かつての理系女は報告を求められる
雪は降り止まなかった。
アンは目を覚ましてベッドを降り、カーテンを開けると激しい雪だった。
昨夜は敵の最後の攻撃を予期して城壁の防御線に自ら加わり、激戦の最中むりやりに交代させられた。そのまま馬車に乗せられ夜明けの近づく街を抜け領主邸の作戦室に戻された。
作戦室で落ち着かないまま戦況を見守り、ルドルフの参戦で決着がついたことを知った。
そしてやっと待ちに待った増援が到着し、増援部隊に指示を出したところで休息を取らされた。
興奮していて眠れるかとも思ったが、いつもの3人がアンとともにいてくれたのですぐに眠れた。
窓際から振り返ると仲間たちは、ベッド脇やらソファやらで居眠りしていた。彼らを起こすには忍びず、部屋のドアを開けると詰めているメイドと目があった。
「おはようございます。お食事になさいますか、それとも湯浴みをなさいますか」
かつて修二の帰宅を迎えて、自分も似たような事を言ったのを思い出した。おもわず笑ってしまいながら、気を取り直して状況を確認する。
「戦況はご存知かしら」
「現状大丈夫なので、アン様にはゆっくりとしていただきたいと、メルヒオール様から伺っております」
「ではお手数ですが、湯浴みさせていただこうかしら。結局服をぬいだだけで寝てしまったから」
「承知いたしました。少々お待ちくださいませ」
少しだけ待つとメイドが戻ってきて、入浴の支度ができたことを知らせた。アンが椅子から立ち上がるとフローラが起きてきて、
「一緒に入ろ」
と言った。湯船は狭いが友達と入浴するのはなんか楽しい。フローラが一緒だと静かにお湯を楽しむが、ネリスだといたずらのし合いなってしまい、メイドが入ってくる前に二人で掃除をする羽目になる。いつも最後に湯冷めしそうになりながらネリスに文句を言いつつ床を拭く。ネリスは「よいではないか」を連呼しつつ全く反省しない。今日の被害者はヘレンになってもらおう。
フローラとともに眠気と戦い体を温めて浴室からもどったら、さすがにヘレンとネリスも起きていた。二人ともやる気満々と言う感じで浴室に向かう。
「ありゃ、あとの掃除が大変だね」
とフローラが言う。ただ、最近は戦ばかりでそんな余裕もなく、風呂でふざける余裕ができたことは喜ばしかった。
しばらくすると、浴室からキャッキャという声が聞こえてきた。しばらくはアンとフローラは笑い合っていたがアンのお腹が鳴った。フローラが浴室まで行って、
「あんたら遊んでないで早く出なよ! ごはんなくなるよ」
と怒鳴った。
二人はちょっとで風呂から上がってきて、ヘレンは、
「あれ、食事はまだ?」
ネリスは、
「聖女様の出汁の効いた風呂は最高じゃな」
と言った。
持ってきてもらった食事を食べていると、メイド達が着替えを持ってきてくれた。各自のベッドの上に服を乗せてくれたのだがアンのものだけ聖女の略装だった。
「あの……」
とメイドに言おうとすると、ヘレンが、
「もうさ、あんたが聖女だって、みんな知ってるよ。いまさらって感じ?」
と言った。アンにしても、少なくともここヘルムスベルクではありとあらゆる人から聖女様と呼ばれてしまっているのには気がついていた。
「もう隠さなくていいか」
とアンが言うとヘレンは、
「隠せてない」
と言って笑った。
作戦室に顔を出す。作戦室の奥にはヴェローニカが陣取っていて、やはり一眠りしたのかさっぱりとした顔をしている。
「誰か、聖女様に状況をご説明申し上げろ」
すると一人の騎士が立ち上がった。
「ご説明申し上げます……」
説明によると、ヘルムスベルクを襲った敵は撃退、パトロールは出しているが、残存兵力はまだ見つかっていない。ノイエフォルト、グリースバッハ、そして新突破口すべてにおいて敵活動は停止。ただ追撃は森に入ることになるため実施していない。
つまりは積雪前の敵大攻勢は終了したということだ。
そしてその参謀はつづけて現段階の部隊の配置、補給、休息状況などを説明してくれた。
アンはその内容を地図に照らし合わせながら考えていたが、ふと気がつくと全員の視線が自分に集中している。アンは礼すら述べていないことに気づき、
「ありがとうございます。現状はわかりました」
と言ってみた。それでも全員が自分の意見を待っているようだった。
「まずは朝申し上げた通り、昨日から戦闘していた部隊を休ませましょう。ただ、敵の残存兵力の跳梁が心配です。パトロールは無理のない範囲で強化してください」
ヴェローニカが戻っているので指揮官はヴェローニカ、アンはアドバイザーに過ぎない。だからヴェローニカが頷くのをみて、説明していた参謀は、
「承知いたしました」
と言って引き下がった。
つづけて臨席していた領主メルヒオールが発言する。
「聖女様、実は王都からお手紙が届いています」
「ありがとうございます」
アンはもしやステファンから、と思ってあわてて封を開いたのだが、残念ながら違った。差出人は宰相のアルブレヒトで、なるべく近いうちに王都に戻り情勢を国王に直接報告して欲しい、とのことだった。
アンとしてはステファンが呼んでいるのなら飛んでいくのだが、そうでなければどうでもよかった。報告などだれが行ってもいいだろうとさえ思ってしまう。それがそのまんま顔に出ていたのかヴェローニカは、
「聖女様、そんなお顔をなさらず。きっとお褒めのお言葉があるかと思います」
と言ってくれる。しかしアンとしては、
「お言葉なんかよりも増援が欲しいのですが。敵の活動が終わったという確証もなく、敵からの停戦の使者もありません。ですから私はあまりヘルムスベルクを離れたくないのです」
「聖女様は敵はどのような行動を取るとお考えですか?」
「厳冬期は可能であれば遊撃戦に徹すると思います。雪が降る中敵が行動すると、発見困難です。厳冬期中にしっかりと準備を固め、春攻勢に出ると思います」
「攻勢の時期は?」
「春のはじめ、まだ地面が凍結しているうち、地面がぬかるむ前と考えています」
「そうであれば今少し時間的余裕があるでしょう。春攻勢に備えるため、王都で兵を出し惜しみする貴族共の尻を叩くというのはどうでしょう」
そうまで言われれば「行く」としか言いようがなかった。