出てしまう。
「では早速始めようか」
レギーナはクルトから手綱を受け取り、先に立って歩き出す。アンはついて行く。アルミンは置いていかれるのが淋しいのか「ヒヒン!」と鳴いた。レギーナはアルミンを振り返った。「待ってろよ」と言っているような気がする。
小さな円形の馬場に入ると、レギーナは手綱をアンに渡した。
「まずはハーマンをひいて、馬場を一周しよう」
「はい」
アンが歩くと、ハーマンは素直についてくる。なんだか楽しくなってきた。視界の端にアルミンが尻尾をパッと上げ、糞をドバっと出すのが見えた。
「アン、集中しろ」
「はい」
一周した。
「アン、余裕があるのはいいことだが、初めての馬だ。気を抜くな」
「申し訳ありません」
「ただ実際、アンはハーマンと意思の疎通はよくとれているようだ。騎乗してみよう。クルト、アルミンを連れてきてくれるか」
糞を片付けていたクルトがアルミンを連れてきた。
「クルト、ハーマンの手綱を持っていてくれ。アン、見ていろ」
レギーナは鐙に足をかけ、さっとアルミンにまたがった。動作の美しさに、圧倒されるアンであるが、自分もできるか全く自信がない。
「アン、やってみろ。クルトが抑えているから大丈夫だ」
「はい」
「自信のなさは馬に伝わるぞ、しっかりしろ」
レギーナにはすべてお見通しらしい。
アンは見様見真似で馬に乗ってみる。
いや、乗れなかった。
「うむ、尻が重いな」
何度やっても尻が持ち上がらないので、レギーナが馬から降り、アンの尻を押してくれた。
「あ、ありがとうございます」
「アン、視線を上げろ」
「うわぁ!」
視界が変わっていた。見渡せる範囲が広がり、さっきまで見ていた秋の騎士団の風景と同じはずなのだが、なんだか新鮮に感じる。
「アン、馬はいいだろう」
レギーナはいつの間にかアルミンにまたがっていた。
「今日は歩けなくてもいい。まずは姿勢だ。アン、背を伸ばせ」
「はい」
そのあと、腰の伸ばし方とか、足の馬の腹への当て方とか、いろいろ指導された。どこかを直せばまたどこかを注意される繰り返しで、すっかり疲れてしまった。
「アン、私のまねをすればいいんだよ」
と、レギーナは注意のたびに見本を示してくれるのだが、実はアンの気持ちは違うことに行ってしまっていた。レギーナの鍛えられた体つきに、同じ女でも見とれてしまうのである。かつての母校にこんな先輩がいたら大変な事になっていただろうと思うと同時に、自分の棒のような手足を見て、やがて自分もこうなれるだろうかと不安になってしまう。
「おい、不安は馬に伝わると言っているだろう。それにしてもアンは考えていることがすべて顔に出るな」
アンは赤面するしかない。
馬上での姿勢の稽古だけでも、アンはすでに疲れてきてしまった。
「アン、ちょっと早いが午前はこんなもんでいいだろう。姿勢は良くないが、馬は落ち着いているから合格だ」
「ありがとうございます」
アンとレギーナは馬から降りて、厩舎へと移動する。
厩舎の前での水場で、クルトが言った。
「アン、その辺で休憩していてくれ。俺はハーマンの手入れをするから」
「あ、あの、お手伝いしてもいいですか?」
「危ないぞ」
「あの、私、村でやってましたから」
「クルト、手伝わせてやってくれ、私が見ている」
「ありがとうございます」
まずは足についた泥を落とし、つづいてブラッシングする。それを見ていたのかアルミンは「ヒヒン!」と鳴く。レギーナはアルミンに歩み寄り、
「あとでやってやるからな」
と肩のあたりを叩く。
「どうもアンにやってもらいたそうだな。足の泥だけでも落としてやってくれるか」
「はい」
そうこうしているうちに、ヘレン、フローラ、ネリスも帰ってきた。ヘレンはニコニコ、フローラはつかれた感じであったが、ネリスは馬に乗ったままやって来た。
「ネリス、もう馬に乗れるのね!」
「はは、大変だったよ。何度か振り落とされた」
よく見ればネリスは泥だらけだった。それでも満足げなネリスだった。




